第248話 暗号電文の解読
1本の無線受信が部屋の空気を変えた。
その無線を受けて周りに緊張が走る。
ここはジャングルにある師団本部の無線通信司令室。
偉そうな名前がついているが、有るのは数台の無線機と2台の電話だけの割とこじんまりした部屋だ。
いつものように当番兵が無線機の前で各地から発信される無線を受信していた。
一人の通信兵がその無線を受けると、直ぐに自身の前のスイッチを操作して自分が聞いている無線の音声を部屋のスピーカーにも繋げた。
これによりこの部屋にいる誰でも彼の受けている無線を聞くことができる。
『ザザザ……
スピーカーからは雑音とともに数字を読み上げる声がした。
これと間髪入れずに彼は叫んでいた。
「暗号無線を受信」
彼の叫びを聞き、部屋の全員が動いた。
まずもう一人の通信兵が自身の通信機の前に付き、直ぐに同じ通信を受信できるように操作を始めた。
また、今現在部屋の指揮官に当たる一人の士官はスピーカーの音がよく聞き取れる位置に移動して、二人の通信兵を監視するように自身も無線の受信に努めた。
この後は数字の羅列が続いた。
暗号である。
暗号発生器など持ち合わせない前線からの暗号だ。
所詮はシーザー暗号に毛の生えた程度の物だが、それでも侮れない。
暗号の最初に、前線にいる指揮官にしか渡されていない乱数表から作られた暗号を示すコードを無線で送られている。
以後、ある計算により各アルファベットに割り当てられた数字を変換した数字を無線で送られる仕組みとなっている。
この数字を受信側で再度計算し直してアルファベットに置き換えるというものだ。
よって長い文章も送ることができるが、送る方も受ける方も計算が大変なので、通信のほとんどが必要最低限の内容だ。
そのためかは分からないが、軍隊内における符合や隠語を多用してさらに文章を圧縮させて送られてくる。
また、通信を受ける側の対応だが、先にも言ったように送られてくる数字に暗号を解くためのカギが紛れている。
並べた数字の何番目かの指定された数字を使って暗号の数字を割ったり掛けたり足したりしての計算をするのだ。
その数字を聞き逃しては、送られてくる暗号が解けない。
そう、年配の方には懐かしく思われるあの『復活の呪文』のように、一か所でも聞き逃したり、間違えたりしたら暗号が解けない。
なので、通信部署では規定で取り決められており、必ず複数での受信が義務づけられている。
無事暗号を受信した通信兵は、それぞれが受信した暗号を突き合わせて間違えが無いことを確認後、その暗号を通信司令も兼ねているこの基地内の通信参謀のところに持っていった。
暗号を受け取った通信参謀は、部下を使って計算をしていく。
計算の結果、浮かび上がる文章を、今度は普通の文章に置き換える作業をしていく。
なにせこの通信文には隠語や符丁などが多用されているのだ。
例えば正面の敵、主に小隊などが戦っている敵には『お客さん』という符丁が使われ、代わりにもっと大きな部隊などには『団体客』などの言葉が使われている。
この団体客などは、普通連隊か、大隊くらいにしか使われる事が無いが、符丁の使用できる範囲としては中隊規模以上師団規模までとある。
グラスたちが送った暗号にあるキャスター大隊もこの団体客が使われた。
グラスの頭の中では、普通連隊や大隊で使われる符丁であるが、まさか連隊規模の5千人も連れてくることはまず考えないだろうから、この暗号を受け取った者にはきちんと大隊と伝わる計算だった。
無事暗号を解読した通信参謀は、司令部にてサクラ閣下の副官にその暗号文を手渡し、暗号受信の報告をしていた。
暗号を解読した通信参謀も、暗号そのものを受け取った無線室の連中も、グラス中隊の現在の仕事を知らない。
通信参謀などは、暗号解読した内容から、どこぞの軍団から敵の捕虜を移送する仕事か何かと勘違いしている節はあった。
それでも、グラスの階級が中尉で、指揮する部隊が中隊であることを理解していたので、暗号内の団体客の解釈を誤って解読していた。
中隊が護衛して連れてくるのだから『中隊』以上の部隊はありえないと。
これでも少々常識外ではあるが、この基地ではどこでも人で不足であることから、頑張っているくらいにしか思っていなかった。
しかし、受け取ったサクラ閣下の副官であるマーガレットは、暗号を読んでいくうちに、徐々に血の気が引いていった。
今のグラスの任務と、その彼が率いる陣容を正確に理解している彼女には、書かれている事実が信じられない。
もし事実なら、大規模な敵と遭遇した後に、敵を無力化しての捕虜の確保になる。
2個小隊+α程度の戦力では絶対にありえない事実だ。
逆に全滅していても不思議が無いと信じている。
しかし、彼女は彼女自身の仕事に忠実だ。
とにかく急いで報告をサクラ閣下に報告するべく、真っ青になってサクラ閣下のいる師団長室に駆け込んでいった。
途中、クリリン少佐を捕まえて、暗号中に依頼のあったアンリ外交官確保のお願いを出すあたりは、彼女の優秀さの表れだろう。
「閣下~~、大変で~す」
師団長室にはレイラ大佐が、サクラ閣下と打ち合わせ中だった。
そう、この基地の主だった者たちは先の定例昇進において皆昇進していたのだ。
その時の昇進について、この基地だけ優遇されているとか、何か色々と帝都で波紋を生じたようだが、殿下の強い推薦と、何よりこの基地が今まで上げた軍功は抜きん出たものがあり、信賞必罰を言われると、どこも何も言えなくなる。
それだけに帝都では、未だに、主に貴族たちを中心に不満が燻っているとも聞く。
逸れた話を戻すが、この基地のトップの打ち合わせの場に血相を変えたマーガレットが乗り込んできた。
「何をそんなに慌てている」
「ノックもせずに、失礼だぞ」
サクラ閣下とレイラ大佐の二人から不躾な態度を窘められたマーガレットが、青い顔をしながら手にした電文を震える手で前に出してきた。
「なんだなんだ、通信が入ったのか。お、これは暗号だったようだな。どれどれ」と言いながらレイラ大佐がマーガレットから暗号を解除した電文を受け取った。
「レイラ、何が書かれているの。良い知らせ?悪い知らせなら、今聞きたくは無いのだけれど」
サクラは暢気にレイラに電文の内容を聞いている。
電文を呼んでいたレイラは突然大声を上げ喜んだ。
「おお~~~、でかした。これは凄い」
「レイラ、何があったの?」
「ブル、喜べ。あいつが、グラスがついに現地勢力との接触に成功した。しかもだ。すぐに外交交渉ができるそうだ。電文で外交官を迎えに来るとある」
「わあ~~。それは凄い。これで、この基地の価値も上がろうというものよ。これから忙しくなるわね。…… あ、あれ?」
サクラが嬉しそうにレイラに話しかけているが、反応がない。
いや、今しがたまで会話していたので、反応がなくなったが正解だ。
マーガレットはまだ青い顔をしているが、頷いてさもあらんといった感じだ。
レイラが本文を読み終えて、追伸に差し掛かった段階でフリーズしていた。
全力をもって、手にした電文がもたらす情報の受け入れを拒否しているのだ。
「どうしたの、レイラ。何があったの」
固まっているレイラをいぶかしく思いながら彼女が手にしている電文を奪うように手に取った。
ゆっくりと電文を読んでいく。
当然サクラも追伸に書かれた箇所を読む。
そして、これも納得の反応だ。
「何なのよ~~~~。あいつ今度は何仕出かしたの!?これじゃ意味わからない」
やっとフリーズ状態から立ち直ったレイラが反応を返してきた。
「いや、あいつならやりかねない。なにせ、直近で敵の小隊、分隊規模だったが小隊を捕虜として連れ帰ってきたばかりだ。それが今度は中隊になっただけだよ。ワハハハ」
レイラは自分をどうにか納得させたくて言っているようなものだ。
隠語から捕虜の規模を過少に受け取っているのだが、それでも受け入れがたい。
最後には、ほとんど力なく乾いた笑いだけしか出ていない。
この時、正確に情報が伝えられていれば、この電文は無視されておしまいであっただろう。
絶対に常識ではありえないことだけに、そのまま無視されてここまで上層部を騒がすことが無かったであろう。
アンリ外交官には情報が伝わっているので、そう大きな問題にならず、後で大事になるだけだ。
幸いなのかどうかは分からないが、少なくともグラスが信じられない範囲で捕虜を連れて帰ってくることだけは伝わったようだ。
「そんなわけないじゃないの。今回あいつが連れて行ったのは2個小隊規模よ。中隊の捕虜なんかあり得ない。たとえ連れて行ったのが連隊いや師団でもできっこない話だわ。いいわよ、賭けをしてもいいわ。あいつが『中隊』の捕虜を連れてくるようなら、この基地内を私が裸で逆立ちして回ってあげるわ」
流石に冗談だとしても言ってよいものじゃない。
マーガレットがサクラを諫める。
「閣下、何を言われるのですか。幸い、ここには私たちしかいませんでしたから大事にならないでしょうが、とにかく落ち着いてください」
「わ、私は落ち着いているわ。貴方が証人ね。とにかくあいつが帰れば分かることだからね。それより、アンリ2等外交官に連絡しておいてね」
「先ほどクリリン少佐に伝言を頼みました。一応、ことがことなので、直接伺ってもらうように手配しました」
「それでいいわ。ありがとう。で、あいつはいつ戻るのかしらね」
「さあ~、何分どこまで行っているのかわかりませんので。でも数日中には戻る計算かと聞いております」
「数日中?ずいぶん大雑把な予測ね。いいわ、いずれわかることだから。いつ戻るか詳細にわかり次第報告を頂戴。いいわね」
サクラもレイラも手には僅かに震えが残るが、動ける状態にまで復活を果たした。
電文で使われている符丁の解釈が人によって違うという事実を後に知ることになるのだが、とりあえず日常が戻りつつある師団長室であった。
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