1-3:旦那様はダメです


 俗称新婚生活が始まって一週間が過ぎた。

 普通の夫婦なら甘々な日々でバラ色に全てが見えると思う、多分。



 でも今の私の膝の上に気持ちよさそうにお腹を出してブラッシングを受けるヨークシャテリアのお義父様がいた。



「父さん、薪割り終わったよ! くべるから火をお願い!!」


「きゃんっ!」



 多分この鳴き声は分かったという合図だろう。

 守さんが軍手をしたまま居間に入って来た。


 私がブラッシングを終えると膝の上のヨークシャテリアは、したっと膝から降りてぶるぶると体を振ってから少し離れてボンっと煙を立てて初老のおじさんになる。



 これが私が嫁いだ湯本家である。

 そう、信じられないかもしれないが湯本家の人たちは物の怪の血が混じった妖怪家族だったのだ!



「なんて小説にでもしたら売れるかしら?」


「どうしたんだいかなめさん?」


「いえ、なんでもないです守さん。所でお義母様は?」


 光熱費や薪が高いからってこの湯本銭湯は朝風呂と夕風呂の二つの時間に分かれて営業をしている。

 そして営業時間の特に長い夕の部が始まる。

 その頃には一家総出で銭湯の家業をこなす。


 この一週間甘い生活どころか家業を覚えるので忙しかった。



「そう言えば、母さんは月に一回の会合だったな。今日はあっちのね」


「会合、ですか?」


 お義母様は狐と人間の血が混じった物の怪で、何百年も生きているらしいけど人の姿の時にはやたらと色っぽいお姉さんの姿になる。

 正直私も嫉妬してしまいそうな美貌の持ち主なのだけど、番頭に立つときはかわいらしいおばあちゃんの姿に化ける。


 となると、今日は番頭にお義父様が立つのかな?

 私が首をかしげていると守さんは笑いながら言う。


「会合ってのはこの辺にいる物の怪の集まりなんだ。母さんはこの地では古い物の怪なんで東のお狐様とも言われてるらしいんだ。えーと、江戸に西から余計な物の怪が入ってこない様に見張ってもいるって言ってたな」


「お義母様ってそんなに偉い人だったんですか!?」


 そう言えば八王子の歴史でそんなような話を聞いたような。

 その昔江戸の各所にお稲荷様が祀られ、それは江戸の街を守るためのものだって言われてたらしい。

 うちのお義母様がその重要な役割をしていただなんて!


「でも今は物の怪の数も減ってこの地にいるのは皆ひっそりと暮らしている者ばかりなんだ。西も今は皆大人しくなって京都の物の怪だって昔に比べたらね」


「は、はぁ……」


 守さんはそう言いながら玄関に向かう。

 裏ではお義父様がお湯を沸かしている。


 守さんは営業中の札を出し、のれんを掲げる。

 そしておもむろに番頭の台へ。



「ちょっと待ってください、守さんなんで番頭に!?」



「いや、今日は母さんがいないから僕が代わりに番頭に立つのだけど?」


「駄目です!! ば、番頭に立ったら他の女の人の裸見れるじゃないですか!!」


「いや、そんなじろじろ見る訳じゃないしこれってちゃんとした仕事なんだけど……」



 そんなの駄目っ!

 ほ、他の女の人の裸見るだなんて許せない!!


 守さんにはれっきとした私という妻がいるのに他の女の人の裸見るだなんて許せない!!



「お義父様に代わってもらえないんですか?」


「父さんはねぇ……」


 そう言って守さんは奥の方を見る。

 意外な話だけど、銭湯のボイラーって古いタイプは裏方で薪くべの番付をしなくてはならない。

 新しいところなどは全自動らしいけど、この「湯本銭湯」にはそんな余裕はなく従来通りの薪くべをしているらしい。


「火の番付、守さんじゃ出来なんですか?」


「いや、それが父さん番頭に上がるとついつい若い女の子に目が行って、こっそり犬の姿になって甘えたりするんだよ。おかげで毎回母さんに大目玉なんだけどね」


 うっ。

 確かにお義父様がヨークシャテリアの姿になれば女性だったら抱き上げたり撫でたりしたくなっちゃう。

 お義父様もしょっちゅう私にブラッシングを要求してくるし、あのつぶらな眼差しで見られるとお義父様と分かっていてもついついやっちゃうのよね~。


「じゃ、じゃぁ私が番頭に立ちます!」


「え? かなめさんが?? うーん、まあいいけど大丈夫かな?」


「大丈夫です、とにかく守さんが他の人の裸見るなんて許せません! 私って妻がいるんだから!!」


 私がそう言うと苦笑する守さん。

 でもすぐに「分かった」と言い上がる為の階段を準備してくれる。



「ここに小銭を並べるのがあるでしょ? 時間がある時は同じ小銭をこの溝に並べるんだ。そうするとお釣りとかもすぐに出せるからね。お札はこの小銭を並べるやつの下にしまう所があるからね。あと、領収書とか欲しいって人がたまにいるんだけど、それはこっちの小物入れにあるからね」


 階段を上って番頭に立つと意外と高い。

 足がしびれない様に椅子みたいになっているので助かるけど、確かにこれって初めての経験だしちょっと楽しくなってきた。



「ああ、あと石鹸とかあかすり、タオルはこの値段だよ。ここに値段表があるからそれを見てね。それと緊急時にはここの下にあるボタンを押して。すぐに僕たちに分かるようになっているから」


「はい、分かりました」



 前にコンビニとか接客のバイトもやった事あるからまあ大丈夫でしょう。



「おっと、それと特別なお客さんが来たら『嫁に来た』ってハッキリ言ってね。多分みんな聞いてくると思うから」


「特別なお客さん?」


「物の怪のお客さん。ちゃんとお金は払って人間に化けてるから大丈夫だけど、母さんがいないと調子にのっちゃうのもいるからね。かなめさんが『嫁に来た』って言えば警戒して悪さはしないと思うからね」



 うーん、話には聞いていたけど今までそれっぽい人は見た事が無い。

 でも守さんがそう言うのだから注意しよう。



 とにかく、旦那様が他の女性の裸見るのはだめです。

 私は頷きながらそう思い、初めての番頭をして見るのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る