幕間 あるいは少年の独り言

-舞台裏、あるいは少年の思惑-


少年がいた。知識に愛され、その魂は大いなる知恵の神が生み落としたと揶揄われる、そういう少年がいた。

とある男は少年を異端と忌み嫌ったし、とある女は少年を天才だと褒めそやしたし、とある老人は奇跡だと敬したし、とある子供は化け物だと指を刺した。少年に貼り付けられたラベルの名前は種類も豊富で仕方なく、語彙力に長けた”皆々様”への関心が思い浮かぶ辺りがきっと、”異端”なのだろう。


それでも少年が本物の”神様の子供”にならなかったのは大らかな父親と気の強い母親のせいで、おかげだろう。異端を理由に迫害も放棄もせず適当に受け入れた2人の夫婦は、確かに少年の”親”だった。少年の両親は”親”らしい寛容さと厳しさと適当な放任をもって少年を育てて、それから大いなる”めんどうごと”に溢れた道を決まって歩かせた。

めんどうごとはきっかけの形をしていて、そして少年に” ”を与えた。




_____第一印象はきっと正義感に溢れた子供。

その次はお嬢さまみたいな顔に似合わず口の達者な女の子。

その次にはもうだめだった。


『ふ、ふふふ、たしかに。さいごのかお、みた?ざまぁみろってかんじで、すっきりしたよねぇ。』


口元を押さえて体を震わせる控えめな笑顔。花が綻ぶとか、宝石の煌めきとか、そういう綺麗なものだけではきっとつくれない夜空を彩る流れ星に似た笑顔。喉元を牙が貫いた動物の爛々と悪戯を成功させた少女らしいかわいらしさがおんなじになった、そういう笑顔。

ぱちん。はちみつ色の星は確かに少年の体の中心をつらぬいた。



”たびびとは にこにこわらって でもけっして ゆるがぬほのおみたいなめをしながら おうじさまにいいました

「あのね おうじさま。であいなんて かんたんさ、かみなりがおちたみたいな ながれぼしがつらぬくような せかいがぐるりとまわるような そんなとつぜんさ!わすれないでおくれ うんめいなんて あとづけさ。きみがうんめいだとおもったもの それだけが なによりとくべつなうんめいなのさ!」”



脳裏によぎったのはステンドグラスに似た絵柄の絵本。父親が商売の関係で持って帰ってきた時間潰しなだけだったはずの物語のセリフが、少年の心に湧き上がる感情に名前をつけてしまった。

わたがしみたいにふわふわのグレージュの髪も、ツンとしたアーモンド型の瞳のとろけたはちみつ色も、ほろ苦さを嘲笑ってほそめられる目尻も、慰めなどない本心を紡ぐ林檎の色した唇も、全部。全部。全部!ちりと走る火花の熱情はあっという間に体を支配して、少年の心に好奇の炎を与えた。






少年の話をしよう。

トロワ・ディトフィッグという名前の少年は王国の流通貿易に多くの影響をもった商家の一人息子として生を受けた。豪快で快活、大らかといえば聞こえがいいお調子者の父親と、朗らかと気の強さが器用に同居した女主人みたいな母親。そういうまるで立ち位置も考え方も違う人間同士が上手に噛み合ったみたいな夫婦だったお陰か、生まれた子供が齢みっつの頃にはその界隈で権威を振るう研究者たちの会話に混ざれるほどの頭脳をもって生まれたことに驚いて「俺の息子って天才!」と頭を撫でながら「ちゃんとご飯を食べなさい!」と当然に叱りつけることができたのだろう。


結局両親にとって少年は賢い子供であったが、それ以前にトロワ・ディトフィッグという名前の息子でしかなかったのだ。

頭脳の代わりに子供らしさも純粋性も失ったトロワが”ディトフィッグの息子”という子供でいられたのは両親の愛のおかげに他ならないだろう。


ただトロワに度々と怠惰を与えたのはおもしろきなき世への興味の薄れだろう。好奇心をくすぐるものは大概に大人の了見だとして取り上げられて、勝手に友達扱いされた子供たちはらしからぬ賢さを持つトロワをきぶみ悪がった。変わり映えしない退屈はトロワの思考を停滞させて全てのものをつまらない面倒とひとまとめにラベリングさせた。


『いつかきっと……っていう夢みがちな言葉だけど、お前が追い求める限りあり得ないこともあり得ない。面白くて楽しくて、目が回るほどの衝撃が、お前を貫く時が必ず現れる。だってそーだろ?そういう衝撃が、お前をこの世に生み出した!』

『子供は子供らしくしろなんて主体性も具体性も欠けた言葉を言うつもりはありませんし、友達は多ければ多いほどいいなんて人類を数字でしか見ていないマウントでできた理論を振りかざすつもりもありませんが、それはそれとして、すべての人がつまらない面倒だけでしかないと決めつけるのはよくありませんよ』

快活な笑顔で碌な根拠もないのに妙に自信満々の父親のそれを、朗らかな笑顔とは裏腹にまるで幼子にかける言葉ではない母親のそれを、馬鹿にしてやるほど捻くれてはいなかったが、だからといって無邪気に受け入れるほどの純粋さもなかった。


それでも、度々とやかましい父親も怒ると怖い母親も面倒がってため息をつくことはあれど、トロワにとって尊敬する大人で親であったので。色褪せた感情を持て余しながら外へと連れ出す父親の手を嫌悪を持って振り払うことも、否応関係なく頭に語りかける母親の澄んだ声を疎ましく耳を塞ぐことも、できるけれど、しなかった。


ぱちん。ぱちん。目の前で火花が弾けて視界が突然色付いたので、あんまりの眩さに一瞬目が眩んだ。両親の言葉の正しさを証明する少女が笑っている、たったそれだけなのに。


客観的に見れば少女のそれは短絡的な行為だったかもしれない。別に聖女のような清廉さを持って正しさを説くだとか、凛々しい騎士のような格好良さをもって悪をくじくだとか、そんな素晴らしい光景でもなかっただろう。事実、トロワだって子供らしからぬ弁舌(とはいえ滑舌は幼かったが)で“ぶつかり男”を追い詰めていく様は愉快であったが、終わってしまえばそれだけ。声をかけたのだって、少女が自分を認識しているかはともかく、結果的に助けられたことになる以上さっさと無視をするのも目覚めが悪かっただけ。それだけ。たったそれだけで声をかけたことを、これから先一生、トロワは自分を褒め称えるに違いない。


もしも少女が可愛らしく微笑んだならば同じように笑いを返しこそしただろう。もしも少女が“ぶつかり男”への怒りを吐くならば同調くらいはしただろう。もしも少女が威張りながら自分の功績を掲げたならばお礼を繰り返すくらいはしただろう。


きっと人間の心は単純なものでできているに違いない。頭だけが複雑になっていくせいで勘違いをするが、心はすとんと落ちていくくらい単純な構成をしている。


だってトロワの体に落ちた雷のしびれは、目の前で弾ける星の輝きは、世界がぐるりと回った衝撃は、たかだか少女の笑顔でもたらされたのだ。喉元を牙が貫いた動物の爛々と悪戯を成功させた少女らしいかわいらしさがおんなじになった、そういう笑顔。林檎の色したくちびるから紡がれる言葉の選択もおかしろくて、だって、だって、「ざまぁみろ」だって笑うのだ!


果たしてこれを恋などと可愛らしい言葉で呼んでいいのかはわからない。けれどきっと運命ではあった。怠惰な少年の心に与えられた“いつかきっと貫く衝撃”たる好奇心だった。


退屈とは毒だ。明晰な頭脳も培われた知恵も知識も殺す、天才を愚かで怠惰な生き物にする絶対的な毒だ。だからこそ大いなる暇つぶしをこよなく愛して、そのために勤勉な生き物になるのだ。


今までトロワの心を弾ませたのは新しく開発された魔法道具や、発見された新種の植物、既存の魔導回路の効率化などといったもので、そこに至るまでに、例えば権威のある研究者や名の知れた開発者などに興味を持つことはあったが、所詮欲しいのはそこに至る頭脳と知恵と知識であり突き止めれば彼彼女たちの人間性など興味がなかった。

この少女を、グレージュのたなびく少女を、はちみつ色のとろける少女を、トロワは初めて知りたいと思った。笑顔も、中身も、声も、言葉も、心も!


だがそれは、所詮トロワの好奇心。客観的短絡行動“ぶつかり男”に喧嘩売りをした少女は、そのくせに、だからこそ、他人への警戒が無意識にしろ意識的にしろ高いようだった。ある種トロワとは似て非なる他人への無関心、あるいは自己の世界の唯一確固性。黒色の毛並みが艶やかな狼(それも同族でも群れの認定が高いサンダーウルフ!)が現れるや否や、ついさっきまで近い距離で笑い合っていたとは思えないほどあっさりとした別れの提示。


頭の中が茹って気をつけていなければ口角がうずうずと上がるほど興奮しながら、片方の頭は冷静に思考を巡らせる。


(あー。ちょうどいい口実できた、みたいな感じで終わらせようとされてンな。さっき笑ってたのは愛想も気遣いもないんだろうけど、それはそれとして、祭り特有のその場限りで十分って感じ。ふは、名前も聞く気ねーの。いーね、隠されると知りたくなンね。)

狼の背後へと向ける少女の視線を何の気もなさげに追えば、彼女と同じ色をした少年が手を振っている姿と、その後ろに立つ保護者らしき男の姿を目に映る。


さて、と考える。

ここで名前を聞きたがるのは簡単だが、それで手に入るのはただ少女の名前だけ。フードマーケットは有名だが大衆的な祭りである、お綺麗なパーティと違って参加者の名前が芳名されてる訳でもなく、そもそもロマの街近辺外からの参加も多い。


『それじゃーね』と手を振る少女のあっさりとした、なんと適当なことか。『またあえたら』の有効期限の儚さときたら、わかりやすいその場凌ぎに他ならない。


糸。糸が必要だ。少女の瞳をこちらに向けるための時間を稼ぐための、糸がいる。


「なぁ、俺、トロワ。トロワ・ディトフィッグ、また会えたら名前よんでくれよ。じゃーな。」

これほど心踊る自己紹介は他にはあるまい。意外にも、顔と名前のどちらも知っている相手は片方しか知らないよりも身近さを与えるので。それからあえて少女の思惑通りあっさりとした別れを演出してやれば、その次の手にも信憑性が増すだろう。


トロワが足早に向かったのは父親の元だ。

挨拶回りやら性根たくましい営業やらに忙しないだろう父親が現在どこにいるか、など彼にとって数秒も要らない。大事なのは偶然を装うこと。


「あ、父さん。」

「ど、ど、どうした!?」

「うるっせ…耳元で叫ぶなよ…」

「い、いやだってお前が…あ、歩いてる!」

「俺はどーやってここまで来たんですかね。」

身から出た錆だがここまで驚かれると子供らしい反抗感情が芽を出す。


父親に連れてこられたものの、そも、父の本題はあくまで仕事であるので挨拶回りやら性根たくましい営業やら、つまりはマーケットの販売側の人々の元をぐるぐると回るのである。一応これで商人としての才能が高い父親は息子を連れて行っても大丈夫なように手配をしているらしいが、トロワからすればたまらなく面倒に他ならない。取引先であろう大人に擦り寄られるのも、褒めそやされるのも、妙に幼いもの扱いをされるのも、ついでに父親の息子自慢(つまりはトロワのこと)を横で聞き耐えるのも、トロワには苦痛で仕方なかったので。

両親は度々大いなる“めんどうごと”に溢れた道を歩かせたが、嫌なことをさせたい訳でもなかったので、こういう時そっとお小遣いと安全保護の魔法道具だけよこして放任した。


だからといってお小遣いを使い切るほど祭りを楽しんだり、大人に注意されるくらい走り回ったり、そういう純粋性はトロワからは失われてしまっているので。まァこれに関しては、父親が仕事の関係で度々世間で珍しい部類に入る物々を持ち帰ってくるせいで、フードマーケットへの多大なる物珍しさが褪せているのもあるだろう。閑話休題。大概トロワは待ち合わせに指定した場所の近辺でひとつかふたつ程度は腹ごなしに食べることはあっても、その後はベンチで昼寝をしていたり持ち込んだ書物を読み耽ったりとするのが常で、父親の驚きと言えばこれはもう、仕方のないことだろう。


「んぁー、なんか変なんに絡まれて、面倒になったから。」

「変なのォ?どした、何があった。」

ふたつ目に心配の声をかける父親に、なんてことないと肩をすくめる。恐ろしさなどは微塵もない、ただの厄介ごとへの愚痴として話せば父親はわかりやすくほっと安堵の息をついた。

だって、トロワにとって大事なのはそんなことではなくって、大事なのはここから。背中を蹴り飛ばされたことやジュエリーアイスをおっことされたことへの苛立ちはすでに鮮烈なはちみつ色が打ち払ってしまった。


「たださぁ、助けてくれた女の子、俺ちゃんとお礼いえず仕舞いでさ。いろいろ、ごたついてたし、家族と一緒に行っちまったぽい。んで、さがしてた。」

瑠璃色の瞳を伏せて、何度も姿勢を変えては無駄に肌を掻く仕草。企みの口角は薄紅をさすまろい子供の頬で誤魔化して仕舞えば、そこにいるのは生まれて初めての少女へ向ける淡い関心を持て余す”かわいらしい男の子”だ。


糸。糸。糸を絡めなければいけない。一期一会など出会いの偶然、社交辞令ひとつであっさりと打ち切られてお終い。継続のための必然を、引き寄せたるきっかけを、全てを絡めて少女の意識にトロワという存在を記さなければならない。


流石というべきなのはただの一般参加者でしかない少女らを、「息子が世話になったみたいでお礼を言いたいんだ」と父親が少し囁いただけですぐにコミュニティに広まって、見つけ出したところ。「ごめん」と嘯くその口の態とらしいこと!

唯一の誤算、というよりも予想外は少女のはちみつ色の瞳に浮かぶ警戒や人見知りにした感情が薄れていたこと。もしかしたら側に野生動物に似た瞳で見つめる少年(少女の双子らしい)と警戒態勢で爪をみせる狼がいるからこそその必要がないのかもしれない。ただどちらにせよ、億劫も怪訝も一切含まず名前を教えてくれる程度に薄れた警戒と、代わりに滲む親近感はトロワにとって都合のいいことでしかない。


果たして、青い春の色をしたときめきとも、胸をむずかるどきどきともまた違う。願いで、喜びで、祈りで、まだ見果てぬ興味。面白くて楽しい少女を知りたいという達成感を欲しがるわくわくとしたみたいな好奇心。


「あー、えっとさ。父さんに対して色々いっておいてなんだけど、俺もたまにさ、連絡してい?俺の父さん商人で、いろんなとこ回ったりすんだけど、そのせいで年の近い子で気軽にしゃべれる子って今までいなくてさ。」


彷徨わせる視線と、ほんの少しのためらいと辿々しさで年相応の気恥ずかしさを演出して、だからといって断る理由もないだろう平凡なる好感を。はちみつ色がくるりと光を丸めた後、こっくりと頷いた少女___テトラの姿に湧き上がる甘美な喜びといったら!


糸。糸。糸は絡まった。もうとっくに解くなんて考えることすらできないように。


すっかりディトフィッグ家のマジックメールがトロワ個人のものに成り果てるほど、絡めた糸は解けるどころか結ばれて、10年後の再会の日まで続くことになるのだが、それはまた、次の話ということで。




−舞台裏 あるいは”トロワ・ディトフィッグの歓喜なる暇つぶし”の思惑−

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