再会した友人は遠くにいた

彩羅木蒼

 会社の外に出ると初雪が舞っていた。

 街灯に照らされたその雪はひらひらと地面に落ちて行き、地面に触れた瞬間に溶けて行く。まだ積もる事は無い。だが、街中が雪明りに照らされるまでそう長くはかからないだろう。

 今年も夏らしい事は全く出来なかった。

 道行く人は皆厚手のコートやダウン、マフラー等冬の装いで歩いている。俺もマフラーを首に巻き直し、待ち合わせの駅に向けて歩き始めた。

 今日俺は高校時代からの友人、瀬名一馬せなかずまと駅で待ち合わせをしている。瀬名とは近くに住んでいるのだが、ここしばらくは忙しさにかまけて全く顔を合わせていない。瀬名の方も仕事がかなり忙しい様で、連絡すら最近は全くしていなかった。

 そんな中、日が落ちた午後4時。瀬名から突然連絡が来た。内容は久しぶりに飲みながら話そうという事、瀬名の家で宅飲みをしようという事だった。

 もちろん俺はその誘いを快諾したのだが、瀬名が宅飲みを提案してくるのは珍しく思った。以前から瀬名は自分の家でなくとも宅飲み自体をしたがらず、店で飲む事の方が多かったからだ。何か気が変わったのだろうか。

 しばらく歩くとやがて待ち合わせの駅が見えて来た。

 丁度退勤ラッシュ時間帯だからか、人がめちゃくちゃに多い。その人の濁流にのまれながら俺は進んで行く。

 すると、前方には待ち合わせ場所に指定した大きな彫刻作品が見えて来た。その彫刻作品は、軽トラの荷台に大きなオッサンの顔が乗っているという何とも意味不明で不気味な造形をしているのだが、その奇抜さ故に待ち合わせスポットとして有名になっていた。

俺はこの彫刻作品を結構気に入っている。しかし、同じ会社の人間に聞いてみると、好きだという人は一人もいなかった。良いと思うんだけどな......。

 その奇抜な彫刻の前に瀬名はいた。スマホに視線を落としている瀬名は俺に気づいていない様子だ。

「瀬名! 久し振りだな」

 呼びかけると瀬名はスマホから顔を上げてこちらを向いた。

 茶色に染めた短髪、大きな目、整った目鼻立ち、180センチ以上はあろうかという長身。瀬名の容姿はモデル張りに整っている。だから街中でも結構目を引く。それと意外な事に瀬名は私服だった。

 瀬名は最初なぜか悲しそうな顔をしていたのだが、直ぐに笑顔になり「おっす和希」と返して来た。

「ん? 何かあったのか?」

 瀬名の最初に見せた悲しそうな表情が気になった俺は、脈絡みゃくらく無くそう尋ねた。

「なんで? なんともないけど」

 なんでそんな事聞くの? という表情をしている。どうやら俺の思い違いだった様だ。

「いや、なんでもない。そういや今日は瀬名の家で宅飲みだったよな? 瀬名の家一人暮らし初めてから1回も行った事無いからなー」

 瀬名は笑いながら答える。

「ほんとね。こんなに近くに住んでいても全然合わなかったもんな。まあ仕事がお互い忙し過ぎたって言うのもあるし」

 俺の職場はブラック企業すれすれの忙しさだ。一方の瀬名は完全なブラック企業で働いている。"漆黒企業"と言っても良い。前に瀬名から聞いた話だと、朝7時から夜12時まで働いていると言っていたが、まだそんなハードワークなのだろうか。

「瀬名はまだ前のブラック企業で働いてんの?」

「いや、もうやめて悠々自適に暮らしてるよ……って言いたい所だけど……まだ働いてる」

 そう言って瀬名は肩を落とす。

「まじか、朝7時から夜12時までの勤務時間も変わらず?」

「変わらず。全然家にいないから家賃が本当にもったいない」

 瀬名程ではないけれど、俺も家にはあまり居ないから、瀬名の『もったいない』という気持ちもわかる。殆ど使わない高額なサブスクリプションサービスを契約し続けてる様なものだ。だからと言って解約すると住む場所が無くなる。なんと厄介な。

「けどまあ瀬名は今日休みみたいだし、気晴らしにパーッと飲むか!」

「休み?」

「いや、だって瀬名私服じゃん」

 瀬名は自分の体を見た後に、どこか他人事の様に「ああ」と声を漏らし、「今日俺早退したんだ」と続けた。その言い方は忘れていた何かを今思い出したかの様だった。

「ええ、大丈夫なのか? 体調悪いとか無いのか?」

「ああ、いや、もう大丈夫になった。全然大丈夫。じゃ、もう行こうか」

 本当に大丈夫なのか疑わしかったが、俺は瀬名と一緒に歩きだした。

 やっぱり変だ......。

 俺は今日駅前に来てからずっと抱いていた違和感を瀬名に伝える事にした。

「なあ、瀬名、なんだかやたらと通行人からの視線を感じないか?」

 瀬名と会った時からずっと気になっていた事だった。老若男女問わず通行人が俺達の方を見て来ている。最初は勘違いかと思ったのだが、そう思うのが難しい程だった。

「いや、全然気にならないけど」

「マジで?」

 俺は驚いて隣にいる瀬名を見たが、全く気にしていない様子だった。俺が自意識過剰なだけなのか?

 まあ、瀬名が全く視線を感じていないなら気にしても仕方ないか。うん、出来るだけ気にしないようにしよう。

 俺はそう自分を納得させる事にした。


 しばらく歩いていると、俺は自分が飲む分の酒を買っていない事に気づいた。俺はコンビニに寄っていく事を瀬名に伝える。そうして二人で入った店内は、暖房のおかげでとても暖かかった。

 俺は生ビールとつまみになりそうな物をいくつか。後、夕飯の弁当を買う事にした。

「瀬名は何か買ってかないのか?」

「いや、あらかた家にあるからいいかな」

「準備イイな! じゃあ俺はちょっと買ってくるわ」

 瀬名は「終わるまで雑誌見てる」と言ってトイレ近くの雑誌コーナーの方に歩いて行った。

 レジには3人の買い物客が並んでいる。その客達が手に持った商品を見る限り、そんなに時間はかからなそうだった。

 レジの列に並んだ俺は、瀬名と会ってからコンビニに来るまでの事を思い出していた。

 瀬名が働いている会社の様子は前から聞いていたから、正直かなり心配していたのだ。だってあんな常軌を逸した勤務時間で働いていたらいつ体を壊してもおかしくない。最悪精神を壊す可能性だってある。

 けど、今日の瀬名の様子を見て少し安心した。会って直ぐのあの悲しそうな表情と、今日会社を早退したという事は気にはなるが……。

 前に並んでいる客が次々と会計を終えて行く。俺は段々とこのコンビニから早く出たいと思い始めていた。

 この店に入った時から感じていたのだが、駅前と同じ様に周囲の人間がこっちをチラチラと見て来ている。見て来るのが一人や二人だったら自意識過剰で済ます事が出来るが、明らかに店内にいる店員を含めた殆どの人間がこっちを見てきているのだ。

 最初は瀬名の事を見ているのだと思っていたが、どうやら違う。見てくる人間の目線は瀬名ではなく明らかに俺の方を向いている。

 ——一体なんだと言うのだ。

 別に裸で出歩いている訳でも無いし、どこかの指名手配犯に似ているという訳でも無い。

 いや、正確には指名手配犯なんて全て把握していないけれど、会社でそんな事を言われた事は一度もないから誰にも似ていないはずだ。

 やっと会計の順番が回って来た。

 俺は店員の顔を出来るだけ見ない様にしながら、普段なら絶対に出すポイントカードを出し忘れる程急いで会計を済ませた。

 俺は出入り口の自動ドアに向かいながら、雑誌コーナーにいる瀬名に向けて「終わったから行くぞー」と声を掛けた。

 瀬名は「おう」と言いながら見ていた雑誌を棚に戻し、俺の方に歩いて来る。

 俺は瀬名が来るのを待ちきれず、先に外に出た。背中に刺さる店内からの視線を感じながら。

 

 外は会社を出た時よりもさらに寒くなっていた。

 ふと俺は不思議に思っていた事を瀬名に伝える。

「そういや瀬名、その恰好寒く無いの?」

 瀬名は厚手のセーターこそ着ているものの、上着を着ていなかった。

 この気温で流石にセーターだけは寒くないのだろうか。

「いや、全然大丈夫。そんなに寒さ感じないしね」

「マジか……気温今マイナスだぞ、そんなに寒さに強かったっけ?」

 俺はスマホの天気アプリを見ながら言う。今の外気温はマイナス5度だった。

「いやーまあ、雪国育ちだからね」

「それを言うなら俺もだわ」

 そう言いながら二人で笑った。

 なんだか久し振りの感覚だった。

 表通りの人込みを歩いていると、前方から見慣れた顔が歩いて来るのが分かった。金髪、大きな丸眼鏡、あ、姉ちゃんだ。

前方から歩いて来たのは俺の姉、錦美香にしきみかだった。姉はこの都会で美容師として働いている。姉が働いている美容室は俺の家から結構近いのだが、流石に一回も行った事は無い。姉と俺は割と仲が良いとは思う。瀬名と姉も仲が良い。地元にいた頃は良く三人で話していた。

 俺達に気づいた姉は、小さく手を振りながら近づいて来た。

「お、あんた仕事終わり?」

「そうだよ、今日は早く上がれた。姉ちゃんも?」

「そー、あたしの方はちょっと長引いちゃってねー」

 そう言ってから、姉は俺が手に持っているコンビニの袋を見た。

「えー随分買ってんねー、え、何? もしかして宅飲み? 彼女と?」

 姉はおちょくる様に言ってくる。ええい面倒くさい。

「なんでそうなる……違う、今日は瀬名の家で宅飲みするの」

 瀬名の名前を聞いた姉は途端に懐かしそうな顔になった。

「ああ! 瀬名君ね! 懐かしいなー。あんたが大学の頃以来会ってない」

 就職後は忙しく、俺だけじゃなく姉とも瀬名は少し疎遠になっていた。

 だから、姉と瀬名も今日が久し振りの再会となる。

 姉は直ぐに瀬名に話しかけると思ったのだが、突然奇妙な事を言い始めた。

「瀬名君は元気でやってるの?」

「……え?」

「いや、瀬名君は元気でやってるの? って」

 突然何を言い出すんだ? 

「姉ちゃん何いってんの? 瀬名はここにいるじゃん」

 俺はそう言って隣にいる瀬名を指さした。

 姉は瀬名の方を見た。そして、ゆっくりと俺の方に向き直った。

「……あんたこそ何言ってんの?」

 姉の表情は困惑に満ちていた。本当に何を言っているのか分からないと言うように。

 なんで瀬名がここにいるのが分からない? 姉ちゃんの方こそどうしてしまったんだ?

 俺は隣にいる瀬名を見やった。瀬名は困った様な顔で笑っていた。

「ほら瀬名困ってるじゃん。瀬名も姉ちゃんになんか言ってやって」

 そう言ったのだが、瀬名は困ったような笑みを浮かべたままだった。

 すると姉は「あ、あんた……相当疲れてるみたいだから早く帰って休みなさいよ!」と言って逃げる様にその場を離れて行った。

「え、ちょ、ちょっと」

 俺は呼び止めようとしたが、間に合わなかった。俺の横を通り過ぎていく姉の横顔には困惑と、なぜか恐怖の色が浮かんでいた。

 一体姉はどうしたのだろう。あんな慌てた様子の姉は見た事が無い。しかも、普段の姉ならこんな風に人の事を無視するなんて事は絶対にしないはずなのに。

「瀬名……なんかごめんな、お前も知ってると思うけど、普段の姉ちゃんはあんな感じじゃないんだ。疲れてんのは姉ちゃんの方だよ」

「いやいや、わかってる。大丈夫。しかし美香さん久しぶりに見たな、元気そうで何よりだよ」

 そして瀬名は笑顔を浮かべて続ける。

「よし、もう少しで俺の家だから行くか」

「おう」

 俺たちはまた歩き始めた。

 やたらと通行人に見られる事といい、さっきの姉の態度と言い、今日は変な事が良く起こる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る