テンケイ

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話 天啓①

 桜を綺麗だと感じたことがないと言ったら、あなたは信じるでしょうか。

 あなたは日本人の心を持ち合わせていないとか、植物を愛でる慈愛の精神がないといって、きっと僕を否定することでしょう。しかしながら、桜を愛しいと思えないことは事実なのです。今までそうだったのだから、きっとこれからもそうに違いない。僕もそう思い、半ば諦めかけていました。ところが実際には違っていたのです。僕は桜を愛する心を持ち得ました。しかし、桜とはなんと儚いものなのでしょう。だからこそ美しいのだけれど。

 僕がこれからする話はそんな桜のような少女との恋物語です。

 少女は桜そのものでした。


 入学式に桜がつきものなのは、関東圏までの話だ。僕の地元で桜が満開になるのは、ちょうどゴールデンウィークの始まりの頃だ。だから、新幹線で桜前線をさかのぼって行くのは本当に妙な心地がした。地元ではまだまだ堅く蕾を閉ざしている桜。徐々に色づき始め、ふくらみ、開花。あっという間に満開になったかと思えば、もう桜吹雪が舞っている。時間感覚で言えば、一ヶ月間をほんの半日で体感してしまった。浦島太郎の気持ちが理解できたと言っても過言ではないだろう。それにしても、一ヶ月間を損した気がしてならない。僕の貴重な一ヶ月間を返してほしいが、こういう場合は一体誰に訴えればよいのだろうか。

 京都駅で降りる。京都タワーを見ると京都に来たという気がする。

 僕は本当なら京都に住みたかった。しかし、残念ながら京都の大学に落ちてしまったから、京都に住む理由がない。京都の大学というのは、京都にあるというのが一番の魅力なのだ。講義で習ったばかりの歴史をすぐに見に行ける。京都という土地が好きな人もいるだろう。

 それらの理由もあるが、僕はK大生になりたかった。自由が欲しかった。僕は田舎の進学校出身だが、あそこほど性質たちの悪いところはない。ほとんど一ヶ月に一回テストがあったし、朝は八時前から朝講習、密度の濃い授業の後には放課後講習が待っている。休みというのもないに等しかった。土日は講習か模試で潰れたし、長期休暇があっても勉強合宿か学校で講習が開かれる。それでも都会の進学校では、状況は同じでも、個人の自由があると聞く。僕はとにかく学校に馴染めなかった。小さい頃からあの学校にだけは入るものかと心に決めていた。だけど、他に進学校がなかったから仕方ない。僕はそんな精神的に追い詰められた学校の中でも、さらに期待という名の重圧のかかる理数科に在籍していた。

 これから僕は多地域の人にはおろか、市中に住む人にも存在すら知られていないような大学に通う。同級生はといえば、旧帝大や医学部、歯学部などに進学するやつらが少なからずいる。高校入試からずっと変わらない。超えられない。正直、妬ましい。同じ環境で勉強してきたはずなのに。なのに、僕は本物の自由を手にできなかった。未だに高校の夢を見る。きっと、ずっと僕はこのままだ。

 聡明そうめいならK大に合格する。僕をよく知る友が言った。部活の後輩もそう言ったし、何よりも誰よりも僕自身がそう思っていた。自分はこのどうしようもない牢獄のような高校生活から抜け出した後に、K大に行き幸せになれると信じ込んでいた。それはそうあってほしいという期待というよりは、確定している現実で事実そのものだった。

 それにも関わらず、この瞬間も僕は京都から離れている。廃線すら危ぶまれているような電車に母と二人、僕は乗っている。花見の帰りか、客が多く座れない。それに、蒸し暑い。僕の田舎ならもう初夏の気温だ。四月でこの温度なのかと、夏が思いやられた。


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