私は、宮沢賢治に恋をしている
終電宇宙
第1話
何十年も昔に死んでしまった人に恋をしている。「彼」が日本に遺したいくつもの小説や詩を読むと、私はもうどきどきして、どきどきして、息をするのも大変になってしまう。そして、読み終わった後にはいつも生まれてくる時代を間違えたなあと思うのだった。
「彼」のことを知ったのは五年前。当時の私は通っている中学校でいじめを受けていた。先生は私を助けてくれなかった。親には恥ずかしくて言うことができなかった。友達は一人もいなかった。心に蓋をして、吐かれる暴言や振るわれる暴力に耐える毎日だった。そんなときに図書室で私は「彼」の本を見つけたのだった。たまたま読んだその本は私の救世主になった。何事にも冷めていた私の心を「彼」の言葉だけは優しく抱きしめてくれた。その日、私は久しぶりに安らかに眠れたことを覚えている。
私はその日夢を見た。いじめられていた醜い鳥が星になる夢。夢の中で私は何回泣いただろう。
それから私の取り巻く世界は一斉に色を変えた。世界は私に優しくなった。私は少し人に優しくできるようになった。私の身のこなしが変わると、徐々にいじめはなくなっていた。ごく少数ではあるが、友達もできた。いろんなことが上手く回り始めた。それもこれも、優しい小説や詩をこの世に遺してくれた、「彼」のおかげだった。
高校生の頃、私は初めて男の人に告白された。そのことがきっかけで、私はもうずっと昔に死んでしまっている「彼」に恋をしていることに気が付いたのだった。恋に落ちている自覚を持ってから私は「彼」の小説を読むたびにどきどきするようになった。どきどきするのは、苦しくて幸せだった。「彼」に恋をしてから、より一層私は「彼」の本を読むようになった。病的なくらいに繰り返し読んだ。
それは不毛な恋だった。どんなに私が「彼」を想っていても、「彼」は私のことを認識することすらないのだ。私は「彼」の手の大きさを想像した。その手につながれて一緒に商店街で買い物する一日を想像した。想像は月日が経つごとに鮮明になっていった。いつからか、「彼」の小説を読むことは幸せなことではなく切なくて苦しいことに変わっていった。
私がそんな苦悩を感じている間に、周りの友達は恋人を作ってデートをして、楽しそうに生きていた。ある日、大学のゼミで私はまたもや男の人に告白された。その人は、いつも変なことばかり言っている私の話を優しい顔で聞いてくれる不思議な人だった。私は告白の返事を保留にした。その夜、私はぼーっとした頭で「彼」の小説を読んだ
「なにがしあわせかわからないです」
「彼」の小説にはそう書かれていた。私ももう何を選択すればいいのかよくわからなかった。素敵な人に告白されたはずなのに私は未だに「彼」が好きだった。こんな生活を続けていたら、絶対にいつか後悔することも私はなんとなく自覚していた。どう考えたって、現実世界で彼氏を作って生きていく方が幸せに決まっている。絶対に報われない恋をしている私はこのままでは不幸になる。
「けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ」
私にとってほんとうにいいことって何?と私は自問した。心臓がどく、どく、と脈を打っていた。その鼓動が私に質問の答えを教えてくれる。私は涙目になった。
次の日、私は告白の返事をした。頭を下げて私は告白をしてくれた男の人にごめんなさいと謝った。そして私を好きになってくれてありがとうとお礼を言った。私は自分の人生を棒に振ることに決めた。私は青葉のにおいがするキャンパスのアスファルトを一人ぼっちで堂々と歩いた。ふといじめられていた醜い鳥の話を思い出した。私も、「彼」を追いかけて追いかけて追いかけつづけた先で星になれるだろうか。
私は、宮沢賢治に恋をしている 終電宇宙 @utyusaito
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