第11話 せめて顔だけは綺麗に確保して飾っておこう



 爆音とともにビルの屋上から巨大な蔦植物が顔をのぞかせた。先についていたエレベーターの箱も天井も突き破ったその蔓から、狸と狐は屋上に降り立つ。


 空には風にたなびく宵色の雲。星の瞬きを朧に霞ませ、月明かりが注いでいる。ただ人の目には、大穴が開いて謎の巨大植物が顔をのぞかせているほかは――それも十分異常なのだが置いておいて――静謐な、なんの変哲もないビルの屋上だろう。洒落っ気もなく、手入れもほぼないまま、風雨にさらされ薄汚れている。

 しかし、狸たちの目に映る光景はまるで違った。


「わぁあ……育ちすぎぃ……」

 苦笑いで狸はぼやいた。


 あたりは一面、《ケガレ》の触手が波打ち這いまわり、あちこちに黒い塊が蹲って蠢いていた。人のような、獣のような、虫のような――歪な形。そのうちで、無数の赤い目玉が不穏に瞬いている。

 そんな塊のうちひとつで、なにか白っぽいものがひらひらと動いた。


「ワオ! 狸! 狐! ココだよ! ココ! なんかすっごくヤバいことになってる気がするヨ!」

 青年だ。蠢く触手にまきつかれながら、半分以上黒い塊に身体を飲まれている。――のわりには、ぶんぶんと振り回す手のひらも勢いよく、顔つきにも声音にもどうも緊迫感がない。


「……いた」

「思ったより元気そうでよかったな」

「もう少し生気吸わせておくか……」

「よく聞こえないけどなんか酷いコト言われた気がするヨ! 助けてヨ!」

 ずぶずぶと黒い塊に飲まれながら青年がブーイングの声をあげる。忌々しいとばかりに、狸は特大の舌打ちを打ち鳴らした。


「仕方ない、助けるか」

 狸と狐の生気と妖気に誘われて、ずるずると這い寄ってきた触手を蹴り払い、彼は駆けた。


 走り抜けるその両足を引きずり切ろうとでもいうように、黒く《ケガレ》が覆う床から、船幽霊のごとく触手が伸びてくる。それを木の葉の刃で一掃し、着物のたもとをひるがえして、狸は瞬きの間に青年の前へと躍り出た。


 月明かりになびく蜜色の髪に、同じ色の瞳が爛々と照り映える。凛と闇を射すくめるその姿に、青年が目を輝かせて感嘆の口笛を吹き鳴らした瞬間。


 その音が空気に溶けきる前に、青年を取り込んでいた黒い塊が肥大化して、そのまま彼の身体を丸飲みした。獲物を奪われまいと蠢くそれは周りの塊を吸収し、餓鬼の腹のように膨らんで、狸の身の丈をはるか越した人型を為して、踏みつけようと大きな足を振り上げてくる。


 が、それを許さず、狸が指を弾いた――瞬間。床から伸びた無数の鋭い木々の枝が、槍のごとく黒い餓鬼の腹を貫いた。


 めった刺しにされた《ケガレ》が身を揺するも、その苦悶の声もお構いなしに、狸の樹木の槍はさらに鋭い枝を伸ばし、張り巡らし、内側から《ケガレ》を引きちぎる。

 切り裂かれる勢いのままにはじけ飛ぶ、黒い塊と同じように、取り込まれていた青年の身体が空を舞った。


「オウ! 黒ヒゲの気分ダヨ!」

「っとに、君は余裕だな! 危機感を持て!」

 危機一髪もなんのその、いてっと尻もちをついて着地した青年に狸が言い捨てる。


「お尻が痛いヨ! どうして受け止めてくれなかったんダイ!」

「そこまでのサービスは含まれてないんだよ、この能天気ホモサピエンスが」

 文句をたれる青年を狸は冷たく見下ろし据えた。と、その時だ。


 ぐらりと屋上全体が激しく揺れたかと思ったら、狸の足元から一息に真っ黒な《ケガレ》の濁流が巻き起こった。

「狸――っ!」


 青年の絶叫も虚しく、狸の姿は黒い竜巻の中へと一瞬で消え失せた。彼を飲み込んだ《ケガレ》が逆巻き、うねり、大蛇の姿へと変じて、空へと昇り駆ける。


「完全に喰われたな。相も変わらず爪が甘い……」

 ため息まじりに狐は天を泳ぐ大蛇を見つめ上げた。


「惜しい狸を失くした。せめて顔だけは綺麗に確保して飾っておこう」

「オウ……ソレ、ボクの部屋に置いておいてネ」

「伏して金を払って私の部屋に拝みに来い」

 にべなく狐が返した瞬間。轟音が響きわたった。両断された大蛇の身体が屋上に墜落したのだ。大蛇の身体を綺麗に葉っぱの刀でかっさばいた狸が、ふたりの前へと舞い戻る。


「助けろ! 下衆ども!」

「息災でなによりだ」

「狸、カッコイイヨ~!」


 全部聞こえてたんだからな、と噛みつく狸に、癪にさわる笑顔どもはまるで悪びれる様子がない。これが信頼のよせ方ならば最悪の部類だ。

 たれ目でなければこの煮え湯のような苛立ちを、もっと浴びせかけていたところだ。まだ肩や腕にへばりついてる大蛇の腹の残りかすを、怒りとともに狸は払い捨てた。


「それにしても……いまぶった斬った蛇の《ケガレ》。結構な大きさだったのに、まだぜんぜん残りの《ケガレ》がうごうごしてるね。っとに、ずいぶん肥大化したものだよ……。これ祓いきるの、相当手間じゃない?」

「そうだな。そして、私たちにそれをしてやる義理もない。首なし死体の弟分がそのあたりに転がっていればと思ったが、喰われたあとならばとっとと帰るか」

「それなんだけど、アレ。アレ、違うのカイ?」


 青年が指さした先。そこには屋上につながる階段室があった。本来の姿は見る影もなく、《ケガレ》と一体化し、脈打つ黒い肉の塊のようになっている。そのうちに、ひときわ触手が群れて膨れ上がった場所があった。そこからかすか、靴の先らしきものがのぞいている。

 くだんの男の身体が、壁のうちに埋め込むように囚われているのだ。そこに、触手が集まり食事を楽しんでいるらしい。


「目がいいな」

「ボーイスカウトでならしたからネ!」

「化生より視認能力高いのはそういうレベルじゃないと思うけど……」

 こぼれた狐の感想に得意げに青年は胸を張るが、狸はいよいよ青年の人間性へ疑惑の白い眼を向けた。


「まだ生きてるようだ。うめき声がする」

 ぴくりと狐耳が、遠く《ケガレ》に埋まってくぐもる音を拾い上げた。よくよく観察すれば、かすかのぞく靴の先も、意思と抵抗をもって動いているように見える。


「喰うのに時間をかけるタイプの《ケガレ》なのかな。命拾いしたというべきか、苦痛が長引いているというべきか……まあ、どっちでもいいけど、助けるの?」

「せっかくの犯人候補だしな。人の形が残っているなら、使えはするだろう」

「まあ、ここまで来て無駄足ってのも癪だしねぇ。戦利品ぐらい欲しいか」

「オウ、人道意識の欠如はなはだしい会話ダヨ~」

「人のくせに道義の脇道ばく進してるような君にだけは言われたくないね」


 言い捨てるとともに、狸は青年の太い脚を蹴りつけた。「イタイヨ~」と青年が蹲ると同時に、蹴られた箇所がほのかに緑の光を帯び、瞬く間に青年の全身を包み込む。


「ワオ! なんか発光したヨ!」

「また喰われないようにしてやったんだよ。俺の名誉のためにも、下手に動くなよ」

「……そんな風に言われるとウズウズするヨォ」

「絶対にやめろ!」

「狸、いくぞ。あいつがもたなくなりそうだ」


 いつまでじゃれてる、と呆れた声の狐が見つめる先。かろうじて動いていた足先が、力なくのぞくだけになっていた。

「みすみす徒労に終わらせる気か?」

「毛頭ないけど?」

 微笑をたずさえる狐の口端をちらりと見やり、忌々しげに狸は指を弾いた。


 とたん、一瞬であたり一面に鋭い棘もつ蔓植物が生え広がった。その鋭い棘が、床を這いまわる《ケガレ》の触手を千々に切り払い、夜へと散らす。


 その攻勢に、壁に群がっていた触手がぞわりと不気味に揺れ動いた。いまだ床にのたうつ黒い残骸が吸い寄せられるように集まりゆき、壁の群れと見る間に合わさっていく。ぼこぼこと歪に隆起する塊が、ナニカの形をとろうと巨大に膨れ上がった。


 と、その《ケガレ》の塊を覆って、青白い狐火があまた灯った。ぼんやりと淡く冷たく揺れる炎がゆるりと動き、《ケガレ》の巨体を囲むように尾を引いた瞬間。

 闇夜を白く燃え上がらせて、氷が《ケガレ》を包み込んだ。まだ確かな形を得る前の塊が、一瞬で凍てつき粉々に砕け散る。


 ふわりと頬をなでた冷気の名残りが夜風に溶ければ、そこにはもう、《ケガレ》の姿は消え果てていた。


「……相変わらず、腕だけはいいね、君は」

「腕だけ、か?」

 ひょいと、不貞腐れた顔を覗き込む金色のたれ目に、狸はだんだんと悔しげに足を踏み鳴らした。


「顔も! あとたれ目も! くそ、分かりきった角度で覗き込んできやがって! むかつく! ごちそうさまでしたっ!」

「狸、トッテモ正直!」

「ここまで素直でありながら、なにを意固地に拒むのかいまだに分らんな」

 荒ぶる狸を眺めやりつつ、狐は肩をすくめた。


「さて……《ケガレ》も始末し終えたことだ。本題の方を片付けるか」

 流した目線の先には、震えながら転がる男の姿。手足や体のほうは無事なようだが、果たして精神の方はどうであろうか。


「助けた甲斐があるといいがな……」

 月明かりになびく銀糸は、酷薄にぼやいた。






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