逃げ水

小石原淳

第1話 砂の嵐に囲まれて

 X月Y日。僕達は遭難した。

 元々は、一年に一度だけ見られるという噂の湖と咲き乱れる花々を観察する目的で、砂漠をキャンピングカーで突っ切っていた。順調に進んでいたのだけれど、目的地まであと少しというところで、突如発生した嵐にやられてしまった。

 車は少し浮いて、一回転した上でさらに横転、そのまま地面に叩き付けられた。横倒しの車から這い出して来られたのは四人。運転手を含めた残りの四人は姿を現さないまま、車が火を噴いた。

 助けたくても、砂漠に水なんかない。いや、あるにはあったんだけど、それは僕らが車から脱出したときにそれぞれ持ち出した荷物に入っていた、水筒の中身の飲料水だ。大した量はなく、もし消火に使っていたとしても無意味だったろう。

 爆発的に燃え上がった炎は折からの強風で勢いを増し、手の着けようがなかった。自然に消えるのを待つしかなかったのだ。

 僕らは砂嵐を避けるため、ヒイロが持ち出しに成功したテントを広げ、中に籠もった。生憎と電波の届かない地点らしく、誰の携帯端末も救助を呼ぶのに役立たなかった。

 一時間以上して風が収まったのでテントを出てみると、キャンピングカーの火もほぼ鎮火していた。早速、取り残された四人の状況を確かめようとしたのだけれど、それは難しいと一目で分かった。

 転がった場所が砂だまりのできやすい場所だったのか、乗っていた人間もろとも車の残骸は砂に埋もれていた。それも、掘り起こすことを端からあきらめざるを得ないほど、深くしっかりと。

 これでは、たとえ車内に使えそうな道具類や飲食物が燃え残っていたとしても、見付けるのが至難の業だ。特にテントはもう一つあったから、ぜひとも欲しかったのだ。

 というのも、生き残った四人のメンバーの組み合わせがあまりよくなかった。いや、考えられる限りでは最悪と言えるかもしれない。

 生き残ったのは僕・カナタとさっき言ったヒイロ、そしてサコンの男三人と、女が一人、ルリ。みんな学生で年齢差はない。そして僕を含めた三人は、みんなルリにアプローチをしている真っ最中だった。


 そういった背景を抜きにしても、女性一人に男性三人が一つのテントで休むことは想定していなかった。女性は全員で三人いて、キャンピングカーの中で寝泊まりし、男達はテントに入る予定だったのだ。

 六人が楽に横になれるサイズだから、ルリと距離を取って眠ることは可能だろうけど、男子三人の中で場所争いが起きることは必定だった。

 生きるか死ぬかという状況でこんなことに体力を使っても仕方がないと、表面上は平静を保っているが、幾日か過ごす内にきっと何かよくない出来事が起きる。そんな空気が早々に醸成されつつあった。他の四人が犠牲になったというのにだ。


 僕ら四人は実際どれほど救助を待てそうなのか。

 持ち出せた飲食物を洗いざらい並べて、チェックすることになった。

 チョコレートや飴と言った菓子類はそこそこあったが、お腹に溜まる物となると多くはない。パンやおにぎりがせいぜい一個ずつ。他にはオレンジの類が一人当たりちょうど二個ずつ。あとおかずと言ったらコーンの小さな缶詰が三つだけ。何故わざわざ缶詰なのかというと、ケイジ先生の好物で、この缶詰の味付けがお気に入りだった。一日一個食べないと気が済まないため、二泊三日を予定していたこの観察ツアーでは三個。僕が持たされていたので、僕のリュックに入っていた。

 飲み物の方は、砂漠へ出向くということで多く用意されていたんだけど、重たいため、ほとんどがキャンピングカーの中。恐らくは使い物にならない。ただ、各自が持参した水筒に水を詰めていた。誰もが四〇〇~五〇〇ミリリットルぐらい残しており、大差はないようだった。

「公平に分け直すべきだと思う」

 だから、ヒイロがそんなことを言い出したときは、冗談だろと思った。

「食べ物の方は公平に分けると決めたんだから、水もそうするのが筋だ」

「待てよ。理屈は分かるが冷静になれ」

 サコンが穏やかに反論した。

「水筒の形が違うから、正確なところは不明にしても、みんな似たような量だろう。わざわざ分け直すほどのことじゃないと思うぜ」

「一人当たり、五〇〇ミリリットル以下なんて、どのみち足りない。食べ物と違って水分は、なかなか我慢できない物だ。だからこそ等しく分けておく方が後々問題にならないと言ってるんだ」

「いやいや。仮にその理屈を認めるとしてもだ。計量カップがない。大きな容れ物もないみたいだし、水を一旦集めて正確に四等分なんて、無理じゃないかな」

「だったら、誰か一人が水を一元管理すればいい。飲みたいときはそいつに申し出て、このキャップ何杯分を飲んだか、記録を付けていく。これでいいだろう」

 ヒイロは自らの水筒の蓋を示しながら主張した。

「それは別の意味で問題がある。管理する奴がずるをしたって、分からないんじゃないか。正確な全体量が不明なんだから」

「管理役はルリさんにお願いする」

「私?」

 さして役立ちそうにない議論が続き、うんざり顔をなしていたルリだったが、急に名前を出されて、表情は“きょとん”に転じた。

「彼女なら文句あるまい」

 ヒイロが自信満々の笑みを見せる。サコンはしかめっ面になった。

「……ルリさんにはすまないけど、全面的に信頼するのは危険だ」

「サコン、おまえよくそんなことが言えるな」

 ヒイロは顔色を変えたが、ルリ本人の態度に特段の変化はなく、話の成り行きを見守っている。

「ルリさん個人がどうこうじゃない。特定の一人を信頼するのが危ないってんだ。このあとどんな状況になるのか見えてないんだぜ。何日も助けが来なくて、水の奪い合いになるかもしれない。まあ、それまでに飲み尽くしている可能性の方が圧倒的に高いだろうけどな」

「たとえ我々三人がそうなったとしても、ルリさんは違う。最後まで公平かつ冷静に分配してくれる」

「ヒイロ、おまえさあ、彼女が好きなのと、今の非常時をごっちゃにするなよ。繰り返しになるが、冷静になれ」

「いや、俺は冷静だ。公平・平等を基準に、論理的に動いている」

「ならば、多数決を採るのはどうだ。自信があるんだろう?」

「よかろう。ただ、二票ずつに分かれたらどうする」

「ほらみろ、やっぱり自信がないんじゃないか」

「違う。これはあり得べき結果を想定して、前もって取り決めをしておこうという、自信とは無関係の――」

「分かった分かった。二票ずつなら、おまえのやり方でいいよ」

 四人しかいない多数決で、同数でも負けを認めるというのは途轍もない譲歩だ。当のヒイロ以外の全員が反対に回らない限り、ヒイロの意見が通ってしまう。

「じゃ、採決のコールはカナタ、おまえに頼む」

「はい? 何でだい、サコン?」

「俺かヒイロのどちらかだと、声が威圧的だったとか何とか、いくらでもいちゃもんを付けられるからな。ルリさんも当事者みたいなものだし、ここはずっとだんまりだったおまえが適任だ」

 なるほど。理屈は通っている。

「それでは……ヒイロの意見に賛成の人、挙手を願います」

 ヒイロだけが手を挙げた。

 結局、水筒は各人が常に肌身離さず、自己責任で持つことになった。

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