第26話 命は平等に尊く、価値が薄い。
「降りておいで」
ウォーケンに促され、俺は今居る屋根から近くの低い屋根に飛び降りる。がしゃ、という頼りない音が響いた。
屋根の端にぶら下がり、窓枠の上部分に足先を掛ける。片手を離し片脚を伸ばして窓枠の下部分を踏む。煉瓦の目地に指を引っ掛け、もう片方の手も離して別の引っ掛かりに置く。
そうやって俺は少しずつ降りていった。
やがて、ウォーケンのもとに辿り着く。
「手慣れてるねぇ?」
「あんたほどじゃない」
高い所から降りる事が得意なのは、俺が毎日そういう遊びをしていたからだ。目を瞑りながらでも同じ事ができる。
ウォーケンもそうだろう。
きっとウォーケンは、目を瞑りながらだったとしても、この獣人達を倒せたのではないだろうか——そう思えるくらいにその作業は手早く、そして鮮やかだった。
「経験と努力、なんでもそうさ」
「どれほど努力すれば、俺はあんたに近づける?」
「それはキミ次第だねぇ——と、その前に、キチンと仕事を終わらせよう」
俺とウォーケンは、同じ方向を向く。
そこには両膝をついてうずくまり、腹から飛び出た中身を必死に戻そうとしている獣人が居た。
「オ、オマエラ、ドウシテダ? ナゼ、コンナコトヲスル……?」
「どうしてだろうねぇ? 自分の心に訊いてみなよ?」
「オ、オレタチハホントウニ……」
腹の中身を抱える獣人は涙を流している。
「わかってる。何も知らないんだろう?」
「ジャ、ジャア——」
「だからこのまま、息の根を止めさせてもらうよ」
「エ?」
ウォーケンがコートの内側から何かを飛ばした。
それが獣人の左眼に突き刺さる——ナイフだ。
先ほど獣人から取り上げたものと同じくらいに質素な、普通のナイフ。
獣人はそのまま地面に突っ伏した。
「実は自前のヤツ、待ってたんだよねぇ」
「なあ?」
「なんだい?」
「この人達は本当に関係なかったんじゃないか? なのに、どうしてだ?」
俺の目の前には、この惨状を作り出した本人が居る。だが自分でも驚くほどに恐怖を感じていない。
あるのは疑問だけだ。
「関係ない事はないねぇ。彼らもこの辺の無法者の一人だ。貧しさに負けて安易な方法で生きている連中、同情する必要なんてないのさ」
「それでも——」
「ああ、続きはキミにやって貰おう。俺があげたナイフ、ちゃんと拾ったかい?」
一応、あのナイフはズボンとベルトの間に挿してある。
「……続き?」
「ホラ、そこにまだ生きている人達がいるじゃないか。キミがトドメを刺すんだ」
ウォーケンに顔を潰された獣人、後頭部に肘を落とされた獣人、喉を切られた獣人にはまだ、息があった。
「なんで俺——」
「良いから早くやれ」
ウォーケンに言葉を遮られ、全身から汗が噴き出る。従うしかない。
俺は一番近くの顔が潰れた獣人にひざまづいた。
「——そうそう、やり方はだねぇ。彼らの首の両側どちらでも良い、太い血管がある。そこを切るんだ」
言われた通りにする。
薄く血が滲んだ直後、勢いよく血が流れ出た。
「——ちなみに獣の血抜きをする時なんかは、逆さに吊るしながら同じ様な事をする。覚えておくんだねぇ」
「……この人達は、獣人だけど、獣じゃない」
「その通り、彼らは人間だ。でもねぇ、命に人も獣も関係ない」
言ったウォーケンは冷ややかだった。
「——俺は常々思う。食べる為に獣を殺す、と言ってる連中に限って『不味いから』と言い平気な顔をしてその肉を捨てたりする。逆に獣を殺す人間を非難する連中もそうだ。作物を作る為にどれだけの命を犠牲にしているかわかっていない。良いかい? 人は自分の都合で、他の命を殺すんだ。だから、俺の都合で死ぬ人間が居ても、普通の事なんだよ。命は尊いし、平等に価値が薄い」
聞きながら俺は、作業を終えた。
俺の靴底も今では、この赤い水溜まりに浸っている。
「……どういう、都合?」
「メッセージだよ。彼らは俺からのメッセージそのものになるんだ」
ウォーケンは、自分の腹の中身に覆いかぶさった獣人の顔からナイフを引っこ抜いた。
そして今俺がした様に、そいつの首を切り裂く。既に死んでいるというのに勢いよく血が流れる。
続けて衣服の背を破った。
ばらばら垂れる自分の頭髪を背中に向けてかき上げながら。
分厚い毛も剃る——なんて切れ味だ。
「——なんて書こうかねぇ?〝不作法な
背中にナイフで、文字を刻んだ。
滲んだ血を獣人の服の切れ端で拭う。
そして、文字だけが残った。
「不作法な行いって? さっき娼婦がどうとか」
メッセージと云うには抽象的すぎる。
「良いんだよ、コレで。自分達が何をしたのかわからないのに、知らない誰かに報復をされる——結構なストレスだと思うねぇ。依頼の内容は『素行の悪い奴らを大人しくしろ』だ。さっきも言ったけど彼らは他にも色々とやらかしている。だから仕事はコレだけじゃなく、今は単なる段取り、だよ」
段取り? まだこのシノギは続くのか?
もっとえげつない事をするとでも言うのだろうか。
「——だが、今日はここまでにしよう。もうすぐ晩飯の時間だし、いい加減風呂にも入りたいからねぇ」
これだけの事をしたというのにウォーケンから出た言葉は、とても日常的だ。
自然な動作でコートを脱ぎ、外側が内になる様に丸める。
「——コートを持っててくれないかい? 流石に返り血が付いたコレを着て表は歩けないからねぇ。キミも靴の裏を綺麗にしといた方が良い」
自分の髪についた血は、気にしていない。
「……」
黙って受け取り、俺達はその場を後にした。
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