第8話 メスヴェル氷窟
ブリストンのメインストリートを歩いていると、小瓶のマークが書かれた看板が見えた。
それを見て、ドロシーさんが控えめに指をさす。
「あっ、デズモンドさん、れ、錬金屋って、あ、あ、あ、あそこ……ですか?」
「ですね」
錬金屋ロイ。
ここにはダンジョン探索の必需品のひとつ、ポーションが売っている。
エスパーダ時代からお世話になっている錬金屋さんで、毎日探索が終わってから買いに行かされてたっけ。
こうしてドロシーさんとふたりで錬金屋さんに来たのは、いよいよ明日からシュヴァリエ・ガーデンのメンバーとしてダンジョン探索が始まるからだ。
今日の午前中は、僕たちが配属された第五旅団の顔合わせで、総勢100名ほどの第五旅団メンバーたちが連盟拠点に集合していた。
受付嬢さんからは、「第五旅団長からの挨拶があって、旅団の指針や今後の目的について説明がある」と言われていたけれど、結局、旅団長さんは現れなかった。
なんでも二日酔いでダウンしているのだとか。
メンバーたちの中から「またか……」みたいな声が出ていたので、珍しくないことなのかもしれない。
それから、副団長さんの指示で番号が振られたパーティごとに仕事をふりわけられることになった。
僕たち4人は試験時とおなじ55番。
与えられた仕事は「メスヴェル氷窟」と呼ばれているC級ダンジョンの「ダンジョンコア」の破壊だ。
深部にあるダンジョンコアと呼ばれる迷宮の心臓を破壊してモンスターたちの沈静化を図り、別のチームがゆっくりとアイテムを収集するらしい。
どういう理屈なのかはわかっていないんだけど、ダンジョンコアを破壊するとモンスターたちの活動が止まり、ゴブリンのようなD級モンスターしか現れなくなる。
ダンジョンコアを破壊するにはコアを守っている
低ランクのC級ダンジョンとはいえフロアボスは強敵なので注意が必要。特にメンバーたちはステータスが低いので、装備の質が重要になってくる。
というわけで、前衛のおふたりは装備のメンテナンスに行かせて、僕とドロシーさんで錬金屋に行くことになった、というわけだ。
錬金屋で買わなくてはいけないのはポーション類。
傷を癒やす「ヒーリングポーション」と、MPを回復する「マジックポーション」あたりだ。
どちらもじわじわと回復するタイプで完治するまでに時間がかかるけど、探索には絶対に必要になるものなんだよね。
他にも毒を癒やす「アンチドーテ」や麻痺を癒やす「アンチパライズ」をひとつづつ持っていたいところだけど、それはお金と相談だな。
「ちなみに、ポーション類の購入費用ってメンバーで折半でいいのかな?」
「お、お金は大丈夫ですよ。クランで精算してもらえるので」
「……え? ホントに?」
入団時の説明で報酬は給与制だということは聞いていたけど、どうやら探索準備でポーション類に使ったお金はクランに申請すると返ってくるらしい。
流石は大手クラン。エスパーダと違ってメンバーに優しすぎるシステムだな。
ただ、ドロシーさんが言うには、ちょろまかして小銭を稼ごうとする人たちもいるらしく、その対策としてお店に領収書を発行してもらう必要があるのだとか。
ゴロツキが多い第五旅団にはそういう輩が多いみたい。
「そうなんですね。というか、ドロシーさんってすごく詳しいですね」
「……え? 詳しい?」
「どうしてそんなにシュヴァリエの事情に詳しいんです?」
「あっ……! えと、そ、その、実は私、育ての親がシュヴァリエにいて、入団前からよく連盟拠点に顔を出していたんです」
「え? そうなんですか?」
かなり個人的な話なので詳しくは聞かなかったけど、どうやらドロシーさんは数年前にシュヴァリエに所属する冒険者に拾われたらしい。
ということは、元奴隷か孤児だったのかな。
理由はよくわからないけど、ブリストンには孤児が多い。
孤児は教会のお世話になるのが普通なんだけど、あまりにも多いので教会の庇護を受けられるのはごく一部。
大抵の孤児は街の裏路地や下水道で生活したりしていている。それを考えると、シュヴァリエに所属している冒険者に拾われるのは幸運なのかもしれないな。
「……と、とりあえずお店に入りましょうか」
「あ、そうですね」
脱線した話で盛り上がってしまった。
錬金屋さんの扉を開くと、甘い香りが漂ってきた。
ポーションの生成に使う薬草の香りだ。
この香り、すごく好きなんだよね。
「いらっしゃい……ああ、デズモンドくんじゃないか」
店主のロイさんが話しかけてきた。
いつもひとりで買いに来るもんだから、すっかり顔見知りになってしまった。
「こんにちはロイさん」
「昼間から来るなんて珍しいね。ゆっくり見ていってよ」
「あはは、ありがとうございます」
エスパーダ時代はいつも閉店間際に慌てて来てたからなぁ。
ロイさんに嫌な目で見られながらポーションを買って、急いで酒盛りしているアデルのところに帰ってたっけ。
これからは昼間に来られるし、ロイさんに迷惑をかけずに済みそうだ。
「……あ、そういえばC級ダンジョンは特殊な階層が出てくるんでしたよね?」
棚に並べられているポーションを手に取りながら、ドロシーさんが尋ねてきた。
「そうですね。情報によると『メスヴェル氷窟』には冷寒フロアがあるみたい」
「冷寒……あ、だから『氷窟』って名前なんですね」
冷寒フロアとは、階層全体が氷漬けになっていて、北方にある雪国みたいな環境になっている。
現れるモンスターも氷の魔術を使ってきたりと氷に関連した攻撃をしてくるのが特徴だ。
そして何より寒冷フロアを探索するために必要不可欠なのが──。
「あ、てことは、防寒具が必要ですよね?」
ドロシーさんがハッとそのことに気づく。
寒冷フロアは気温も雪国のそれになるため、防寒対策をしておかないと瞬く間に凍傷になって離脱するハメになる。
──でもまぁ、それは『普通の冒険者』が寒冷フロアに入るときの話なんだけどね。
「いや、防寒具はいらないですよ。僕の付与術があるし」
「……え? 付与術?」
きょとんとした顔をするドロシーさん。
まぁ、不思議に思うよね。
ここで説明してあげようかと思ったけど、ネタバラシは明日にすることにした。
***
翌日。
シュヴァリエ・ガーデンに入って最初のダンジョン探索がはじまった。
メスヴェル氷窟の第一階層は前回試験のときに入った「ドレッドスカル迷宮」と同じく、じめじめとした場所で、出てくるモンスターはゴブリンなどのD級ばかりだった。
なので前回同様、メンバーの弱点を【身体能力強化】で補い、特に苦戦することもなく第二階層へ続く階段を発見することができた。
ここからがメスヴェル氷窟の本番。
冷寒フロアが出てくる階層だ。
「メスヴェル氷窟って第二階層以降、めっちゃ寒いところが出てくるんだよね?」
第二階層へ続く階段を前に、リンさんが訝しげに僕を見た。
「あたしたち、このままの格好で平気なのかな?」
「はい、問題ないです」
「え~? ホントに? 凍瘡になっちゃわない? デズきゅんあたしが冷え性だってこと知ってるよね?」
「……」
胡乱な目で見てしまった。
そんなプライベートな情報、公然の事実みたいに言わないでください。
超初耳だし、何より冷え性だっていうんなら、まずはその肌の露出がすごい服を自粛したほうがいいんじゃないですかね?
「とにかく付与術をかけますね。これで平気なはずです」
全員に付与術をかけて階段を降りていく。
吸い込む空気が冷たくなり、吐く息もだんだん白くなってきた。
階段の壁面も霜が降りたみたいになって、ついには氷のようになった。
いよいよ寒冷フロアだ。
ガランドさんが、ゆっくりと氷漬けになった扉を開ける。
瞬間、ブワッと冷たい風が流れこんできた。
「……おお」
ガランドさんの口から、ため息のような声が漏れた。
そこに広がっていたのは、正真正銘の氷の世界だった。
第一階層とは違って細い通路ではなく大きなドーム状のエリアになっているのだけれど、全てが真っ白で氷漬けになっている。
寒冷フロアはエスパーダ時代に何度か経験したことがあるけれど、何度見ても驚いちゃうな。
ちなみに、この寒冷フロアは自然にできたものじゃなく、魔術によって人為的に変化させられたものだと言われている。
こんなに広いフロアをまるごと氷漬けにできるなんて、古代文明の魔術って本当にすごかったんだなぁ。
「……え? ウッソなにこれ!?」
驚いているのは僕だけじゃなかった。
リンさんが興奮した様子で続ける。
「フロア全部が氷漬けになっているのも凄いけど……ホントに寒くないんですけど!?」
「す、すごい!」
「吐く息は白いままなのに、全く寒くないな」
リンさんに続き、ドロシーさんとガランドさんも驚きの声を上げる。
「デズきゅん、今回は一体何をしたわけ?」
「はい、付与術の【耐寒強化】をかけました。一時的にですが寒さ耐性が爆上がりしているはずです」
防寒具を必要としない理由はそれだった。
普通の【耐寒強化Ⅰ】は「ほんの少し寒さが和らいだかな?」程度の効果なんだけど、僕の乗算付与は耐寒ステータスを20倍にするので裸でも問題ない。
効果時間は数分程度なので、かけ直しながら進む必要があるけどね。
「すっご! ちょっとデズきゅんってば便利すぎない!? 寒い冬の夜にひとりほしい! 今晩ウチに来てよ!」
「僕を暖炉みたいに言わないでください」
や、実際、寒い夜なんかにも便利なんだけどね。
時間がもったいないので軽くツッコミを入れ、探索を進めることにした。
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