スーサイド・インサイド

小狸

第1話


「お前は、自殺したいと思ったことはあるか」


 左具ひだりぐ警部はそう問うた。


 神奈川県某駅付近にある個室の焼き肉店での話である。


 相対するは、自殺探偵と呼ばれる男であった。


 曰く、である。


「ありませんね」


「意外だな」


「そうでしょうか」


「お前みたいな奴は、常に自殺したいと思い詰めていると思っていたよ」


「そうでもありませんよ。ぼくは仕事として探偵をしているんです」


「探偵っつうものは、事件や事故を毎日のように経験しているだろう。お前みたいな奴が、その連続に耐えられるとは到底思えないがな」


「それは買いかぶりですよ。ぼくはそこまでまともな人間ではありません。皆自分の好きな仕事に就いているとは限らないじゃありませんか。仕事とプライベートは完全に分けて考えていますよ」


「まともな人間ではない――ね。その見識には同意させてもらうぜ。まともな人間ならば、探偵なんてものにはなるまいよ」


「あはは、それはぼくにとっては褒め言葉です」


 探偵は、表情筋をゆがめた。それは一般的には笑っているということになるが、左具警部はそれが――笑顔ではないと知っている。


「俺は死にたいを比喩として使ったことはある――死にたいくらいに辛い、死にたいくらいに恥ずかしい、等にな。ただ――自ら死にたいと思い、死のうと行動したことはない」


「それくらい、順風満帆な人生だったと」


「さてな。順風満帆とは言いがてえよ。ただ――死のうとしない程度には、幸せな人生だったんだろうさ」


「不幸は体感するもので、幸せは実感するもの――みたいな話でしょうか」


「上手いなそれ。誰の言葉だ」


「ぼくです」


「けっ――お前はどうだよ。お前の人生は、どんな人生だったんだ?」


「おやおや、ぼくのことを尋ねてきますか」


「まあな。気にはなる」


「一応ぼくは自分の情報を明かすことのできぬ身の上ですから、一概に人生を公言するなんて、とてもとても」


「だと思ったよ」


「ならばなぜ聞いたんです」


「それでも人生観を語ることはできるだろう、探偵になって、探偵を続けて、お前は幸せだったのかい?」


「さあ、どうでしょうね。どうやらぼくの実感は後から来るようですから。十年後、二十年後、死ぬ直前になって、生きてて良かったと思うことができたら、それは幸せということなのではないですか」


「良いこと言うじゃねえか。それもお前の言葉か」


「ええ。ぼくはぼくの言葉しか吐きませんよ」


「ほざきやがる」


「それが仕事ですから」


 探偵は珈琲コーヒーを一杯飲んだ。


「ぼくの所に依頼を持ってくるなんて、貴方も随分と変わり者ですね」


「変わっているのは世の中の方だよ。自殺専門の探偵なんて、お前くらいしかいないんだから」


「その物言いをすると――何だか本当に世の中が駄目なような気がしますね」


「駄目だろうよ。年間自殺者は年々増加傾向にある」


「その辺り、警部としてはどうお考えで?」


「役職上の考えなんてもんは明かせねえよ。ただ――そうだな、一個人として発言を許されるのならば、『普通』っつう――上手く言語化は出来ないが――社会通念上の平平凡凡を意味する言葉の重みが、増えていっている傾向にあると思うぜ」


「と、というと」


「自殺探偵ならお前の方が詳しいだろうが、その辺りはよ」


「ぼくは人の話を聞くのが好きなんですよ。語るのと同じくらい」


「そうかよ。まあ――『あるべき普通』とでも言うのかな。通常の社会生活が充実して来て、世の中の機械、スマホやらも日夜発展を続けているだろう? 新しい技術が開発され、新しいルールが発足され、目まぐるしく世の中が変化を続けていると思う訳だ」


「ほうほう」


「もう少し共感性のある頷き方をしろよ、面接で落ちるぞ」


「生憎就職活動をせずに探偵になったもので、今面接を受けたら、多分全落ちしますね。自殺探偵の自殺――最終回です」


「馬鹿なこと言ってんじゃねえ――が、そこにも少し繋がってくるな。変化と変遷が毎日繰り返されるこの世の中に順応できる人間と出来ない人間が現れてくる」


「そりゃ、人は人ですからね。多種多様です。多様性なんてものが、最近は掲げられていますね」


「ああ。世の中からすりゃ、急激な変化に対応し、順応できる者が『普通』って扱いだ。そしてそういう奴らは、こう考える訳だな。『普通』でない奴は、『普通』であろうとする努力をしていない――と。自分たちの当たり前は他人の当たり前だと、本気で考えている訳だ。だからこそ、生真面目で実直で素直な奴から、鬱病になっていくわけだ。そう言う奴は大概――環境の変化に弱いから」


「……成程、環境の変化への順応能力、それを備えた人間が今の『普通』だと、警部は仰るわけですね」


「ああ、そうだ――そう思うよ」


 改めて問い直されると、少々語弊があるような気もした。この探偵と違い、左具警部はそこまで口が上手いという訳ではない。今回の依頼も、かなり悩んだ末に決断した。


「その『あるべき普通』『求められる普通』のレベルが上昇しているからこそ、世の自殺者が増え続けていると。しかし、別に『普通』でなくても良いのではありませんか? それこそ、多様性が重視される時代でしょう。どんな障害を持っていようと、どんな過去があろうと、どんな疾患があろうと、平等に扱う」


「お前が言うと悪意があるんだよ」


「そうでしょうかね。別に込めたつもりはありませんが、悪意なんて」


「『普通』でなくても良いなんて、相当の胆力がなきゃ無理だぜ。お前くらいに図抜けて、それこそ自分の劣等感そのものを職業にしてしまえるような奴なら、そうなんだろうが、大概の『普通』になれなかった奴は、そうはいかない」


「と、いうと」


「分かっている癖に聞くなよ」


「分からないから訊くんですよ」


「ったく。『普通』に手の届かなかった者は、『普通』になれ、と言われ続ける訳だ。標準に、基準に達していないからな。ただしその基準はどこにも明文化されていない――その場の暗黙の了解や慣習で決まる。例えば周りの空気の読めないような者は、そんな場の空気すら察知することができない、『普通』になれないことが、あらかじめ決まっているわけだ」


「今では、そういう者にも病名がついて、区別されていたりもしますしね」


「そうだな。病気ってところがまた、今の世の嫌な部分を反映しているんだがな。『普通』でない奴は病気扱いとなり、治療を受け『普通』にさせられる。無理矢理自分の能力を引き上げさせられるんだ」


「それは苦痛ですね。例えば職業訓練や、投薬治療、カウンセリングなんかが、それに該当するのでしょうか」


「そうだな。そうやって病気として治療、矯正の対象になり――無理矢理治される。それで無茶を続けてもみろ。確かにその時その時は『普通』の基準を満たせるんだろうが、そんなものが長く続くと思うか? その時その時の『普通』のために、人生を犠牲にしろって言われているようなもの、だぜ」


「思いませんねえ、ぼくでも。それは確かに、死にたくなります」


 牛タンを堪能しながら、探偵は答えた。


「成程、今はそんな世の中なんですねえ、勉強になります」


「探偵なんだったら新聞くらい読めよ」


「社説には書いていないんですよ。そういう裏側からの視点というのは。それにネットのニュースは、コメントが開かれていますから、あまり視界に入れたくないんですよね、精神衛生上。あれこそ、現代の地獄ですよ」


「ニュース記事に対して誰でもお気持ちが表明出来るんだろ? なんでそんな阿鼻地獄を自ら作るような真似をするのかね、と、俺は思うぜ」


「それで」


 話が熱を帯びてきたところあたり、鉄板が交換されたところで――探偵は話を切開せっかいした。


「ぼくを尋ねてきたということは、その『普通』と、自殺が、何らかに関わっていると――そういうことなんでしょうね?」


「ああ、そういうことになる」


 やっと本題に入ることができる――そう思い、左具警部は少しだけ安堵あんどした。



(続)

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