この世界で君を待つ
城門有美
真っ白な世界
真っ白な世界で君を待つ
白い、何もない真っ白な場所。あの頃も今も何も変わらないこの場所に、わたしは今日も座り続けている。
窓から見える景色は四季の移り変わりによって色を変える。
桜の色、新緑の色、晴れ渡った空の色、夕暮れの色、雪の色。シトシトと降り続ける雨の中、少しずつ変わりゆく景色の色をぼんやり眺めながらわたしはここに座っている。
あの頃のように、この場所を温かな色に染めてくれる彼女を待ち焦がれながら。
「うっわ。幽霊かと思った」
「……それはこっちの台詞だけど」
彼女との初めての会話はたしかそんな感じだったように思う。一人になれる場所を探して彷徨っていたところ辿り着いたのがここだったのだとか。
あまり覚えていないのは、それから毎日のように彼女に会ってお喋りをし、思い出が次々と作られていったから。
彼女はよく笑い、よく喋った。
わたしも彼女といるときだけはよく笑い、よく喋っていたのだろう。わたしが喋ると彼女が嬉しそうに笑ってくれた。それが嬉しかったから。
彼女はよく喋ったが自分のことは話さなかった。だけど時折見せる表情からきっと何か大きな悩みを抱えているのだろうことは予想がついた。
そうでもなければこんな場所に現れたりはしない。
だってここは……。
「なんかさ、ここはいいね」
わたしと並んで座り、彼女が息を吐きながらそう言ったのは窓から見える景色が新緑の色だった頃。その日は景色の色を薄く濁らせる雨が降っていた。
「なにがいいの? 今日とか雨降っててジメってるけど」
「たしかに」
わたしの言葉に彼女は頷き「でも」と息を吐くようにして続けた。
「何もないから」
横目で見た彼女は窓の向こう、どこか遠くを見つめているようだった。
ふわりと湿った風が入り込んで緑と雨の香りを運んでくる。わたしはしばらく彼女を見つめると「何もないかな」と呟いた。
彼女は「ないよ、何も」と答えるとわたしの肩に寄りかかってくる。
「ここには何もない。ここからは綺麗な景色しか見えない」
「わたしは?」
「あんたは……。んー、なんだろう」
「景色の一部?」
景色しか見えない。そう言っていたのだからきっとそうなのだろう。そう思って聞いた言葉に彼女は「景色ではないかな」と笑った。首元に微かに彼女の息遣いを感じる。
「だって景色はこんなに温かくない」
肩に感じる彼女の重み。触れ合った部分から伝わってくる彼女の体温は心地良く温かい。
「じゃあ、君もわたしにとっては景色じゃないね」
「そう?」
「うん。この場所で、君だけが温かいから」
わたしだけしかいなかった真っ白なこの場所で、彼女だけが温かな色を与えてくれる。だから彼女は景色の一部ではありえない。
「じゃあ、わたしはあんたにとって何?」
「何だろう……」
「答えなよ」
「――どうしたの」
「なにが」
「今日の君、なんか変」
いつもはもっとくだらないことを話して、笑って、たまにわたしのことをいじって、そして気が済んだらあっさり帰ってしまう。またね、と言って。それなのに今日の彼女は変だ。
寄り添うように体重を預けてくるくせに、どこか苛立っているように見える。それなのに表情はとても儚く、悲しそうだ。
「いつもと一緒だよ」
わたしに寄りかかったまま、シトシトと降り続ける雨模様の景色を見つめながら彼女は言う。
「あんたは?」
「わたし?」
「いつまでいつもと一緒でいるの?」
言われた言葉の意味がわからず、わたしはただ無言で景色を見つめた。
「……あんた、いつからここにいるの?」
「さあ」
そんなこと覚えてなどいない。気づけばわたしはここにいた。
「どこから来てるの?」
「そんなの決まってる」
「どこ?」
「家だよ」
「家はどこ?」
「家は……」
どこだっただろう。よく思い出せない。しかし、不思議とそれがおかしいことだとは思わない。家がどこにあろうが関係ない。だってわたしはここにいるのだから。
「変だよ、あんた」
そう言った彼女はなぜか笑っていた。哀れむように微笑んだ彼女は身体を起こすとわたしを見つめてくる。その瞳が涙に濡れていることに気づき、わたしは眉を寄せた。
「悲しいの?」
「違う」
「でも泣いてる」
「嬉しいからだよ」
「悲しそうなのに?」
わたしが首を傾げると彼女は瞳から涙を零した。そして両手を広げてわたしの身体を包み込む。
「誰のせいだよ」
耳元で囁くように言った彼女の声は優しく、震えていた。
温かな彼女の体温と共に彼女の香りが鼻をくすぐる。なんだか懐かしい気持ちになるのはなぜだろう。
「……どこかで、会った?」
「はあ? 会ってんじゃん。今までもずっと」
「そうだね――」
たしかにそうだ。ではこの懐かしさは何だろう。毎日のように会っているのに、どうして懐かしいなんて思うのだろう。
不思議に思っていると背中に回された彼女の腕が強くわたしを抱きしめた。
「やっぱりあったかいね。あんたは」
「君もね。それに、なんだか懐かしい匂いがする」
わたしの言葉に彼女は何も答えない。代わりのように震えた吐息が首元を掠めた。
「やっぱり今日の君は変だよ」
「――わたしが変、か」
少しの沈黙のあと彼女はそう言うと身体を離した。涙に濡れた瞳で微笑みながら。その表情はとても優しくて綺麗。
「あんた、名前は?」
名前、とわたしはオウム返しにくり返す。名前なんて必要ではなかった。だって彼女が来るまで、ここにはわたししかいなかったのだから。
答えないでいると彼女は微笑んだまま首を傾げた。
「わたしの名前は聞いてくれないの?」
「だって、君は君だから」
他の何者でもない。彼女は彼女だ。名前なんて必要ない。
彼女は「そっか」と軽く息を吐いた。
「そういうところはあんたなんだね」
「え……?」
「なんでもない」
彼女は俯きながら言うと、よっこらせと声を出しながら立ち上がった。
「――年寄りくさい」
「うっさい」
彼女は笑うと大きく伸びをして窓の向こうへ視線を向ける。
「まだ降るかな」
「この時期はよく降るから」
「……雨、好き?」
「嫌いじゃない」
わたしも窓の向こうへ視線を移しながら答えた。
雨の香りは嫌いじゃない。この香りもまた、どこか懐かしい気持ちになるから。
「そっか」
声と共に頭に柔らかな手の平がふわりと乗せられた。
「なに?」
彼女を見上げながらわたしは首を傾げる。彼女はじっとわたしを見つめると「うん」と微笑んだ。
「今日はもう帰るわ」
「そう」
「また、ね」
頭に乗せられていた彼女の手がそっと離れる。そして彼女は消えていった。いつものように、真っ白な世界に溶け込むようにして。
「またね」
彼女がいた場所に手を振り、わたしは呟く。いつものように。
しかし、それきり彼女が現れることはなかった。
あれからどれだけの時間が過ぎただろう。窓から見える景色は少しずつ移り変わる。彼女がいたときと同じように。しかし、あれからずっと雨が降り続いている。
雨は嫌いじゃない。この香りが彼女の存在を思い出させてくれるから。だけど逆に彼女がいた頃の景色を忘れそうになる。雨は景色の色を濁らせ続けていた。
だからわたしは彼女を待つのだ。
ここで、いつまでも。
今日もいつものようにこの場所に来ると、白いワンピースの少女が座っていた。そこはいつもわたしが座っている場所。
「うっわ。幽霊かと思った」
少女の後ろからそう声をかける。すると少女は振り向き「……っくりした。それ、こっちの台詞だけど」としかめっ面を浮かべる。わたしは笑いながら彼女の隣に腰を下ろすと他愛もない会話を始めた。
彼女がここにいたとき、わたしにそうしてくれたように。
彼女のことを忘れないために。
だってここはすべてを忘れてしまう真っ白な世界。
すべてが消えてなくなってしまう、そんな世界。
そこでわたしは君を待つ。
君がまたねと言ったから。
少女と話しながら窓の向こうへ視線を向ける。
シトシトと降り続ける雨音に、彼女の声を聞いた気がした。
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