今世では溺れるほど愛されたい

キぼうのキ

なんだと?



 背中に衝撃を受け、振り返った。

 長い刃渡りの包丁を血で濡らし、私の顔を見たその人は分かりやすく顔色を変えた。

 戸惑いが言葉にならない音となって吐き出される。


「あ、あ、ああっ!」


 数秒経って、耐えきれないほどの痛みが襲ってきた。横向きに倒れ、痛みで呻き声が出る。

 だが、薄れる意識と比例するように出てくる声も小さくなっていき、まるでこの世とお別れするみたい。


 私、誰に殺されるの? どんな理由で?

 身に覚えのない殺意に怒りよりも先に不思議が勝つ。


 耳鳴りがして、周りの状況も読み取れなくなってきた。

 路地裏程ではないが、夜遅い時間の道は車通りはあるとは言え暗いし人通りは少ない。

 悲鳴や叫び声が聞こえないことから、私と殺人犯しか居ないのだろう。


 死ぬのかな。

 ああ、なんてつまらない人生だったのだろう。


 幼い頃、両親は事故で亡くなり親戚中をたらい回しにされ、両親の死亡保険金も奪われた。

 事故のあと、ただでさえ引っ込み思案だったのに、さらに愛想や愛嬌まで失ってしまい、薄着身悪い子と言われるようになった。

 学校にも馴染めず、身体的なものはなかったが、無視や仲間はずれ、悪口など苦しいことが沢山あった。


 なるべくいい仕事につけるよう、高校までは親戚に頭を下げ通わせてもらい、やっと、本当にやっと、来月から社会人としての生活と一人暮らしがスタートするはずだったのに。


 工場バイトの最終出勤日。手渡しの給料を受け取り、帰宅途中に誰とも知らない男に刺されるなんて。

 なんてつまらない人生なんだろう。

 走馬灯で蘇る記憶に幸せを感じたものは両手ほどあるだろうか。

 唯一、確かに幸せを感じた日々は両親と過ごした、たった数年の短い期間。

 あの日に戻りたい。戻って、私の誕生日ケーキを買いに行く車に私も一緒に乗って、両親と共に死にたい。

 それか、生まれ変わりたい。引っ込み思案な性格を直し誰からも愛されるいい子になりたい。

 優しさと思いやり、愛想と愛嬌。あとは、媚び。

 その全てを身につけて誰にも無視されない人になりたい。


 痛みも何も感じなくなり、最後までどうにか機能していた耳までも聞こえなくなってきて、あぁ私は死ぬんだなと思った。

 つまらない私にはピッタリかもしれない。

 でも、一つだけ気になることがある。

 殺される目的は一体何なのか。殺人犯の男の顔に見覚えはない。


 その時、殺人犯が小さく口を開いた。


「……誰だ……? くそっ、人違いだ!」


 …………なんだと?

 そう思ったのを最後に私の意識は闇に沈んだ。





「ばふぅ!?」


 沈んだ、はずだった。


 ちょちょちょ、ここどこ。なんか眩しいんだけど! でもボヤけて周りがよく見えない。

 病院? 命助かったけど目が悪くなった感じ?

 あー、最悪。親戚あいつらに何言われるか。


「あー、ぅ!」


 ん?


「あー、ううぅー! あー!」


 んん?


「あー、うぇ、うえええええぇぇん!!」


 えっ!? この泣き声って、赤ちゃん? な、ななななんで私の口から聞こえるの。

 落ち着け、一旦落ち着こう。

 そういえば体が動かない。手と足を小さくバタバタくらいしかできない。

 まさか、いや、そんなはず……。いやでもこれって、まさか。


 その時、誰かが部屋に入ってくる音が聞こえた。

 聞こえる声は日本語ではなく、英語でも韓国、中国語でもない。それ以外の言語は分からないが、どれにも当てはまらないように感じる。

 ぼやけた視界の中、私を見下ろすように顔を近づけてきた人物はどうやら女性のようだ。

 女性は何やら私に声をかけながら、なんと、軽々と持ち上げたではないか。

 驚いて、私の口から出ているらしい泣き声はピタリと止まり、その様子に女性は優しい笑い声を上げた。

 とんとん、と眠りを促すように背中を叩かれ眠たくなかったはずなのに、だんだんと瞼が下がってくる。


 そして、何も状況を把握出来ないまま私は眠りについた。


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