第34話

 食堂は小さいが予想していたより綺麗な建物だった。ドアを開けた瞬間、良い香りに包まれる。店内は満席に近いようだ。食堂とはいえ酒も提供されており、どちらかというと居酒屋に近い雰囲気。多くの人が楽しそうにお喋りをしながら食事をしているので賑やかというよりうるさいくらいである。


「――苦手かも、こういうところ」


 呟いた心桜の言葉に瑠璃は店内を見渡した。


「雰囲気は悪くないかと思いますが」

「まあね。バースの時みたいにあからさまな視線は感じないし」


 心桜は言いながらメニューを開いた。しかし文字が読めないことを思い出してそれを瑠璃に手渡す。


「わたし、野菜系が食べたい」

「かしこまりました。文字もそのうち覚えていかなくてはですね」


 瑠璃は言いながら店員を呼ぶとメニューを指しながら注文していく。たしかにこの世界で生きるには文字くらい読めなくてはこの先困るだろう。


 ――めんどうだな。


 思いながらぼんやり店内を見ていると隣のテーブルに座った客がチラチラとこちらを気にしていることに気がついた。テーブル席に着いているのは女が二人、男が三人。いずれも真人のようだ。

 視線に悪意は感じないが気分が良いものではない。心桜は彼らを睨みつけると「なに見てんの?」と声をかけた。


「あ、すみません。えっと魔者の方ですよね?」

「お、おい。いきなり失礼だろ」


 謝りながらもいきなり質問してきた女に対して男が慌てて声をかける。そして申し訳なさそうに彼も心桜に頭を下げた。


「申し訳ありません。今日は街中あなたの噂で持ちきりだったもので、どういう方なのか気になってしまい」

「ふうん」


 心桜は黙って座っている他の三人に視線を向ける。彼らはヘラッと笑って軽く頭を下げた。テーブルには酒のジョッキが並んでいる。どうやら全員、ほろ酔い気分のようだ。


「あんたたち、この街の人?」

「いや、俺らは傭兵でね。商人なんかの護衛をしながら旅をしている。この街にもつい数日前に来たばかりだ」

「へえ。そう。今回も商人の護衛?」

「はい。奴隷市が近いですからね」


 ということは奴隷商の護衛でこの街へ来たということだろう。ならば何か人間の情報を聞き出せるかもしれない。そう思い、心桜は席を立って彼らのテーブルの近くに立った。


「心桜様」


 瑠璃の声に視線を向けると彼女は何かを訴えるように心桜を見ていた。思わず心桜は「心配しすぎ」と笑う。そして五人が座るテーブルに片手を突いて彼らを睨んだ。さすがに驚いたのか、五人の顔から先ほどまでの笑みが消えていた。


「わたしのことジロジロ見てたことは許すからさ、ちょっと聞いていい?」

「な、何でしょうか」


 男の一人が姿勢を正す。おそらくこの男がこの五人のリーダー的存在なのだろう。


「人間の話、最近どこかで聞いたことない?」

「人間、ですか」

「そ。ここ数ヶ月の間に現れた人間の話。どこの国の話でもいい」


 男は仲間たちと視線を交わすと「数ヶ月前にこの国に人間が二人現れたという話なら聞きましたが」と言った。


「その人間がどうなったのかっていうのは?」

「たしか一人はその場で殺したと。もう一人は討伐に向かった者たちが返り討ちに遭い、行方はわからないままと聞いています」

「ふうん」


 心桜は眉を寄せながら顎に手をやる。そして「殺された人間って、どんな容姿だったか知ってる?」と聞く。


「いえ。ただ年老いた男だったということしか」

「男……? ほんとに?」

「はい。そう聞いてますね」


 ということは、慎ではない。その事実に安堵しつつも納得がいかない。

 彼らの話はおそらくバースの街で聞いた話と同じ。この世界で人間が現れることは脅威だ。見つかった時点でその噂はきっと世界中に広まるのだろう。事実、彼らの耳にも心桜の話が届いている。それなのに慎のことは噂にもなっていない。


「――人間を仕入れたっていう奴隷商の噂は?」


 心桜は考えながら尋ねる。彼は「特級のということですか?」と首を傾げた。


「聞いたことはないですね。特級は希少ですから、もしそれを仕入れた商人がいれば噂が立つはずですが……」

「へえ、そう」


 心桜は彼らを見つめる。嘘を言っているようには見えない。むしろ心桜の質問に好意的に答えてくれている。


「わかった。じゃあね」


 心桜はそう言い残してテーブルに戻った。テーブルにはすでに料理が並んでいる。サラダが入ったボウル。野菜がたくさん入ったクリームスープのようなものとパン、それに肉料理というバランスの良いメニューだ。


「へー、美味しそう」

「そうですね。値段も良心的で助かります」

「そうなんだ。そういえばバイトも探さないと」

「まだ言ってるんですか」


 瑠璃は苦笑しながらテーブルに置かれていた容器からナイフとフォーク、そしてスプーンを取り出して心桜に手渡した。


「それでさ、瑠璃。聞いてた? 今の話」

「はい」

「どう思う?」

「どう、とは?」

「あいつが言ってたのって、バースの街で聞いた話と同じだよね?」

「おそらく」


 瑠璃は頷く。


「バースの街ではコウラン地方の森に人間が二人出たという話でした。コウラン地方はこの国の北部。心桜様が殺されかけた地方のことです」

「だよね。あの話、一人はわたしでもう一人は慎のことだと思ってたんだけど」

「もう一人は男だったと言ってましたね」

「……信用できる? その話」


 すると瑠璃はちらりと視線を五人組へと向けた。彼らはもうこちらを気にしていないようだ。楽しそうに談笑しながら食事を続けている。


「少なくとも嘘をついているようには見えませんでした。彼らの態度は友好的です」

「それは、まあね」

「彼らが言ったコウラン地方での話が正しいかどうかということであればおそらくは正しいでしょう。バースの住人のような街の外に出ない人ですら知っていた話です。旅をしている彼らの方が正しい情報を得ている可能性は高いですから」


 ですが、と彼女は僅かに眉を寄せた。


「奴隷商の話はどうでしょうか」

「嘘なの?」

「いえ。彼らが聞いたことがないというのは本当だと思いますが、そもそも奴隷商が人間を手に入れたとして噂が立つとは思えません。希少な特級を手に入れたとなれば、それを奪おうとする同業者だっているでしょうし」

「ああ、たしかにね」

「彼らはきっと善人なのでしょうね」


 瑠璃は言いながら五人組を見つめ、そして目の前に料理に視線を戻した。


「わたしたちも冷めないうちに頂きましょう」

「そうだね」


 心桜は言いながらスプーンを手に取り、スープを口に運ぶ。程よい味付けのスープは思っていた以上に美味しい。しかし、あまり味わう気にはなれない。


 ――慎じゃなかった。


 では慎はどこにいるのだろう。あのメッセージはどこから送っているのだろう。

 たった一人でこの世界で生きているとは思えない。かといってあのようなメッセージを送れるということは奴隷商に捕まったということも考えにくい。同時に、すでに奴隷として売られたということも考えにくい。もしそうならすでに慎の持ち物は取り上げられていることだろう。


 ――魔者になってるとか?


 一番考えられるのはその可能性だ。心桜はパンを口に運びながら瑠璃を見つめる。彼女は不思議そうに首を傾げた。


「魔者ってさ、増えてもわからないんだよね」

「そうですね。前にも言いましたが、魔者は気まぐれに眷属を増やしますから」

「でも魔者の、なんだっけ。系譜? は増えないよね」


 心桜の質問に彼女は頷く。


「新たな系譜が生まれることはおそらく今後もないでしょう」

「じゃあ、その系譜って全部でどれくらいあるの?」


 しかしこの質問には瑠璃は首を傾げた。


「それはわかりかねます」

「なんで」

「シャドラ様はあまり他の魔者に興味がありませんでした。それはレイヴァナ様も同じようで、自分たち以外の魔者について話すことはほとんどなかったんです」

「そうなんだ」

「すみません」

「いや、謝ることじゃないじゃん」


 心桜は苦笑すると料理を口に運ぶ。そしてしばらく無言で食事を続けてから「慎はさ」とテーブルを見つめながら言う。


「魔者になってるんじゃないかって思うんだけど」

「……たしかにコウラン地方以外で人間が現れたという話がないこと、メッセージを送れる状況であることを考えるとその可能性は高そうです。とはいえ、この世界で人間に一番鼻が聞くのは奴隷商です。話を聞きに行くことは無駄ではないと思いますよ」


 瑠璃の冷静な声に顔を上げる。すると彼女は微笑んでいた。


「もしも魔者となっているのならこの世界で生きていくことにそう苦労はしないでしょう。ですが、もし万が一にも人間として生き抜いている場合は一刻も早く救って差し上げたいですから」

「そうだね。慎、きっと待ってるもんね」


 心桜が言うと瑠璃は笑みを深めた。心桜は眉を寄せる。


「え、なにその顔」

「いえ。心桜様のそんな可愛らしい表情、初めて見たもので」


 言われて心桜はハッとして「うざ」と急に熱くなった顔を隠そうと腕を上げる。


「そういう照れ隠しも初めて見ました」

「もういいから! 食べるよ、ご飯!」


 心桜は恥ずかしさに顔を俯かせて食事を続ける。たしかにこんなにも落ち着いた気持ちで会話をしたのはいつ振りだろうか。この世界に来てから初めてかもしれない。

 慎が魔者になっている可能性が高くなったから安心してしまったのかもしれない。慎に命の危険はない。その可能性が高くなったから。


 ――でも、そうと決まったわけじゃないんだから。


 安心してはダメだ。心桜はグッと顎を引くと「明日は朝から奴隷商の店に行く」と言った。


「かしこまりました」


 瑠璃の返事を聞きながら心桜は店内を見渡す。他にも誰かに話を聞いてみた方がいいだろうか。しかし夜も深まってきたせいか客たちはそのほとんどが酒を呑んでおり、ほろ酔いどころか酔っ払いが多い。今聞いてもトラブルになる可能性はあれど、これ以上の情報は出てきそうにない。


 ――今日はもういいか。


 思ったとき、店のドアが開いて客が入ってきた。そのときドアの向こうをスッと小柄な少女が横切った。


「……え?」


 思わず心桜は声を漏らす。


「心桜様? どうされました?」

「いや、なんか……」


 心桜は呟きながら閉まっていくドアを見つめる。そこを横切ったのはボロボロのローブを着た少女だった。彼女が被ったフードから微かに見えた髪の色が黒かった。そんな気がしたのだ。


 ――まさかね。


 外は暗く、ここから距離もある。しかも相手はフードを深く被っていた。見えるわけがないのだ。

 心桜は「なんでもない」と笑って答えると食事を再開する。瑠璃は不思議そうにドアの方を見ていたが、やがて彼女もまた食事を再開した。

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