徒然なるまま、あるがまま

ゆらぎの花

やもり

 からからと、グラスの氷をかき回す。暑い。じっとりとした汗が全身から溢れてくる感覚が気持ち悪い。

 水に変わった氷を一気にあおっても、暑さはちっとも和らがなかった。

 手を団扇代わりにして顔を仰いでも、なんの効果もありゃしない。

「あちぃす」

「そうかな」

 そりゃあんたは暑くないでしょうがね。

 この時期に、長袖を来て焼酎(ロック)をちびちびやっている先輩に、ため息をつきたくなる。

「クーラー入れていいすか」

「え。今年まだ掃除してないから」

 まだって、もう6月終わりだぞ。正気か。

「去年、使わなかったから、今年はいいかなって」

「熱中症で倒れてもしりませんよ……。じゃ窓! 窓開けるのはどうすか」

「いいけど、そっちの窓にして」

 向こう、と箸で示すのは、キッチン(というよりも勝手場という風貌だが)の窓だ。後ろの窓に伸ばしかけていた手を引っ込めて「なんですか」と問う。新手の嫌がらせか。

「やもちゃんいるから」

「やもちゃん……」

 誰だよ。

「やもり。うちに住み着いてんの。主にお前の後ろの窓にいるから、潰したらやだなって」

「へー」

 気を遣っているんだな、と思った。この先輩がトントン拍子に出世したのは、こういう気遣いの賜物なのかもしれない、とも。

「今日いますか?」

「どうだろう、昨日はいたよ。あ。立ったついでに冷蔵庫から水持ってきて。上の段に横向きに入ってるから」

「はいはい」

 立ち上がって、キッチンの窓をあける。少し湿った空気が入ってきた。外もそんなに涼しいわけではなさそうだ。風が入る分マシっちゃそうだけど。

 ミネラルウォーターのペットボトルを持って先輩の所に戻ると、先輩はぼんやりと窓を見ていた。

 あの、やもりがいるという窓を。


 夜、ふと目が覚めて隣を見る。布団は敷かれているものの、寝ていたはずの人はいなくなっていた。

 疑問に思い、襖を開ける。幸い、探し人はすぐにみつかった。

 柱に寄りかかるように半身を預け、窓を見ている先輩。その視線の先には、窓……とそこを這う黒い影……噂のやもちゃんか。

 声をかけようと近寄って、後悔した。

 小さく、息を呑む。窓ガラス越しにやもりを見ている横顔が、とても綺麗だと思ってしまったのだ。

 うにょうにょ、と動く黒い影を見る視線の柔らかさとか、月明かりに照らされた眠そうな横顔だとか、そういうことはあまり知りたくなかったなぁ、と。

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