プロローグ・中編
─────
深い森の中、硝子を響かせた様な、高く透き通る鼻歌が響いている。
鼻歌にスキップ、更にはその場でくるりとターン。
【上機嫌】を絵に描いた様子の少女、アンリ・パラミールは、編み籠を片手に森の道を突き進んでいく。
手に持つ籠の中には、頼まれていた茸が十分な程に入っており、今すぐ村に帰れば、夕餉までゆっくりと寝ることだってできるだろう。
然し、少女は依然と村に踵を返す事はなく、奥へ、奥へと森の中の道を突き進んでいく────。
***
時は午後の三時を過ぎた頃、村の喧騒すら届かない静かな森の奥。
色とりどりの花が、絨毯の様に敷き詰められた、静寂蔓延る隔世の場所。
村の人間からは、単に"花畑"と呼ばれるその場所こそが、森を突き進んでいた少女の目的地だ。
「───〜っ!やっぱり、此処はいつ来ても空気がうめぇなぁ!何より綺麗で良いや!」
背筋を伸ばしながら、その解放感によってか、無意識にいつもより少しだけ大きな声で、アンリは声を上げる。
大きく深呼吸をし、そしてその空間を覆う優しげな…所謂"おいしい空気"で体を満たしては満足気な笑みを浮かべる。
数十秒、数分だろうか。
ともかく、少しの時間をただそこで佇むだけに費やせば、本来来た目的を思い出して、目当ての花を探し始めるだろう。
この日の為に村長の家の書斎に忍び込んで調べた、「感謝」を伝える為の目当ての花。
即ち、
***
「────こんくれぇでいいかなっ!」
籠いっぱいの花をアンリによって採られてもなお、未だ色とりどりの花が広がる緑の原の上で、アンリは満足気にそう呟く。
空を見上げれば、太陽は既に地平線に沈みかけているのが分かった。
然しそれは、アンリのやらかしを密かに意味している。
おばさんから頼まれたその茸、恐らくそれは夕餉の分の食材なのだろう。
今から届けても、おばさんが受け取って、調理して、食べる頃には夜も更けている。
夕餉の時間と言うよりも寝る時間だ。
そしておばさん経由で話はジャンに───────。
「二度あることは三度ある」とでも言うべきなのか…
アンリにとっては《寝起きの一言》、《贈り物調達のド忘れ》と続いて《時間の見誤り》という本日三度目のやらかしである。
アンリ自身、別に几帳面な性格という訳では無いのだが、うっかり者という訳でもない…という自負が無意識下にあり、今日一日の流れによって、それを何処か裏切られたように感じていた。
「───これ、怒られんだろうなぁ…。」
そして、そんな自身の愚かさと同時に襲い来る、溜息と涙の禁じ得ない未来予想に、割とグロッキー目になりながらもアンリは渋々帰路についたのだった。
***
村に帰るため森を歩いていると、ふと違和感を覚えた。
「……あり?もう夜も更けたってぇのに、まだ村から声が聞こえんぞ…?」
いつも通りであるならば、皆各々の仕事を終えて、家の中でご飯を食べたり、家によっては作ったり、今日の事柄を家族と共有したり────
とにかく、家の中で家族と共に何かしらに興じている。
外で森にまで聞こえるほど騒ぐなどありえないことなのだが…。
────巡る思考に、どんどんと違和感が、そして不安が、アンリの脳内に溢れかえっていく。
いつもは「たまたまか」と楽観的思考で居られるはずなのだが、グロッキーなアンリの脳内は、何よりも暗い想像を広げさせ…。
そしてそれは何処か、どうしようもなく、現実味を帯びているような気がした。
────私の村に、
そう思えば、その足は早く早くと時を急く様に速度を増していき
整備された道を無視しては、草を掻き分け、息を切らし
"何かがおかしい私の故郷"へと、身を走らせていた。
***
村に近づいて先ず感じたのは、鼻に突き刺さり、この呼吸器を噎せ返らせさせるほどの火と鉄の臭い。
村の中心付近────村長さんの家辺りかを根元としているであろう、空を貫く程に轟々と燃え盛るあの火柱が原因であろうか。
「…え、え??みんな、こんな時間に何をしてんだ…??」
幾ら子供であろうとも、今年で9歳となり
そして鍛冶屋を受け継がせたいという
それでも、理解出来ない。信じられない。
わかりたくない
「──み、みんな〜っ!!出てこいよっ!!何をしてんだ!?何があったの!?…何が、何が起こってんだ…!?」
頬を引き攣らせ、悲惨なほどの作り笑いを顔に張り付けさせながらも、目尻に溜まる涙を輝かせて
ふらふらとした足取りで、私は近くの家───…よく、大きな猪肉をみんなに振舞ってくれた、猟師のハーレンの扉を何度も叩く。
もしも、本当に今の状況が知りたいのなら、アンリが向かうべきなのは明かりも着いていないハーレンの家ではない。
向かうべきは、先程から騒々しいまでに声が───怒声が、悲鳴が響き続けている、村の中心部であろう。
無論、そんな事は彼女も分かってはいた。
だが、やはり出来ない。
やはり向かえない。
それは
─────一度、二度、三度。何度も、何度も扉に拳を叩き付ける。
力任せに木製の扉を何度も殴打したせいか、木のささくれが突き刺さり、鋭い痛みが走るが、そんな事は気にも留めずに、その無為な行動を繰り替えす。
数十秒も経てば、我慢出来ないと、或いは恐慌から気を取り直し、近くの窓へと顔を覗かせる。
「─────…あ。」
まだ、まだ
そう思っていた。そう思っていたかった。
────でも、"見知った人の終わりの顔"は。
…
妻を
そして、それを見てもなお、手も足も"ない"が故に、手も足も出ず、見ているしかない。
その現実に、怒り狂った
私の見知った
愚かな私の、
────瞬間、私は走り出した。
ハーレンさんとその家族の亡骸を無情に見捨てて、自分の為に。
そして、今私の家に居るはずの"あいつ"の元へ。
─────何故なら、私は思ってしまったから。
"あれ"はきっと、今の
"誰にでも、起こり得ることなんだって。"
無論、私はハーレンさんの受けた所業を直接見た訳では無い。
なんせ、全てが"事後"だった。
そこに あった のは"もはや何者なのか分からない
足を奪われて、壁に磔にされて、そして身体中に矢を射られた、アンリより少し若い程度の
そして、其の遊びを見せつけるように椅子に剣で打ちつけられ、四肢を剥ぎ取られた、ハーレンさんの形をした、そんな肉塊だけだったから。
────そして、だからこそ私は怖かった。
────だって、ハーレンさんの浮かべているその
────私の家族にだって、きっと置き換えられるから。
***
走って、転んで、でもまだ走って。
近くの家から、
それでも、立ち止まらずに、振り向かずに、全てを聞かないふりをして
それでも、まだ私は走り続けた。
────そうして、ようやっと私は家へと帰った。
…でも、あれは…。
「─────セイル?」
****
訳が分からない。"ボク"にとって、それは全てが急だった。
始まりからして、それは唐突だったんだ。
ジャンさんに頼まれた仕事(厳密に言えば、この仕事はあいつの物だけど)を終えて、椅子で談笑していた時の事だ。
もう5時を回って、早い家なら鍵を締め始めても可笑しくは無い、そんな時間帯。
それでも、まだ
心配だし、無意識に暗い表情くらいは出ししまっていたろうけど、それでも、どちらかと言えば強いのは"微笑ましいと思う心"だった。
だってそうだろ?彼女、割とおっちょこちょいだし時間を忘れて遊び呆けるのなん容易に想像がつく。
可能ならボクもそれに混ざりたかったな────。とは思うけれども、まぁ仕事を引き受けるのは、彼女にカッコイイって、尊敬されたくて言い出したことだし…それにそれは達成された事だし良しとする。
それに、彼女なら花を選ぶのに長い時間をかけていた。といっても簡単に信じられる。
なんせ
───うん、まぁ話が逸れたけど、彼女とジャンおじさんの関係は、見ていて何だか微笑ましくなる。
お互い顔を合わせれば汚い言葉と暴力の応酬合戦となるけれど…。
でも少しでも離れてしまえば寂しそうな顔をするし、1度でも心配と思えば永遠と慌てた顔をしている。
今だってそうだ。「きっと久しぶりの"花畑"に遊んでいるだけですよ。」とボクが言っても、おじさんは唸るばかりでずっと玄関付近をぐるぐると回っている。
単純な背丈と筋肉で大きなその背中が、今はなんだかとても頼りなく思えて───────
────そして、それが昼間の
そうやって時間を過ごしている内…
──────唐突に、耳を劈くような警笛音が響き渡った。
セイル「────ッ!!」
思わずボクは椅子を倒しながら飛び起きる。
ジャン「───セイル、ただの警笛だ。そんなに慌てる心配もないわぃ。」
そう言うジャンの顔は、先程の娘への心配にオロオロとなっていた弱々しい父の物から一変し、精悍な"戦士"の顔となっていた。
その様子に、ボクは思わず固唾を飲む。
(まぁ"お前が言うな。"と言いたくはなるが。)
***
だがある日、右足の膝を叩き壊され、そして今は亡きおばさんと良い感じの雰囲気になっていた事もあり
「良い機会だ。」と寿退社(退社と言う言葉が相応しいかは分からないが。)したらしい。
今この村に居る理由は、ジャンおじさんと薬師のサリラおばさんの共通の友人であった騎士に紹介され、この村に移り住んだことが始まりらしい。
────ともかく、そんな歴戦の傭兵が「大丈夫だ」と言いながら床板の下に隠されていた"彼の
そも、この村において《警笛》が鳴り響くことは少ない。
ジャンおじさんから聞いた話ではあるが、あの音は件の"共通の友人"である騎士が仕掛けた魔法の類であり
それは"壊滅の危険"に反応して鳴り響くのだそうだ。
つまり、攻撃の魔術・祈祷術が使える猟師さん等が出張ってくれば解決するような
だからこそ、一線を退いたとはいえ歴戦の傭兵たる"この人"が、出張る必要があるのだ。
扉を開き、外の光景がこの視界に飛び込んできたその瞬間。
────ボクたちは絶句した。
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