「あの世」と「寿命」考
森本 晃次
第1話 綾子と裕子
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
――あの世――
その言葉を聞いて、皆はどんな発想を抱くだろうか?
――あの世とは、死んでから行く世界だ――
という発想をほとんどの人が抱くに違いない。
「じゃあ、どんな世界をイメージする?」
と聞かれると、これも言葉にするのは難しいが、誰もが似たイメージを抱くことだろう。ただ、皆がまったく同じイメージというわけではなく、いくつかある中からのイメージになるので、発想が限られているのは確かだろう。
あの世と聞いて抱くイメージで一番大まかなところとしては、
「天国と地獄」
であろう。
限られたイメージのすべてが、この二つに凝縮されるわけで、天国と地獄のどちらをイメージするかによって、その人の性格が分かると言っても過言ではないかも知れない。
天国というとイメージされるのが、蓮の花の咲く池のほとりに佇んでいるお釈迦様という印象が強いことだろう。お釈迦様のイメージも、パンチパーマのおじさんが、耳に黄金のピアスを施していて、黄金の玉座に乗って、背中の奥から後光が差しているというイメージである。
お釈迦様の目は切れ長で、空いているのか閉じているのか微妙な感じの雰囲気を漂わせているイメージだった。
テレビドラマなどで俳優が演じていたり、アニメでのお釈迦様のイメージもおおむね雰囲気に変わりはない。元々のイメージとしては、奈良や鎌倉にある大仏様がモデルになっているのではないかと感じる人も多いだろう。
お釈迦様というと、仏様であり、神様とは別物なのではないかと思う。西洋の神話などで出てくる神とはイメージも違っている。なぜなら神も仏も人間の創造物なので、その国の民族衣装でイメージされるのも当たり前だ、西洋とインドでは明らかに民族の風俗、文化も違っている。イメージも限られているので、日本人が想像するお釈迦様や神話の神様もおのずとその国も民族衣装に近くなるのも当然であろう。
天国のイメージはお釈迦様のイメージしか湧いてこない。西洋の神話の神が出てくることはない。天国と地獄というイメージは仏教世界でしかない発想なのだろうか?
確かに人は死んだからと言って、神の世界に行くという発想はない。完全に人間と神の世界は別物であり、人間が神の世界に入り込むこと自体が罪であるかのごとくの発想である。
しかし、仏教では天国という発想があり、お釈迦様のいる世界を天国、あるいは極楽浄土と呼ぶのだから、死んだ人間が行くところだという発想になるのだろう。
では、西洋で人が死んだらどこに行くというのだろうか?
ピラミッドやミイラの発想としては、死んだ人間はいずれ生き返るという発想があるのかも知れない。ただ、ピラミッドやミイラに関しては、王家と呼ばれる高級階級の人間に限ったことであるから、すべての人間に言えることなのかどうか分からない。
ただ、人間というのは、この世では明らかな身分がハッキリとしている。今の民主主義と言われる世界であっても、人間の格付けは別にして、明らかな差別化が図られているのは確かだった。
意識はしていなくても、どうしようもないことなのが、貧富の差である。権利や義務が比較的自由な国ほど、貧富の差は激しいのではないだろうか。自由ということは競争も自由ということである。人が集まればそこで生活する以上、起こってしまう競争は避けて通ることのできないものだ。当然お金を持っている人間が、持っていない人間を雇うという構図が出来上がり、雇われた方はお金を貰うという関係上、雇い主に逆らえないところがある。古代では奴隷という制度が公然と存在し、インドでは身分制度が現在も存続している次第だ。
だからこそ、神や仏にすがりたいという風潮になるのだろう。特に原因不明の疫病が流行ったり、自然の猛威から、農作物に恵まれない年があると、飢饉が流行し、人がたくさん犠牲になる。そんな世情が乱れると、原因が定かではないため、人民の不安は神頼みとなるのも仕方のないことだろう。それと、死後の世界へのイメージとが結びついて、お釈迦様のいるところを「天国」、「極楽」としてイメージされたのだろう。
考えてみれば、大仏建立も、疫病や施錠の治安の不安定さから生まれたものである。仏教が世の中を救ってくれるという発想からなのか、それとも死んでから天国に行けるようにという発想からなのか、天国の存在はなくてはならないものとなった。
では、地獄というのはどんなものなのだろう?
地獄というのは天国とは正反対の恐ろしいところというイメージである。血の池であったり、針の山であったり、この世では信じられない光景が繰り広げられる。そこにいるのはお釈迦様ではなく、鬼たちである。牙を生やした恐ろしい形相の鬼、ただ面白いのは、鬼もお釈迦様と同じパンチパーマというのを想像すると、なぜか笑えてしまうのだが、藁ってしまうのはさすがに不謹慎なのかも知れない。
鬼を束ねていると思われる、いわゆる地獄の主というのが、閻魔大王と呼ばれる人だ。イメージとしては、なぜか裁判官のイメージなのであるが、それも少し考えれば頷ける。地獄に行った人は閻魔大王の前に引き出され、どうして地獄に来たのかを説明されたうえで、その人の悪行から、どの地獄に行くのかを閻魔大王に結審されることになるからだ。これもあくまでもイメージとして描かれているので、想像だけでは限られているのかも知れない。
閻魔大王の声は完全にエコーが掛かっている。お釈迦様の声もエコーが掛かっているが、お釈迦様は余韻の残る通る声という雰囲気だが、閻魔大王はいかに相手を威嚇するかという意味では絶対的な脅威を持った声ではないだろうか。大王というくらいなので、地獄というところは王国になる。閻魔大王という絶対的な独裁者がいて、地獄にいる鬼は閻魔大王の奴隷なのか、果たしてその関係について考えたことのある人はいるのだろうか。
「地獄の沙汰も金次第」
という言葉がある。
閻魔大王が裁判官だという発想は、この言葉からも分かるというものだ。
――じゃあ、本当に地獄で金って通用するのか?
と考えるが、考えるだけ無駄であった。
この世で使っている金を地獄で使えるはずもない。どんなにこの世でお金を持っている人であっても、あの世に行ってしまうと、最初は皆平等なのだ。
「お金なんてこの世でしか使えないんだから、死ぬ前に使い切ってしまえばいい」
という人もいるだろう。
ただ、昔から言われていることとして、
「六文銭というお金が、三途の川の渡し賃だ」
と言われている。
その発想を家紋として使ったのが、戦国大名の真田家であることは有名な話だ。
そういえば、十年以上前、韓国で問題になったことがあった。
韓国には独自に、
「この世の終わり説」
が存在していて、それを信じている人も結構な数いたことだろう。
「お金を寄付するという善行を行えば、この世が滅んでも天国に行くことができる」
と言って、寄付を募った宗教団体があった。
しかし、実際に滅亡するはずの日を通り越しても、この世が滅びることはなかった。一大決心をして、この世が滅びることを信じて疑わなかった人は、この世がなくならなかったために一文無しになり、それが大きな問題となった。
冷静になって考えれば、寄付を募った人たちも、いくらお金があったとしても、皆滅びるのだから、同じことのはずなのに、それでもお金を募るということは、詐欺ではないかという発想に、どうしてならなかったのかと思えるだろう。それだけ滅亡説を真剣に信じて疑わなかったということであろうし、滅びる以外の発想をすることすら邪道だと感じていたのかも知れない。
天国という発想があるから、地獄がイメージされたのであろうし、地獄という発想があったから天国をイメージしたのかも知れない。極端な片方が存在すれば、どんな社会や発想であっても、そのアンチが存在することは避けて通ることのできないことではないだろうか。
「地獄に行きたくないから、いいことをして天国に行くんだ」
という発想なのか、
「天国に行きたいから、いい行いをするんだ」
という発想なのかでは、イメージできる範囲はかなり違っている。
前者の方が説得力はある。天国と地獄、どちらが最初にイメージされたものなのか分からないが、天国を肯定するなら、地獄も肯定しないわけにはいかない。
「天国と地獄はセットで考えられる」
それはあくまでも、人間にとっての死後の世界の発想だ。
「いい行いをすると天国に行ける」
という発想は、最高のプロパガンダなのかも知れない。
天国と地獄という発想は、しょせん宗教の発想から生まれていると思うと、
――宗教を毛嫌いてしている人は、天国と地獄の発想を信じていないのだろうか?
とも思えるが、決してそんなことはない。
宗教という発想と、天国と地獄という発想は、元々は同じものから端を発しているのかも知れない。しかし、宗教というと胡散臭いものだという印象が強いのは、どうしても、先ほどのこの世の終わりの日の伝説に乗っ取っての詐欺まがいの事件があるからではないだろうか。
さらにいうと、今までの歴史から考えれば、戦争というものの原因のそのほとんどは、宗教問題が絡んでいることが多い。
「宗教というものは、この世で苦しんでいる人を救うというが、元々の発想ではないのだろうか?」
と思えてならない。
しかし、実際には宗教はいくつもの宗派に分かれてしまい、それぞれの覇権を巡って争いが絶えなかった。
「そもそも、宗教に宗派があるというのもおなしいのではないか?」
と思っている人も少なくないだろう。
確かに宗派にもいろいろあり、元は同じものだったにも関わらず、どこかで別れてしまうという発想は、旧約聖書の「べベルの塔」の話にも連想されるものを感じる人もいることだろう。
バベルの塔の話というと、その昔、バビロニアというところに、一人の王がいて、その王の権力は絶大であった。
彼はその権力をひけらかすために、天にも届くようなはるかな高さに聳える塔を建設し始めた。もちろん、それを請け負うのは、王の「所有「する奴隷たちである。
その王は完成した塔で、歓喜のあまり、天に向かって矢を射るという暴挙を行った。
それにより怒りを覚えた神様が、塔を破壊し、人民が共同で作業できないように言葉が通じないようにして、全国各地に散らばらせたという発想である。
それまで、人類は言葉は一つで民族も一緒だったということなのかどうかまでは分からないが、少なくともそう思わせる発想である。
このバベルの塔の話は、通説とはまったく逆の発想をすることもできるのではないかと考える人もいたりする。
話としては、神に近づこうとする暴挙を神は許さないと考えられるが、聖書を編集したのが人間だと考えれば、それだけの発想ではないと思うのも無理もないだろう。
人間の立場から見れば、神に近づこうとした人間の暴挙を許せなかったのではなく、人間の能力が、実際に神に近づくだけのものになってしまったことで、神が焦りを覚えて、
「人間どもが自分たちに近づくという脅威を取り除くためにも、今のうちに神としての力を見せつける必要がある」
と考えたとは言えないだろうか。
それだけ人間は能力を持ったということを言いたいのだろう。
全能の神もが恐れる人間、人間の立場から見れば、そういう理解の方がもっともらしい。しかし、宗教として信じている人がいるのだから、全能の神は全能でなければいけない。そのために、苦肉の策として、このような話を作り上げたとも考えられないだろうか。
いわゆる、
――でっちあげ――
の発想である。
でっちあげだと考えると、奴隷を始めとする人間が、散り散りばらばらになって、言葉も通じなくなったという説明もつく。今のようなたくさんの民族の存在や、文化や風俗、宗教によっての違いから戦争が起こってしまうという理屈が存在すれば、戦争という行為の正当性も説明が可能ではないかとも思えるだろう。
天国と地獄という発想からいろいろな発想が浮かんでくる。
宗教の発想、そして民族の発想、戦争や疫病、それらの社会不安から生まれた宗教や、「あの世」という発想。
一部の宗教の発想として、
「この世では救われない人が、あの世では救われるために信じるものが、宗教である」
というものではないだろうか。
宗教を毛嫌いしている人であっても、この発想のすべてを否定することはできないのではないだろうか。弱者が何かにすがるという考えは、弱い者だからこその発想であり、宗教を毛嫌いしている人のほとんどは、その弱者に入る人に違いない。
この世で、弱者と強者を分けるとすれば、そのほとんどが弱者に相当するに違いない。弱者と強者でその力配分を均等だと考えると圧倒的に少ない強者の力が絶大だと思われがちだ。だから、この世情が不安定になったり、治安や風紀が乱れるのも仕方のないことだろう。
――その力関係に矛盾を感じることで生まれてきたのが宗教という考え方だ――
と考えると、宗教の生まれたいきさつを想像することも不可能ではないかも知れない。
あの世というと宗教だけで考えられているものだけではないことをほとんどの人が考えているかも知れないが、やはりどこかで宗教と結びついていることだろう。それだけこの世での宗教という存在は、意識するしないにかかわらず、生活の中に染みついてしまっているものなのではないだろうか。
あの世についていろいろ考えていく中で、おとぎ話の中に出てくるものもある。
たとえば、極楽浄土という意味では、この世ではありえない幸せな毎日が繰り返されるという意味で、浦島太郎に出てくる竜宮城もその一つではないだろうか。
海底をテーマに繰り広げられているが、明らかに極楽浄土の世界である。浦島太郎がカメの背中に乗って竜宮城に行くという設定になっているが、息継ぎもせずに、どうして行けたのかという疑問もある。
「おとぎ話なのだから、細かいところを詮索しない」
という楽天的な考えもあるだろうが、一度疑問を持ってしまうと、疑問は果てしない無限ループに陥ってしまうような感覚に陥るだろう。
――浦島太郎は疑問に思わなかったのだろうか?
と思ったが、ひょっとすると、楽しみながらでも、ずっと疑問を抱いていたのではないかとも思える。
だからこそ、浦島太郎には時間の感覚がなかったとも考えられなくもない。時間の感覚がなかったのは、楽しくて仕方がなかったからだと思えるが
「好事魔多し」
という言葉もある通り、普通ならおかしな現象が起これば、疑問が消えることはないだろう。
竜宮城ではマインドコントロールが効いていて、浦島太郎だけではなく、それまでにもたくさんの人がカメに連れられて、いや、拉致されて、竜宮城に連行された人はたくさんいたのかも知れない。
――だが、それなら誰とも合わなあったのはおかしい。ひょっとすると、竜宮城という世界は複数あったのではないか?
という考えもありではないか。
浦島太郎もそのことをずっと考えていたとすれば、それは結論の出ないものをずっと考えていることであって、時間の感覚がなくなってしまったのも、無理もないことではないだろうか?
そう考えると、竜宮城は本当に夢の世界だという理屈は、いい悪いどちらにもあり、まるで、
――究極の選択――
ではないかとも思えるのだった。
浦島太郎の話は、腑に落ちないところが多すぎる気がする。
――カメを助けたといういいことをしたのいん、どうして最後は老人にならなければいけないのか?
という疑問が多いのもその一つである。
――浦島太郎という人は、本当にいいことをしたのだろうか?
という疑問から、その時に出てきたカメは、
――本当は悪のエージェントであり、子供たちが苛めていたのも、本当は大人の人が悪人を懲らしめていたのを、おとぎ話らしくごまかして、子供が苛めていたことにして、内容をぼかしていた――
という考えは危険であろうか。
浦島太郎の話を子供が一般的に知らされた話として受け取れば、このような危険な発想が生まれなくもない。だが、本当の浦島太郎の話は続編があると言われている。
もちろん、いろいろな異説もあるのがおとぎ話で、地域地域によって伝わっている話が違っていたりするが、おおむね同じものが多いだろう。一般的に伝わっているのは、御伽草子や歴史上に公認されている書物に乗っている話を元に伝えられたもので、実際に書物通りに教科書や絵本に乗っているかどうかは、はなはだ疑問である。
浦島太郎の話として伝わっている本当のものとして一番信憑性のある話としては、浦島太郎がカメを助けて竜宮城に行き、数日を夢のような日々として過ごしたが、
「そろそろ帰りたい」
という話を乙姫様にすると、乙姫様から玉手箱を貰って、
「開けてはいけない」
と念を押されて、元の世界に戻った。
すると、そこは自分の知らない世界になっていたということであるが、真説としては、それは七百年後の世界であるということである。
当然、人間の寿命が五十歳か、そのプラスアルファくらいの時代に、七百年などという数字は天文学的な数字だったことだろう。
そこで浦島太郎は玉手箱を開けた。
伝わっている話としては、老人になってしまうというものだが、本当は浦島太郎は弦になったというものが真説だった。
どうして乙姫が玉手箱を渡したのかというと、乙姫は浦島太郎に恋をしてしまい、元の世界に戻りたいという浦島太郎の気持ちを無視できないというジレンマに陥った結果、浦島太郎を鶴にして、さらに自分がカメになって地上に行き、そこで永年を幸せに過ごしたというのが、真説だとされている。
「鶴は千年、カメは万年」
という言葉が示すとおり、鶴亀は長寿の守り神として信じられている。そこから考えられた話がこの浦島太郎の話ではないかとされているが、それなのに、現在伝わっている話の結末がまったく違っている。
話としては、
「開けてはいけない」
という約束を浦島太郎がたがえたことで、その罰を受けるというものだったようだ。
「開けてはいけない」
という禁を破って、主人公が不幸になるという話は、おとぎ話としては定番である。
それなのに、なぜわざわざ同じような結末をたくさん作る必要があったのかということを考えると、
――本当の結末が違っていた――
という考えも十分にありではないかと考えられる。
おとぎ話というのは、えてしてこんなものなのかも知れない。時代の途中で話を曲げられたものもあると言えないだろうか。伝えられているものが本当にそうなのか、おとぎ話自体が本当に教訓のようなものだとは言えないとも考えられる。
――そもそも教訓って何だろう?
と考える人もいるだろう。
おとぎ話として残っているが百あるとすれば、同じ書物に記載されている話は、五百だったり千だったりするかも知れない。教訓として教科書や絵本に載せられるものが百しかなかったから、
――百がすべてだ――
と思わされているだけなのかも知れない。
ただ、数が多ければいいというものではない。どうしても話のパターンは限られている。教訓と一口に言っても、教育上の観点から、
――子供に理解できるもの――
という前提があれば、おとぎ話というのは、かなり限られてくるだろう。
「開けてはいけない」
と言われたものを開けてしまったという話が一般的に多いのはそのせいもあることだろう。
中にはもっと生々しいものや、残虐な話もあるはずだ。それでもおとぎ話として残すためには、ラストを変えてしまうというのも無理のないことだと考えると、実際にどこまでを信じていいのか、分からなくなるだろう。
――そういう意味でも、おとぎ話というのは、子供だけの世界なんだ――
とも言えなくもないだろう。
大人になって、よこしまな社会の事情をいろいろと知ってしまうと、おとぎ話を歪んだ発想で見るかも知れない。そうなれば、せっかくの教訓として残してきたものが、変わってしまうのはまずいだろう。特に今の世の中、ネットなどの普及で、絶えず不特定多数の人の意見を聞けるようになっている。歪んだ考え方に対してさらに歪んだ考え方をする人がいれば、話の元々がなんだったのか、分からなくなるだろう。
おとぎ話の中で出てくる。たくさんの、
――極楽浄土――
あるいは、
――地獄のような世界――
そこには、宗教で信じられているものがそのまま描かれている。
浦島太郎の話以外にも極楽浄土を描いたものも少なくはなく、地獄絵図を描いたものもあったように思う。
ただ、いろいろ考えていると、いくつかの結論が出てくる中で、面白いと考えられる結論が、
――あの世とは言い伝えられているものだけではないのではないだろうか?
というものであった。
三原綾子という女性がいるが、彼女はそのことを実は子供の頃から考えていた。
小学生の頃友達に、
「あの世って、天国と地獄があるって言われているけど、どうしてそれだけだっていうのかしらね?」
と聞いたことがあった。
友達もいきなりそんな質問をされて困惑したようで、
「そりゃあ、そう言われているから、そうなんじゃないの?」
と答えた。
もちろん、綾子はそんな答えを期待しているわけではなかったが、
――どうせ、答えは決まっているわよね――
と感じ、答えに対して苛立ちはなかった。
ただ、
――質問した自分がバカだったんだわ――
と考えたが、その気持ちが顔に出たのか、質問された方は、いかにも苦虫を噛み潰したような嫌な表情になった。
ただ、文句は言わなかったが、その視線の痛みは十分に感じられた。
――そんな顔するんだったら、聞かなければいいのに――
と、友達は感じたことだろう。
その頃から綾子は、
――私はすぐに感情が顔に出てしまうんだわ――
と感じた。
その頃からまわりにはなるべく質問しないようにした。自分が質問をしたいと思った時というのは、よほど気になることがある時だったはずなのに、しかもそれをいきなり前兆もなくするのだから、相手が戸惑うのも当たり前のことだった。
だが、綾子とすれば、
――よほどのことがなければしないのに――
という思いがあるにも関わらず、した質問にまともな答えが返ってこないこと、そしてしたことによって、相手も自分もどちらもぎこちなくなって、不愉快な気分に陥ってしまうことを考えると、
――本当に何も言えなくなってしまう――
と考えるようになった。
その考えが綾子を孤立にした。
子供の頃から、本当に喋らない子だった。
中学になっても人と話をすることもなく、一人で孤独に過ごしていた。綾子はそれを嫌だとは思わなかった。
――一人でいろいろ考えるから、それでいいんだわ――
と考えていたが、これは決して他の人と交わることのできない言い訳ではなく、本心からそう考えていた。
中学を卒業するまでは、言葉というものが怖くて、文章を読むことも大嫌いだった。国語という学問は大嫌いで、作文や読書感想文など、特に嫌いだった。
――文章を読むのが嫌いなのに、書けるわけがない――
と考えていたが、中学の卒業文集を作るということになり、綾子は前から考えていた、あの世の不思議について論文のようなものを書いた。
これは友達に質問したことに対して、
――自分が相手の立場だったら、どう答えるだろう?
という目線に立って、書かれたものだった。
それを読んだ国語の先生から、
「三原さんの発想ってすごいわね。先生、感動しちゃったわよ」
と、当時の女性の先生がそう言った。
「これは男性の目線からでは少し違う発想になるかも知れないわね、きっと私だから、ここまで感動したのかも知れないけど、三原さんの発想は、文章作法をもう少し身につければ、文筆業で生きていくこともできるくらいのものになるかも知れないわね」
と言われた。
先生から褒められることはもちろん、何かの助言も受けたことのない綾子はビックリした。
まずは、先生が自分に興味を持ってくれたことが嬉しかったし、文章というこれからの自分の道筋にきっかけを与えてくれそうなことに感動したのだ。
綾子は、先生のその話の言葉を頭に止めていた、高校生になっても、誰にも言わずにいろいろな文章を書いてきた。論文のようなものもあったし、まったくのフィクションの小説を書いたりもした。小説は恋愛ものだったり、ミステリーだったりいろいろだが、自分に才能があるとまでは感じなかったが、書いていて面白く感じるようになったのは、事実である。
その頃から綾子は、
――男性と女性の目線の違い――
という意識を持つようになっていた。
中学の国語の先生から言われて気付くようになったのだが、その頃まで綾子は男性を別の人種のように感じていた。
思春期になれば、男性を意識してしまうことで、男性を別の生き物のように感じるようになるとは聞いたことがあったが、綾子の発想は、それとはまた違っていたように思う。人に聞いたわけではないので、違うと一言で言っても、どのように違うのかということまでは分かるわけではなかった。ただ、他の人が感じているのは自分が考えていることよりも、かなり軽薄なもののように感じられるのだった。
軽薄という言葉の根拠がどこにあるのかまではハッキリとは分からないが、言葉数の多さが軽薄さと比例しているように思えた。ベラベラと喋る人の言葉には、重みは感じられない。それが綾子の軽薄という言葉の基準だった。
思春期になれば、両極端であることは感じていた。軽薄と思えるほどまわりの人と喋りまくる人、
「箸が転んでも笑う」
と言われる年齢であることも分かっていた。
しかし、綾子はそんな喋りまくる人の影で、まったく誰とも話さずにいる人もいることを無視できなかった。しかも、そんな無口な人にも二種類いる。ひとつは下を向いて顔を上げることもなく、完全に自分の殻に閉じこもっている人、そしてもうひとつは、鋭い視線を誰彼ともなく浴びせている人、誰を見ているのか分からないが、視線はしっかりしていて、うつろな雰囲気を微塵も感じさせない。綾子はそんな人を気持ち悪いと感じるようになっていた。
――私はどの部類に入るんだろう?
喋りまくる人ではないことは確かであり、無口な部類に入るのは間違いない。
だからと言って、下ばかりを向いているわけではない。ただ、時々気が付けば下を向いていることがあるのは分かっていた。そんな時、ハッとしてそれまで何を考えていたのか忘れてしまうのだった。
何かを考えていたのは確かだと思う。ボーっとしている時ほど、綾子は何かを考えているのだと自分で思っていた。
そもそも綾子は絶えず何かを考えている方だと思っている。その時、下を向いているように思えないのは、考え事をしている状況を思い出した時、目の前に何かの光景が浮かんでくるからだった。
――考えながら、目の前の光景を記憶に焼き付けているんだ――
と思うことで、考え事をするのも悪くないことだと思うようになっていた。
それでも、ふと気が付くと我に返ってしまう。そしてそれまで考えていたことを忘れてしまっていた。ただ、本当に忘れてしまっているのかどうか、自分でも分からない。ひょっとすると記憶の奥に封印されているだけなのかも知れない。
「綾子がボーっとしている姿を見るの。私嫌いじゃないよ」
と、高校生になって友達になった女の子から言われたことがあった。
彼女は名前を生田裕子と言った。
裕子は、無口なタイプの女の子で、どちらかというと、まわりの視線をいつも気にしている女の子だった。そのため、視線が知らず知らずに鋭くなり、いつも誰かを凝視しているように見えていた。
「でも、別に誰かを気にして見つめているわけじゃないの。視線の先に誰かがいるというだけで、その人は気を悪くするかも知れないけど、睨みつけているわけじゃないの」
と、裕子は言っていた。
言い訳にも聞えなくもないが、綾子は言い訳だとは思えなかった。
「私にも似たようなところがあるかも知れないわ」
本心では人を睨みつけるようなところはないと思っているが、似たようなところという意味が睨みつけているところではないということを裕子が分かっているのかどうか、綾子には分からなかった。
裕子が見つめている相手は、いつも男性だった。そのせいもあって、裕子はまわりの人から、
「男の気を引きたいのかしら?」
と陰口を叩かれていたが、本人は知っていて、意識をしていないふりをしていた。
実際に見ていると、本当に気にしていないかのようだった。言いたい人には言わせておけばいいとでも言いたいのか、それほど大したことではないと思っているようだった。
「綾子には、潔さを感じるの。まるで男性のようなところがあるんじゃないかって思うくらいなの」
と裕子に言われたが、それはあまり気持ちのいいものではなく、複雑な心境だった。
「そう? 私はそんな気はしないわよ」
と、怪訝な表情で、自分の気持ちを表に出した。
裕子に対しては自分の気持ちを表に出すことで仲が険悪になるという気はしなかった。むしろお互いに隠し事をした方が余計な気を遣わせてしまうようで、自分が嫌な人間になってしまいそうで嫌だった。
「私が、綾子を男性のようにと言ったのは、別に男の人を意識しているわけじゃないの。私は男の人が基本的には好きじゃない。でも、オトコを意識していないわけではないのよ」
という裕子に対して、
「どういうこと?」
と綾子は聞いてみた。
正直何を言いたいのか、よく分からなかったからだ。ただ、イメージ的なものは頭の中にあり、その理由を聞いても別にビックリはしないような気がしていた。
「私はね。元々男女という種類が人間にあるというのがよく分からないの。もちろん、男女の種別は人間だけではなく、すべての動物、さらには植物にもあることなので摂理としては当たり前のことだと思うんだけど、どうして肉体的なものだけでなく、精神的にもまったく違う種別があるのか分からないのよね」
と裕子は言った。
確かに男女の違いに関しては生理学的に説明はできるかも知れないが、根本的な疑問にはどう答えていいのか分からない。
たとえば算数を考えれば分かりやすい。
「算数や数学って、公式に当て嵌めて考えれば分かりやすいものなので、それを覚えておけば応用が利くという意味で、それほど難しい学問ではないと思う」
と中学時代の先生が言っていた。
先生の話に対して少し疑問を感じた綾子は、放課後先生にその疑問をぶつけてみたことがあった。
「確かに公式を用いれば難しくはないんでしょうけど、理解するという意味ではどこまでが数学の領域なのか疑問なんですよ」
という綾子の話に、
「どういうことなの?」
「数学の元になっている算数という学問で、最初に習うのは、一足一は二というのが基本になっているでしょう? でも、それをどうやって証明するのかって考えたことがありますか? 一番最初にその疑問を感じなかった人はスムーズに算数に入って行けるんでしょうけど、そこで疑問を感じ、理解できないと感じた人は、それ以上先には進めないと思うんですよ」
「三原さんはそうだったの?」
と聞かれて、
「ええ、そうでした。だから、三年生の途中くらいまで、算数はまったくできませんでした。先生からいろいろ聞かれたんですが、その時は基本の基本が分かっていないという話はできませんでした」
「どうして?」
「だって、答えは決まっていると思ったんです。どうせ、そんなことは当たり前のことでしょう? って言われると思ったんです」
「なるほど」
と言って、先生は考え込んだ。
「確かにその通りね。先生もそこまで考えたことはなかったわ」
と、難しい顔になっていた。
「先生は、先生になるくらいだから、ずっと成績もよくて、算数を最初から好きだったんでしょうね。だから、最初に躓いた人間の気持ちは分からないかも知れないわね」
というと、
「そんなことはないわよ。先生もその時々でいろいろ悩んだりした。壁のようなものがあって、先生にはそれが壁に見えたのよ」
というと、
「そうなんですね。私も基本の疑問が解けたわけではないんですが、先生のように壁のようなものを感じた時、自分の悩みが解消されるような気がしたんです。そのおかげで、私は算数を分かるようになったんですよ」
「そうなのね。今のあなたの数学の成績は、悪い方ではない。だからまさか最初に躓いていたなんて思いもしなかったわ」
「誰にでも悩みはあるということなんでしょうね。先生にもあったと思いますが」
「そうね。私もたくさんあった気がする。でもさっき言ったように、壁が見えると、何となくだけど乗り越えられるような気がするのよ。それは私だけのことではないと思っていたけど、実際にこんな話をできる人が現れるとは思ってもいなかった。しかも、それが自分の生徒だと思うと、先生冥利に尽きる気がするわ」
と言って、先生はニッコリと笑っていた。
綾子はその時のことを思い出しながら、裕子の話を聞いていた。
「最初に感じた疑問って、そう簡単には解けるものではないと思うの。でも、それを感じるか感じないかは人それぞれなんだろうけど、感じることは決して悪いことではないと思うのよ」
と綾子は言った。
「その通りよね。私は男の人が本当は嫌いなんだけど、最初は毛嫌いしているという感じじゃなかったの。小学生の頃は、男の子ともいっぱい遊んだからね。でもある日突然、見るのも嫌になった。生理的に受け付けないというか、何を感じてそう思うようになったのかよく分からないのよ」
という裕子を見て、
「お父さんの影響ってなかったの?」
という綾子に裕子は頭を傾げて聞き直した。
「お父さん?」
「ええ、一番身近な男性というと、肉親だと思うのよね。父親だったり、男兄弟だったりが影響していると考えるのが一番自然なのかと思ってね」
「確かにお父さんの存在は私にとって微妙な感じがしたわ。子供の頃はあまり意識していなかったんだけど、お父さんは、私を子供の頃のまま相手していたような気がするの。それがいつの間にか鬱陶しく感じられるようになって、父親をまともに見れなくなったように思えたわ」
「きっとそれが原因なのかも知れないわね。でも、それはあくまでも原因の一つであってそれだけではないような気がするの。それは私にも言えることなんだけど、私も男性を必要以上に意識するようになったのは感じているわ。ただ、それを思春期だからというだけの理由で片づけたくないという思いがあるのも事実なのよ」
「肉親は他人とは違うということ?」
「ええ、その通り。何といっても血が繋がっているわけだからね」
「血の繋がりって何なの?」
「遺伝子やDNAの関係といわば説明が付くんでしょうけど、それを裕子に話してもうわべだけの話に聞こえてしまうんでしょうね」
「きっとそうだと思う。頭では理解できるかも知れないんだけど、生理的なところで納得できないところがあるの」
「そうよね。理解するということと、納得するということでは天地ほどの違いがあるのかも知れないわね」
「説明する方にはちょっとした違いであっても、説明を受ける方にとっては、本当に距離の隔たりを感じるんでしょうね」
「そこには、結界があるのかも知れないわね」
「結界?」
「ええ、結界とは、超えることのできない壁のこと。しかも、その壁が見えないので、そこから先に進めないことで、目の前に壁があるということすら分かっていない。だから焦りを呼ぶ。焦りが生じれば、結界はさらに太くなり、しかもその人の頭の中から消えることのないものとして残ってしまうような気がするのよね」
綾子は、今までにも結界について考えたことはあったが、あくまでも一人で考えていること。しかも、誰かと結界について話をすることがあるなど、考えたこともなかった。
ただ、その相手が裕子であるということが嬉しかった。もし他の人が相手だったら、
――考えていることから先のことを話せるはずがなかった――
と感じた。
「ねえ、綾子。私は綾子と話をしていると、考えていたこと以上のことを口走ってしまうような気がするの。綾子はどう?」
と聞かれて、
「まさに私も今同じことを考えていたのよ。これを以心伝心っていうのかしらね?」
というと、
「それ以上かも知れないわよ。ひょっとして夢を共有できるくらいの仲なのかも知れないわね」
と裕子は言った。
その言葉に嬉しさを感じ、もっといろいろな話を裕子とできるのではないかと感じたのだ。
「ところで綾子は夢に対してどんなイメージを持っているの?」
と裕子が話を変えてきた。
ただ、話としては繋がっているようなものだったので、綾子には裕子が唐突に話を変えたとは思っていない。自分も時々唐突とも思えるような話の変化を求めることがあり、自分では話を変えたという意識はないのだが、相手が少しビックリしているかのような雰囲気を醸し出すと、してやったりという悪戯心が芽生えてきて、楽しい気分になることもあるくらいだった。
「私の考えは、他の人から聞いた話の受け売りなんだけど、夢というのは潜在意識が見せるものだって考えているのよ」
という綾子に対して、
「それは本当に一般的な考え方よね。でもそれは私も異論がないわ。でも、本当にそれだけなのかしらね?」
「というと?」
「それだけでは説明がつかないと思うのよ。確かに夢を見ていると、自分で理解できないことは起こりえないとは思うんだけど、それはただの思い込みなのかも知れないとも感じるの」
それは、綾子にも言えることだった。
「いくら夢の中だとはいえ、万能というわけではないということよね。たとえば空を飛びたいと感じたとして、もしそれが夢だと自分で意識できていたとしても、飛ぶことはできないものね。むしろ、夢だという意識があった場合の方が飛べない気がするわ」
「そうよね、空を飛べないということを感じた時点で、これが夢だって気付くこともあるわよね。まるで逆も真なりという理屈を感じさせるわ」
裕子の話を聞いて、綾子は何度も頷いた。
「空を飛びたいという願望を、自分が本当に普段から感じているかということよね、普段は絶対にできないと思っているから、空を飛びたいとは思わないのだって思っていたのよ。だからそこに願望という意識はない。あるとすれば、意識を超越した何かが存在していないといけないと思うのよ」
「意識を超越?」
「ええ、時々無意識に何かを考えていることがあるでしょう? そんな時って、願望なのかって考えたことがあるんだけど、我に返るとその時に何を考えていたのか覚えていないのよ。それって夢を見ている感覚に似ている感じがしない? 我に返るのと、夢から覚める感覚が似ているというか……」
と綾子が言うと、
「我に返る時って、まわりを意識してしまうよね。でも夢から覚める時って、完全に自分の世界なだけで、まわりを意識していないように思うの」
「それはまわりに誰がいても関係がないということ?」
「というよりも、まずは自分を戻すことが先決だと思うというべきなのかしら? 夢というのはそういう意味では、どこかまったく違う世界、あるいは次元なんだって思うのよね」
という裕子の言葉を綾子は少し考えながら聞いていた。
「私も夢というのは、別の世界だったり次元だったりなんだって思うのよね。でも今改まって言われると、別の世界と、別の次元って、どこがどのように違うのかって感じるのよ。夢の話からは少し逸れるかも知れないんだけどね」
という綾子の言葉を聞いて、裕子は少し興奮したような表情になり、
「私もそれはいつも考えていたことなのよ。言葉のニュアンスの違いと言えばそれまでなんだろうって思うんだけど、言葉が違う以上、何か違うだけの設定があるんじゃないかって思うのよね」
と声のトーンも高めに答えた。
「裕子の言う通りなのよ。世界というと、地球上の考えられる広さのマックスなんじゃないかって私は思っているの。だけど、次元はさらにそこから広がった何かを持っているものなんじゃなかとも思うの」
「ということは、世界よりも次元の方が広いということ?」
「一概には言えないんだけど、次元というと、点や線、そして平面、高さが加わって立体となる。さらに時間軸を創造することで四次元の世界への発想が生まれる。でも、世界というと、その中で自分たちが理解している三次元の世界に限った中で、マックスの世界を今知っていると思っているんだけど、さらにそこから広がった別のものがあれば、それを別の世界だっていうんでしょうね」
「でも、その理屈って矛盾しているわよね。マックスが最大だとすれば、それ以上ってありえないことなんじゃないのかしら?」
「そうなのよ。確かにマックスをさらに広げようとすると、そこには別の次元の発想を組み込まないと考えられないでしょう? でも、私たちは一次元、二次元の世界を見ることはできるけど、そこに入り込むことはできない。二次元の世界からこちらの世界に移動することもできない。でも、別の世界という存在は、飛び込むことができるかも知れない世界として考えると、何となくだけど、分かる気がするの」
「綾子のいう別の世界の存在というのは、たとえば?」
「私が今考えられる別の世界というのは、鏡の中の世界なんじゃないかって思っているの。鏡の中は一次元でも二次元でもない。確かに鏡という平面には写っているんだけど、こちらの世界を左右対称に写しているもので、立体感を感じることができるわよね」
「なるほど、私も鏡の中の世界に対しては考えるところがあったけど、次元と世界の違いという意味で意識したことがなかったわ」
「それはそうでしょうね。だって、次元と世界の違いという発想だって、今二人が話をしている中で出てきた発想なんですからね」
そう言って、二人は笑った。
難しい話をしているという雰囲気は二人にはなかったが、まわりから見てどうだっただろう? もっとも二人はまわりを意識などその時は一切していなかった。お互いに考えていることを理論立てて話をしているだけで、一人だけで考えていては思い浮かばなかった発想を相手にされることで、さらに進まなかった発想が進んでいくことが嬉しくて仕方がなかった。その時、二人の間に時間の感覚はなく、完全にマヒしていた。それこそ、二人の話をしている、
「別の世界」
を形成していたとは言えないだろうか。
そのことは裕子は意識していたが、綾子は意識していなかった。二人とも深くいろいろ考えるところは似ていたが、綾子は天然なところがあり、それだけに余計なわだかまりがない分、発想が豊かだった。裕子の場合はどこか自分を抑えるところがあったので、そういう意味では発想も抑え気味である。こうやって会話をしていて発想がどんどん発展していくことを余計に嬉しく感じていたのは、裕子の方だったに違いない。
「ところで鏡の世界なんだけど、それを別の次元だという発想にはならなかったの?」
と裕子が聞くと、
「そう思った時もあったのよ。でもね、鏡は一個だけ見ているだけでは疑問にあまり感じないでしょう? 改まって考えれば。これほど興味深いものはないのに、一つだけだとあまり意識しない。意識しないように仕向けられているのかも知れないんだけどね。でも、鏡を自分の前後や左右に置いた時、自分の姿が無限に写っていくのを感じたことあるでしょう?」
「ええ」
「私も最初に感じた時は、衝撃的だったと思っている。それがいつだったのかと言われると覚えていないんだけど、その衝撃に輪を掛けたのが、遊園地で入ったミラーハウスだったのよ」
と綾子は遠い目で言った。
「ミラーハウスには私は入ったことがないの。テレビのミステリーで見たことはあったけど、確かにあれは気味が悪いわね」
と裕子が言った。
裕子は子供の頃から、ミーハーは嫌いだった。皆が入ろうというものに、あまり興味を抱くことはない、どちらかというと天邪鬼的なところがある変わった女の子だった。そのおかげでいろいろな発想ができるのだと自分で感じているので、天邪鬼でもいいと自分に言い聞かせていたのだ。
そういう意味で、綾子と友達になったのも必然だったのかも知れない。元々は綾子から声を掛けてくれたのだが、綾子には裕子の他の人にない魅力が見えたようだった。
「ミラーハウスもそうなんだけど、鏡が複数になると、一つでは考えられなかったことが一気に噴き出してくる。その時に一つの鏡を思い返した時、初めて感じる鏡というものへの興味深さを考えると、複数の鏡に感じた誰もが感じる不思議な状況よりも、さらに興味深いように思ったわ。だからね、鏡は単独では何も起こらない。そう思うと、違う次元ではなく、次元は同じだと思ったの。でも、明らかに自分たちの世界とは違う。そう思うことで、鏡の世界が別の世界だって感じたのよ」
という綾子の説明は、裕子には理解できた。
「私はね、鏡って一つでも結構面白いと思うのよ」
と裕子が言った。
「というと?」
「鏡って、写った相手は左右対称でしょう? でも、どうして上下対称ではないのかしらね?」
という裕子の話にまた綾子は興奮した。
「そうなのよ。私もそれがずっと疑問だったんだけど、心理学的な発想なのかしらね?」
「理由はあるらしいんだけど、私が敢えてその理由を調べたりはしなかったの。答えとしては説があるのでしょうけど、私は私なりに結論を見つけたいと想っているよね。見つけたとことで、説を調べてみたいと思うの。おかしいかしら?」
「そんなことはないわ。私も同じように感じていることってあるもの。なるべく答えを見ずに、自分だけの発想を組み立ててみたいと思うのは、裕子だけの思いではないと思うわ」
と綾子が言った。
「じゃあ、夢の世界というのは、どっちなのかしらね?」
と裕子が話を元に戻した。
「私は、今の鏡の世界の発想を踏まえて考えると、夢の世界は別の次元だと思っているの」
「というのは?」
「夢って、本当にその人だけのものなのかしらね?」
「どういうこと?」
「夢は人それぞれ見るもので、それはいわゆる生活の一部のようなものよね。夢の中にたとえば他の人が出てきても、その人は夢を見ている人が作り出した幻影でしかない。また夢というのは、その中でもう一人の自分を作り出すこともできるでしょう? 私は今までにもう一人の自分が出てきたことを何度か感じているの。どうして感じるかというと、自分が出てくる夢が一番怖い夢だって感覚があるからなのよね。もう一人の自分にはすべてを見透かされているようで、しかも、もう一人の自分が表情を変えることはないの。じっと私を見つめていて、何を考えているのか分からない。自分のことが分からないということほど恐ろしいことはないということをいまさらながらに感じさせられた気がして怖いのよ」
裕子は、まくしたてるように話す綾子に少し恐怖を感じたが、いつの間にか自分も綾子の話に引き込まれているのを感じると、感じた恐怖は綾子にではなく、自分に対してなのだということに気が付いた。
「私は夢は誰かと共有できるものなんじゃないかって感じたことがあったわ。夢を見ても目が覚めるにしたがって忘れてしまうので、その確証はほとんどないんだけど、忘れてしまっていくということは、覚えていられると何か困ることがあるからなんじゃないかって思えてくる。天邪鬼なんだけどね」
と言って裕子は笑ったが、裕子が自分のことを天邪鬼だと感じていることを分かっている綾子にとって、笑いごとではないと感じ、笑うことはできなかった。
だが、綾子にも裕子ほどではないが、天邪鬼なところはあった。
――人と同じでは嫌だ――
と絶えず自分に言い聞かせていた。
裕子も同じ発想を持っていたが、この発想に関しては綾子の方が頻繁に感じていた。特に裕子以外の人といる時、絶えず考えている。なるべく人と関わりたくないオーラをまわりにまき散らしているのは、裕子だけではなく、まわりの誰もが感じていることだった。
綾子はそんな思いを隠そうとは思わない。人に知らしめることを恥ずかしいと感じる人もいるだろうが、そんな人に限って、
――まわりに自分のことを分かってもらいたい――
と思っているのだから、それこそ矛盾した考えではないか。
綾子は、まわりの人を見ていると、
――矛盾だらけじゃないか――
と感じていた。
矛盾を一つでも感じると、その人を信用できなくなるのが綾子だったが、実は裕子に対しての矛盾が一番多く感じている。しかし、裕子に関しては、自分と二人でいることで、二人の発想が無限にも広がっていくのではないかと感じるようになったことで、それ以外の少々のことは、大したことではないように感じるのだった。
――深く込み入った話をするには、相手は裕子でしかありえない――
と思うようになった。
裕子も同じことを感じてくれていると綾子は思っている。二人の話が飛躍していくたびに、自分たちが次第に別の世界か、あるいは別の次元を見つけられるような気もしていた。ただ、見つけた世界をすぐに忘れてしまうのではないかという思いも若干あって、見つけることで、二人の関係はマックスになってしまい、そこから先は発展性がないことで、一緒にいる意義がなくなってしまうのではないかという思いもないわけではなかった。その思いはお互いに持っていて、どちらの方が強いかというと、どうやら裕子の方に強そうな気がした。それだけ避けて通ることのできない結界を、裕子は持っているからではないだろうか。
夢の共有については、綾子も考えたことがあった。誰かが自分の夢に入り込んでいたり、自分が人の夢に入り込んでいるという発想である。しかし、どちらの夢が強いのだろうか? それによって、自分が主人公なのか、脇役なのかが違ってくる。
――夢には、主役や脇役なんて考え方自体、不要なのかも知れない――
考えているうちにそんな結論に達したことがあった。
ただ、この考えが結論なのかというのも怪しいもので、本当の結論はもっと先の方にあるもので、気付いていないだけなのではないかと思うと、夢には何か無限の可能性があるのではないかと思うようになった。
夢を見る時というのは、どういう時なのか。たとえば身体が疲れている時によく見ると言われることもあるし、精神的に何か気になることがあれば、それが夢となって現れることがあるという。
そういえば、夢遊病というものがあるという。実際には見たこともなければ、身近に夢遊病の人がいるなど聞いたこともない。昔は結構いたという話も聞いたことがあり、最近ではなかなか聞かない。
――ということは、夢遊病になるには、それなりの時代背景のようなものがあるんじゃないかしら?
そう思うと、肉体的な面よりも精神的な面で夢遊病になりやすい時代があるのではないだろうか。夢遊病が遺伝によるものだとすれば、また考え方は違ってくるのだろうが、もし遺伝性のあるものだとしても、すべての人が遺伝からくるものだとは言えないだろう。実際に最近は聞かないのだから、遺伝性があったとしても、その確率は低いのではないかと思われる、
夢遊病の人をテーマにした小説を読んだことがあった。あれはミステリーだったが、夢遊病になる人の定義として、
「何か気になることがあって、それを確認したくて、夜歩いた」
という説明になっていた。
しかし、少しおかしいようにも思う。夢遊病の人というのは、無意識に歩いているのであって、本当に前が見えているのかどうか疑わしいものだ。それなのに、どこかにぶつかったり、ひっくり返ったりもせずに、目的の場所まで辿り着けているのだ。小説だからなのかも知れないが、本当に夢遊病という病気が存在し、夜歩く人がいるのだとすれば、無事に済む可能性というのがそれほど高いとは思われない。もし事故などが起こったとすれば、それなりに重大な事象として検討されるべきであって、社会問題としても取り上げられるべきであろう。それがないということは、それだけ事故の数が少ないということであり、その理由としては、夢遊病患者が絶対的に少ないということを示しているのだろう。
裕子と夢遊病についても話をしてみた。
「確かに綾子の発想に間違いはないと思うんだけど、私は少し違った考えを持っているのよ」
「どういうこと?」
「普通の夢だって、目が覚めるにしたがって忘れていくものだって私は思うんだけど、夢遊病も夢の一つだと考えると、まさに夜歩いている時に意識がないわけではなくて、目が覚める時に普通の夢のように忘れてしまっているだけなんじゃないかって考える方が、よほどありえることではないかって思うのよ」
綾子は、まだよく分からなかった。
「というと?」
と聞いてみると、
「だからね。夢遊病だと思っているけど、本当は意識もしっかりしているんじゃないかって思うの。ただ、本人の中でそれを夢だと思い込んでいるので、目が覚めるにしたがってその時の記憶がなくなってしまっているだけだってね」
という裕子の意見に対して、
「ということは、夢遊病だと思っているのは、普通に夢を見ているようなものだっていうこと?」
「そうじゃないかな? だから実際には見えていて、意識もしっかりしているんだから、どこかにぶつかることもない。ただまわりから見ていると、夜中に一人で徘徊しているんだから、十分怪しいわよね。それを何かの病気なんじゃないかということで、夢遊病という病名をつけて、あたかも病気のようにしているだけなんじゃないかって思うの」
「じゃあ、最近、夢遊病という言葉をあまり聞かなくなったのは?」
「ひょっとすると、これを病気ではないという研究結果が出ていて、それが学者や医者の間で浸透したことで、誰も話題にしなくなったのかも知れないわね。これはあくまで私の考えでしかないんだけどね」
綾子は裕子のこの話に納得できるものを感じた。
「なかなか裕子は斬新な考え方ができるのね」
別に皮肉のつもりはなかったが、ひょっとすると皮肉に聞こえたかも知れない。
「そうでもないわよ。考え方を少し変えればいくらでも発想は浮かんでくるものじゃないかしら? 人と同じ考え方をしても、面白くもなんともないじゃない。それは綾子だって同じだって思うの。だから私は天邪鬼だって言われても別に気にしないし、却って嬉しいくらいなの。それだけ他の人にはない発想を抱く力を持っていて、他人も無意識にそれを認めているということでしょうからね」
裕子の言葉には少し棘があったが、綾子は気にすることはなかった。綾子は少し天然なところがあると言われるが、それは相手が皮肉を込めた言葉に対して、案外と気にすることなくスルーすることが多いからだった。
それは綾子の性格の特徴でもあり、自分でも分かっているつもりだった。そんな性格を綾子は嫌いではない。だから天然と言われて困惑する表情は見せるが、決して嫌だとは思っていなかった。
「夢の共有の話なんだけどね」
夢遊病の話が一段落した時、裕子からそう言われた。
「ええ」
「私は夢の共有と夢遊病というのはどこかで結びついているような気がするのよ」
「どういうこと?」
「夢の共有というのは、自分が誰かの夢に出ているという発想と、誰かが自分の夢に入り込んでいるという発想との二つがあると思うんだけど、綾子はどう感じる?」
「ええ、私も同じ感覚を持っているんだけど、それって分かるものでもないと思うので、私は人が自分の夢に入り込んでいると思うようにしているのよ」
「どうして決めつけるの?」
「だって、決めつけないと気になってしまって、夢を共有しているという意識のまま夢から覚めるのが怖い気がして」
「というと、綾子は夢を共有したまま夢から覚めると、夢の世界から抜けられないかのような気分でいるということ?」
「そうね。ハッキリそうだとは言えないんだけど、それに近い発想をしていると言えるかも知れないわね」
「夢の世界から抜けられなくなるという発想は私の中にはなかったので、私にとっては新鮮な気がするわ。でも、夢の世界から抜けられないとすると、綾子はどうなると思っているの?」
「この間の話のね、夢の世界が別の世界であったり、次元であったりという考えに乗っ取って考えると、夢というのは、別の次元なんじゃないかって思うの。夢というのは、色も匂いもなく、ただ映像として残っているように思うの。それは二次元のイメージでしょう? それに時系列もまったくあってないようなものだし、そう思うと、四次元の発想にもなる。実際に同じ場所にいるはずなのに、姿を見ることができない。場所は同じでも別の空間というものが存在するというのが四次元という発想であれば、夢は別次元だと思えなくもないでしょう?」
「でも、綾子は夢というのは、潜在意識が見せるものだって言っていたので、限界があるんだって言ってなかった?」
「ええ、その考えも変わっていないわ。むしろ、夢に対しての考え方としての基本線は潜在意識なのよ。でも逆の発想としてその潜在意識自体が別次元のものだとすれば、夢を別次元のものだって考えることもできるんじゃない?」
「ということは、気付いていないだけということ?」
「ええ、そういうこと。さっきの四次元の発想のように、同じ場所にいても、違う空間が存在しているというようなイメージね。その発想をできるようになってから、私は夢を別次元のものだって考えられるようになったの」
「さっきの、夢の世界から抜けられないというのは、別次元だから抜けられないという発想よね。じゃあ、夢の世界に眠っている時に簡単に入れるというのは、どう説明できるのかしら?」
「夢の世界を必要以上に別の世界であったり次元であったりと思わないことだって思うの。確かに結界のようなものが存在し、入ることのできないのが普通なんだって思うんだけど、いつ、いかなる時でも、入ることは可能だと思えば、難しくはない考えだって思うの。ただ、夢の世界に入り込むにしても、いくつかの段階を踏まないと辿り着けないものなんじゃないかって思うんだけどね」
「確かに、そう考えれば目が覚めるにしたがって夢を忘れている時、夢を忘れているという感覚がある時、いくつかの段階を感じているような気がするわ。忘れるということは、ひょっとするといくつもの段階が必要なのかも知れないわね」
という裕子の意見に対し、
「そうなのよ。夢に限らず、何かを忘れるという感覚は普通一つの段階しかないように思っているけど、実際にはいくつかの段階を踏んでいるのかも知れないわね」
と綾子が答えたが、
「でも、忘れるということは一気にだったり、いきなりということはないと思うわよ」
と裕子は言った。
ただ、裕子はこの意見を口にした時、綾子の表情を盗み見るような感覚になっていた。自分で言ったことではあるが、それは相手を試すかのような感覚になっていたのだろう。
「もちろん、そうなんだけど、私の考えている段階というのは、一気にだったり、いきなりという発想に結びつくものではないのよ。そういう感覚的なものというよりも、もっと理論的に説明できそうなことなんだけど、口で説明しようとすると難しい気がするの」
「というと?」
「口で説明すると、きっと誤解を受けてしまいそうに感じるのよ。うまく説明できない自分が悪いんだけど」
という綾子に対し裕子は、
「そんなことはないわ。私も理論的なことこそ、口で説明する時結構気を遣っている気がするもの。逆に気を遣わない方が、幸せなのかも知れないけどね」
「知らぬが仏ということ?」
「それもありなんじゃないかって思うの」
「ところで、さっきの段階という意味なんだけど、私の意識としては、おとぎ話の『わらしべ長者』のような発想ではないかって思うんだけど?」
と裕子がいうと、
「それは『風が吹けば桶屋が儲かる』的な発想ということ?」
「ええ、そう。つまりね、段階というのはステップアップを伴うもので、ただこの場合の段階にはループ性がある気がするの」
「というと、最終的には元の場所に戻ってくるということ?」
「ええ、でもそれが最終段階なのかどうかは分からない。もしそれが最終段階だということになるのなら、発想が元に戻ってきたということを意識できた時だって思うの」
「じゃあ、人によって、あるいは、場合によって違いが発生すると言いたいの?」
「ええ、この問題って結構デリケートな発想な気がするのよ。自由な発想ができるように思えるんだけど、発想が暴走してしまうと、元に戻ってくることもない。そうなると、段階を重ねるごとに自分の行き着く先を見失ってしまうことになる。普段は無意識に感じていることが感じることができなくなる。さっきの夢の世界から抜けられなくなるという発想は、まさにこのイメージと言ってもいいと思うの」
と裕子が言った。
「なるほど、ここでさっきの話に戻ってきたのね。これだってループよね」
と綾子がいうと、
「ええ、本当は自分でもさっきの話に戻ってくるという思いはなかったのよ。でも同じ発想ができる相手と話をすることで元に戻ってくる確率は上がるような気はしていたわ。だから私は綾子にこの話をしたのかも知れないって今は思っているわ」
それを聞いて、綾子もうんうんと頷いた。
「夢の発想だけでいろいろ考えられると思っていたけど、結局元の場所に戻ってくるというのが、今のところの結論になっているわよね。今から思うと、私もその発想を以前にしていた気がするの。だから、自分ではデジャブを感じているような気がするのよ」
と綾子がいうと、
「デジャブというのも、夢の世界と似たところがあるのかも知れないと思うけど、それはあくまでも遠くから見て近い場所にあるように見えるだけで、実際には遠い存在なのかも知れないと思うわ。満天の星空を見て、隣にある星が本当に近くに感じれらるけど、実際には気が遠くなるくらいに遠いものなんだって思うのと同じ発想なのかも知れないわね」
と裕子が言った。
「星って光が何百年もかかってやっと届く距離なんですもんね。そう思うと、今から比数百年前に光ったものが、やっと今私たちが見ることができるのよね。実際にはもうその星が存在していないかお知れないのにね」
「そう思うと、本当に不思議よね。想像もできないほどの数字のことを、天文学的な数字っていうけど、まさしくその通りよね」
「うんうん、星の世界を考えると、別の世界とか別の次元とか言っている時点で、狭い考えなんじゃないかって感じさせられるわ」
と綾子がいうと、
「そうかしら? 別の次元も別の世界も星の世界も、ひょっとするとすべてがどこかで繋がっているものなのかも知れないわよ」
と裕子がいった。
二人の話は果てしない発想に包まれたまま、お互いを模索するかのように展開していく。ただそこに意識は存在しない。あるとすれば、わらしべ長者になったかのような思いだけだった。
「ところでね。この間、男女について話をしたことがあったでしょう?」
と、裕子が話し始めた。
「ええ」
「私実はね。男の人に対して感じることを、女性にも感じるのよ」
いきなりのカミングアウトだった。
「えええ? それはレズビアンということ?」
と綾子はビックリして言った。
「自分でも最近自覚が芽生えたのでハッキリとは分からなくてね、レズビアンというのがどういうものなのか分からないんだけど、本来男性に感じるような思いを女性に感じるの。いとおしいという感じになるのかしら?」
綾子は少し混乱したが、なるべく他人事のように聞いてみようと思った。その方が冷静に考えることができると思ったからだ。
すると、いろいろ聞いてみたいことが浮かんでくるから不思議だった。
「いとおしいと考えるということは、裕子の方が愛したいと思う感覚なのかしら?」
本当であれば、
「裕子が男役?」
と聞けばいいのだろうが、それではあまりにもリアルで生々しい。言葉を選ぶのも冷静な証拠に思えた。
「そうなのかしらね。女の子を可愛いと感じるのは事実なの。男の子が女の子を可愛いと感じるのって、こんな感じなのかしらね?」
と言った後、苦虫を噛み潰したような、裕子が嫌な表情になったのに気が付いた。
この間の話で裕子は、
「この世に男女の区別があるのが分からない」
というような話をしていたのを思い出した。
裕子の考えの中に、
――男女を超越した別の考えがあるのかも知れない――
と思えた。
「この間、いろいろなお話をした中で、夢について話をしたことがあったでしょう? その時は綾子の話に引っ張られたこともあって、話の中で考えられなかったんだけど、私は今まで見た夢で、男性が出てきた夢ってなかったような気がするの。すべてが女の子しか出てこない世界。それが私にとっての夢の世界だったの」
という裕子に対し、
「でも、それは覚えていないだけで、出てきたのかも知れないわよ」
と綾子がいうと、
「そうかも知れないけど、覚えている夢がすべて女の子しかいないということは、私が意識して夢を消しているということになると思うのよね。夢って潜在意識が見せるものだってこの間も話したでしょう? その延長上に何かがあるとは思うんだけど、でも夢のきっかけはあくまでも潜在意識。だから、もし男の子の夢を覚えていないのだとすれば、そこに私の潜在意識が介在していることは明白なのよね。そう思うと、私は間違いなく女性だけを意識しているということになると思うの」
という裕子の話を聞いて、綾子は少し首を傾げながら、
「私の場合、覚えている夢というのは怖い夢ばかりなの。楽しかった夢を見たという記憶はあるんだけど、そんな時に限って覚えていないのよ。しかも、楽しい夢を見たと感じた時というのは、肝心なところで目が覚めてしまったという苦々しい思いが伴っているの。もう一度夢の続きを見たいって思うんだけど、もちろん、できるはずがない。潜在意識の中に、夢の続きなんか見れっこないという思いが残っているからなんだって思うんだけどね」
裕子はその話を聞いて、
「私も怖い夢、もう一度見たいと思えるような楽しい夢に関していえば、綾子の意見に賛成なのよ。でも、それとこれとは別というか、女性しか出てこないというのは、怖い夢、楽しい夢という段階よりももう一つ前の段階の気がするの」
「ということは、夢にはいくつかの段階があって、裕子のいう女性しか出てこない夢というのは、裕子の夢にとっては大前提になるという考えなのかしら?」
「私は少なくともそう思ってる。そういう意味では夢を見せる潜在意識の大前提は、自分の願望がまず頭にくるんだって思っているの。そう思う方が自然だって思わない?」
という裕子の言葉に、
「確かにそうかも知れないわね。いい夢、悪い夢というのは、夢を見ていて感じることであって、願望というのは、夢がどのような展開を見せるか関係なく、最初のとっかかりであったり、夢を見るきっかけになる出来事なんだって思うと、大前提であるにふさわしいとも思えるわ」
と綾子がいうと、
「綾子の夢は、男性が出てくることが多いの? それとも女性が多いの?」
と言われて、ハッとした自分がいることに綾子は感じた。
「そういえば、どちらが多いというよりも、私の夢に誰かが出てきたという意識はあるんだけど、知り合いが出てくるという意識はあまりないの。まったく知らない人が出てくることが多いんだけど、言われてみれば、その人が男性だったのか女性だったのか、あとから改まって思い出そうとすると、ハッキリと思い出せない気がするわ」
綾子は、裕子を見ることもなく、あらぬ方向を見つめるように話した。それだけ自分の言葉に自信がなかったからだろう。
その思いを裕子も分かっているのか、
「私も夢に出てくる女性は知らない人が多いの。ただ、見たことがないわけではなくて、話をしたことがない人というイメージなんだけどね。夢の中でも何かを話したという記憶は残っているんだけど、それがどんな会話だったのか、覚えていないのよ」
「夢に出てきたのが私だったら、覚えているのかしら?」
という綾子に対して、
「覚えていると思うわ。ただ、それは初めての感覚ではなく、現実世界でも一度味わったことがある内容だって思うことだったらの話なんだけどね」
「それは私も感じる。もし裕子が私の夢に出てきたら、きっと夢の内容を覚えていると思うんだけど、でも、それは以前に感じたことがあるものだっていう意識の元だと思うのね。でも本当にそうなのか分からないの。なぜなら、裕子と一緒にいて、何かの会話をした時、『以前にも同じような会話をした気がするわ』って思うことがあるのよ。まるでデジャブなんだけど、そう思うと私はデジャブに対して、正夢が影響しているんじゃないかって思うようになったのね」
綾子は、デジャブのことはいろいろ考えることがあったが、実はこの話は、たった今思いついたことだった。だが、まるで以前から思っていたことのようにスムーズに話せたこと、これこそ、正夢とデジャブの融合ではないかと思えたのだ。この間も感じたことだが、自分は誰かと話をすることで、会話の中から考えていることを成長させる力があるのではないかと思うようになっていた。相手はいつも裕子なのだが、今までに裕子以外の人と難しい話をしたことはあまりなかった。
――いや、中学の時の先生だけは別だったかな?
数学と算数の話をした時のことを思い出した。
ひょっとすると、あの時に綾子は、会話の中から自分を成長させる力があることにウスウス気付いていたのかも知れない。
ただ、綾子は一人で考えている時、自分の発想を成長させているという感覚があった。考えが飛躍しすぎることが多いので自重していたが、発想の成長を決して悪いことではないと考えると、綾子は考えることをやめる気はサラサラなかった。
一人で考えている時というのは、絶えず誰かに問いかけている感覚でいた。自分の中にいるもう一人の自分が相手なのだろうが、もう一人の自分は自分でありながら、結構反対の意見を示してくれたりする。実際に会話をしているような感覚に陥ることがあるが、気が付けば時間の感覚がマヒしていて、我に返ってしまうと、それまで考えていたことのほとんどを忘れてしまっていることが多い。ただ、考えるきっかけになったことと、最後の結論だけは覚えていて、プロセスが抜けていたりする。だから余計に、
――発想が成長したのではないか?
と感じるのだった。
「裕子は、一人でいろいろ考えたりする方なの?」
という綾子の質問に、
「そうね、考える方かも知れないわね。でも、そんな時、綾子との会話を思い出すことが多いのよ。そして綾子ならどういうんだろう? って感じていると、我に返った時、急に考えていたことの答えが閃いたりするのよ。綾子は私にとって、まるで鏡に映した自分の姿のように感じることがあるの。もちろん、感覚的な問題なんだけどね」
と裕子は言った。
「そうなんだ。私は無理みたい。自分の世界に入り込むと、そこから先は他人の介在を許さないと思っているの。それがいくら親友であったり肉親であったりしてもね」
という綾子に対して、
「綾子は、完全に自分中心の考え方なんだね」
と裕子に言われて、
「そうなのかも知れないわね。でも、悪いことではないと思うのよ」
「もちろん、悪いことではないと思うわ。むしろそれが自然なんじゃないかとも思う。私の方がおかしいのかも知れないわね」
という裕子に対して、皮肉っぽい言い方だったが、綾子は嫌味な気持ちは微塵もなかった。
「自分中心で何が悪いのかって思うのよ。自己満足を悪いことのようにいう人もいるけど、自分が理解できないことを他人ができるわけはないっていうのよね」
綾子は興奮気味にそう言った。
――しまった――
という感覚はあったが、綾子は突っ走ることにした。下手にここでブレーキを掛けてしまうと、お互いにぎこちなくなってしまうように感じたからだ。
「今綾子は、自分が理解できるって言ったでしょう? それは自分が納得できないことをと言い換えた方が、さらに説得力があると思うわ」
と裕子が言ったが、
「確かにその通りね。理解することができても、自分が納得するかどうかは、二の次ですもんね」
「そうじゃないのよ。納得できるから理解できるのよ。それを履き違えている人が多いと思うんだけど、納得することが大切だから、理解するというプロセスを大切にしていると思っているんだろうけど、本当は納得できなければ理解できないという単純な理屈を誤解していることから自己満足に対しても、悪いことのように考えられてしまうんじゃないかって感じるのよ」
裕子の話に綾子はドキッとした。
裕子の話は時々飛躍する。裕子本人は意識していないのだが、綾子は飛躍だと思っている。
「目からウロコが落ちたみたい」
と何度裕子に対して言ったことだろう。
この時もまさにそんな気分だった。
「自己満足って、私は嫌いじゃない。まずはそこからって発想になるからね」
と綾子がいうと、
「でも、それって結局まわりを意識しているということの裏返しにもなるんじゃないかしら?」
と裕子に言われて、
「確かにその通りなんだけど、自分ではまわりを意識しているわけではなく、もう一人の自分を意識していると思っているの。鏡に映る自分であったり、夢の中で出てくるであろうもう一人の自分のことね」
「綾子は、そのもう一人の自分の存在を本当に信じているの?」
と言われて、ドキッとした。
「信じているというよりも、もう一人の自分がいることで、自分の中で納得できることが多いような気がするの」
と綾子がいうと、
「それは直接的な考えというよりも、間接的な感がだって思えそうよね」
「確かにその通り。でも、見たことのない何かの存在を信じようとすると、間接的にでも自分を納得させられないとできないことでしょう?」
「そこに無理があるとは思わないの?」
裕子にそう言われて、
「何が言いたいの?」
綾子は、裕子を見つめた。
「どうも綾子はもう一人の自分という存在を意識しすぎて、本来の自分を見失いかけているような気がして仕方がないの。私ももう一人の自分の存在を否定したりはしないと思うんだけど、必要以上に意識することはないと思うの。綾子がそこまで意識するということは、無意識なのかも知れないけど、心のどこかでそのもう一人の自分を怖がっているんじゃないかって思うのよ」
まさにその通りだった。
今まで見た覚えている夢の中で、一番怖かったと感じるのは、
――もう一人の自分がいたような気がする――
というものだった。
それまで怖いとは思っていなかったはずの夢の中で、最後の瞬間に出てきたもう一人の自分のおかげで、一気に恐怖へと夢が変貌してしまった。だから感覚的にだが、
――もう一人の自分が出てきた夢が一番怖い夢として意識している――
と感じたのだ。
――待って? もう一人の自分の存在を信じていても、それが本当に自分なのかという疑問は残るわ――
と綾子は感じた。
ひょっとすると、男性なのかも知れないというおかしな、いや捻じれた感覚に気持ち悪ささえ伴っているように思えた。
綾子は決して自分がレズビアンというわけではないが、時々女性の指を意識してしまうことがある。気が付けば話をしていて相手の指先が気になってしまうのだが、
――それは相手が裕子だったからなのかも知れない――
と思うと、裕子がカミングアウトして自分がレズビアンであると告白してくれたからだけではなかったような気がする。
綾子は今までに男性と付き合ったこともあったが、最終的にはいつも綾子が愛想を尽かせていた。相手の性格はいつも共通していて、綾子自身、トラウマになってしまうほどの性癖の持ち主だったのだ。
綾子は自分から付き合ってほしいと思うほどの男性に、今までは出会ったことがない。今まで付き合った、いや、相手はそう思っているかも知れないが、綾子自身付き合ったと認められないものを含めても、そのすべては相手から付き合ってほしいと願われるものばかりだった。
その性癖とは、いくつかあるのだが、一つは気の弱いタイプの男性だった。
ただ気が弱いだけではなく、いかにも自分に自信がなさそうに、いつも背筋を曲げていて、こちらを見る目も下から見上げるような目線だった。自分の何に自信がないのか分からないところが、一緒にいて次第にイライラさせられるものだった。
自信のなさは態度だけではなく、言動にもあった。自分から話題を振ることはなく、すべて相手任せである。自分なりに意見を持っているようにも思えたが、決してそれを口にするわけではない。
「ねえ、ちゃんと自分で何を考えているか分かってるの?」
と言っても、相手は恐縮するだけで何も言わない。
綾子も相手が男性であれば、よほどのことがなければ、相手に苦言を呈することはない。男性に対して敬意を表しているというのもあるし、相手に言いやすい環境を作ってあげるのが女性としての務めだという、少し古臭い考えを持っていたからだ。
それでも自分の考えを言わない相手に愛想を尽かせるまでには一気に行かない自分の気の長さを不思議に感じるくらいだった。
――私に付き合ってほしいというだけの度胸があるはずなのに、どうして付き合い始めるとこうなのかしら?
と思ったが、きっとまわりから見ている綾子と、実際に付き合い始めると違って見えるからなのではないだろうか。
綾子はギリギリまでは我慢できるが、いったん我慢ができなくなると、自分を抑えることができなくなるのを分かっていた。
――私も女なんだわ――
と感じるのはこの時で、こんな性格が女性ならではだということを分かっているつもりだった。
だが、綾子と付き合っている男性にもう一つの共通点があった。それは相手が潔癖症であるということである。いつもマイ箸だったり、マイストローだったりを持ち歩いている。人が自分の身体に触ったというだけで、いちいちウエットタオルと取り出して、必死になって拭く姿を見ていると、何とも言えない気分にさせられる。
一緒にいることが恥ずかしくなるくらいで、最初は黙っていたが、どうしても一言苦言を呈しなければ我慢できなくなる。
「もういい加減にしてよ」
その言葉には明らかな棘があり、面倒くさそうな言い方は、他の人であれば、怒りをあらわにするのではないかと思えるのに、付き合っている男は恐縮してしまい、何も言えなくなってしまう。自分で殻を作ってしまって、二人の間に瞬間壁ができてしまうと、綾子は自分が一人取り残された気分にさせられる。
――何よ。これじゃあ、まるで自分が悪者になったみたいじゃないの――
と感じる。
相手の非を指摘しただけなのに、こんなに空気が凍ってしまう雰囲気を作ってしまったのがあたかも綾子であるかのように見ていると、まわりの視線を感じるのだった。
――きっと、ヒステリーな女だって思っているに違いないわ――
まわりの視線にそう感じさせられる。
綾子は自己嫌悪に陥る状況に追い込まれ、自分が悪くないと思いながらも、次第にこの状況を招いたのは自分であることを自覚してくると、もう抗うことができなくなってしまった。
そんな綾子を救ってくれる人は誰もいない。当の本人は指摘されたことで萎縮してしまい、完全に自分の殻に閉じこもってしまって、自分のことだけで精一杯になっている。
――何よ。そんなの卑怯じゃない。私だけを悪者にすることしかありえない状況をいったい誰が作ったのよ――
確かに綾子が言葉を発したことでできてしまった状況だが、それは綾子が望んだことではない。
――我慢できなくて指摘しただけなのに、こんな状況に追い込まれるなんて、完全にこの男の確信犯でしかないわ――
としか思えなかった。
綾子は逃げ出したい状況に追い込まれたのだが、身体が動いてくれない。完全に凍り付いてしまったまわりの雰囲気に自分が飲まれてしまったのを感じていた。
綾子の堪忍袋が切れてしまったとすれば、この時だっただろう。だが、この時には自分の堪忍袋が切れてしまったことに気付かない。気付かないので、相手に別れを告げた時も、綾子は自分の中に少しだけ後ろめたさがあった。
本当は啖呵を切って別れてもいいくらいなのに、自分にも悪いところがあるかのように相手に別れを告げる。相手はまるで分かっていたかのように、抗うこともなく別れを受け入れているようだったが、それもまた綾子に苛立ちをもたらせた。
――なんで、こんなにアッサリなの? 私のことが好きで付き合ってほしいって言ったんじゃないの?
と思い、やるるせない気分にさせられる。
別れを告げて、抵抗もなく別れられるのであれば、それが一番ベストなはずなのに、どうにも釈然としない気分にさせられる。まるで自分が悪いことをしているかのような後ろめたさを感じさせられる。
そんな時、
――私は、どうしてこの人を許せないと感じたんだろう?
と考えてしまう。
明らかに我慢できずに苦言を呈したあの時に間違いないはずなのに、綾子は堪忍袋が切れた瞬間を覚えていないのだ。
その時には、
――ブッツン――
という音をハッキリと聞いたはずだったのに、その音の感覚すら耳の奥に残っていないのだ。
円満に近い形で別れたはずなのに、どこかに違和感がある。そんな別れを何度経験したことだろう。
――私が男性をお付き合いなんて、できっこないんだわ――
と別れてからはしばらく感じていた。
しかし、我に返って落ち着いてみると、
――私が付き合うことになる男性が、今までロクな相手ではなかっただけなんだわ――
と開き直りの気分になる。
確かにそんな男性ばかりではないはずである。しかし、肝心なことは少なくとも今までに自分に告白してきた男性は、臆病で潔癖症の男性ばかりだったという事実である。これから先、それ以外の男性に告白を受ける可能性は、本当にあるのだろうか? そのことを敢えて考えないようにしていた綾子だった。
これはポジティブに考えているわけでも、楽天的な考えでもない。自虐になる一歩手前の状況であることに綾子は気付いていた。一歩踏み出せば自分が他の男性から告白される状況にはないことは分かりそうなものだ。考え方を減算法にするのか、加算法にするのかで違ってくるのだろう。
今までの綾子は、加算法が多かった。何もないところから新たに組み立てていくことが好きだと思っていた綾子には、妄想癖があるのだろう。夢に見たことは思い出そうとしても思い出せないので、自分で妄想してしまったり、あの世のことを考えてしまうのも、そんな加算法な考えが功を奏しているのではないかと思うのだった。
しかし、それは幻想的なことへの憧れのようなものであって、現実世界の出来ごとであれば、それは減算法でしかありえない。百から次第に一つずつ減って行って、やっと納得のいくところで落ち着くことになる。
――だけど、納得のいくところを見つけることができないと、どうなってしまうのだろう?
と綾子は考えることもあった。
――ゼロになるまで考えるんだろうか?
と思ったが、綾子の中で、ゼロという発想もありえなかった。
――限りなくゼロに近いもので落ち着くんじゃないかしら?
と思うと、自分の前後、あるいは左右に置いた鏡の中に見えている自分の無限ループが想像できた。
どんどん、自分の姿が小さくなってくるが、決して消えてしまうことはないはずだ。それを思うと、これこそ、
――限りなくゼロに近いもの――
と言えるのではないかと考えていた。
これも綾子の独創的な発想である。決して他の人ではこんな想像ができるはずはないという思いがあり、これが、
――私は他の人と同じでは嫌だ――
という気持ちにさせられる要因だと思っている。
綾子は付き合った男性とは、別れたことによって、彼らを否定することはできなかった。むしろ、
――あなたたちの性癖は、私が認めてあげるわ――
と思っていた。
付き合っていることで当事者としては我慢できないが、一歩下がった感覚で見る分には抵抗がなかった。だから綾子は別れた男性たちとは、それからも友達の関係でいることができる。それは憎み合って別れたからではないという思いと、やはり相手との最適な距離というのを自覚できるようになったからだと思っている。
綾子は人間関係において、自分が男性よりも女性の方が付き合いやすいと思うようになったのはこの頃だったが、実はその考えが間違っていることに気付いたのは、やはり別れた男性たちと友達として付き合っていけるようになったからであろう。
別れた男性たちと、友達付き合いをしていると裕子に話した時、
「へえ、そうなんだ。綾子らしいわね」
と言われた。
その言葉に抑揚がなければ、まるで他人事のように聞こえるかも知れないが、綾子には決して裕子が他人事のような気持ちで話しているわけではないことは分かっていた。
「そう言ってくれるのは裕子だけだわ」
と言ったが、それを見て裕子はニッコリと笑った。
「そんなことはないわ。皆そう思っているわよ」
とでも言われれば、それは社交辞令でしかないことを綾子は分かっていた。そんな社交辞令は綾子には不要だった。逆に社交辞令などを交えられると、せっかくの関係も凍り付いてしまうことを分かっていた。
綾子はなぜか同性の友達がほしいとは思わなかった。もし、最初に友達になったのが裕子でなければ、他にも同性の友達を何人か作っていたかも知れない。だが、他に友達ができたとして、裕子ほどたくさんの話ができるような関係になれるとは思えなかった。
それでも一度他に友達を作ろうとしたことがあった。裕子と仲良くなりかけた頃であったが、友達になろうとしたその人を見ていると、
――どこか物足りない気がする――
と感じるようになった。
その思いを相手は悟ったのか、相手の方から避けるようになった。
最初はどうしてそんな関係になってしまうのか分からなかったが、考えているうちにその理由が分かってきた。
――私の中で、無意識に裕子とその人を比較してしまっていたんだわ――
冷静に考えれば、すぐに分かることだった。それなのに気付かなかったのは、自分の中で、
――相手を誰かと比較することはタブーなんだわ――
という意識があったからだ。
そんな意識を持っている自分が、まさか無意識に誰かと誰かを比較するなどありえないと思っていた。そのことに気が付いた時、最初はいつものようにまずは自己嫌悪に陥るのではないかと思ったが、そんなことはなかった。だた、無意識だったことに対して、その理由を考えようとするのだが、どうしても分からないことに憤りを感じる自分がいた。そして、こんな憤りを感じさせた原因が、
――女の子だったら、仲良くなれると思った――
と感じたことであると理解した時、納得はできないが、自分が裕子以外の女の子と仲良くなりたいなど思ってはいけないのだと思うのだった。
またしても、理解はできるが納得のいかないことにぶつかった。綾子はこれからどれほど同じような気分になってしまうのか、ずっとそのことが頭から離れないのではないかと思うようになっていた。
――無意識って、自分に都合のいいことなのか、それとも都合の悪いことなのか、どっちなんだろう?
と考えるようになっていた。
無意識の中には、
――知らぬが仏――
と思えることもあるが、それだけではないような気がする。綾子はその答え
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