二十六回転目 運任せの神々

 俺は深淵へと沈んでいた。暗く、どこまでも暗く。深く、どこまでも深く。ただ身体の重さだけが、そこに確かにある上下を俺に教えてくれた。


 「……誰だ。」


 深淵の奥底。姿を捉えることは出来ないが、そこには確かに誰かいる。


「やぁ、初めましてだね。」


 そいつは俺を見つけると不敵に笑った。




「ウォォォォ!」


 凍矢は瀕死の重傷を負いながら立ち上がった。竜の咆哮にも負けぬほどの咆哮を挙げその身体は筋肉が盛り上がり、骨格でさえも歪に肥大化し、その変化の過程を見ていなければ、いや、見ていたとしてもにわかには信じられないほどに変わり果てていた。


「トウヤ!な、なんじゃこりゃぁぁ!?」


 凍矢に駆け寄ろうとしていたマナトリアは、彼のあまりの変貌に無意識に足を止める。


 七百年生きてきた彼女でさえ、彼に何が起こっているのか理解できなかった。いや、理解できないからこそ理解した。これは神の御業だと。


 そして長年の経験から察した。今不用意に彼に近付くことは死を意味すると。


「ウグアァァァ!」


 凍矢は雄叫びを挙げながら猛絶と竜に突進した。体高は竜の半分にも満たぬほどである彼の突進で竜は大きく体制を崩した。しかし、竜もその鋭い爪を備えた腕を彼に振り下ろし応戦する。


 その様子をつぶさに見ていたマナトリアは、今度こそ凍矢の終焉を予感した。いくら怪物の様相を得たとしても、彼と竜とではその質量や体積があまりにも違いすぎる。


ガン!


 固い岩でも打ち付けたかのような音がして、竜の腕は空中で止まった。


「ウ……ウゥ……ウガァァァ!!」


「なんじゃこれは。悪い夢じゃ。」


 凍矢は受け止めた竜の指先を高く頭上に掲げるようにしてそのまま左右に引き裂いた。竜の腕は肘まで大きく裂け、竜は悲痛な声を上げる。


ギェァァァ!


 凍矢は体制を崩した竜に馬乗りのような体制で乗ると、その固い鱗に指を指し込んで力を込めた。


「ガッ!ガッ!ガッ!」


 その鋭い鱗で自身の拳が、指が傷付くことも厭わず、何度も、何度も同じ位置に拳を叩きつけ、鱗を引きはがす。そしてまた、同じ位置に拳を叩きつける。


「わ、笑っておる。」


「ウ、ウフ、ウハハハハハ!」


 マナトリアの中に竜に対する脅威の感情はもうない。それを埋め尽くしてもなお有り余るほどに、凍矢に対して恐怖を抱いていた。


グゥォォォォ!


 凍矢の猛攻に耐えかねた竜が、今度は首を回し毒のブレスを彼に放とうと口吻を向け大きく息を吸い込む。


「ムゥ!」


 その事に気付いた凍矢は竜の興奮を両手で抑え込み、まさに吐き出されんとしていたブレスは竜の体内を逆流する。


 耐え切れず竜は腹を天に向け、もがき苦しむ。


 凍矢は竜から飛び降りると、自身が取り落とした剣を手に取り、竜の胸元に何度も突き立てた。心臓や、核という概念など何もない。ただ相手を痛めつけ、命を奪う為に何度も剣を突き立てる。竜の動きが止まるまで。




「どうだい。この世界は気に入ってくれたかい。」


 彼はおぼろげな輪郭のまま俺に笑いかけていた。しかし不思議な事に、彼に笑いかけられていると体が楽になった。


「クソッタレな事も多いけど、毎日楽しんでるよ。」


 嫌味交じりに俺も笑い返す。


「まだまだ出来損ないの世界だからね。命は軽いし、人が人間らしく生きることも難しい世界さ。キミの世界は本当にいい世界だった。」


「それで、俺をこの世界に呼んで、アンタは何がしたかったんだ?」


 彼は、彼こそが俺をこの世界に招いた張本人であると、俺はそう確信していた。


「そうだね。こんな言い方をしたらキミは怒るかもしれないけど、一つの娯楽なんだ。」


「怒らねえって。なんかそんな気がした。パチスロで生き残っていくなんて冗談きついぜ。」


 彼の言葉には何の悪意はなく、どちらかと言えば謝罪を聞いているようだった。


「キミは、いや、キミたちにはこれから、この世界のその在り方そのものを変えていって欲しい。」


「大層なこと言われてもな。俺は俺の出来ることしか出来ねえぞ。」


 実際、彼の言う事は抽象的過ぎて、上手く理解できなかった。


「必要なものは全て君にあげる。考えて。何を使えばいいか。どう使えばいいか。あとは、キミの強烈な運でねじ伏せちゃえ。」


「無茶苦茶だな。けど、アンタの贈り物、確かに受け取ったぜ。」


 コイツは俺にもう一度チャンスをくれた。チャンスを活かすための道具もくれた。こんなチャンスゾーン、活かさなきゃ、期待値取れないよな。


「フフ、よろしくね。さぁ、キミの仲間が呼んでるよ。」


 体が眩しい光に吸い寄せられるように、ふわりと浮き上がる。迷うことなく、一直線に、俺は光に飛び込んでいった。


「頼んだよ。それとごめんね。」


 彼は俺が消えた空間で一人呟いた。




「……ヤ!……ウヤ!……トウヤ!!」


 マナトリアの声に目を覚ます。


「う、痛てててて。」


 身体を動かそうとするが、痛くて指一本動かせない。


「ほれ、飲めるか?」


 マナトリアがエリクシールを口元に運んでくれる。


「ゲホ、ゴホ!」


 しかし上手く呑み込めず吐き戻してしまう。


「まったく、仕方のない奴じゃ。」


 マナトリアはエリクシールを口に含むと、口移しで少しずつ俺に飲ませた。


「ほれ、こっちはもう自分で飲めるじゃろ。それとも、ワシの唇が恋しいかの?」


 冗談を言いながら万能水の瓶を手渡す彼女の手は、微かに震えていた。


「ありがとう。大丈夫だ。竜をやったのか?流石、偉大な魔女様。」


 そう言いながら万能水を呷る。


「何を言っとる。竜はお主がやったのじゃ。ほれ、床を見てみい。」


 床に目をやると大量に竜のメダルが散らばっていた。


「俺が……?痛て、エリクシール効いてないのか?」


 エリクシールを飲んだというのにまだ体が痛む。こんなことは今までなかった。


「毒を受けたまま大暴れしたんじゃ。いくらエリクシールを飲んだとて、一晩は痛みが続くじゃろうよ。」


 その後、マナトリアから事の顛末を聞いた。俺が深淵でアイツと話している間にそんなことになっていたなんて。痛む身体で竜のメダルを拾い集める。


「おい、体中痛いんだ。マナも手伝ってくれ。」


「手伝ってやりたいのはやまやまじゃが、ワシは怖くてそのメダルは触れん。」


 魔女のマナトリアの口から怖いなどと、えらくミスマッチな気がした。


「お主の加護は恐らく“鋼の王”じゃ。」


 メダルを拾い集めていると、不意にマナトリアはそんなことを言いだした。


「鋼の王?どういうことだ?」


 この世界には七つの神が居ると言う。


 光の神、火の神、水の神、風の神、土の神、そして闇の神。


 その六つの神々とは別の神。神と言うには恩恵もなく。ただただ神の玉座に座する神。人々はいつしか彼を神と呼ばなくなった。魔の力を使わぬその神は神の称号を無くし名を無くし、鋼の王と呼ばれるようになった。


「そうか。アイツが……。」


「古い昔話じゃ。じゃがな、鋼の王から恩恵を授かったものは数百年生きてきて初めてじゃ。」


 しかし、俺は少し引っ掛かった。


「ちょっと待て。俺がこのリールを初めて出した時、神々の恩恵って言ってたぞ。神々ってことは、鋼の王一人ってことはないんじゃないか?」


「恐らくじゃが、神々の恩恵によって魔物が生まれたという事じゃろう。お主がその腰の剣で魔物を斬ることによってその特性だけを恩恵として受け取っているのじゃろうな。」


 マナトリアは解説に自分自身で頷いているが、何を言っているのかさっぱりわからない。


 魔物が神々によって生み出された?難しいことは今は考えたくない。


「よし、じゃ上に帰ろう。」


 メダルを拾い終わるとマナトリアはまた転移陣を作ってくれたので、一階まで楽に帰ることが出来た。


「おかえり、トウヤ!あのね、ガンホさんと相談してたんだけど、次の交易の……。」


 地上に戻るとフェリアが交易の物品リストを持って駆け寄ってきた。コイツは、人の気も知らないで。


「うるせえなぁ。失敗しても良いから、自分で考えてやってみろ。怒らねえから。」


「もう!なによ!」


 フェリアには悪いが、今日はもうクタクタなんだ。全身痛いし。後のことは彼女に任せて今日はもう休むことにした。

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