塵専用宝箱
紫田 夏来
こころ
私は過去に、近況ノートで「現代文の授業で『こころ』をやったのが楽しすぎた。。。」というものを書いている。「こころ」というのは、かの有名な夏目漱石の小説のことだ。
初めてあの小説を読んだのは、中学生の時だった。母と一緒に学校の「朝読書」の時間に読む本を探しにブックオフに行ったのである。私はミーハーな性格のため、流行ったドラマや映画の原作ばかりを買おうとしたが、母は熱心に「こころ」をすすめてきた。興味ない、と一蹴しようとしたが、結局母の圧に負け、買ってしまった。そして、買ったからには読んでみようと思ったのである。
その時の感想は、散々なものだった。
当時中学生だった私には、やや文語体の入った文章が読みづらく、ストーリーがよくわからなかったのだ。よって、感想はただ、つまらないの一言に尽きた。しかし、高校2年生の時、私は「こころ」と再会することになる。
現代文の教科書に、かなりのページ数を割いて「こころ」の一部が載せられていたのだ。授業では、生徒ひとりひとりに少しづつ振り分けて、載っている部分は全部音読させられた。自分の番ではないときは寝ていても少しも問題はなく、実際居眠りをしている生徒は多かった。しかし、私は中学生の頃はつまらないとしか思わなかったはずの物語に、完全に引き込まれてしまった。居眠りどころか、担当の生徒が音読するのを無視してどんどん先を読んでいた。
音読が終わると、先生は生徒たちをグループに分け、「こころ」について自由にテーマを決めて研究しなさい、と指示した。「先生」の恋愛術といったテーマで、軽いノリで研究している班も多かったが、私たちのグループは「なぜ先生は自殺したのか」という何とも重苦しいテーマで課題を進めることにしたのである。それは、物語の世界にどっぷりと浸かった私からの提案だった。幸いなことに、班員はあっさり同意してくれた。有難いことである。
私たちは、先生の遺書の内容から大きな出来事を抜き出し、時系列順に並べ、時期を区分した。「K」の「覚悟」という言葉の意味について議論を交わし、また乃木大将が明治天皇に殉死したことや、妻に「では殉死でもしたらよかろう」と言われたことが、「先生」にどのような影響を及ぼしたか考えた。そして、研究において、私たちの班は、「先生」は自らがやったことを罪だと考え、その罪悪の意識にさいなまれ、自殺したのだと考えた。
これが、私がこのエッセイ集を「こころ」と題した理由である。
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