第八話 ※なお人間だけではない(後)

一体どうしてここにいるのか、強く扉を開ける音と共に現れたのは我が旧友、ベルルイレ・ゼトであった。そして、その彼女は私たちを指さして愕然としている。一体何が……って、そうか。


彼女の視点に立って見れば、友人が人間に向かって堂々と誓隷紋などという変態御用達の魔法を刻もうとしているわけで、そんな反応も無理はないのか。


しばらく震えていたベルルは、不意に覚悟を決めたような表情を浮かべ、人型に封じてもなお高い脚力でこちらに突っ込んできた。


「おっと」


ベルルの狙いは……私の魔法。彼女は私と未姫たちの間に割って入り、構成中だった誓隷紋の魔法を叩き壊した。


「再会早々、随分なあいさつだね」


私を見据えるベルルは、闘争の頂を謳う誇り高き龍の戦士の貌をしていた。彼女のその瞳を、戦意を正面から見るのは随分と久しい。そんな彼女は私が大した焦りを見せないことに苛立ったのか、声を荒げる。


「なに……ヘラヘラしてんのよ! 自分が何やってるのか分かってないの……?」

「なにって……ああ」


……嗚呼、ようやく理解した。彼女が憤っているのは、私が我々の協定を破って魔法を使っていると勘違いしているのか。


「協定破りは重罪……それも誓隷紋を人間に使うだなんてバレたらどんな罰を受けるか……!」

「まぁ、私を裁ける者がどれだけいるのかという話ではあるけどね」

「茶化さないでよ! そうなったら……アタシもキュリーもルナもハルも、アンタの始末を命じられるかもしれない……!」


相当葛藤しているのか、ベルルの瞳は潤んでいた。さすがに悪いので、そろそろネタばらしをするとしよう。


「ベルル。ほら、これをもう一度読んでみるんだ」


収納空間から確認のために保管してあった協定の写しをベルルに手渡し、条文を声に出して読むよう促す。


「これ……協定の条文? 読めって……ん……『同意なく人間の男性にわいせつな行為をした者、又は肉体及び精神に干渉する魔法を使用した者は厳罰に処する。本協定は全ての種族に適用されるものとする。』……って、これが」

「男性。そう明記されているだろう?」

「ああ……え、だから人間の雌はセーフって、もしかしてそう言ってるわけ?」

「うん」


私の主張を把握しただろうに、毒気を抜かれた後何故か安堵するでなく「こいつマジか」とでも言いたげな目線を向けてくるベルル。なんだねその呆れ顔は。


「へ、屁理屈……」

「どこがだ、実際違反していないだろう」


正直なところ、なぜわざわざ協定に男性と明記されているのかは謎だが、私の勝手な推測では協定成立の過程で同志が意図的に抜け道を作っておいたのではないかと踏んでいる。貴殿に心からの感謝を。


「で、でも……違反してなくても魔法で心を弄ぶなんて……」

「あ、あの!」


そこで、今まで様子を見ているだけだった未姫が立ち上がって声を上げた。


「今のは合意で……その、私が刻んで欲しいって……」

「ご、合意? ……言わされてるってわけでもなさそうね……」


未姫の証言で、ベルルの私への疑いは完全に晴れただろう。というか、さすがに信用がなさすぎではないだろうか。いくら魔法耐性0の人間相手なら幾らでもその心身を操れるとはいえ、ベルルの中の私は本当にそれをやるような奴なのか……?


「……そう。まぁ、一応納得したわ。悪かったわね、アスティ」

「謝ることはないよ、ベルル。どうせ君は私に謝罪を要するほどの損害を与えることはできないからね」

「この……ッ! ……にしても、やっと謎が解けたわ。女学園なんか選んでなんで楽しそうなのかと思ったけど……その子と……」

「あ、揺川未姫です〜」

「未姫……付き合ってるの?」

「はい!」

「ふーん……物好きね、未姫もアンタも」


そう言って、ベルルは私にだけ皮肉のこもった視線を向ける。物好き、というのは未姫に対しては『コレの何がいいんだか』という意で、私に対しては女性を選ぶなんて、という意味だろう。


「……真相を知ってみると拍子抜けね。まぁ、ライバルが減ったと思うことにする……とりあえず、おめで」

「ちょ、ちょっと……!」


事態が全て丸く収まりかけたその時、ずっと会話に入ってこれなかった燐華が初めて声を上げた。


「あぁ、貴女は?」

「藤村燐華……私も、明日乃と付き合ってます!」

「…………は?」


私の友人らしきベルルに、未姫が私の正妻として扱われることが不満だったのか、燐華は私の腕を取ってそう主張した。


そして、ベルルがその言葉の意味を理解した瞬間、私を見る目が今日で一番冷たいものへと変わる。


余談だが、我々向こう側の者の恋愛観は概ね二つに分けられる。捕まえてきた伴侶と二人っきりで永い時を過ごそうとする者たちと、男性を一族の共有財産として囲もうとする者たちだ。どちらにせよ、一般的に我々は一度決めた相手を永遠に想い続ける。つまりは純愛至上主義、二股などもっての他なのである。


「アスティ……アンタ……」

「いや、待ってほしい。仕方がないだろう? ここには私を想ってくれる娘が何人もいるんだ。度量も甲斐性もあるのに応えないなんてできるはずがないだろう?」

「な、何人もって……その二人だけじゃないの……?」

「まぁゆくゆくは」

「ゴ……ゴミ……」


やましいことではないと思っているので正直に話すが、ベルルとの距離は遠ざかるばかりだった。


「あ、アンタ達はそれでいいの!?」

「ちょっとモヤモヤするけど……私の望みを叶えてくれるのは明日乃ちゃんだけだから……」

「私は……ずっと一緒にいられるなら……」

「…………」


二人の答えに、ベルルは信じられないものを見るような目で私を見て、やがてその視線は救いようのないものを見るかのような視線へ変わっていった。


「そんな目で見ないでくれベルル。君は誤解している、いや私の深い愛情を分かっていないだけなんだ。これは正真正銘、純粋な愛なんだよ、順番をつけるつもりもない、その時触れ合っている娘が一番なんだ……いやみんな一番なんだけど、ともかく、私は誠実に彼女たちと向き合っていて、そんな目で見られる謂れは」

「もういい、黙りなさいアスティ」


私の主張に頭を抱えたベルルは、私を黙らせると、こめかみを押さえながら口を開く。


「……なんか、邪魔して悪かったわね……」


そしてそのまま、来た時とは対照的に萎みきったスピードで部屋を出ていこうとするベルル。そんな後ろ姿に、私は努めていつもと同じ声色で声をかけた。


「ベルル。次に来る時は連絡を頼むよ。君の好物を用意しよう」

「……え、あ、ありがと」


私の友人としての呼びかけに、いつもと同じように反応してしまうベルル。終わり良ければ全てよしというので、これで次会っても自然に接することができるだろう……多分。


私の悪行……じゃない、所業?仕業?がベルルにバレてしまった。とはいえ、規則にはなんら抵触していないからここまで派手にやっているわけで、バレたからといってどうということはない。それよりも彼女の癖を歪めてしまっていたら申し訳ないと思う。


すみれの件も、面白い勝負を仕掛けられたとはいえすぐに関係が動くわけでもあるまいし、今後じっくりと駆け引きを楽しんで仲を深めていこうじゃないか。


「ねぇ明日乃ちゃん、今の娘は?」

「あぁ、紹介しそびれたね。彼女はベルルイレ・ゼト。自慢の友人さ」


今日もお互い色々言い合ってしまったが、あれも深い仲の証。彼女は正真正銘、得難い友人で、私の誇りだ。次会えるのがいつかは分からないが、時で離れるような仲ではない。







……などと考えていたら、翌日。


「邪魔するわ、アスノティフィル。実は是非とも貴女に紹介したい娘がいるの」

「(・□・)」


生徒会室に現れたのは、昨日と変わらないすみれと……見たことのない可愛らしい服に身を包み、すみれに首輪を繋がれたベルルイレ・ゼトだった。今の彼女からは、強者としての誇りも感じられないし、ああいった服は彼女の趣味ではなかったはずだ。まるで彼女の持ち得た色が、知らぬ誰かに塗りつぶされたようだった。


「ほら、ベルル。挨拶しなさい」

「あ、アスティ……あ、アタシ……」


嗜虐的な笑みを浮かべるすみれに促され、口を開いたベルルの顔は真っ赤で、私を見る目は涙目だ。


「も、もう……戻れない……」

「(・□・)」


空いた口が塞がらないとは、まさにこういうことだろうか。いや、何がどうしてそうなった……?

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