第6話

 この少し前、同心の神宮が奥田の屋敷を訪ねていた。


 屋敷に入る前に、先日の奥方の様子が神宮の脳裏を過り、門の前でなかなか足が進まなかったのだが、これもお役目だと自分に言い聞かせて、門をくぐった。


 神宮も仕事がら、色々な種類の女を見て来たが、この奥田の奥方のような種類はそう出会わなかった。きついと言って間違いでは無いが、例えば、同じ女のきつさでも、お真美などは、酒を男と同等に飲むゆえに、厳しい言葉でも、その節々に、男にも相通じる感情を含ませていた。だが、この奥方のきつさには、到底相容れない隔たりしかなかった。


 前回は、殺しがあったその日ということもあり、状況がどうであったかを中心に聞いたが、今回は、犯人の手掛かりとなるものが無いかを聞くことが目的だ。


 客間でしばらく待つと、奥方が出て来た。案の定、部屋の入り口で立ったまま、神宮を見下ろすように鋭い視線を向けた。


「先日、知っている事は全てお話ししたはずです」

 ぴしゃりと言い放つ。神宮が気おくれして体を引いた。

「そうなのですが、あのぅ、もう少しお聞きしたいことがあるもので、申し訳ありません・・」


 奥方は不機嫌な顔をしたまま座った。

「聞きたい事とは何ですのっ」


 神宮が奥方に正対して座り、軽く頷いた。

「はい、その、奥田殿が何か問題を抱えていたとか、あるいは誰かに恨みを持たれていたとか、そういう話は聞いていなかったでしょうか・・」

「女に・・、ということかしら」

「女に限らず、お役目や、それ以外でも・・」

「男は敷居を跨げば七人の敵ありといわれますのよ。主人は幕府の重要なお役目を担っていたのですよ。当然、そこら中に敵がいて、恨みを買っていたでしょう」


 神宮はすっかり薄くなった頭に手を当てた。

「あのう、そういう一般的な事ではなくて、奥方が聞き及んでいるような具体的な話はなかったでしょうか。最近、奥田殿が、何かそれらしい話をしていたとか・・」

「無いです」


 取りつく島もない。しかも、神宮が、さも何か悪いことをしていると言わんばかりの居丈高な態度と言い方だ。神宮は、気に触ることはしているかも知れない、とは思いつつも、すっかりやる気を削がれてしまった。このまま、更に怒らせたのでは、奉行所に怒鳴り込んで来そうな勢いだ。とりあえずは、穏便に済ませるべきだが、一応、予定した事は聞くだけ聞くしかない。


「そうですか・・お役目の事や世間話などは、あまりなさらなかったですか・・」

「何も話しません。主人は食事が終わると直ぐに離れに引っ込むだけですから」

「なるほど。それで、聞きにくいことなのですが、その、離れでの奥田殿の行いなどについては、奥方はどの程度ご存知でしたでしょうか・・」


 奥方がキッと神宮を睨みつけた。

「存じ上げません」


 その語気の強さに、神宮は思わずビクリと腰を浮かした。知っていても言うものか、という顔に見えた。もうこの辺が潮時だ。

「わかりました。それでは、あと下男の者に少し話を聞きたいと思います・・」


 奥方が立ち上がって部屋を出て行くと、神宮は胸を撫で下ろした。


 暫くして下男の与一が入って来た。

「へい、何でございましょうか」


 打って変わって、自分を、普通にお役目を行っている役人として見ている、という顔の男が前に座った。神宮は、我に帰るようだとばかりに、ようやく調子が戻る。肩の力が抜けて、視界も広がったようだ。


「奥田殿が離れに女を呼んでいたのは、確か、月に五、六度だったな」

「へい」

「女好きの奥田殿だ。月に五、六度は無いだろう。もっと呼んでいたのではないか。いや、俺ではない。奉行が、そういう意味のことを言っていたので。あくまでも、奉行が・・」


 与一が急に下を向いた。

「その、私が屋敷に来た女を見ているという訳ではなくて、そうじゃ無いか、と思っていただけなのですが」


「なるほど。では、なぜ月に五、六度と思ったのだ」

「へい、旦那様が離れに行く時に、いつも、酒を用意してくれ、と仰で・・」


 奥田が食事を終えると、通常はすぐに離れに行く。その時に、必ず下男の与一に、酒を離れに持ってくるよう命じていた。そして、時々「それと、紙も頼む」と付け加える日があった。与一は、それが女に渡す金を包むための紙だと認識していた。

「それが、月に五、六度だったという訳か」

「左様でございます」


「奥田殿は、その事については何か言っていたか」

「いいえ、女や金については何も言ってはいません。ですが、紙を用意する日は、必ず、裏口の鍵はかけないようにとも言いますので」

「当然、女を入れるためだろうな」


 与一が目尻を下げて口元を緩めた。

「へい、そう思っておりました」


「でも、お前は、女は見ていないのだな」

 与一が黙ったまま神宮を見た。何かを迷っているように、目が細かく動いている。神宮は、与一の警戒を解き、気持ちを楽にさせようと、表情を和らげた。


「いや、別に、お前の言うことがおかしいだとか、疑ったりはしていない。ただ、月に何度も女が屋敷に出入りしていた訳だ。それが、いくら夜や早朝とはいえ、少しくらいは、見ることはあったのではないか。違うか」


「はあ、その・・」

 与一がためらうように下を向いた。


「正直に言ってくれ」


 与一が顔を上げた。

「これは、奥様には内緒に願います。実は、毎日のように奥様から、旦那様の離れでの様子を、根掘り葉掘り聞かれるのです。それはもう、細かいところまで、しつこく・・」


 神宮は妙に納得した。

「だろうな」


「最初の頃は正直に答えていたのですが、ある時、大変な揉め事になってしまって・・」

「それも、わかる」


 この奥方に感じた、自分とはどこまで行っても交わることがない隔たりとは、こういう事かと、神宮は合点がいった。旦那に不信感や反発を持っても、自ら直接問いただすことなく、下男を使って執拗に監視するような、陰湿な対応をする女なのだ。お真美にしろ、神宮の頭が上らない家内にしろ、何かあればとことん問い詰められて罵倒もされるが、こういう陰に籠るきつさは持ち合わせていない。


「ですから、それ以来、もう、何も見なかったことにしているのです。ただ、酒と紙の用意は、ごまかしようがなくて、奥様には正直に言っていました」

 与一がうなだれた。


「良いだろう、無論、奥方には言わない」

 神宮は与一の肩に手をかけた。

「それで、何を見たのだ」


「はい、朝早く、裏口から出ていく女です。庭の掃除をしていると、いつも、女が帰る様子が見えます。気付かれないように、遠目でしか見てはいないのですが」

「どのような女だ」


「後ろ姿ですから顔の様子まではわかりませんが、衣装からすると派手で、それは様々です」

「見るからに茶屋女という感じか」

「まあ、ほとんどは」

「そうでない女もいたのか」


 与一は首を捻りながら考え込んだ。

「それが、どうも、不思議なのですが・・」


 奥田が紙を用意しろという時は必ず、裏口の鍵はかけないように、とも言っていた。そして、その翌朝は、裏口から帰る女の姿があった。


 しかし、奥田が酒だけ用意させて何も言わない夜の翌朝に、女が出ていく姿を見ることがあったのだ。紙も用意しないし、ましてや、裏口の鍵もかけていたのに、と不思議に思っていた。あるいは、それらとは全く関係のない、客人かとも思っていた。


「それは、どれくらいの割合だ」

「そうですねぇ、まあ、月に、一、二度というところですか」

「見た目は、茶屋女では無かったのだな」

「へい、おそらく、お武家様の奥方のようでした」


 神宮は頷きながら腕を組んだ。

「奥田が殺された夜は、紙を用意させて、鍵を開けておくように言ったのか」

「いいえ、あの夜は、何もおっしゃりませんでした」

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