第3話 文鳥/文届ける鳥
何かしらの形で、必ず
手紙と、借りていた本を数冊つめた肩掛け鞄を斜め掛けにして、自分はいつも通りの配達に出た。
収穫がとっくに済まされて、寂しい田畑の
しばらくして、自分は寒々しさが目立つ、奥まった山の裾に降りた。里の者たちと同様、人でなくとも人の姿を取っているので、出していた翼は短い羽織、
元々持っていた色と同じ、橙色の
白雲の先にあるような、隠栖者の庵じみた家屋たちは、色づいた草木の隣ではひっそりと寂しく木陰に埋もれ、色の薄い草や枯れ草の隣では馴染んでいる。けれど自分が目指している家屋は、年季は入っているのに、密やかさとは無縁だ。
その目指す家屋はもうすぐそこ。傾く夕日が照らす中、色づいた林に差し掛かる。
遠く
白雲生ずる
車を停めて
ざっざっざっ、ざっざっざっ。ひたすらに歩いて、自分はようやく目的地に到着した。抑えた色味の瓦と、時を重ねた漆喰の壁。軒先に丸い看板を吊るしているここ、『
がらり引き戸を開けると、嗅ぎ慣れた香がふわり漂う。屋内は数多、様々の雑貨だらけ。入り口から真っすぐ伸びた道の先には机があるのだが、そこにいつも座っている家主の姿が見えない。机と合わせられた椅子に、月が二つ浮かぶ短い外套が掛けられているのを見るに、奥部屋のどこかにいるのだろう。
後ろ手に戸を閉め、机に歩み寄る。磨かれて深みを重ねていく
「――失礼、少しばかり待っていてくれたまえ」
机越しの壁に空いた、奥へ向かう入口。そこから聞き慣れた声と文言がやって来る。言われずともと待っていれば、かたりかたり、ぎぃぎぃと、深靴と床板が織り成す足音が聞こえてきた。
「やあ、お待たせしたね……何だ、
釣り看板と同じ飾り字が浮かぶ、夕暮れの色をした
明るい茶髪に
「夕方の配達ご苦労さま、どうもありがとう。ところで、きみは立って待つのが趣味になったのかい。来客用の椅子なら、そこにあるのに」
抱えていた複数の木箱を机上に並べながら、とても大きな一つは床に降ろしながら。ニシキさんが指した先には、確かに椅子が二脚並んで置かれている。けれども、周囲に色々と物が積み上がっているせいで、とても来客用には見えない。
「整理整頓した方が、もっと分かりやすくなりますよ。少なくとも、自分は言われるまで気付けなかったので」
「ふむ、善処しよう」
「そう言って本当に善処した試しがありましたか」
「あるとも。きみが知らないだけさ」
疑わしい。だが、こういう感触の問答では、のらりくらり
「夕方の分です。それと、借りていた本も」
「うん、確かに。ああ、やっぱりきみに貸し出していたね、これ。ちょっと思い出した品物があったから、きみが来るまでに探しておいたんだ」
手紙と本を置きながら、ニシキさんはぽんぽんと片手で箱たちを叩く。大小様々な木箱は、よく見ると洋風な装飾が施されていた。
自分が問う必要はなく、小箱が一つ開けられる。ニシキさんの両手から少しはみ出すくらいのそこから、何やら白い物が取り出される。
現れたのは、鳥の置き物。黒々としてつぶらな瞳に、
「前にもこの本を貸したことがあってね。何処か別の世界から来た旅人に貸したんだが、その人は職人でもあったんだ。アイデアを欲しがっていたから、色々とこちらの品物を見せたんだけど、中でも文学を気に入っていたんだよ」
「ああ、文字が通じる世界からのお客様だったんですか」
「いや、全く。だから音声のあれそれをいじって、読み聞かせたんだ」
近付いて文鳥の置き物を眺める傍ら、ニシキさんの声にも耳を傾ける。愁灯庵は立地が特殊なため、そういう交差がよくあるのだ。自分も、別世界から迷い込んだ、あるいは意図してやって来た客人と会ったことがある。
それにしても、大きな文鳥はよくできていた。大きさ以外、本物の文鳥と全く変わりがない。このまま動き出しそうな気配すらある。机に手をつき屈み込んで眺めていたら、横からひょいと現れたニシキさんの手が、文鳥を持ち上げた。
「これはただの置き物じゃないぜ、梓くん。ほら、この通り」
ぱかり。文鳥が縦に割れて開きになった。絵面が絵面なのと、そんな仕込みがあることすら分からないほどだったのとで、思わず目を見開いていると、文鳥が机上に戻される。
真ん丸くなった自分の目が映す文鳥の内部は、外観以上に精緻だった。あまりに精緻がすぎて怖気すらした。というのも、鳩くらいとは言え小さな鳥の内部に、小槌を振り上げる小人たちが収まっていたのだから。
「いやはや素晴らしいだろう。きみに貸した小説の表現そのものだ」
言いながら、ニシキさんはまた木箱から何か取り出す。飼い鳥の餌箱のようだった。それも開けられて机上に置かれたので覗き込むと、
「ほら、嘴も開くんだ。ここから琥珀を入れてみると……」
手品をするかのように、ニシキさんはゆっくり、文鳥に粟を食べさせる。ころころ琥珀が流れ落ちると、たちまち小人たちが動き出して、槌で琥珀を叩き始めた。
小説での表現は
「それを作った職人曰く、奏でているのは、出身国が同じ作曲家の曲らしい。だから私も知らない曲なんだけど、勝手に『琥珀の曲』と呼んでいる」
「そのまんまですね」
「だって、琥珀を入れれば文鳥が歌うし、小人たちが演奏するんだもの。もう察しているかと思うけど、これと同じ仕組みの鳥たちが、今ある木箱に収められている」
次々に箱が開かれ、鳥が姿を表していく。
唯一、床に置かれていた箱も開かれる。「よいしょっ、とぉ」の声と一緒に出てきたのは、
「こんなものまで作られたんですか……すごいですね、その職人の方は。けど、こんなにあるということは、ニシキさんが個人的に依頼をしたので?」
「そうだよ。と言っても、依頼までしたのはこの真雁だけだが。文鳥と三鳴鳥は、モチーフを教えてもらったお礼として、第一号を譲ってもらったんだよ」
何てことなさそうに言うニシキさんだが、よりにもよって一番大きな真雁だけ依頼品なのと、ちょっと大きな小鳥たちが第一号というのは、どちらも驚くべき事実である。前者はともかく、後者は量産品と言っているようなものだ。この精巧さの品が複数存在しているなんて、めまいがしてくる。
「そろそろ文鳥の歌が終わるね。次は真雁に歌ってもらおう。ほら梓くん、嘴を開けて宝石を入れてみたまえ」
額に手を当てたい気分なところへ、ニシキさんが楽しそうに、綺麗な小石が詰まった餌箱を差し出してくる。自分は言われるまま、青緑の一粒を摘み上げると、開けた真雁の嘴へ滑り込ませた。
首が長いこともあって、転がり落ちていく石の軽やかな音が聞こえた。その音もまた綺麗だった。一拍おいて、自鳴琴のような音が旋律を紡ぎ始める。
「……。……何だか、懐かしい曲ですね。知らない曲なのに」
自分は人間の作った楽曲というものを、ほとんど何も知らないので、仮に有名な曲でも知らないのだが。何故か、この曲は懐かしいように聴こえる。
「私が教えた三、四曲を参考に作られた曲だからね。どれもアジア民族が奏でる曲だったから、きみにも懐かしく聴こえるんだろう」
しゃがみっぱなしな自分の隣に、ニシキさんも屈み込んでいる。椅子に座ればと考えが過ぎったが、真雁と同じ目線で、曲を聴いていたかった。
自分は元々、渡り鳥である。春と秋に海を渡っていたが、ある時飛べなくなってしまって、死を待つばかりになっていた。そこをニシキさんに拾われて、折節の里へ連れて来られ、名前と仕事を貰ったのだ。
枝を拾えなくなっていたのに、また持って運べるようになった。羽休めのためでなく、送り届けるために。
真雁の歌が終わる。命が宿りそうな目は黒々と深く、しかし本当に宿りはしない。
「実は、きみにも聴いてほしかったのだけれど、なかなか機会がなくて忘れていてね。やっと聴かせられたよ。どうかな、気に入ってくれたかい」
のんびり立ち上がったニシキさんに続いて、自分もゆっくり立ち上がった。真雁との間に、高低差ができていた。
「そうですね、気に入りました。郷愁に浸るというのは、こういうことなのでしょうね」
にっこり、ニシキさんは満足そうに笑った。自分の答えがお気に召したらしい。
「では、他にご用件がなければ、自分はこれで」
「え。何だよ、もっと聴いていきたまえよ」
「そうやって最後まで付き合わせて、片付けを手伝わせる魂胆は見え透いています。自分はもう配達も完了いたしましたので、これにて」
「くそっ、バレているし取り付く島もない……! はあ。大変だが、出したものは出した人が片付けないとね」
肩を落として、ニシキさんは最も大変だろう真雁の片付けから取り掛かる。ここで手伝うと調子に乗られるし鬱陶しくなるので、自分は宣言通り踵を返した。
「ああ、梓くん! 改めて配達ありがとう、また明日」
「はい。また明日の朝に」
真雁を入れた箱を抱え、奥に消えていくニシキさんを見送ってから、引き戸を開ける。日は一気に傾いて、誰そ彼時が近づいて来ている。
折節の里は朝昼晩があるものの、月日の流れというものは無い。だから本当は、また明日という挨拶も意味を成さない。けれど自分は、そういう挨拶を気に入っている。まだ生き延びていると実感できるので。
ざくりざくり、山を下る。郵便局の近くに構えた
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