第12話 門番/朽木に鳥

 毎日お参りに来る人間の傍に、今日は奇妙な奴が伴っていた。格好も少しばかり奇妙に見えたが、それ以上に気配が奇妙な奴だった。

 いつもここへ手を合わせに来る人間は、もうだいぶ歳が行っている。いつ死んでもおかしくないほどだ。そういう人間は呆けて、騙されやすくなると聞く。この人間も騙されてやしないかと、注意深く見定めていたが、良くない気配は感じ取れなかった。人間はそのまま、いつも通りお参りを終えて、妙な奴と傘を並べて帰って行った。

 あの人間が帰ったのなら、もう誰も来ないだろう。鳥居の上、茂る枝葉を屋根に目を閉じていたら、あの妙な気配が戻ってきた。からんころんと転がっていく草履の音は、再び石段を上ってきて、鳥居のほとんど真下で止まる。


「こんにちは。門番ご苦労さまだね」


 明確にこちらへ声が投げられ、目を開けてみると、例の奇妙な奴がいた。傘の下から覗くまなこが、こちらを見据えている。

 左目は透明な板越しで、それを通してこちらを見る人間も少なからずいる。実際に会ったこともある。だが、此奴こやつはその手の目的で、透明な板を掛けてはいないのだろう。そもそも、此奴は女の姿をしているが、人間ではない。


「何用か。見たところ、お前はこちら側の者のようだが」

「うーん。確かに私、都市伝説になってるからなぁ。妖怪やら怪異やらと言われても、間違ってはいないだろう。そういうあなたは、おとろしという妖怪ではないのかい」

「さて。人からの呼び名など知らぬ。わしはこのやしろをお守りしているだけだ」


 奇妙な奴は傘を閉じ、より顔が見えやすくなっていた。昔からの記憶を漁っても、この辺りの人間ではまれな明るい茶髪を、後ろで一まとめにしている。装いは昔の、袴に着物の様式と似ていたが、微妙に異なっていた。


「して、先も問うたが、何用か」

「おっと、失礼した。いや何、ちょっとした世間話でもと思って。私は誰かと交流するのが好きなものでね。良ければあなたとお話ししたい」


 からから笑う奇妙な女は、まるで裏表を感じさせない。代わりに、よくさえずる鳥と似たものを感じる。所構わず喋るだけ喋って、颯爽と飛び立っていきそうな、そういう奴だ、これは。

 儂としては静かに暮らしていたいところだが、暇なのも確かだ。ならば、言葉の通じる鳥と、ひととき話すのも一興だろう。


「儂でいいなら、応じよう。と言っても、儂はここから動いたことがない。話の面白みは期待せんほうが良いぞ」

「何を言う。私はこの土地の者じゃないんだ。根差した者からの昔話なんて、それだけで面白いに決まっている。あ、隣に座ってもいいかい? それとも、あなた以外が鳥居の上に座っては、さすがに無礼かな」

「構わん。もう、この社に神はおらぬ」


 空と告げても、奇妙な女は驚かなかった。分かっていたかのように、寂しい笑みを浮かべるだけだった。

 儂の髪に掴まり、石造りの鳥居へと上がってきた女は、ニシキと名乗った。何でも、折節の里という場所からやって来たのだという。その里の名は聞いたことがあった。季節ごとに時を留めた村落が集合した、四季を画中に収めたが如き里である、と。

 儂が昔話を聴かせるのと同時に、ニシキも己のことや、里について語った。里の時は留められているため、祭をする際は人の世の暦を当てにしているという。常世なのに時の流れを気にするのかと訊いたら、「だって祭はちゃんとやりたいだろう?」と返ってきた。確かに、と思った。


「ここも昔は祭をしていたんだってね。先のお嬢さんから聞かせてもらったよ」

「左様。しかし、今はめっきり人が減った。子どもの声も聞こえなくなった。……人が騒がねば面白くないと、あやかし共も去って行った」


 せみの声はまだしていない。だから、社はまだ静かだ。いや、蝉時雨せみしぐれのある方が、もっと静かに感じられるかもしれなかった。

 駆け回る子どもの声、祭の準備を進める人間の声。どれもが既に遠く、ただ連綿と変わらぬ生き物の声が、巡る季節に乗せられ聞こえてくる。それはことわりの音であって、営みの音ではない。

 人がいればこそ、我らの営みも楽しかった。けれど彩りが欠けてしまった今、留まるものはいなくなった。賑やかを求めて去る者もいれば、ここで朽ちて消えていく者もいた。そのいずれもが寂しくありながら、儂はここから離れられずにいる。


「あなたは、ここに居続けているんだね」


 繰り返すようなニシキの言葉に、口をつぐんだ。草木の色も空の色も、木陰の色も濃ゆく映る中、社だけが色褪いろあせている。


「……ここが好きだ。離れられぬ」


 ぽつりとこぼれた言葉が、緑陰に溶けて消えていく。それだけ、本当にそれだけが、儂の形をここに留めている。

 この土地が好きだ。この土地に暮らしていた人間たちが好きだ。今もまだ、好きだ。いずれ朽ちて、すべてが夢のように消えたあと、儂はこの地で眠りたい。さすれば、夢の続きも見られよう。


「そりゃあ、離れがたいだろうね。でも、良かったんじゃないのかい。そんなにも大好きなものに出会えて」

「そうだろうか。好きにならぬ方が良かったかもしれぬ。こうして緩やかに朽ちていくのを、隣で見守るだけなのは、かなしい」

「ずいぶん可愛らしいことを言いなさる。好きということは、認知しているということ。好きでなければ、あなたは人間の営みに触れることなく、ここで孤独に佇むだけだったかもしれない。そんな暗いことに比べたら、終わりまで間近で愛していられるなんて、素敵なことだと思わないかね」


 軽やかにうたうニシキの顔は、明るい笑みが浮かんでいながら、慈しみめいた色も混在していた。きっと今までにも、こんなことを言う奴がいて、同じように応じたのだろう。己の考えに誇りを持って。

 今日、ニシキを伴って、いつも通りにやって来た人間の姿を、思い出す。毎日通うから、あれの命の綱を感じられるようになっていた。いつ途切れてもおかしくないほどか細く、それでもまだ、ぴんと伸びて生きている。


「……そうだな。孤独でいるより、ずっと良い」


 その愛おしさを知らずにいるよりは、ずっと。

 この身は昔、多くの命綱を感じ取っていた。みなぎる生気の温かさと喜びとを、我がことのように感じ取っていた。だからこそ、生きている人間たちが、好きだった。命を燃やし尽くして、旅立って行く姿を、尊く思った。


「神も、あやかしも、みんないなくなった。人もいなくなった。それでも、ここには愛しい日々の跡がある。それを抱いて眠りたいと言ったら、笑うか」

わらいはしないさ。でも生憎と、私も同じことを思っているから、笑ってしまうね」

あざけらぬのなら良い。だが、それにしてもずいぶん女々しいことを言ってしまった。昔の仲間に見られたら、きっと笑われてしまうな」


 笑い声は絶えて久しい。思い返せど遠い。奴らは今、何をしているだろうか。消えてしまってはいないだろうか。もしそうなら、それもまた寂しい。


「……ニシキ。お前は大勢と手紙のやり取りをしていると、そう言ったな」

「ああ、言ったね」

「儂もしておけば良かったな。手紙が残るなら、まだ寂しさも紛らわせられた。遠く離れても、分かたれてしまっても、繋がっていられる気になれたかもしれん」

「今からでもできるさ。ほら、ちょうどここに、文通相手に最適な奴がいるだろう? 先のお嬢さんとも、何度も手紙をやり取りする仲なんだぜ、私は」


 ふふん、と。得意げな顔をするニシキは、しかし目の奥を輝かせている。どうやらよっぽど、文字でもさえずっているのが好きらしい。騒がしい鳥に見つかってしまったものだ。


「やれやれ。中身が薄いなどとわめいても知らんからな」

「ははは。中身の厚い薄いなんて些末さまつなことだ。紙上でも誰かと話ができる。それだけでいいんだから。それに、あなたの手紙が薄いなら、私の手紙を分厚くすればいいということだもの。愉快な身内の話やら、異界から来たお客の話やら、びっしり書いて送って差し上げよう」

「あんまり字が細かいと読めん。ほどほどにしてくれ」

「それでも読む努力はしてくれるんだね。いやぁ優しいなぁ、あなたってひとは!」


 目に見えて上機嫌、ああ言えばこう言うニシキに、しくじったかなと後悔が生まれた。あんまりうるさいと、それはそれで嫌なのだが、此奴はそこまで無礼者ではないだろう。ただちょっと、鬱陶うっとうしさが混じっているだけだと思いたい。


「紅葉一枚、あるいは紅葉を象った何かと一緒なら、確実に私の所へ届くさ。ポストは村の中にあることだし、投函とうかんに行けばちょっとした散歩にもなるだろうよ。ああ、夏場はしっかり暑さ対策をして出歩いてくれたまえ」


 一方的に言いながら、ニシキはその場で立ち上がる。どうやら、もう帰るらしかった。


「そうだ。あなたの名前をまだ聞いていなかった。人からの呼び名は知らないと言っていたけど、あなたご自身は何というお名前なんだい?」

葉重はがさだ。かつて、ここにおられた方に付けていただいた。……いい名前だろう?」

「うん、とっても!」


 至上の響きで彩られた返事に、つい、頬が緩んだ。いつもお参りに来る人間以外のことで笑ったのは、久方ぶりだった。


「それじゃあ、葉重殿。私はこれで失礼させていただくよ。歓談に応じてくれて、どうもありがとう。次は手紙でお喋りしよう」

「ああ。ところで、もしや自力で降りるつもりか。さすがに危なくはないか」

「大丈夫。いやー、ずっと試してみたかった立ち去り方があってね。人間相手だと肝を冷やしてしまうだろうから、できなかったんだけど。今日、やっとお披露目できるというわけだ」


 楽しげに笑いながら、ニシキはひらひらと手を振って、鳥居から飛び降りる。儂とて冷える肝はあるのだが、ニシキの姿は落下の途中でパッと消え去った。同時に、覗き込んでいた下方から、一陣の風が舞い上がっていった。

 ざわりと頭上の木枝を揺らし、駆け去っていた風の色は透き通って、まだ早い秋の気配を香らせた。しんみりと愁いをもたらしながらも、懐古の温もりをおこさせる風だった。

 さて、と。今も昔もまるで使っていなかった筆と紙とを、人には触れられぬ木陰から取り出す。我ながら、行動の早さに笑ってしまった。そうして気付いた。儂もまた、賑やかに囀りたかったのだと。

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