第四十一話 斜月

 ​───30秒ほど後か、黒い閃光が次第に薄れて、ようやっと視界が開けた。

 其れは先程の広場と比べても遥かな地の底なようで、何処か肌寒く、湿った空気が鼻腔を撫でる。



 そしてそこは、天井の高さから、かなり広く見える廊下だ。

 だがしかし、周囲は解体用のハサミや肉切り包丁で飾り付けられた大小様々な棺桶が、数百もの数積み上げられるように打ち捨てられいて、結果的に、所狭しな現状を作りあげている。

 そして、その棺桶の蓋からはどろどろと、この墓地で何度も見た、腐敗臭の酷い黒いヘドロが溢れ返らされて、地面に滴り、ぬらぬらと濡らしていた。






 ​​─────そんな中で、私は



 「ぅ゛ ぉえぇ……。」



 と、転送直後から襲いかかった、食道から胃までを撫で、舐め回すような不快感に噎せかえり、人前で見せるべきではないほどの嗚咽を繰り返しながら、四つん這いになるように地面に這いつくばっていた。



 「…お、おぉ…大丈夫か、親愛なる我が友よ。転移魔法は初めてか?」



 「……ぅ゛、ぅん…。は、話には聞いて、便利そうだなぁ〜…なんて、お、思ってはいたけれど…、ま、まさか…こ…っ!」



 顔を、葡萄もさながらと言った様子で紫色に染めあげた私が、ふとキラキラとした物を口から零しては、なんとも言えぬ表情で、こちらに心配するように話しかけていてくれていたコロッセウムは視線を外す。



 そして、たまたまその視線を外した先にいたモラグは、どこか興味深げに、積み上げられた棺桶の中でも、特に巨大な二つの棺桶を眺めていたようで

 コロッセウムからの、(偶然とはいえ)向けられていた視線に気がつけば



『棺桶には何も入っておらんか​、だが、未だ湿って────……と、あぁ?なんだ、何か用…でもなさそうだな、アンリの事か。騒ぐ必要もあるまいて。そいつもまだ子供だ。未成熟な子供ガキが、魔力のも無しに転移魔法を味わえば良くある事であろう、少しの間放っておけ。』



 と、周囲の死霊術師が残したであろうものに目を向けたまま、ぶっきらぼうに答えて、しかし、直ぐに振り返って、次はコロッセウムではなく、私に呆れるような視線を向ける。



 『……と、あいつにはこう言ったが、こうしての手がかりも見つかったのだ。…​──おい、アンリ、お前がそんなことをしている場合か?』




 …ぬ、むぅ…。こんなに可愛い女の子が物を吐いて苦しんでるって言うのに、悪魔みたいなやつ​────。



 『悪魔ゆえな。自分で自分を可愛いなどと自尊するな、思ってもおらんのがなお気色悪い。』



 ​良いでしょ別に!うるさいな!──────というかっ!モラグはさっきから機嫌悪くない!?それに…!



 『…​────で?

 それに、こんな無駄話をしている時間がお前にあるのか?と言っている、…見てみろ。どうやら、転送先ここは最下層であったらしいぞ。』



 そう言うモラグが指さし、向かっていく先は、大廊下の終着点

 開きっぱなしの木扉によって隔たれた、ぎりぎり広間と言える程度の一室だった。



 ​───言おうとしていた言葉を、口内にまで競り上がっていた苦い吐瀉物と共に飲み込んで、私はコロッセウムと共にモラグの背を追い、彼女が入っていった部屋を、開いた扉から覗き込む。



 覗き込んだ広間の中心には、巨大な竜の、よく整備された屍​───────所謂、骨格標本のような物があり

 それを囲うように、この地下墓地の最奥には似合わない、今の今まで誰かが暮らしていたかのような人一人分の居住スペースが拡がっている。



 居住スペースの各所には、魔法の触媒や魔法具の燃料として用いられているであろう【輝石】や大量の人骨に、鞣され、ぬらぬらと妖しい反射光を放つ人皮が乱雑に散らかされており

 本棚や机、椅子などのありふれた家具は、どこか退廃的な意匠で、所謂お貴族様御用達と言ったような、一介の村娘である私にとっては馴染みの薄い形をしている。



 「​───​────…うむ!随分と長き道を渡ってきたが、これ以上には、進むべき道も開くべき扉も本当に存在しない。この迷宮はここが終着点のようよな!」



 と、室内を見渡しながら確認するように言うコロッセウム。一足先に入って、周囲を漁っていたモラグは、その言葉に頷く。



 『​───然り。それに、転送する前先程までと違って此処には情報が山のように積もっておるわ。自らの痕跡は、お前達では見つけられぬであろうこの場所に、全て秘匿していたらしいな。…そしてそれはつまり、此処には秘匿するに足る情報がある。というわけだ。​───────例えば、このようなものなどがな?』



 そう言うモラグの手にあるのは、周囲のよく分からない魔術書や薬学、医学書とは違って、表紙に何も書かれていない、使い古された中程度の記録帳だ。



 「それがどうかしたの?」と首を傾げる私に対して、モラグは『少し目を通した程度だが、どうやらこれはここに居た者の日記帳のようだ。この街で何が起こっているのか、そしてこの街で死霊術師が何をしでかそうとしておるのかが分かるやもしれん。』



 日記帳​───!…確かに、モラグの言う通りこれがあれば敵の輪郭が見えてくるかもしれない。



 『あぁ、読んでみろ。』





 私の心の声に、満足気に頷くモラグ。

 そのすぐ後に日記帳を投げ渡されれば、早速その内へと目を通していく。

 内容といえば、年代を除いた暦、そして一日の出来事と、それに対する感想だけをつらつらと記していったような簡素な日記だ。



 初めのうちは、同僚や上司、そして職場に対する愚痴など、他愛もない話が大半。

 を仕事にしている​────という、胸糞の悪いただの一点を除けば、そしてそれを確かに楽しんでいるという事を除けば、普通の社会人の日記といった様子だ。



 ​────だが、途中…20ページ程を読み進めた辺りの出来事から、その様子は変わっていく​─────…




***


季境の月 前欠け望月 晴天


 に命じられ、下等生物の巣を襲撃。破壊目標として命じられた家屋を破壊し、そして、その中でも強力な個体二匹を殺害後、謎の大男の妨害を受け撤退。



 身体中を蝕む、中々に消えない傷を庇うように逃げ帰る形になったが、しかし、知覚できるほどの確かな【存在規模】の昂りと、恐らくは高難度の任務を終えたという達成感に酔いしれ帰路に着いた。



 だにも関わらず、報告した際には、【あの集落の人間を1人逃した】、そして、そんなを演じながらも、を幾つか失った。

 と、では無い、あの方の金魚の糞に過ぎないに指摘されて

 私は、新秩序への帰還を禁じられた。



 その失態の、つまりは【】を失った数以上に増やすまでの間。



 ​───…日記に記しているだけでも、苛立ちでペン先が折れそうになる、ただの風情が、あの方の金魚の糞に過ぎない犬畜生風情が、この私に!この私に、この── ( 判別不能 )​──





 …手が震え、上手く文字が書けなかったので、少し、気分を落ち着かせてきた。

 だが、これはある意味好機なのかもしれない。



 【律】の覚醒​─────…あの獣人と私の差は、ただそれだけ。

 むしろ、古いだけでただの【亜人】に過ぎない奴と、この私とでは、生まれからして差がある。

 この失態の補填​───…いや、任務。



 この任務の間は、むしろ自由に行動出来る時間とも言える。その間に人間共の血を啜って存在規模上昇を繰り返し、そして、どうにかして【律】を覚醒させる。



 そうして帰ったあとは、あの金魚の糞をブッ殺して、それ以外にも、見下してきた奴らも全員殺してやる。



***




 ───…



 ぺら、ぺら、と無我夢中にページを読み進める私の手を、死角から伸びてきた白い手が掴んで止める。



 「​───…は?」



 反射的にその手を払い除けようとするも、腕は爪先の微かも動かない。

 ​────…未だ最強と名乗る事など万が一にも出来ないとはいえ、それでも多少強くなった私にこんなことが出来るのは、一人しかいないだろう。



 ​────…だからこそ、一種の確信を持って白い手の側へと視線だけを向ける。



 そこに居るのは、やはりモラグだ。



 手が少しも動かないのは、恐らくは彼女との契約────今両腕として使っているのが、本来は彼女の腕であることに起因しているのだろうか、まぁ、そんなことは今はどうでもいいが。



 「その手を退けて、モラグ。…だよ、コレ。絶対にこの近くにいる。なら、早く読み進めないと、今ここにいないってこと、逃げ始めてるかもしれない。」



 『…一旦落ち着け。お前の怒りも憎しみも、余は理解しておる。だが、今すべきは、冷静さを失って、取り乱したまま奴を追いかけることか?違うであろう、ならば、今やるべき事はなんだ?』



 落ち着け?何を言ってるんだ、この悪魔は。私は今、どこまでも冷静さを保っているだろうに。

 それとも、まだ子供扱いしているのか?までみたいに。



 「…落ち着いてるでしょ、どう見ても。そして君は間違えてる。今やるべき事は、この日記からアレを追いかけて、次の犠牲者が出る前に仕留めることだよ。それとも、今はこの日記から新秩序の情報を集めるべきとか言うつもりだった?それならアイツを追いかけて、仕留めた後にこれをギルドか城にでも持って帰った方が早いよ。やっぱり今は、何よりもまずアレを始末するのが先だ。」



 『​───それは、いや、違うぞ。お前が今やるべきなのは、ギルドから指名依頼で命じられたのは、あの黒い屍人の情報を解き明かすことだ。それが命じられたことだ。そうだろう!』



 「はぁ?そんなの後でいいでしょ。二度目だけど、アイツを殺したあとにこの日記帳をギルドにでも持っていけば、それに、この部屋にもう一度来てもっと隅々まで調べてやれば、あの黒い屍人​───【腐れ屍人】だっけ?あれの情報も、新秩序の情報も分かるよ。…あぁ、それとも?君のその真っピンクな頭の中ではこの日記帳は足が生えて逃げたりすると思ってるのかな?あんまり笑わせないでよ。」



 「後、出来るならとは言われたけど、腐れ屍人を作り出す原因の排除も言われていたよね?それはあの吸血鬼をブッ殺して太陽の下にでも引きずり出してやれば出来る話じゃん。本当にやるべきことをわかってないのはどっちなの?」



 『​────そ、れはそうだが…!』



 どこか歯痒そうな顔で、渋々と私の主張に首肯するモラグ。

 ​───…またか、このたったの数十分で、本当にほとほと愛想が尽きていく。

 少しだけ芽生えていた情というものが、熔鉄に水をかけるように冷めきって行くのがわかる。



 「​───君がさぁ、私をどれだけ信用出来なくて、何を隠そうが勝手だけど。それなら、私の復讐も邪魔しないで。手を借りてるとはいえ、あくまで契約でしょ?…手足はけど、復讐まであげたつもりは無いの。」



 自分でも驚く程に冷めた言葉が喉から溢れ返る。

 …こんな言葉を、どこか末恐ろしいと、そして少しは気を許してやってもいいと感じていた彼女に吐けるとは思わなかった。



 ​────さて、そんな事を思えるということは、彼女の目論見とは違えど、結果的には望むとおりに、「勢いづいていた頭が冷えた」という事だろう。

 なら、もう十分なはずだ。何故かはしらないが、彼女は私に頭を随分と冷やしてもらいたかったようだし。



 「手、離してよ。こんな話もしたくないほど急いでるんだよ、本当に。」




 その言葉、そして、それを聞きとどけたモラグが俯いてしまったのを皮切りに、失われていた両腕の操作権が取り戻される。

 すれば、離すのを忘れていた様に置かれたままの彼女の手を振り払って、私は今のの動向を追うために、頁を飛ばし飛ばしで、急ぎ足に捲っていく。





***


 海風の月 望月 曇天


 【ドーロ村】襲撃。三十一



 村には強​──────


***



 違う。



***


 祝祭の月 望月 晴後曇天


 【テオドロ村】襲撃。鹵獲数二十四



 【腐れ】の侵​───


***



 ​───違う。



***


 星の月 望月 雨天


 【クレタ山路】襲撃。鹵獲数二



 強力な​死体を手に入れた、これで古────


***



 ​────違う。





 「…待たれよ我が友、戦士アンリ。これに綴られている襲撃事件、全て報告はあった。あの村との連絡がつかなくなった…。というのが、ここから離れた村々も含む各地でな。」



 「…とはいえ、そのやり口はバラバラ、その襲撃の起きる箇所も頻度も不定期。更にその周囲には、いつも原因と思われる魔物の群れも見つかっていた筈だ。……とはいえ、こう自供とでも言うべき書き物が残っている以上は、ダミーだったようだがな。」



 「​───それで、何?今は急いでるんだけど。」



 「​─────うむ、理由は聞かんが、その犯人に対してどうしようも無い程の激情を抱いておるのは見て取れた。だからこそ口を挟んだ。…恐らく、その次か、数ページだ。その事件、つい先日聞いた最後の襲撃が故な。」



 「​────そう、ありがと。」



 その助言を聞けば、ふっと、落ち着くように息を吐いて、次のページを捲る。




 「「『​────な。』」」





 そこには​────少し、信じたくない文言が綴られていた。



***


 霜入りの月 望月 晴天


 【古都ロート】襲撃。鹵獲数




***




 未だ乾いていない、湿ったインクの綴る言葉。

 それは、今の今まで過ごして、そして、今も居る街の名前と、この日記の中で何度も見た【自供】。



 それを視認すれば、すぐ様それを叩き潰すように閉じて、そして、扉へ、転送門の側へと、全速力で飛び出していく。

 その行動を選んだのは、共に見ていたコロッセウムも同じなようだ。



 「​────しまった…!!なんで、なんでこんな簡単なことに気が付かなかった!?」





 ​───死霊術師の居ない住処!!誰一人として入ってもいない棺桶!!湿ったままの乾いた泥!!世界各地で起こる襲撃事件!!!!【初めの襲撃】以降、全て共通している【満月の日】の犯行!!!




 ……そりゃあ、状況な訳だッ!!




 霜入りの月は今月…!!そして、今日は​─────昨日、見上げていたからよく知ってる!!!




 !!襲撃は今日だ!!





 この街は今、この冥界の底を除いて、地獄が作りあげられている!!!!








 ​───三人の男女が扉の外へと駆けていく室内。机に叩きつけられるように残された日記は、衝撃によってカタンと落ちてその裏表紙を晒す。



 名を、【ヴラヴィ・・ルスビン】。少女の知らぬ怨名の刺繍は、ロウソクの光に照らされ燦然と輝いていた。

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