第28話 前提が違うとやり方も変わる。
翌朝俺は、宿の外で拳を振るっていた。
空はまだ薄暗い。
「駄目だねぇ。昨日俺が見てない時、楽をしていただろう? 雑な動きが染み付いている。構えが下がってるし、脚の送りが拳の動きに遅れている。同時だよ同時、むしろ脚の方がちょっとだけ早いイメージ——」
「なあ!」
好き勝手言うウォーケンを
「なんだい?」
「昨日、あんたはパンチなんて一度も使ってなかったじゃないか! なんで俺に練習させる!?」
「……昨日見せたアレは、相手を死なせる前提だったからだよ。普段は他人に見せない。真似されても困るし、対策を立てられても困る」
死なせる前提? 見せない?
「——もし公で、人を殺してはいけない状況で、誰かを攻撃しなきゃならないシチュエーションになったなら、誰もが知る技だけで闘わなきゃいけない。だから、あんな『裏ワザ』よりも先に『正攻法』を身に付けない事には始まらない。その為の第一歩だねぇ」
「う」
「まぁ俺はそういう場合でもパンチはしないがねぇ。相手の歯で怪我する事もあるし、そいつの口が汚かったら、大変な事になる」
「っておい! じゃあキックを教えてくれよ!?」
「生意気言うんじゃあない。一丁前のパンチも出来ないひよっこが。基本を覚えないウチは応用なんて教えられないねぇ。まずは言われた通りの事をキチンとしなさい」
冷や汗が垂れる。
ウォーケンは要所要所であの「威嚇」をしてくる。
何度も受けて少し慣れたとは言え、ウォーケンのヤバさを俺は数度に渡って見ているのだ。こいつの指導から外れた事をすれば、何をされるかわからない。
俺は大人しく従った。
いつの間にか、太陽が完全に姿を現している——。
「ずいぶん時間がかかったねぇ」
こいつ。
当たり前だろ。横であんなに口煩くガーガー言われながらやったんだから。
「——ほら、朝は忙しいんだ。さっさと汗を流して朝食を食べなさい。チェックアウトの時間が迫っているねぇ」
時間がないのは誰のせいだ——などという文句を呑み込み、俺は身支度を済ませてウォーケンに連れられ再び外に出た。
「何処に行くの?」
「あの店だよ。キミが呑気に着替えてた間に連絡は済ませてある」
呑気だと?
「連絡?」
「田舎育ちのキミは知らないか。遠くの人に連絡できる、そういう魔道具があるんだよ」
「知ってる」
馬鹿にするな。そんなのは本で読んで知っている。
「ああ、そういう質問か。なに、キミが料理を作れないのは死活問題だからねぇ。ギリちゃんにコキ使われて覚えてきなさい」
「あそこで働くって事?」
幾ら貰えるんだろうか。
「なんだい? その期待に満ちた目は。タダ働きに決まってるじゃないか」
「え?」
「人からモノを教わるんだ。もし
……それもそうか。
親父に文句言った時も、似た様な事を言われた。そういうモノだと納得するしかない——が、ムカつく気持ちは抑えられない。
今晩、こいつがびっくりする様な料理を作ってやる!
だが俺を待っていたのは、一日中エンドレスに続く、食器洗いである。
昨日訪れた時は空いていたのに今日は目が回る忙しさだった。
それでも卵の綺麗な焼き方を教えて貰えたし、何よりギリさんは、優しい。
ウォーケンが迎えに来た時、俺は達成感に満ちていた。
しかし——。
「不味い」
「は?」
「卵を混ぜ過ぎだねぇ。弾力が足りない。ソースの味付けもイマイチ」
昨日とは別の宿でウォーケンは、そんなダメ出しをしたのである。
このやろう。自分だって大して美味い料理を作れるわけでもないくせに。
というか、フワッとした卵に弾力は逆に邪魔になるだけだ。この素人が。
自分の好みで人様の料理を評価してんじゃねえ!
「——手が止まってるよ? 続けなさい」
ウォーケンが飯を食べてる間、俺は何をしているのか——ずっと腕立て伏せである。
手の平はつけず、拳を木の床につけて。しかも片手だ。
右と左、交互に床につけては伸ばし、床につけては伸ばしを繰り返している。
床に汗でできた水溜りが広がっていた。「拳頭」が痛い。
「——ほらほら、どうした? 拳が人に当たる時はもっと痛いんだぜ? ちゃんと『突く』イメージで、正しいフォームを意識しなさい」
くそ。こんなの子供にさせる事じゃない。
こいつに俺の身のこなしを見せた事が間違いだった。「そういえばキミは片手で屋根にぶら下がれるんだねぇ?」とか言って、片手で行なう事を強要されている。
「……はぁ……はぁ……あの、ウォーケン、さん。あと何回すれば……」
既に百回は超えている。
「俺の気が済むまでだねぇ。三味線弾いて苦しそうなフリをしているうちは終わらないぜ?」
苦しそうなフリじゃねえ! 本当にキツいんだよ!
だが、そんなセリフは口に出さない。それを言ってしまったら負けた気がするのだ。
こいつの前で、絶対に根をあげてなるものか。
「——でも可哀想だからヒントをあげよう」
ヒント?
「——フォームを変えずに、見た目を変えずに、パフォーマンスだけを高める方法、キミにはもう、できるハズだよ」
「え?」
「おいおい、キミ自身が気づいた事だぜ? 俺に教えられずともねぇ。そういうズルだけは認める」
ズル? なんだ? 俺が自分で気づいた?
「——だから手が止まってるって」
そんな事を言われても、どんどん身体が、腕が、重く感じる。熱くなってくる。汗が拳にしみる。痺れて感覚が薄くなる。
——む。熱く?
「〝フレンモ〟!」
「馬鹿野郎」
俺から噴き出る炎をウォーケンが消した。
「——俺の稼ぎを台無しにする気かい? 俺が魔素の扱いに長けてなかったら大火事になるとこだ」
魔素の扱いったって……いや、間違いではない。
ウォーケンのあの素早い動き、きっと持ち合わせている「技術」もあるだろう。でも、根本的に、何か特別な方法を使っている気がする。何せあの瞬間的なスピードはブルリザードよりも速い。それでいて息を切らしてなかった。
まずは落ち着いて、全身から——。
「……」
ウォーケンは黙って見ている。
たぶん、全身から魔素が出ていると思う。逆上して無意識にやっていた時とは違い、キチンと自分で感じ取る事ができる。
それを、炎を操っていたあの時と同じ様に、色々な方向に向けてみる。
ウォーケンが着いているテーブル——うん、確かに届いている。
ベッド、窓、台所——ちゃんと意識した所に向いている。
よし、腕に集めよう——駄目だ! 腕に集まりはするけど、動きは何も変わらない。
というか、段々力が抜けていく。
「——馬鹿だねぇ。魔素には上限があるって言ったじゃないか。そんな全身から噴き出せば、すぐになくなるぜ?」
全身から噴き出せば?
全身から、噴き出さなければ?
いや違う。元の状態に戻っただけだ。
「——早くして欲しいんだがねぇ。俺は早く風呂に入りたい」
うるせえ! 俺だって早くメシ食いてえよ——と、我慢我慢。落ち着け、落ち着け。考えろ——アレ? メシの事を考えた時、腹に何かを感じた。腹の内側から……内側!
腹に感じた違和感を、移動させてみた——動く!
それを腕に。
骨に。
肉に。
肩に。
肘に。
手首に——おお! 楽になった!
でも、まだ駄目だ!
俺はこの腕立て伏せでキツいと感じる身体の部位に、しらみ潰しに魔力を意識してみる。力を抜き、魔力だけで動きを意識する。
——すると、腕の力を抜いているハズなのに、腕が背中が腰が足首が、肉が動いている!
「やった! できた!」
今度は力と魔力、両方を込めてみた。先ほどよりもはるかに速く、そして力強く、俺の身体が上下する。
「仮にもズルしてるんだ。そんなに堂々と喜ぶのもどうかと思うがねぇ」
俺はウォーケンを無視して回数を重ねる。
すげえ! 何回でも出来そうな気がする!
何回でも、何回でも、何回、でも……。
アレ? また身体が重くなった。
「——どうやら、限界みたいだねぇ。魔素を噴き出さずに運用すれば、かなり魔力を節約できる。でも、膂力に変換した分だけやはり、消費する。ちょっと無駄が多すぎるねぇ。だが大切な第一歩だ、褒めてあげよう。良くやった」
「はぁっ……はぁっ……!」
俺はどしゃっと床に、崩れた。床にたまった汗に、顔面から突っ伏す。
でも、悪い気はしない。嬉しい。
ウォーケンにできる事が、俺にもできた。
ウォーケンに、認めさせた!
「……しかし、本当にできるとはねぇ」
「え?」
どういう事だ?
言われて俺は、立ちあがろうとする。
が、力が入らない。
「くくく、こりゃあ明日は全身筋肉痛だねぇ? 今は疲れて椅子に座るのもままならないだろう。でも、それはそれ、だ。明日も朝から頑張るんだねぇ?」
鬼畜な事を言うウォーケンだが、その目はとても、穏やかだった。
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