第3話 文鳥/文届ける鳥

 何かしらの形で、必ず紅葉もみじと一緒になった手紙たち。朝夕の二回に分けてやって来るそれらは、とある一人へ宛てられている。

 手紙と、借りていた本を数冊つめた肩掛け鞄を斜め掛けにして、自分はいつも通りの配達に出た。

 折節おりふしの里と呼ばれるこの世界は、いつ外に出ても景色が、季節が変わらない。自分の所属している郵便局は秋の区画、より細かく言うなら霜降そうこうの村にあるため、広がる景色は深秋の夕暮れ。まだ夜の気配はなく、微睡まどろむような黄金こがねの西日に、色づいた木の葉が照り映えている。

 収穫がとっくに済まされて、寂しい田畑の畦道あぜみちを飛び進む。土の色はすっかり暗く、匂いも冷たくなっているが、草木は今が最後とばかりに燃え立っている。この世界はどこも、割り当てられた暦、人間が分けた二十四節気の時々で止まっているため、終わりなど来ないのだが。

 しばらくして、自分は寒々しさが目立つ、奥まった山の裾に降りた。里の者たちと同様、人でなくとも人の姿を取っているので、出していた翼は短い羽織、外套マントに変じて制服の一部となる。

 元々持っていた色と同じ、橙色の深靴ブーツに包まれた足で、小石の多い道を行く。ざくりざくり、頂上まで続く斜めの小道を歩いていく。木々の隙間からは時折、別の山に構えられた家屋が見えていた。

 白雲の先にあるような、隠栖者の庵じみた家屋たちは、色づいた草木の隣ではひっそりと寂しく木陰に埋もれ、色の薄い草や枯れ草の隣では馴染んでいる。けれど自分が目指している家屋は、年季は入っているのに、密やかさとは無縁だ。

 その目指す家屋はもうすぐそこ。傾く夕日が照らす中、色づいた林に差し掛かる。白露はくろの村や寒露かんろの村なら、木の葉は露を載せてきらめいているのだが、霜降の村の木の葉は霜に打たれている。水に晒された染め布が鮮やかなように、林の色もハッとするほど鮮やかだ。


 遠く寒山かんざんに上れば石径せっけいななめなり

 白雲生ずるところ人家有り

 車を停めてそぞろに愛す楓林ふうりんくれ

 霜葉そうようは二月の花よりも紅なり


 ざっざっざっ、ざっざっざっ。ひたすらに歩いて、自分はようやく目的地に到着した。抑えた色味の瓦と、時を重ねた漆喰の壁。軒先に丸い看板を吊るしているここ、『愁灯庵シュウトウアン』に。

 がらり引き戸を開けると、嗅ぎ慣れた香がふわり漂う。屋内は数多、様々の雑貨だらけ。入り口から真っすぐ伸びた道の先には机があるのだが、そこにいつも座っている家主の姿が見えない。机と合わせられた椅子に、月が二つ浮かぶ短い外套が掛けられているのを見るに、奥部屋のどこかにいるのだろう。

 後ろ手に戸を閉め、机に歩み寄る。磨かれて深みを重ねていく葡萄色えびいろの卓上には、ちゃんと呼び鈴が置かれている。くすんだ金色の覆いに、鹿が数匹群れているそれを振るって、ぼうと立ち尽くした。転がっていった音の余韻が、ゆっくり沈んで溶けていった。


「――失礼、少しばかり待っていてくれたまえ」


 机越しの壁に空いた、奥へ向かう入口。そこから聞き慣れた声と文言がやって来る。言われずともと待っていれば、かたりかたり、ぎぃぎぃと、深靴と床板が織り成す足音が聞こえてきた。


「やあ、お待たせしたね……何だ、あずさくんか」


 釣り看板と同じ飾り字が浮かぶ、夕暮れの色をした暖簾のれん。それをひらり手で掻き分け、姿を表した家主は、拍子抜けの顔をしていた。

 明るい茶髪に片眼鏡モノクル、書生のような装いは、上が橙で下が紺藍。暖簾と同じく暮色蒼然をそのまま身に纏ったような人、ニシキというこの人こそ、愁灯庵の隠栖者である。


「夕方の配達ご苦労さま、どうもありがとう。ところで、きみは立って待つのが趣味になったのかい。来客用の椅子なら、そこにあるのに」


 抱えていた複数の木箱を机上に並べながら、とても大きな一つは床に降ろしながら。ニシキさんが指した先には、確かに椅子が二脚並んで置かれている。けれども、周囲に色々と物が積み上がっているせいで、とても来客用には見えない。


「整理整頓した方が、もっと分かりやすくなりますよ。少なくとも、自分は言われるまで気付けなかったので」

「ふむ、善処しよう」

「そう言って本当に善処した試しがありましたか」

「あるとも。きみが知らないだけさ」


 疑わしい。だが、こういう感触の問答では、のらりくらりかわされるばかりなことは知っている。自分は早々に切り上げて、朝もやった通り、鞄から手紙の束を取り出した。


「夕方の分です。それと、借りていた本も」

「うん、確かに。ああ、やっぱりきみに貸し出していたね、これ。ちょっと思い出した品物があったから、きみが来るまでに探しておいたんだ」


 手紙と本を置きながら、ニシキさんはぽんぽんと片手で箱たちを叩く。大小様々な木箱は、よく見ると洋風な装飾が施されていた。

 自分が問う必要はなく、小箱が一つ開けられる。ニシキさんの両手から少しはみ出すくらいのそこから、何やら白い物が取り出される。

 現れたのは、鳥の置き物。黒々としてつぶらな瞳に、珊瑚色さんごいろをしたくちばしと足、真珠を削ったような爪まで精緻に作り出されたそれは、文鳥だった。本物よりもずいぶん大きく、鳩くらいの大きさをしていたが。


「前にもこの本を貸したことがあってね。何処か別の世界から来た旅人に貸したんだが、その人は職人でもあったんだ。アイデアを欲しがっていたから、色々とこちらの品物を見せたんだけど、中でも文学を気に入っていたんだよ」

「ああ、文字が通じる世界からのお客様だったんですか」

「いや、全く。だから音声のあれそれをいじって、読み聞かせたんだ」


 近付いて文鳥の置き物を眺める傍ら、ニシキさんの声にも耳を傾ける。愁灯庵は立地が特殊なため、そういう交差がよくあるのだ。自分も、別世界から迷い込んだ、あるいは意図してやって来た客人と会ったことがある。

 それにしても、大きな文鳥はよくできていた。大きさ以外、本物の文鳥と全く変わりがない。このまま動き出しそうな気配すらある。机に手をつき屈み込んで眺めていたら、横からひょいと現れたニシキさんの手が、文鳥を持ち上げた。


「これはただの置き物じゃないぜ、梓くん。ほら、この通り」


 ぱかり。文鳥が縦に割れて開きになった。絵面が絵面なのと、そんな仕込みがあることすら分からないほどだったのとで、思わず目を見開いていると、文鳥が机上に戻される。

 真ん丸くなった自分の目が映す文鳥の内部は、外観以上に精緻だった。あまりに精緻がすぎて怖気すらした。というのも、鳩くらいとは言え小さな鳥の内部に、小槌を振り上げる小人たちが収まっていたのだから。


「いやはや素晴らしいだろう。きみに貸した小説の表現そのものだ」


 言いながら、ニシキさんはまた木箱から何か取り出す。飼い鳥の餌箱のようだった。それも開けられて机上に置かれたので覗き込むと、琥珀色こはくいろあわが詰まっている。というより、これは琥珀そのものらしい。


「ほら、嘴も開くんだ。ここから琥珀を入れてみると……」


 手品をするかのように、ニシキさんはゆっくり、文鳥に粟を食べさせる。ころころ琥珀が流れ落ちると、たちまち小人たちが動き出して、槌で琥珀を叩き始めた。

 小説での表現はさやけく、瓊音ぬなとを思わせるものだったが、いま聴こえてくる音は自鳴琴オルゴールに似ていた。雫が落ちるように、霜が砕けていくように、美しい旋律が紡がれていく。


「それを作った職人曰く、奏でているのは、出身国が同じ作曲家の曲らしい。だから私も知らない曲なんだけど、勝手に『琥珀の曲』と呼んでいる」

「そのまんまですね」

「だって、琥珀を入れれば文鳥が歌うし、小人たちが演奏するんだもの。もう察しているかと思うけど、これと同じ仕組みの鳥たちが、今ある木箱に収められている」


 次々に箱が開かれ、鳥が姿を表していく。うぐいすに大瑠璃、駒鳥……どれもやはり、本物よりは大きく作られていたが、動き出してもおかしくないほどの完成度を誇っていた。

 唯一、床に置かれていた箱も開かれる。「よいしょっ、とぉ」の声と一緒に出てきたのは、真雁まがんだった。ニシキさんに抱えられて、ゆっくりと自分の隣に運ばれてくる。元からそれなりに大きいためか、こちらは大きさも含めて瓜二つだった。


「こんなものまで作られたんですか……すごいですね、その職人の方は。けど、こんなにあるということは、ニシキさんが個人的に依頼をしたので?」

「そうだよ。と言っても、依頼までしたのはこの真雁だけだが。文鳥と三鳴鳥は、モチーフを教えてもらったお礼として、第一号を譲ってもらったんだよ」


 何てことなさそうに言うニシキさんだが、よりにもよって一番大きな真雁だけ依頼品なのと、ちょっと大きな小鳥たちが第一号というのは、どちらも驚くべき事実である。前者はともかく、後者は量産品と言っているようなものだ。この精巧さの品が複数存在しているなんて、めまいがしてくる。


「そろそろ文鳥の歌が終わるね。次は真雁に歌ってもらおう。ほら梓くん、嘴を開けて宝石を入れてみたまえ」


 額に手を当てたい気分なところへ、ニシキさんが楽しそうに、綺麗な小石が詰まった餌箱を差し出してくる。自分は言われるまま、青緑の一粒を摘み上げると、開けた真雁の嘴へ滑り込ませた。

 首が長いこともあって、転がり落ちていく石の軽やかな音が聞こえた。その音もまた綺麗だった。一拍おいて、自鳴琴のような音が旋律を紡ぎ始める。


「……。……何だか、懐かしい曲ですね。知らない曲なのに」


 自分は人間の作った楽曲というものを、ほとんど何も知らないので、仮に有名な曲でも知らないのだが。何故か、この曲は懐かしいように聴こえる。


「私が教えた三、四曲を参考に作られた曲だからね。どれもアジア民族が奏でる曲だったから、きみにも懐かしく聴こえるんだろう」


 しゃがみっぱなしな自分の隣に、ニシキさんも屈み込んでいる。椅子に座ればと考えが過ぎったが、真雁と同じ目線で、曲を聴いていたかった。

 自分は元々、渡り鳥である。春と秋に海を渡っていたが、ある時飛べなくなってしまって、死を待つばかりになっていた。そこをニシキさんに拾われて、折節の里へ連れて来られ、名前と仕事を貰ったのだ。

 枝を拾えなくなっていたのに、また持って運べるようになった。羽休めのためでなく、送り届けるために。

 真雁の歌が終わる。命が宿りそうな目は黒々と深く、しかし本当に宿りはしない。


「実は、きみにも聴いてほしかったのだけれど、なかなか機会がなくて忘れていてね。やっと聴かせられたよ。どうかな、気に入ってくれたかい」


 のんびり立ち上がったニシキさんに続いて、自分もゆっくり立ち上がった。真雁との間に、高低差ができていた。


「そうですね、気に入りました。郷愁に浸るというのは、こういうことなのでしょうね」


 にっこり、ニシキさんは満足そうに笑った。自分の答えがお気に召したらしい。


「では、他にご用件がなければ、自分はこれで」

「え。何だよ、もっと聴いていきたまえよ」

「そうやって最後まで付き合わせて、片付けを手伝わせる魂胆は見え透いています。自分はもう配達も完了いたしましたので、これにて」

「くそっ、バレているし取り付く島もない……! はあ。大変だが、出したものは出した人が片付けないとね」


 肩を落として、ニシキさんは最も大変だろう真雁の片付けから取り掛かる。ここで手伝うと調子に乗られるし鬱陶しくなるので、自分は宣言通り踵を返した。


「ああ、梓くん! 改めて配達ありがとう、また明日」

「はい。また明日の朝に」


 真雁を入れた箱を抱え、奥に消えていくニシキさんを見送ってから、引き戸を開ける。日は一気に傾いて、誰そ彼時が近づいて来ている。

 折節の里は朝昼晩があるものの、月日の流れというものは無い。だから本当は、また明日という挨拶も意味を成さない。けれど自分は、そういう挨拶を気に入っている。まだ生き延びていると実感できるので。

 ざくりざくり、山を下る。郵便局の近くに構えたねぐらへ帰る。また明日、紅葉と一緒の手紙を、ニシキさんへ届けるために。あるいは、ニシキさんや別の誰かと一緒に、素敵なひとときを過ごすために。


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