第2話 シトラスフレーバー

「ケマコちゃん、それじゃ先行っといて。鍵開けて開店準備とか、お願い~」


 律子と京太郎が、小さな食卓を囲みながら手を振っている。


「OK~。任せといてよ」と燈籠稲荷のお使い狐ケマコは、愛想よく手と尻尾を振ると、先ほどまでパラパラと観ていたファッション誌を床に広げて、


「これでいっちゃえ」と、言いながら、くるっとバク転をした。そこには、細かい水玉が全面にあしらわれた明るいローズパープルのミニのワンピースに身を包んだ少女が立っていた。少女に化けたケマコだった。


「どうどう?」と言って、玄関でポーズをとる。


「可愛い可愛い!いつも決まってるぅ」と律子が言う。ケマコは機嫌よく出掛けていった。


 ご飯を勢いよくかきこみながら京太郎は、母・律子に訊いた。


「大丈夫なん?ケマコちゃんお店開けたりできるのん?」

「大丈夫なんじゃない?昨日説明したら。『任せといてよ』って言ってたし」と律子は、分厚い目に切った沢庵をボリボリと音をさせて食べた。ケマコが律子たち親子の願いを叶えてからここ一週間、朝食か夕食はのんびりと過ごすことができている。小学二年生の京太郎の様子もとても落ち着いて見えた。


 律子は小学校に京太郎を送り出すと、洗濯物をベランダに干した。ふと目の前の燈籠稲荷を見下ろすと、胡坐をかいてだらりと祠にもたれてタバコをふかすテンゴがいた。



「おはよ~、なに暇そうに空見上げてんのよ?」


「なにを言うてんねん。常日頃からお参りに来る人を出迎えられるようにしとんねや。それより、ケマコ出掛けたんか」


「そうよ。あの子働きもんよ。ぼおーっとしてたら忘れられちゃうわよ」


 律子は、冗談めかして意味ありげなことを言うと部屋に入った。


「え、ええぇ~」


 テンゴは、ちょっと寂しそうな顔を浮かべたが、まただらりと祠にもたれてタバコを深く吸った。


 やがて、

「いーってきまーす」と、ケマコの元気な声が響き、鳥居の前を駆け抜ける音が響いた。


 少しして、

「いーってきまーす」と、京太郎の元気な声が響き、階段を駆け降りる音が響いた。


「テンゴ!おはよ!」と、京太郎が声を掛けて、そのまま風のように去っていった。

「お、おいおい、朝のお供えもなしかいな」


 テンゴは、さみしげに呟いた。


 一時間ほどして、律子がダメージジーンズの上下の中に軽い印象のセーターを合わせた格好で出て来る。律子は、鳥居で立ち止まり、作法通りのお辞儀をすると、賽銭箱の横にカンロ飴を一つ置いて、


「留守中何もないように見張っといてね、それと商売繁盛、京ちゃんの学業成就、交通安全……」と言う。


「あ、飴一個であつかましいやっちゃな」とテンゴは、軽く文句を言った。


「何よ~、どうぜ誰もお参り来なくてヒマっしょ?」


 律子は、軽く冗談を飛ばして、出掛けた。





 ケマコは、律子の家から電車では二駅ほどの距離を軽々と走り抜け、商業施設の通用口から入り、三階の律子の店の前に立った。ポップな字体の看板は、「CITRUSFLAVORシトラスフレーバー」と書いてある。鍵を取り出し、入口右側のキーボックスを開ける。「UP」のボタンを押すと、機械音が響き、シャッターが巻き上げられ始めた。


 ケマコが店内照明のボタンに手を伸ばそうとした時、


「君誰?」と背後で声がした。

「えっ?」と振り向くと、背の高い、ばりっとしたスーツの若い男性が立っている。


「あんたこそ誰よ」


「僕は、CITRUSFLAVOR関西のスーパーバイザーをやっている三輪辰巳と言うんだ」


「スーパーバイザーって何よ?」


 ケマコのある種横柄な聞き方に三輪はちょっとムッとした顔で言い返した。


「店の売上を管理・計画するのが店長で、各店舗の売り上げUPの指導をするのがスーパーバイザー・SVなんだよ!だから、君誰?」


「ケマコちゃん、お待たせ~……げ!」


「ほら、そっち包んであげて!来週の売り出しのチラシも紹介しながら入れるんだってば」とケマコが指示を飛ばしながら客を捌いていた。この数日で、ケマコ目当ての初老の婦人客が増えていて、開店早々十名弱が来店していた。


「ケマコちゃ~ん、これの9号ないかしら」と客の婦人が言う。


「あ~、ありますよ!ほらあんた売れたら、出さなきゃダメでしょ。バックヤード行ってきなさいよ」と、ケマコは明るく客に応えながら、三輪を顎で指図している。


「あ、ああ、お客様少々お待ちください。ただいま……」と、言いながら三輪は小走りでに走っていった。


「場所わかる?右下二番目のボックス」「ああ!ありました」


 律子が呆然と見ている間に、婦人客達の買い物は進んでいった。


「ほら、あんたもっと愛想よくしなきゃダメよ、お客さんが喋りにくいでしょー。あれだけの時間で5万もあがるんだから。あと商品の補充なんかはさ、レジやってたら何が減ってるかわかるんだからさ……」


 ケマコはあくまでも明るく三輪にダメ出しをしていく。アパレル製造・販売企業のCITRUSでは、関西の出世頭と言わている三輪が、猫背になってぺこぺこと聞いている。

「それじゃ、陳列覚えながら、並んでいるもの整理して補充しといてよ」


 ケマコは、三輪に指示を出すと、

「いらっしゃいませ~。あ、こないだのカーディガンどうでした?……」と接客に出ていった。


 三輪は、店頭のワゴンを整え始めた。


「あ、あのぉ……三輪さん?」と、律子は恐る恐る三輪の背中に話しかけた。


「は!律っちゃん……」

 三輪は、律子を見つけると、我に返り、ぐったりした様子でその場にしゃがみ込んだ。

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