第34話

 ミナミと合流してやってきたのは市役所の近くにあるカフェだった。あまり客がいなかったおかげか、四人席に通されたサチとミナミは向かい合わせに座る。


「さあ、好きなもの頼んで。わたしの奢りだから」

「いいよ。自分の分は自分で――」

「いいから奢らせなさい。そして、さっきの話を包み隠さず話しなさい」


 スッとサチの前にメニューを置きながらミナミは言う。サチは苦笑して「なんでそんなに聞きたいの」と首を傾げた。


「面白そうだからって言ったでしょ。あ、わたしこれにする」


 反対側からメニューを見ていたミナミが即決する。サチはしばらく迷ったが、結局ミナミと同じパスタを頼むことにした。


「――で?」


 注文を終えて、ミナミは水を飲みながらテーブルに頬杖をついた。


「どんな奴なの、そいつ」

「どんなって……」

「あ、待って。わかった。今、学校勤めって言ってたから同僚の教師でしょ? そうだなぁ、あんたぼんやりしてるから相手は絶対年上。おっさん先生だ」


 どうだ、と言わんばかりの顔でミナミはにんまりと笑う。サチは思わず声を出して笑ってしまった。


「全然当たってないよ。そもそも島村さんが思ってるような事じゃないから」


 するとミナミは疑うように「ウソだね」と言った。


「だって、あの母親に啖呵切ってあんたを家から出したんでしょ? そんなこと赤の他人がするわけないじゃん。絶対あんたのこと好きでしょ、そいつ」


 その言葉にサチは思わず動きを止めた。それに気づいたミナミは「お?」と眉を上げる。


「ほう? あながち間違ってはいなかったと。さあ、話せ。全部話せ。どんな野郎なんだ、そいつは」


 勝ち誇ったような表情で椅子にふんぞり返ったミナミは片手をひらひらさせながらサチに話せと促してくる。どうやら全て話さなければ解放されそうにない。仕方なく、この金曜日からの出来事をかいつまんで話して聞かせる。そして全てを聞き終えたミナミは「マジで……?」とぼんやりした顔で呟いた。


「――だから言いたくなかったのに」

「いやいやいや。別に引いたとかそういうんじゃなくて、え? あんた女子高生から好きだって言われたの? 女の子から?」

「しーっ!」


 そのとき、注文していた料理がようやく運ばれてきた。話が聞こえてしまったのか、スタッフはチラリとサチの顔を見てから去って行った。


「島村さん、声が大きいから」

「ああ、ごめん。でも、ふうん。そうなんだ」


 ミナミは運ばれてきた料理に手をつける様子もなく、ただそれを見つめながら呟いた。そしてゆっくりと視線をサチへと向ける。


「で? あんたはそれを聞いて、困って、考えることから逃げて怪我を押して役所へ住民票を取りに来た、と」


 その口調にからかいの雰囲気はない。彼女は真面目な顔でそう言った。サチは図星を突かれて言葉に詰まり、俯いてしまう。


「ふうん」


 カシャンとフォークが皿に当たる音が聞こえて顔を上げる。ミナミは頬杖をついたまま、パスタを食べ始めていた。


「それはさぁ、ダメでしょ」


 しばらくパスタを食べ進めてから彼女は言った。サチはいまだ料理に手をつけず、ただ無言で俯く。


「ちゃんと勇気を持って言ってくれたんだからさ、しっかりと考えてあげないと」

「それはわかってる。ちゃんとわかってるよ。でも、わたしが寝てると思って言ったのかもしれないし」

「それでもあんたは聞いたわけでしょ? だったらちゃんと考えて、どうするのかを決めて向き合ってあげなきゃダメだよ。そのままズルズルと期待持たせるような態度とり続けて、あんたにその気はなかったってなったら、その子が悲しすぎるでしょ」


 ミナミはフォークを持ったままパスタの皿を見つめながら無表情に続ける。


「あんたが気持ちを受け入れるっていうのなら、それはそれでちゃんとしてあげないと。考えることから逃げるのは卑怯だと思う」


 その通りだ。ミナミが言っていることは正しい。だが、正しいことを言っている彼女の態度が気にかかった。さっきまであんなにサチのことをからかう気満々だったというのに。


「……島村さん」

「んー? あ、あんたも早く食べなよ。冷めたらおいしさ半減どころじゃないから」

「うん。でも、あの、何か怒ってるの?」


 するとミナミはわずかに驚いたような表情を浮かべた。しかし、すぐに無表情に戻ると「別に」とフォークでパスタをつつきながら言った。


「怒ってないよ。ただあんたが昔のままだったから、つい」

「昔のまま……?」

「あー、いや。でもやっぱり、ちょっと違うかな」


 言ってミナミは微笑んだ。


「昔のあんたより、今のあんたの方が――」


 そこでミナミは何故か言葉を切ってしまった。そして考えるように眉間に皺を寄せてパスタを一口食べる。


「……今のわたしの方が?」


 サチが聞くと、ミナミは「んー、なんていうか」と首を捻った。


「いい顔をするっていうか。そんな感じ」

「どんな感じ」

「だから、そんな感じだってば。今の方が良い感じってことだよ。ま、相変わらずの逃げ癖はダメだけどな。それも今は一応自覚してんでしょ?」


 ミナミがフォークの先をサチに向けてニッと笑った。サチは眉を寄せて「行儀が悪いよ」と注意をする。


「でも、うん。他のことはともかく、彼女の気持ちから逃げちゃダメだっていうのはわかってる。自分がどうしたいのか、まだわからないけど」


 微笑みながら答えたサチを、ミナミは「そっか」と少し寂しそうに見つめて頷いた。


「ね、その子と同じアパートに住んでるんだよね?」

「うん。隣の部屋」

「へー。じゃあさ、今日行ってもいい?」

「なんで」

「面白そうだから」

「またそれ?」

「いいじゃん。どんな子か知りたいんだもん。あ、わたし車だから家まで乗せていくし。ね?」


 言い出したら聞かない。それが島村ミナミだ。彼女こそ昔と変わっていないではないか。サチはため息を吐いて「わかった」と頷いた。


「やった! あ、手土産になんか買っていこうかな。何が好きなの、その子」

「え……」


 脳裏に浮かんだのは、たこ焼きを渡したときの美桜の顔だ。


「たこ焼き?」

「いや、なんか違う。なに、なんで手土産にたこ焼き? 違うでしょ。もっとこうスイーツ系でさ。わかるでしょ?」

「わかんないよ」


 サチが笑って答えるとミナミは本気で悩み始めてしまった。どこのケーキがおいしかった。あそこの創作スイーツは良かった。あのクッキーも捨てがたい。そう言っては美桜への手土産に悩むミナミの姿を眺めながら、サチは少し冷めたパスタを食べ始めた。

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