2話


 昼休み。おれが愛妻弁当を食べ終え、喫煙室で一服しているとポンと肩を叩かれた。


「よぉ、久し振りだな」


 振り返ると同期入社の田中の姿があった。彼は一年目は同じ部署でよく仕事終わりで飲みに行っていた。うちはわりと大きい会社だから部署が変わると意外と会う機会もない。


「おぉ田中か。元気してたか? どうだ営業部はもう慣れたか?」


「まーぼちぼちだな。そっちと違って残業もそんなないからな。わりと楽しくやってるよ。奥さんは元気してる?」


 そう言うと彼はポケットからオレンジ色のパッケージのタバコを取り出し火を点けた。


「うん、嫁さんは元気だよ。そういやおまえ、随分うちに遊びに来てないなぁ」


 昔二人で飲んでた頃は、終電を逃した彼はよくうちに泊まりに来ていた。同僚ということもあり、うちの嫁さんも嫌な顔せず迎えてくれていた。


「おまえが誘ってくれないからな。今日久々飲み行くか?」


「そうだな。今日は定時で帰れそうだし。よかったらうちに来いよ」


「そんないきなり大丈夫か? 奥さんに怒られるぞ?」


「おまえだし平気だろ。なんか美味いもんでも作ってもらっとくよ」


「おー! 奥さんの手料理食えるのか。そりゃ楽しみだ」


 じゃあ後でな、と言うと彼はタバコを消して喫煙室を出た。甘いバニラの香りを残して。あの時の匂いはこれかと思いながらおれは嫁さんにメールを送った。




「ただいまー」


 おれが声を掛けると、嫁さんがパタパタと小走りで玄関までやってきた。


「おかえりーお疲れ様。あっ田中さんお久し振りです」


 おれからカバンを受け取りながら、彼女はおれの後ろに立つ田中にペコっとお辞儀をした。ん? 久し振りなんだ、とおれはちょっと思ったが、左程広くはない玄関だ、とりあえずおれは家へと上がった。ドアを閉め入ってきた田中が嫁さんに頭を下げる。


「ご無沙汰してます。ごめんね~今日は急に来ちゃって」


「いえいえ。なんのお構いもできませんが、ゆっくりしていってください」


 彼女はスリッパを置きながら笑顔でそう答えた。田中は脱いだ靴をきれいに揃えるとお土産を渡していた。そういえば田中の両親は行儀作法にうるさいとか言ってたなと思い出しながら、どこか見覚えのある革靴をおれはちらりと見た。


 


 おれ達は昔話に花を咲かせながら、嫁さんが作った料理に舌鼓を打っていた。早くから準備していたのか、今日の夕飯は豪華だ。もちろんお客さんが来るからだろうが。


「いやー奥さんの料理は相変わらず美味しいなぁ。おまえは幸せもんだぞ!」


 早くも酔いが回ったのか、正面に座る田中が身を乗り出しておれの肩をバンバンと叩く。おれは思わず酒をこぼしそうになった。


「ちょっ痛えよ。相変わらずって昔はそんな料理してなくないか? リエもまだ働いてたし、つまみは買ってきたお惣菜とかだったろ?」


 おれがそう言うと、嫁さんが一瞬真顔になった。


「そ、そうだったかな。昔は料理下手っぴだったから……」


 なぜかおれの横で焦る嫁さん。田中の方もグラスを持ったまま固まっている。

少し間を置いて田中が笑いながら言った。


「はは、あれだ……そうそう! 社交辞令みたいなもんだよ! やだねー営業やってるとついつい口から出ちゃって。でも美味いのは本当! 奥さん料理上手になったねー」


「というかずっと気になってたんだけど、おまえなんて呼び方してたっけ? リエちゃんって呼んでなかった?」


 おれがそう言うと、また妙な沈黙が訪れた。今度はそれほど長くはなかったが。


「……そうだっけ? いやー久し振りに会ったからおれもちょっと緊張してるんだよ」


「えっ本当に久し振りなん? てっきり日曜日にリエが遊んだ友達って田中だと思ってたんだけど」


 ガチャンと盛大に音を立てて嫁さんがグラスをひっくり返した。ワインが飛び跳ね、田中のワイシャツが赤く染まる。


「ご、ごめんなさい!」 


 彼女は慌てて立ち上がると、キッチンに行ってタオルを濡らしていた。おれもびっくりして田中にティッシュを差し出す。急いで戻った嫁さんがシャツの赤い染みをトントンと拭き取り始めた。


「ほんとごめんなさい! クリーニング代出しますから」


 ひたすら謝る嫁さんに田中は苦笑いを浮かべながら言った。


「気にしなくていいよ。どうせ安物だから。てかおまえが変なこと言うからだぞ! 奥さんびっくりしたんじゃないか」


 ねぇ、と嫁さんに同意を求めると、彼女も笑いながら軽く頷いていた。


「いやだって、この前リエが帰って来た時おまえが吸ってるタバコと同じ匂いがしたから。てっきりおまえと会ってたんじゃないかって――違ったのか?」


 また二人の動きがピタッと止まる。これは普通、図星ってことだろう? 慌てて否定する二人を見ておれは首をかしげた。



 結局、おれの予想は外れていたようで二人から全否定されてしまった。それからまた飲み直し、気が付けばおれはソファーで眠っていた。キッチンの明かりだけがついており、なにやら話し声が聞こえる。


 ちょっと飲み過ぎたか……おれは起き上がるのを諦め、ボーっとする頭でその声に耳を傾けた。


「ちょっとやめて。あの人起きちゃうから」


「大丈夫大丈夫。さっきいびきかいてたし。てかさっきは焦ったな。まさかタバコの匂いに気付くとか」


「だから車では吸わないでって言ったでしょ。そもそもなんでうちに飲みに来たりしてんの。あなたが来るって聞いてほんとびっくりしちゃった」


「いや今日は本当にたまたま。あいつがうちに来いって言ったから。てかこれってかなり興奮するシチュエーションじゃね?」


「ちょっと、あん……」


 

 二人の会話が終わり、なにやらごそごそと音がし始めた。やっぱりおれの予想は当たってたんだな、と思いながらおれは眠りの世界に落ちて行った。





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