3話


 今日は半年に一度の部会という名の飲み会だ。会社の近くの居酒屋はほぼ貸し切り状態。おれが後輩と楽しく喋りながら飲んでると同期の小林がやってきた。


「お疲れ。ちょっといいか?」


「おー小林。どうした? 来週の会議、また変更にでもなった?」


 軽く人払いをしながら小林が隣に座った。空になったおれのグラスにビールを注ぐと少し小声で話し始めた。


「最近リエちゃんとどう? 仲良くしてる?」


 小林は大学も同じで嫁さんのこともよく知っている。


「なんだよ急に。別にケンカとかもしてないし、仲は良いと思うよ」


「そうか……ちょっと言いづらいんだけどさ、先週の日曜日、家族で水族館行ったんだけど、そこでリエちゃんを見かけて。その、なんだ……おれはてっきりおまえと来てるんだと思ってたら――」


「あー田中と一緒だったろ? そうか水族館行ってたんだ。水族館だとおれが喜びそうなお土産はないか」


「えっ!? おまえリエちゃんが田中と一緒にいたってのは知ってたの?」


「うん。直接聞いたわけじゃないけど、たぶんそうだろうなと思ってたよ」


 おれがそう言うと、小林はぐいっとビールを流し込んでカンッとグラスをテーブルに叩きつけた。


「田中の野郎許せねえな! 同僚の奥さんに手出すとか信じらんねぇよ! 前からリエちゃんのこと可愛いって言ってたけど。で? やっぱり離婚か? 慰謝料はがっつり貰えよ」


「は? 離婚なんかしないぞ」


 おれの言葉に小林が目を丸くしてフリーズした。おれって人の動きを止める特殊能力でもあるんかな?


「おまえ本気で言ってんの? ありゃどう見ても浮気だぞ! 手とか繋いでたし、キスもしてたぞ!」


「おいちょっと。 声でけーよ」


 小林が大声を出すもんだから何事かとおれ達に注目が集まった。「失礼しましたー」とおれは頭を掻きながら笑って誤魔化しといた。おれは小林のグラスにビールを注ぎながら言った。


「まぁ落ち着けよ。てかなんでそんなに怒ってんの?」


「当たり前だろ。同僚がおまえの奥さんと浮気してんだぞ。許せるわけねぇよ。田中にはきっちりケジメつけさせろよ」


「ケジメって言われてもなぁ。おれは離婚とか考えてないし……」


 小林は再び驚いた顔でおれを見た。一瞬なにか言おうとしたみたいだが、代わりに「はぁー」と溜息をついて肩を落とした。するとそこへ、同じ部署の後輩の女の子が瓶ビール片手にやってきた。


「先輩方どうしたんですかぁ? お酒は楽しく飲まないとダメですよ~」


 ほらほらと促されるような仕草でそう言われ、おれと小林はグラスを空けた。ニコニコと笑いながらビールを注ぐ彼女を見ながら小林が言った。


「別にケンカとかじゃないからな。こいつが奥さんに浮気されてるのに微妙な態度取るもんだからついな」


「えっ! 先輩浮気されてるんですか!? なんでそんな余裕かましてるんですか!?」


 いや余裕かましてるわけじゃないけど、とおれが言おうとしたら、なにか吹っ切ったのか小林がベラベラと喋り始めた。


「おれらと同期の営業部の田中って知ってるか? あいつがこいつの奥さんと浮気してやがるんだよ」


「えっあの田中さん!? あの人今、私の同期の子と付き合ってますよ! もう婚約もしたって話聞きましたけど……」


 小林が思わずビールを吹き出した。後輩が慌てておしぼりを渡していた。おれはそれを横目で見ながらぼそっと呟いた。


「そりゃその子がかわいそうだなぁ。女の子泣かしちゃダメだよな」


 その言葉で二人が固まる。最近これよく見るな。小林は眉間に皺を寄せ、後輩はなにか得体の知れないものを見るような目をおれに向けた。


「先輩って……奥さんのことそんなに好きじゃないとかですか?」


「いやいや何言ってんだ! おれはちゃんと嫁さんのことは愛してるぞ」


 疑惑の眼差しを向けられなぜか動揺してしまった。なんてことを言うんだまったく。


「その、嫉妬とかはないんですか? 浮気ってことは他の男性とその……関係を持ってるってことですよね?」


「んー嫉妬ねぇ……特にないかなぁ。まぁ嫁さんもいろいろあるだろうし、おれがどうこう言うことでもないよな」


 ついに小林は頭を抱えだした。後輩ときたら信じられないというような顔で、おれの頭の先からつま先までじっと見つめていた。





 田中の不貞行為の噂はあっという間に広まった。なぜか受付の女の子にまで慰めの言葉を掛けられたこともあった。


 ある日、上司に呼ばれ会議室に行くと会社のお偉いさん方がずらりと並んでいた。そこには田中もいて、血の気の失せた顔で項垂うなだれていた。そしておれの顔を見るなりものすごい勢いで土下座をし、頭を床に擦りつけた。


「この度は大変申し訳ございませんでしたぁ!」


 突然の出来事におれは一瞬固まった。あぁみんなもこんな気持ちだったのかなと、ふと思ってしまった。


「田中君。一旦座りなさい」


 部長の重々しい一声に、思わずおれもビクッとなった。おれと田中が席に着くと、田中の上司が社内調査の結果を報告し始めた。そういや社内監査の人と先週話したっけ。


 結論から言うと、田中はうちの嫁さんとの不倫を認めた。またおれ以外の社員の奥さんにも手を出していたようで、減給、及び三ヶ月の謹慎処分となった。それを聞いて流石のおれも呆れてしまった。田中は終始、嗚咽を上げながら泣き崩れていた。





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