第一話(覚悟を決めた。私に全ては選べない)・3

 ナナシがやぶれかぶれに剣を投げようとした瞬間、猿型神罰の上半身が突然爆発する。主を失った下半身はバチャリと泥に沈み、溶けるように跡かたなく消え果てた。

 他の2体も消滅はしていないものの、余波で吹き飛び辺りの木に叩きつけられている。

詠術えいじゅつ!?」

 詠術はその名の通り、詠唱して始めて効果を成すもの。しかし少女は一言すら発していた様子はない。ナナシが驚いたのはそれだけではない。

波紋照合はもんしょうごうで神罰獣を殺せるのか!?」

 波紋照合は多くの詠術師が使う、球上に圧縮した暴風をぶつける対神罰獣の切り札だ。神罰獣に当てることができれば、その他武器などの攻撃も通るようになる。それでようやく戦いに持ち込めるのだ。

 しかし、ナナシが戦場で生きてきたなかで、波紋照合だけで神罰獣が死んだことなど、見たこともなければ噂ですら聞いたこともない。あまりにも強力すぎる。

「剣士さん!」

 ナナシはようやくその少女に追いつくと、振り返った銀髪の彼女の、左右でやや色合いが異なる目で見つめられて、息をむ。

 離れていてもわかるほどの美しさを、あらためて近くで目の当たりにすると、今雨が降っていることも、ここが血と泥にまみれる戦場であることも脳裏から吹き飛んでしまった。

 少女の形の良い唇が再び開く。

「お願い! ずっと一緒にいてください!」

「う、あ、はあ?!」

 宝石を彷彿ほうふつとさせる大きな碧眼へきがんに、誘い込まれるようにうなづきかけてから、ナナシは少女の求婚としか思えない言葉に混乱した。

「間違えました!」

 そんなナナシの動揺どうようなどお構いなしに少女はたたみかける。

「私を、助けてくれますか?」

 ナナシは少女の前へ出て構える。熱くなった顔など見せたくない。聞こえるように舌打ちして剣を構える。

 きっと先ほどは詠唱せずに、つまりは詠唱時間が全くなく詠術を発動させたわけではないのだろう。現に今助けを求めているのは、詠唱時間が欲しいということのはずだ。

「しょうがねえからやってやる。恩に着な」

 余波で吹き飛んだ残り2体の神罰獣達は、ぎこちない動きをしながらも体勢が整い始めている。はからずも神罰狩りの基本戦闘になった。

 詠唱する詠術師を命懸けで戦士が守る。とはいえ神罰獣よりも戦士の数は倍用意するのが、生存率をあげるための常識ではあるが。

「合図をしたら、私のもとへ!」

 残る2体のうち、猪型が勢いよく首を振って下顎の角に縫い付けた死体を振り落とす。

 2体同時に突っ込まれたらさばき切れない。かといって、1体に集中しては少女のところに向かってしまう。

 ナナシはまず自分達に近い猪型の前に躍り出た。鹿型はまだ動きが鈍い。そう判断し猪型の角に剣を叩きつけて、つば迫り合いのように組み合った。

 物凄い力で剣を弾こうとするのを、器用にも弧を描くように受け流しながら、振り回して鹿型に向かって投げ飛ばす。

 あわよくば2体をぶつける腹積もりだったが、そこまでナナシの思い通りにはならず、鹿型はふわりと飛び上がってかわすと、幾重もの剣を束ねたかのような角を突き出してきた。

 不格好な剣を雑に括ったような角が、何度も何度も迫り来る。その都度長剣の腹で弾き返すが、鹿型の首が螺旋らせん状に変化して伸び縮みし、弾くほど勢いを増した。

「なんでもありだからいやになるぜ、神罰ってやつはよぉ!」

 ナナシは呼吸を読んで角を引っ込めたと同時に体ごと剣を押し込むと、剣と角を絡ませてその巨体を持ち上げた。鹿型の4本足が空でばたつく。こうなっては首を伸ばすことはできない。

 左手で角を掴み、怒号をあげて力任せに鹿型を放り投げる。剣士もまた、尋常じんじょうではない膂力りょりょくの持ち主だった。今度こそ鹿型と猪型は激突してもつれ合う。

 神罰獣は外部から力を加えると、体の形状を受けた攻撃に合わせて変化させてくるという特性がある。つまり攻撃を加えると、その攻撃が次はできないような形状に変化していくのだ。中途半端な攻撃はかえって厄介やっかいな神罰獣になるきっかけになる。

 案の定、ナナシが呼吸を整えている間に、猪型は4足から6足に増えた上に、すべて短足に変化して重心を落としてきた。鹿型は、角が剣に絡まれたのが嫌だったのか、枝分かれしていた角がまとまって一本化し、巨大な槍状に変化した。

(これ以上変化されると手に負えなくなってくるが……)

 2体の神罰獣から視線は逸らさず、刀身に手をおくと、先ほどより少し熱いくらいの状態に自然と顔が歪む。

 短く息を吐き、ぐっと腰を落とすと助走して飛び上がった。空中で自嘲じちょう

(どうかしてる。他人の力を俺が当てにするなんて)

 先ほどの元猿の神罰獣ほどではないが、人の頭なら軽々と超える跳躍で一息に距離を詰めると、落下の勢いと剣の重みを乗せた一撃を六本足になった猪型の背に叩きつけた。

 岩石も断ち切れそうな斬撃でも、神罰獣の背は潰れながら左右にぐにーっと伸びていくばかりで、かすり傷すらつかない。さきほど詠術の余波で吹き飛んでいたとはいえ、直撃でなければ攻撃が通るようにならない。

 間髪いれず、槍と化した角が空中にいる剣士を突き殺そうと迫る。鹿型の突進。それに合わせ、猪型は生えたばかりの足のような触手で背の剣ををがっしりと掴む。

 しかし、そのくらいはやるだろうと予想していたナナシは、掴まれた剣をむしろ起点にしてぐるりと空中で縦回転。途中、剣を手放し角をかわす。突進を止められなかった鹿型は再び猪型に衝突した。

「私の所へ!」

 少女の鋭い叫び声を契機に、ナナシは素早く神罰獣に背を向けて少女のもとへ駆け出す。気配で2体も追ってきていることに気づく。

「つちのかみ」

 大声を張り上げているわけでもないのに、やけに腹に響く少女の声で、地面が振動し始める。振り返ると、追ってくる2体とのちょうど中間あたりの距離に、子どもの背丈ほどの棒状態のものが地面から突き出していた。それは土でできた塔にも見える。

(なんだ、ありゃあ……)

「伏せて!」

 疑問は少女の切迫した声で吹き飛び、言われるがまま地面の泥に頭から飛び込む。そして少女の堂々とした宣言。

「解放」

 様子を見るため首だけ振り返ったナナシの眼へ、強烈な光が襲いかかり反射的に顔を伏せる。間髪入れず、地面に二つ倒れこむ振動が伝わってきた。

 恐る恐る顔を上げてゆっくりまぶたを開くと、2体の神罰獣がばらばらと細かく崩れながら消えていく最中だった。

 神罰獣の最期はちり1つ残らない。疲労と被害のみが残る戦い。それが神罰狩りだった。

 ナナシは背負っていた長剣の鞘がわずかに鳴動し、ごくごく薄く光るのを確認すると、溜め息をつく。

 立とうとすると、目の前に白い手が差し出された。

「大丈夫ですか?」

 雨に泥。条件は変わらないはずなのに、その掌は光が内包してるかのように汚れない。その手を掴まず、剣士は問いかける。

「なあ、何人かは、逃げられたと思うか?」

「ええ。逃げられましたよ。あなたのおかげで」

 少女の手が剣士の手を掴もうと伸びる。

「いい。自分で立てる」

 わざとぶっきらぼうに言い放ち、剣士は億劫そうに体を起こそうとする。しかし、痛めた箇所が一斉に文句を叫び始め、再び泥土に沈む。

(こんな、得体の知れない奴のまえで…)

 そのまま意識も飲み込まれてしまった。




 鼻をくすぐるパンの、あまりにも芳ばしい焼きあがる香りにナナシは跳ね起きた。

 はらりと掛けられたシーツがずり落ちると、自身が裸だと分かって悲鳴を上げて慌ててシーツを上げる。どうやら全裸というわけではなく、素肌に包帯が巻かれているらしい。

 最後の記憶は雨の街道。神罰獣をあの少女が討滅とうめつしたのは覚えている。

 そして自分は泥まみれだった。

 現状は、武器はおろか装備、下着までがすべて脱がされているし、体からはほのかにいい匂いまでする恐ろしさ。

 目覚めた小屋を見回すと、近くの壁に鞘と抜き身の剣、テーブルと椅子に外套、さらしの上に着る蜘蛛糸帷子ひとぐもかたびら、折りたたみ式の各種武器などが丁寧にまとめられて置かれてあるのが目に入り、違和感を覚える。

 身体のあちこちを触ったり軽く関節を動かしたりしても、大きく痛んでいる箇所はない。

(ぶっ倒れたのは、空腹なのに動きすぎたからだな)

 シーツを全身隠すように巻きつけて、恐る恐るベットから起き上がると、久しぶりに味わう体が軽すぎて浮き上がるような頼りなさに、顔が不安をかたどる。

 剣と下着、どちらに手を伸ばそうか逡巡していると、風が体を撫でる。その空気の流れに向かってもう迷わずに剣を手にして構えると、開かれたドアの向こうから現れたのは、あの少女だった。

「よかった! お目覚めになられたのですね」

 手を合わせ、輝くような笑顔を見せる少女に対し、ナナシはおし黙って睨みつけたまま、剣先を向け続ける。

 武器を突きつけられ、剥き出しの敵意をぶつけられても、少女は意に介さず柔らかな微笑みのまま両の掌を見せる。

「敵意はありませんよ。ここまであなたを運び、包帯を巻いたのは私ですから。あ、あと洗いました」

 言外にこの意味がわかるか、と問われている。

(こいつは俺に用があるんだ)

 根拠は薄いほぼ勘ではあるが、そう判断した。ついでのように洗うな、と内心憤慨ふんがいもした。

 もちろんどんな用とか、なぜ自分に、とかは検討もつかない。

 助けられたかもしれないが、こっちも助けているし、ここまでしてくれなんて、頼んでいない。

 なにより得体が知れなさすぎる。詠術師なら貴族だろう。しかし軍属の雰囲気は皆無だし、ならなぜ単独で神罰に飲まれた地にいるのかまるでわからない。

 間接的ならともかく、直接個人的に貴族なんかと関わりたくない。

 つきあう義理はない。そう判断し、どうこの少女と別れるか睨みながら考えていると、とうの少女はなぜかこくこくと頷き始めた。

「わかっています。まず名乗れ、そう仰いたいのですね?」

 全然違う、とナナシが口を開くよりも先に、少女は名乗る。

「はじめまして。私はアリスティア・リチェルカーレ・ラティウムと申します」

 華麗なお辞儀に添えられたその名前を聞いて、ナナシはぽかんととしてしまった。この少女には会ったことどころか、見かけたこともない。しかしその名前は聞き覚えがある。もし本当なら、いや本人ならこんなところにいるとはおよそ考えられない人物。

「はい。お察しのとおり、ここ、ラティカの王子です」

 あーあ、やっぱりろくでもないな。そう思いナナシはため息をついた。


 最初の王国ラティカ建国から1197年後、夏の終わり。

 名も無き剣士は、天変地異の如く己の全てを揺るがす存在に出逢った。



第1話了

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