第25話 捨て猫

 基地の警戒レベルが、交戦寸前から一挙に通常レベルのやや上の要注意レベルまで引き下げられ、兵士が、各々持ち出してきた武器弾薬を元の武器庫や弾薬庫に戻しにバラバラとこの場を離れていった。

 時折聞こえる兵士の雑談や笑い声などで、今まで覆われてきた異常なまでの緊張感も一挙に吹き飛び、これが初陣と、極限まで張り詰めていた新任の准尉たちは、その場で呆然と立ちすくんでいた。中には腰が抜け、座り込む准尉たちも見受けられる。

 数々の激闘をくぐり抜けてきたベテラン兵士たちは、これらの光景を温かい目で見ていた。

 トーゴ大尉も自身の張り詰めていた緊張を解きながら、これほどの緊張感は自身の経験を鑑みても、かつてないほどであったと、実感していた。

 本当に、見えない敵ほど怖いものはないと改めて思い知らされた。

 もう周りには数える程しか士官はいなくなってきたが、その中でまだ毅然としている人物が一人いた。

 彼の部下からは『おやっさん』と慕われているサカキ中佐である。

 流石、あの帝国の英雄サクラ大佐からも絶大な信頼を得ている人物だけあって、一気に緊張が抜けるこの瞬間でも、いささかも気を緩めることなく、残務に当たっている。

 ゲート前がそんな感じの時に、戦闘補給の調整にあっていたジーナ准尉がゲート前に戻ってきた。

 ちょうど、警戒レベルが要注意レベルまで落とされた時に、ジーナは補給についてジャングル方面軍司令部から陸送で来たシーゲル・シバ中尉と相談していた。

 彼は、『おやっさん』ことサカキ中佐の秘蔵っ子と言われるくらいサカキ中佐に可愛がってもらっており、サカキ中佐率いる部隊で整備関連の責任者を勤めていた。

 ジーナ准尉はシバ中尉を連れて、ゲート前に到着すると、現場最高責任者であるサカキ中佐の元に赴き、状況の確認とその後の指示を待った。

「お前さん、トラピスト卿のお嬢さんか?ちょうどいいところに来た。山猫さんの一部がはぐれているらしい。そこにいるシバを連れて拾ってきてくれ」とジーナ准尉に向かって優しく話しかけ、その後、傍にいたシバに向かって大声で「シバ、聞いているか。そこのお嬢さんと山猫さんを連れて、迷子のネコさんたちを拾ってこい。バイクが2台ガス欠らしいから、ガソリンを忘れずに積んでいけ」

「おやっさん。分かりました。新型のトラック1台を準備してありますので、それで直ぐに向かいます。軍曹、みんなを連れてこちらに来てくれ。直ぐにトラックを出す」といって残っている山猫分隊の兵士達に向かって指示を出した。

 メーリカ軍曹がシバ中尉に「あれ、どうにかならないですかね。まるで、捨て猫を拾いにいくみたいなんですけど」

「口が悪いのは、いつものことなんで諦めてくれ。部下のことを大事に考えてくれる、面倒見の良いいい人なのだから、軍曹も直ぐに気に入ると思うよ」

 緊張感のなくなった現場に、思いっきり緊張感のない会話が続いた。

「准尉、部下を連れて、先ほどの倉庫前まで来てくれ。揃ったら出発する」

 一方、サクラに連れられているグラス少尉たちは、司令部がある建家に入ると、捕虜待遇の2人は待ち構えていたボンドット大尉に連れられ、小さな会議室に向かった。

 残りは、そのまま、サクラ大佐に連れられ食堂に入り、士官用に区切られたスペースに案内され、そこで朝食を取りながら報告をさせられた。

「詳細は、後で報告書を出してもらうわ。今は、朝食を取りながら報告を聞かせてちょうだい。少ないチャンスに食事をしないと食べられないみたいだから、願いね」

 サクラ大佐のトラウマのようなつぶやきに戸惑いながらも、アプリコット准尉が要点を整理し、わかりやすく今までの経緯を説明し、ところどころで機長から補足説明してもらい、報告と食事を終えた。

「輸送機クルーは、私と一緒に帝都に向かってもらいます。それまで、基地内で待機をお願いします。あいにく、基地は非常に混乱しており、十分なもてなしはできませんが、最大限の配慮をしますので、我慢してください。グラス小隊は、ここで移動は終了です。先ほどの転属命令書を受け取った時点で、この勅任旅団への転属となります。別命があるまでこの基地内で待機を命じます。早速ですが、川原で集めた物資をレイラ中佐に提出してください。マーガレット、幕僚を司令部に集めて頂戴。今後の対応を協議します。グラス少尉は、もう少し付き合ってもらうわ」といって、グラスのみサクラの旅団長室に連れてこられた。

 グラス一行の到着を知った旅団内の幕僚たちは、今までとは別の、ある意味ジーナに対して感じた疑惑をグラスに感じていた。

 彼の任官があまりに有名で、ほとんど死文化していた『戦地特別任用』をあの急進攻勢派が掘り起こし、わざわざ任官させた人物であったため、彼こそ、当基地を見張る工作員ではないかと疑っていたのである。

 サクラ自身もそのように考え、どの程度の人物かを見極めようと面接(尋問)を始めた。

 世間話から入り、任官の動機を問いただし、彼がその経緯を説明始めた時にレイラが合流してきた。

 グラスは、改めて、任官の原因がジーナの風呂場事件で、怒った彼女の親が、彼を殺すためむりやり軍に入れたという自身の不幸を説明した。

 一時は彼を射殺しかねない位怒っていたそうだが、周りが必死になだめ、今の状況で落ち着いたそうだ。

 サクラ旅団への配属は全くの偶然であった。

 トラピスト伯爵の希望は、彼を一刻も早く、激闘のある最前線に送ることだった。

 しかし、その彼自身は、およそ軍人の気質を全く備えてはおらず、方面軍総局内での見事なたらい回しを経て、最前線ではあっても、彼が配属された場合に他の前線に全く影響の出ない孤立したジャングルへの配属を決めた。でないと、彼の仕出かすことで、前線そのものが崩壊しかねないと思われている為であった。

 一部帝都内の貴族から「上官クラッシャー」だの「隊長キラー」だのと嫌われて、彼女らの上官になり手がなくなっていた「山猫」をあてがい、そのまま彼が『キラー』されることを望んでの人事でもあった。

 受け入れることになったジャングル方面軍でも、兵士として優秀な山猫は欲しい。

 しかし、例え独立しているジャングルとは言え、流石に彼に任せられる場所がないので、優秀な副官を当てることを考えた。

 でも、ただでさえ人気のない、半ば『死』しか見えてこないこの組み合わせ{帝国始まって以来の無能な上官と上司運の無い兵士}では、優秀な副官のなり手がない。

 ちょうどその時に、ある人事担当の参謀が、優秀ではあるが、その優秀さと出自を嫌われ予備役に回されそうになっていたアプリコットの存在を知り、彼女に白羽の矢を立てた。

 彼女は、上司運の無い山猫と、彼女が面倒を見る上司の無能さを正確に理解していないのが功を奏し、今回の人事が出来上がった。

 なので、分隊規模で副官までいる小隊ができた。

 ここで、増員をし、小隊にしなければならないのだが、サクラにとってはまた一つ頭痛の種が増えた。

 いつもの「呪われている」と口ずさみながら。

 面接の最後にサクラは、彼に、基地内待機を命じた。

 横に居たレイラが彼に、仮設だけど風呂があるから浸かってきたらと優しい提案をくれ、グラスは、その提案に素直に従った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る