第1章 日常

第1話 捨てられない

「今日も美味しかったよ。それじゃあまたね、麗奈ちゃん。連絡待ってるから」


「ありがとうございましたー」


 件の女性――小百合さゆりさんは、手を振って店を出て行った。


「麗奈ちゃん、棒読み」


 振り返れば、苦笑している店長さん。


 仕方ないじゃないですか。


 だって、

「毎日来て、連絡先を渡される私の気持ちになってくださいよ」


「好かれてるねえ」


「そうですねえ……じゃないんですよ」


 他人事だからって呑気に言うなよ。


 この店に来てくれることは嬉しい。


 個人経営で大手のカフェみたいに滅茶苦茶繁盛しているわけじゃないこの店。


 常連さんのおかげで経営が成り立っているようなものだ。


 その中で飛びぬけて来る頻度が高いのが、小百合さん。


 よくもまあ飽きずに、毎日来れるよなあ。


 彼女はカフェラテを一杯だけ注文し、飲み終わったら即帰る。


「仕事、なにしてるんですかね」


「ん?」


 純粋な疑問を口にすれば、店長は首をかしげた。


「派手髪ですし。毎日決まった時間に来ますし」


「あー成程。たしかに気になるね」


 毎度渡されるメモには、名前とSNSのID、電話番号しか書かれていない。


 てか、ただの店員にそんな個人情報を渡しちゃっていいの?


 普通ダメだよね。


 悪用される可能性は考えてないんだろうか。


「今度聞いてみたら? 直接」


「えっ、嫌です」


 思わず即答。


 どうして私が。


「聞いたら最後ですよ。興味持ってもらえたって勘違いされちゃいます」


 面倒なことになるのは確定事項。


「えー麗奈ちゃんの方が興味持っちゃってるんだから、いいじゃん」


「……あっ」


 しまった。


 店長の言う通りだ。


 無関心でいようと思っていたのに、仕事のことなんか気にしちゃってる。


「それに、毎回メモを律儀に持って帰ってるでしょ?」


「アッ、ハイ、ソウデスネ」


 捨てればいいのに。


 興味がないなら。


 迷惑なら。


 何故か私は、毎回家に持ち帰ってしまうのだ。


 これまでもらったメモは何十枚。


 店で捨てることに抵抗があるなら家で捨てればいい。


 なのに、やっぱり捨てられない。


 リビングの机の隅に、クリップで止めて置いてしまっている。


 その理由は……私にもわからない。

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