ネアの旅

宣野行男

第1話 不思議な列車

 気が付くと列車の中だった。



「ここは……」

 寝ていた少女は意識を取り戻し、ゆっくりと体を起こす。馴染み深い列車という乗り物の中にいると少ししてから気が付く。が、ここの列車そのものに覚えは無い。

 左右の窓際に沿うロングシートの座席に挟まれた、この一両内の通路の只中に少女は横になっていたのだった。

「……」

 立ち上がって辺りを見回してみる。誰も居ない、音もしない。窓の向こうは塗りつぶした様な暗闇で塞がっている。……車内の明かりに照らされて自分の姿が窓面にぼんやりと浮かんでいる。自分が通っている学校の制服を着ている。

 その制服を見ていて自分が今までしてきた事が思い起こされる。


 ――自分は、普通に学校に通っていて。

 ――好きな習字を習っていて。

 ――家族や友達と、少し早いと思いつつも将来について話し合ったり。


 ……学生の自分がどうしてこんな所にいるのだろう、と少女は只そう思った。

 誰かに答えを聞こうと左右を見回すもやはり誰も居そうにない。揺れず音も無く、動くモノの無い、沈静した無機質を思わせる箱の中にいるのだと実感させられる。

 しかし内装からしてここは列車の中だ、とは考える少女。

 十代半ばの今まで使ってきた列車という乗り物の、とある一両の中と頭では認識している。しかし普段のリーマンやら学生やらでごった返す人の営みは感じられない、少女は冷めた空虚な光景にショックを隠せなかった。


 ロングシートが造る奥行きの向こうには扉がある。反対側を向けばそこにも扉がある。

 立っている場所を起点として、何処をどう進めばいいか足を彷徨わせていると何かが足に当たった。

「!」

 サッと足元を見る。自分の愛用の鞄が置いてあった。

 しゃがみこんでその場でチャックを開けて中身を確認する。殆ど無意識の行動だったが、急に見知らぬ所へ居ると気付いたせいか、自分にとって日常と呼べる愛用品は無いかと探した。

 十代半ば辺りの少女が扱うモノは確かに入っていた。それらを順々に見ていって……そうする事で、ここに来る前は普通に学生として生きていた自分だったのだと再確認する。自分のアイデンティティが復帰するのを感じ、それと同時に――。

(ここ、どこなの)

 見覚えのない窓に張り付くようにしている闇。

 誰が座るのか想像出来そうで出来ないロングシート。

 自分というここに似つかわしくないモノが居るというのに、誰も侵入に関して咎めたり問答しようとやってくる者は居ない。

 が、今にも。この一両の両端に付いている扉からその様な人物がやってくるかもしれない。そう思うと開けてみたくあった扉を超えるのに躊躇する。


 ――その様にして。

 周囲の異常も然として実体化したかに感じた。

 蝋燭の光が辺りの闇を濃くするだけの様に、日常も非日常に厚みを持たせただけだった。

「……ふ――」

 落ち着きを少しでも取り戻そうと深呼吸した少女は、鞄のチャックを閉めて肩に鞄の紐をかけつつ立ち上がった。ここでじっとしていても仕方なく、まずはこの一両についている扉を開けてその先を確認してみなくては、と。

 ――。

 まずは一方の端に行って、と考えながら歩き始めた少女はふと横を見た。出入りする為の両開きのドアがある。そういえば電車なら車両の横にも当然ついている筈だと思い直し、それに近づき開けようと力を籠める。

「……っ」

 開かない。

 運転中なのだろうかと思い手を離す。もしもそうなのだとしたら何処に向かって移動しているのだろうと、視線を上に向けつつ想像しながら一両の端に着く。その扉を開けようと力を籠めると……スーーッと開いた。

(中は?)

 はやる気持ちを抑えつつ、すぐに首を突っ込まずに開いた先を確認すると――。


 そこには寝室、シャワーバス、キッチン、トイレといった設備があった。

「……」

 一通り見て回ったが誰も居ない。この様な設備があるからには、列車管理者側は長距離の移動を想定しているのだろうかと考える。今居るこの一両の奥にも扉があったがそこは開かなかった。ここはどこで自分が何故ここにいるのかという情報が明かされる出来事も無く、元居た車両へ戻る。



 ――。

 もう片方の端に行って突き当りの扉も手にかけてみたが開かない。大き目の声を発しながら管理者を呼んでみても返事は無く。只、微動だに感じられない沈黙の車両内の中途で立ち尽くす事になってしまう。

「――ふぅ」

 少女は一旦シートに座る事にした。ただっぴろいスカスカの具合に落ち着かなかった。が、それでも自分で状況把握の為に出来る事はやろうと自分の鞄に目を向ける。

 何故ここにいるのかという自分の状況を確認する為に、肩にかけていた鞄からスマホを取り出した。誰かと連絡を取れればと思ったが。

 ――圏外。

「っ……」

 それを見ると今のここが、自分の日常とは遠く離れた場所なのだと連想してしまった。それでも怯まずに家族や友人とのやり取りを呼び出す。他愛ない、それでいて決して悪いモノではなかった今までの日々が回顧されて仕方がない。


 ――今日の夕飯は何?

 ――友達と寄り道してくる。

 ――娘の成長に合わせて買い物を。

 ――今日は書道家の先生に褒められた。


 ……。

 そんなやり取りから離れたであろうここは何処なんだ。

 そう思ってやはり立ち上がる。何か見落としている事があるかもしれないと、この一両内に隈なく目を走らせようとする。

 と。


「えっ」


 真っ暗闇だった筈の窓の外で何かが横切った。光の粒の様なモノだ。その出入口の窓に駆け寄る。顔を近づけると自分の顔が見えてくる。心細く感じながらも何処か好奇心を滲ませた自分の顔が。

「あっ」

 光の粒が横切った。しかも今度は先程より大きく、それに続いて二つ三つと窓の端から端へと流れ去る。新たな情報源を獲得せんと完全におでこを窓にくっつけて目を見開いた。

 そして――。


「わあっ」

 口を開いて唖然とする少女。窓の外の光景は圧倒してきた。



 ――。



 ――――そこは流星群の最中だった。

 大小様々な星が宇宙の腹と呼べる広大な漆黒の空間を、圧巻の勢いで以て流れていく。



 ……彼女にはそう見えた。

 天の川銀河を、未知の星々が煌めく大宇宙の只中を疾駆しているのがこの列車なのだと。人の心を超えた星の川をかき分けて進むかのように、列車は無数の流れ星の一閃一閃を背後に流し続けているのが両側の窓から見て取れる。



「……はっ、はっ」

 どれくらいそれを見ていただろう。気が付くと短く呼吸をしていた。思考はまったく働かなかった。やがてショウは一段落と言わんばかりに、魅惑の光の粒達は数を徐々に減らし現れなくなった。

 ――。

 元の暗闇の世界が訪れる。

 やがて少女は窓から離れ脱力したようにロングシートに座る。心臓が早鐘を打っている。気を落ち着かせようとも思わずに只体を興奮させるままにした。圧倒的視界からの情報は年頃の少女の全てを置き去りにしたかの如くだった。

 自分は無限思わせる宇宙の中を移動しているのだ。それは何故なのだろうという疑問を中々起こせず、只そう思った。只、――そう思った。


 ……。

 更にどれ程時間が経っただろうか。

 少女は自らが幾らか汗ばんでいるのを自覚し、呼吸も長めになり、血流も落ち着いてきた。深遠で壮大なステージにいるという意識が、心の中に然として存在するのだとどうしようもなく思わせられる。

「――ふ―」

 少女は長めに息を吐いた後、鞄からノートとペンを取り出した。他者からの助言を思い出し、自分の名前を書いてそれと向かい合う事で落ち着きを取り戻そうとする。広げたノートに自分の名前を、まだ完全に冷めやらぬ興奮でペンを持つ手が若干震えつつも書いていく。


 立花明日美たちばなあすみ


「………………うん」

 白紙の真ん中に書かれた自らの姓名を見る。心で見るようにしつつ。確認する様に頷いた。



 彼女を乗せた列車は迷いも無く未知なるくうの中を進んでいった――。

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