時間差の文明
森本 晃次
第1話 二人の生い立ち
千鶴は、幼馴染の浩平と、一か月ぶりに待ち合わせをしていた。その日は、久しぶりに仕事が忙しい浩平が、時間調整をしてくれて、浩平の方から誘いの電話を入れてくれたのだった。
広告代理店で事務をしている千鶴は、中小企業の営業をしている浩平から見れば、少し見劣りするかも知れないが、千鶴にはそんなことは関係ないと思っていた。浩平もそんなことは気にしてないだろうと千鶴は思っていたが、実際には、少しコンプレックスを感じていたようだ。
千鶴の前ではさすがに浩平も、そんな気持ちを表に出さないようにしていた。誘いを掛けるのも、いつも浩平の方からで、二人が一緒にいる時は、そんなコンプレックスを浩平は表に出さないようにしていた。
千鶴は、すぐに人のことを信用するタイプではないが、浩平のことは、見た目をそのまま信じている。幼馴染というのは、往々にしてそうなのかも知れないが、子供の頃から知っているだけに、疑うことを知らないというのも当然のことなのかも知れない。
浩平も、千鶴にコンプレックスを抱いていたが、それは幼馴染ということで抱いているコンプレックスだ。ただ、それは他の人が相手ではここまで感じないだろうと思うことではあるが、
――千鶴は昔と変わることのない千鶴なんだ――
と、昔のイメージそのままに変わっているはずはないと、自分に言い聞かせていたのである。
千鶴の方にしても同じだった。
浩平とはずっと一緒にいたという意識が強い。中学時代までは、確かにいつもそばにいたが、高校は別々に進学し、そのあたりから、目に見えて二人の距離が広がってきたのだが、高校に進学してからでも、二人は定期的に会っていた。それはデートをしていたというわけではなく、近況を話し合ったり、悩みなどないかなど、相手を気遣う気持ちを持っているからだった。
相手を気遣うというのは、幼馴染としては当然のことだと思っていたのは、二人とも同じだったが、どちらの方が強かったかというと、浩平の方が強かっただろう。誘いを掛けるのはいつも浩平の方で、ただ、気を遣うのはいつも千鶴の方だった。
相手を気遣うというのと、気を遣っているというのとでは、まったく違うものだった。
相手を気遣うのは、男として、まず最初に千鶴のことを考えてのことだった。千鶴が気を遣うのは、浩平に対して、まずは自分のことを考えて、そして、自分の態度が浩平に対して、失礼になっていないかということを考えていた。
ストレスをどちらの方が感じやすいかと言えば、千鶴の方ではないだろうか。
いつも千鶴のことを最初に考えるようにしている浩平だったが、そのことを、意外と気付いていないものだ。千鶴ですら、感じていないことである。千鶴は無意識に感じているストレスは、自分の中に籠めようとしている。それを表から見ていて、しかも、包み込むような感情でいる浩平に、内に籠る感覚を見抜くことは困難だった。
そう、浩平は千鶴に対して気遣っているのは、
――包み込んであげたい――
という気持ちからであった。
それは、抱擁の感覚だった。抱きしめたいという気持ちの表れでもある。しかし、男の浩平が抱擁の気持ちを表すと、それはそのまま身体の関係に結びついてしまいそうな気がして、どうしても気が引けるのだった。
幼馴染というのは、同じ男女であっても、恋人同士というのとは、また違った感覚がある。
恋人同士というのは、どうしても他人という感覚が強いので、気を遣うところから入る。それは手探りで、不安が付きまとっているものであるが、幼馴染というのは、最初から気心が知れている。ひょっとすると、相手を異性として意識していないくらいなのかも知れない。
そう思うと、幼馴染は気が楽なものである。
ただ、浩平と千鶴は、同じ幼馴染でも、お互いに異性として意識している。それがいつ頃のことで、どちらの方が意識するのが早かったのかは、微妙なところだったのではないだろうか。
気持ちの強さもお互いに微妙ではあるが、浩平が定期的に、千鶴と会うようにしている理由の一つとしては、その気持ちを確かめたいという思いが強いことに違いはない。千鶴も浩平のそんな気持ちを知らないのかも知れないが、会えることを素直に喜んでいる。お互いにその日はまるで恋人を会う約束をしているかのように、ドキドキしながら、再会を待ち望んでいるのだった。
前の日から、千鶴はソワソワし始める。特に仕事が終わってからは、浩平に会うまでは自分のプライベートな時間である。仕事のように、誰かに指示されたり、責任を感じながら時間を過ごさなくてもいいから、気が楽であった。
会社で、それほど重要な仕事を任されているわけではないが、責任という言葉が頭につくと、どうしても、神経質になってしまうのが、千鶴の性格だった。
「もっと気楽にやればいいのに」
と、同僚が見て思うくらい、緊張しないでいいところで緊張してしまう。それは千鶴の短所なのだろうが、そんなところを浩平は気に入っていた。
「何事も一生懸命にやるところが、千鶴のいいところだ。俺なんか営業しているといっても、結構いい加減なもんだよ」
と、言っておどけて見せる浩平は、その言葉に偽りはなかった。
「営業社員は、ある程度適当なところがないと、やってられないところがあるからな」
と思っていた。
千鶴は、浩平のその言葉を全面的に、謙遜だと思っている。
――営業社員は、皆緊張の連続で、適当な性格の人では務まらない――
と思っていた。
この違いは、
――営業をした人でなければ分からない――
というのが、本音である。
そう考えると、説得力は浩平の方にあるだろう。精神的に余裕を持っているのは、浩平の方なのかも知れない。
それでも、コンプレックスだけはしょうがないようで、
――千鶴に会社でいい人が現れた時、自分と比較されたらどうしよう?
と、真剣に考えてもいた。
ただ、今、そんなことを考えていても仕方がない。千鶴との時間を大切にしてさえいれば、千鶴が自分以外の男性に惹かれるなどということはないと思うようにしていた。
千鶴と待ち合わせをする前に、なるべく平常心でいたいと思っているのもそのせいである。
千鶴と浩平は、幼稚園の頃から一緒だった。
浩平の後ろをいつも千鶴が追いかけている姿をよく見かけた。
親同士が仲が良かったこともあって、休みの日に遊園地やデパートに出かける時など、親に連れられて、一緒に出掛けていたものだった。
あれは、小学校三年生の頃だっただろうか。浩平が迷子になったことがあった。
「しっかりしていると思っていた浩平ちゃんの方が迷子になるなんて」
と、浩平が見つかった後に、千鶴の母親が、そう呟いた。
いつも浩平の後ろをついて歩いていた千鶴は、子供心に、
――私が一緒にいてあげなかったから、いなくなったんだわ――
と思った。
ちょうどその時、千鶴はトイレに行きたくなり、
「私、おトイレ言ってくる」
と、小声で言ったのだ。
女の子なので、恥かしいという気持ちがあったからなのか、蚊の鳴くような小さい声で呟いた。普段から声が大きい方ではない千鶴なので、
――浩平なら分かってくれる――
とタカをくくっていたのが間違いだった。
千鶴がトイレに入っていたことなど、思いもしなかった浩平は、千鶴が後ろからついてきていると思い込んでいたのに、後ろを向いてみると、千鶴がいない。
焦った浩平は、千鶴を捜し歩いた。その結果、自分が迷子になってしまうことに気付くわけもなく、ひたすら探して見つけることができず、疲れ切っているところを保護されたのだ。
疲れ切っているので、言い訳をする気力もない。また、千鶴が無事だったことで安心したのも事実である。そんな状態で浩平は、結局一人。自分だけが悪者になってしまったのだった。
ただ、その時はそれでいいと思っていたが、自分でも気付かない間にトラウマになっていたようだ。
千鶴にとって浩平がいなくなったことは、自分が悪いという思いもあった。
――あの時、もっと大きな声で言っていれば――
という思いが千鶴の中でトラウマとなった。
だからといって、それから千鶴が大きな声を出すようになったかというと、そうではない。逆に声が出せなくなった。トラウマは自分がしたことへの反省は促しても、それを実行する力にはなってくれない。力になってくれないのだから、却って考え込むことは、自分を卑屈への道に導くことになってしまうのだ。
それでも、二人は、中学までずっと一緒にいた。
勉強の方は、浩平よりも千鶴の方ができた。物静かな千鶴は、その分、一人でコツコツとすることに長けていた。特に勉強は、すればするほど成績がよくなり、目に見えて結果が生まれてくると、これほど面白いことはない。元々勉強が嫌いだったわけではない千鶴が、成績の良さから、まわりの大人が急にちやほやしてくるのを肌で感じていた。
最初はさすがに嬉しくて、有頂天にもなっていたが。ほんの少しでも成績が下がると、困った顔をされてしまう。もし、千鶴が内に籠る性格でなければ、そんなことはないのだろうが、困った顔をされると、
――一体私が何をしたの?
と、まわりの目が自分を追いつめていることに疑問を持ってしまった。
疑問を持つと、なかなか解消しない。
――まわりの期待に応えないといけない――
という思いは、子供の頃よりも強くなった。
子供の頃は、あまり期待されていなかった。むしろ明るい性格の浩平の方が、「大人ウケ」していたことだろう。
千鶴にとって、浩平を男性として見ることができなかったのは。子供の頃にすでに大人ウケしていたのが原因だったに違いない。
浩平は、千鶴のことを子ども扱いにしていた。もちろん、成績は千鶴の方がいいので、まわりからは、千鶴の方が勉強ができる大人のように見られるようになり、立場が逆転してしまっていた。
そんな大人の理屈を一番分かっていたのは浩平だった。だが、浩平は千鶴を子ども扱いにしながらも、自分の成績が悪いことを、結局はうちに籠めてしまって、コンプレックスとして抱え込むようになったのだ。
浩平と千鶴がお互いに今まで、距離を感じずに来られたのは、定期的に会っていたからかも知れない。それぞれにプライベートの時間も子供の頃に比べれば増えたはずだ。特に女性の千鶴のプライベートは男性の浩平のプライベートに比べて当然たくさんあり、気を遣うのは、浩平の方であろう。
ただ、千鶴には浩平に対して負い目があった。
それは小学三年生の頃に浩平を迷子にしてしまったということで、千鶴がそのことに対して何も言わなかったことだ。
一言でも、
「あの時、私がおトイレに行っていたから」
と言っていれば、浩平が千鶴を探すために行方不明になったのであって、決して迷子ではないということを証明できたのだ。
それができなかったために、浩平には、
「小学三年生になっても、遊園地で迷子になった男の子」
としてのレッテルが貼られてしまった。それが成績の悪さとも比例して、
「やっぱりそれだけ頭が悪いんだわ」
と、噂されていても仕方がない状況だった。
しかも、一緒にいる千鶴の成績がいいものだから、さらに比較される。それでも千鶴は自分の成績の良さを自慢できない。自分が胸を張ってしまえば、浩平が余計に惨めになることが分かるからだ。
何とも千鶴にとってはやりきれない気持ちであろうか。まわりからは、
「実におしとやかで、自慢するところもない非の打ちどころのない女の子だ」
ということで、評判は上がるだろうが、本人にはやりきれない気持ちが残ってしまう。このギャップに千鶴が苦しんでいることなど、誰も知らないはずだ。もし、知ることができるとすれば浩平だけだが、逆に浩平には絶対に知られたくないことでもあった。
千鶴と浩平の関係は、二人の絆とは別に、まわりから見ている関係というのは、かなりの開きがある。
「あの二人、いつも一緒にいるけど、不釣合いなんじゃないかしら?」
あるいは、
「千鶴ちゃんは、どうしてあんな男の子と一緒にいるのかしらね?」
という言葉がよく聞かれた。
後者は、特に中学三年生の頃に多く聞かれた言葉だった。
中学一年生の頃までは、本当に子供のようなあどけなさだけしかなかった千鶴だったが、中学二年生になってからというもの、次第に大人の色香が見えるようになってきた。三年生になると、
「女子大生?」
と、街を歩いていると、男性から声を掛けられても不思議がないくらいになっていた。身長も中学二年生くらいから急に伸び始め、一年生の頃に比べると、完全に見違えてしまうほどだった。
それは母親の遺伝かも知れない。
母親も、中学生の頃に急に大人になったようだったと言う話を、中学三年生の頃に、母親方のおばあちゃんから聞かされたことがあった。母親は、
「いやぁね。昔のことよ」
と照れてはいたが、
「やっぱり、お母さんに似たのね」
と、後でこっそり言いに来るところ当たりは、母親としても自慢の娘に育ったと思っているのかも知れない。
しかも、才女とくれば、モテないわけもない。それぞれ違う学校に進学して、千鶴は女子高だったこともあり、近くの男子校の男の子から、彼女たちは注目されていた。
その中でもひときわ目立つのが千鶴だった。同級生の女の子が溜息をつきたくなるほどの雰囲気は、物静かさな性格がさらに引き立てるのだから、世の中分からないものだ。
今までその物静かな性格を短所として、いつも補ってくれていたのが、浩平だった。
さすかに最初はちやほやされて、少し自分を見失いかけた千鶴だったが、浩平に対しての負い目を思い出すと、一人浮かれている気分にはなれなかった。一人舞い上がってしまわなかったのは、ある意味浩平のおかげでもある。やはり、千鶴の頭の中から、浩平を消すことなどできるはずのないのだった。
そんな千鶴に対して、浩平が進学した高校でできた友達から、
「お前、千鶴ちゃんとは幼馴染なんだって?」
と、聞かれて、
「ああ、そうだけど?」
と答えると、紹介してほしいと泣きつかれたことがあった。その友達とは、友達と言っても、親友というわけでもなく、紹介してやる義理などあるわけでもなかった。
「そんなことは自分ですればいいじゃないか」
というと、
「お前冷たいな」
と言われて、そのまま、浩平は学校で、
「友達に、幼馴染を紹介してやらなかった白状者」
という噂がいつの間にか流れてしまった。
噂が流れる時というのはあっという間で、気が付けば、どうしようもないところまで噂が流れていた。
――まあ、いいか――
高校生活がそんなに楽しいわけでもなかったし、元々勉強が好きでもない。そんな浩平は、次第に学校に行かなくなった。
苛められているわけではないので、先生も不思議に思っていたようだが、浩平を説得に来ても、話を聞いているのかどうなのか、まるで空気に話しているような気分になってきた先生は、次第に嫌気が差してきたようだ。
先生も熱血というわけでもない。そんなことは浩平には分かっていることなので、仕事というだけで説得に来ている人の話など、最初から聞く耳を持っているわけもない。お互いにウンザリしながら話をしているのだから、気持ちが通じ合うなど、ありえるはずもなかった。
それでも、二か月ほどで、浩平はフラリと学校にやってきた。それは先生が来なくなって、すぐのことだったので、先生とすれば、まるで当てつけのように思ったかも知れない。ただ、浩平は、意地を張るのに飽きただけだったのだ。
学校に戻ったからと言って、別に何が変わったわけでもない。成績はよくはなかったが、さほど悪いわけではない。進学したのも、かなりランクを下げてのものだったので、少々勉強をしなくても、人から抜かれるというほどではない。とりあえず、浩平は卒業できればよかった。
浩平の学校では、それでも、大学の付属高校ということもあり、推薦で、大学進学もできた。先生のほとんどは、浩平は進学はしないと思っていたのに、三年生になって進路を決める時、
「俺、進学します」
と、いう言葉を聞いて、先生があっけにとられていた。日ごろから進学のことを一切先生に相談もしてこなかったのだ。あっけにとられるのも当然だ。当の本人でさえ、進学することに決めたのは、ごく最近だったからだ。
どっちでもいいと思っていて、決めなければならない時、
――どちらかというと進学――
という気持ちになっただけのことだった。
それでも、大学に入ると、それなりに勉強はした。今さら遅いかも知れないと思いながらも、とりあえず、就職に困らないように勉強ができたのは、よかったことだった。もっとも、大学の勉強が面白かったというよりも、大学に入って友達になったやつが、勉強以外でいろいろなことを知っていたので、彼と話をするには、少しは勉強が必要だった。
――友達と話しができるための勉強なら、それほどきついとは思わない。押しつけでなかったら、勉強するのもいいものだ――
と、感じたものだった。
浩平が学校を卒業する頃には、千鶴の方が、今度は勉強が嫌になっていて、成績はパッとしなくなった。元々、一流大学を目指して、何とか合格したくらいだったので、少しプレッシャーがあったのも当然だ。まわりの友達が結構いろいろな遊びを教えてくれたこともあって、勉強することに飽きてしまったのも仕方がないのかも知れない。
それでも、一流と言われる会社に入社できたのは、よかったというべきか。千鶴は、大学生になってから、ずっとプレッシャーに耐えてきた。そんな中で、遊びを教えられたのだが、そのまま転落人生を歩まなかったのは、時々でも、浩平が訪ねてきてくれたからだった。
浩平には、千鶴のプレッシャーが分からなかったかも知れない。それでも、千鶴にとっては、浩平から誘われることが嬉しかったのだ。
千鶴が教えてもらった遊びの中には、合コンも当然あった。合コンに呼ばれれば、まわりからちやほやされるのは、千鶴であって、それでも、呼んでもらえるのは、千鶴がいないと、花がないからだった。
千鶴は相変わらず大人しい性格なので、自分から話しかけることはない。それだけに、千鶴に話しかけて、無視されたと思っている男性のところに、他の女の子が寄って行けば、うまくいくという可能性も大きい。千鶴がもし、もっと開放的な女の子だったら、そんなに呼ばれることもなかったはずだ。
――こんなことをしていて楽しいのかしら?
と思いながらも、ちやほやされるのは嫌ではなかった。自分から話しかけることはできないが、自分が中心にいるというのは、嫌なことを忘れるには、一番だった。
千鶴は、合コンに呼ばれると、やはり、男性からいろいろ誘いを受けた。それでも誘いに一度も乗らなかったのは、どれだけプレッシャーが掛かっていたとしても、
――一度道を踏み外すと恐ろしい――
という意識を、一番最初に感じたからだ。
もし、最初に流されてしまっていたら、そのままズルズルと、遊びの世界に引き込まれたかも知れない。大人しいだけに、強引な男性もいたり、口八丁手八丁の男性もいる。
ただ、強引な男性には弱いかも知れないが、口八丁手八丁の男性に靡くことはなかったかも知れない。最初が口八丁手八丁の、ナンパな男だったことは、千鶴には幸いした。
浩平は、その時、千鶴のいない大学生活を楽しんでいた。今までは千鶴がいたことに何ら違和感もなかったので、いなくなった時の寂しさがどこから来るのか分からなかった。
そのうちに千鶴がいないことに気付き、その寂しさをどうすればいいのか考えたが、浩平は、それを自分の時間に使うことを考えた。
千鶴がいなくてもいい時間ができることで、千鶴と一緒にいる時間が、今度は新鮮に感じられる。それが、浩平が大学に進学したことで得た一番よかったことだったのも知れない。
それは、「心の余裕」と言ってもいいだろう。友達が歴史が好きなので、歴史の話について行けるように本屋に行って、歴史の本を漁った。
今まで、本屋に行くこともあまりなかった浩平は、空気が通り抜ける音が聞こえるくらいに静かな佇まいの中、本の背を眺めているだけで、まるでインクの匂いが漂っているかのような雰囲気が、好きになった。
本を手に取って開いてみると、先ほど感じたインクの匂いが、嘘でなかったことを知らされて、少し嬉しい気分になれる。店内には、音楽が流れているにも関わらず、本を捲る時に、聞こえてくる紙の音を感じることができ、学校にいる時に、
――もう少し図書館に行ってみてもよかった――
と感じるほどであった。
本が好きになると、今までどれほど自分の気が短かったのかが分かってきた。
小説を読んでいても、セリフだけを斜め読みするようになり、どんな内容なのか分かってもいないのに、読んだ気になってしまっていた。それでは、読書の本当の面白さなど、分かるわけもない。ただ、心の中に、
――千鶴に少しでも追いつきたい――
という気持ちが宿ってきたのは間違いないことだった。
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