思い出は色褪せて

空乃晴

第1話

 こどものころから使っている黄色いカーテンが風でなびいた。

その風で、コルクボードに飾られた写真が小刻みに動いている。

弱い力で押しピンを押されていた写真が、コルクボードからひらひらと離れた。

その写真は、日の光をたくさん浴びていて、どこか色褪せている。

「友達も、もう就活か……。まだ通学路を歩いていたあのころのことを、思い出せるよ」

床に落ちた一枚の写真には目もくれなかった。私はスマホをのぞきこみ、幼馴染の送ってくれたメッセージを読んでいた。

スマホから視線を何気なくそらす。色褪せた写真を私は手にとった。

「懐かしいな」

黄色いショルダーバッグを小さな肩からぶら下げている。保育園からもらった帽子だって、黄色だ。

 部屋にいるインコが何かお喋りをしている。よく耳を澄ましてみた。

「スプリングカメラ。スプリングカメラ」

ひっきりなしにインコは音を真似た。

どこでその言葉を覚えたのかと、理解に苦しむ。

私は友達のメッセージに返事を返した。そのあとに、荷物の中身を確認し、友達を迎えに行った。

あの子の顔を見るなんて、ずいぶんと久しぶりのことだった。

「やばい。カメラ忘れちゃった」

 私は靴をはいたタイミングで、そのことに気がついた。

さっき私のインコが音を真似ていたのに。うかつだった。

様子を見守っていた母親が、呆れた口調で私に尋ねた。

「どこにあるの?」

「思い出せない」

「全く。時間はないのよ。今日はスマホのカメラで我慢しなさい」

私の気分は高揚していたが、母親の言葉で少し落ちこんだ。

しょげながら扉を開けたのも、一瞬のうちだった。友達の変わらない喜々とした表情に、心がはずんだ。

「ひとみちゃん、久しぶり~!」

「東京に行ってもあいかわらず元気そうね、美奈!」

「そりゃあそうじゃん。私は見た目はあのころから変わったかもしれないけれど、中身は変わってないからね!」

 美奈は意気揚々とそう言いながら、胸元を手のひらに優しくあてた。

確かにそうだ。さっき見た写真で幼いころの私たちを思い出せたけれど。

もしあの写真がなければ、

あのころの私たちの姿は心にとどめておけない。

美奈とあの写真を見比べて、だいぶ背が高くなったと感じる。


 住宅街に咲いていた桜の花びらがひらりと落ちた。

「写真、撮っておこう」

美奈はおしゃれなショルダーバッグからカメラをとりだした。

空中に舞っている花びらを写真におさめている。なんとも器用に撮るので、いつも感心してしまう。

「ひとみちゃんはあいかわらずファッションに、黄色をとりいれるよね」

写真を撮り終えた美奈が、じっとこちらを見た。

「パッと明るくなって可愛いじゃん。レモンを身につけているみたいで」

「でも、身に着けすぎには注意だよ。全身黄色コーデの時期あったでしょう? 私、結構恥ずかしかったからね!」

「えっ。そうだったの? 今でもそのコーデだよ?」

「ほんと? ありえない!」

いくら幼馴染だからって、全否定されるのはどうかと思う。

私はむっとしながら、美奈にたたみかけた。

「そういう美奈だって、動物の柄を全身身に着けているじゃん!」

「さりげなくだからいいの!」

人の事が言えないと理解した美奈の顔は真っ赤だ。

「もう。はやく動物園に行こう! 私たちってば、ふたりになると、ずっとダラダラ歩いちゃうんだから……」

「わかる!」

私は昔の楽しい出来事を思い出せたときのように、嬉しくなって笑った。

「急ごう!」

青信号をわたり、駆け足でバス停まで急いだ。少し坂道だったため、汗をかいた。

バス停に着くと、ベンチではおばあちゃんが悲しそうな顔をしていた。

「バスが行ってしまったわ」

おばあちゃんがぽつりとつぶやいた。

おばあちゃんの近くにいた、ベビーカーをゆらしていた女性もため息をついていた。

「だべっているからじゃん」

私はぐるっと目を回した。バス停で待つのは嫌いじゃない。だけれど、時間ロスをしたみたいに感じる。

「もしかしたら、数量限定の動物写真のカレンダー、貰えないかもね」

美奈が悔しそうに口角を下げた。

「来年もカレンダーがあるんだし、元気だしてよ」

「でも、チーターの赤ちゃんの写真は多分今年しか載ってないよ……!」

美奈は自分でそのことに気がつき、少し焦っている。

「去年のチーターの赤ちゃんは病気で亡くなったんだ。だから、今年こそはって感じだったんだけれど」

 美奈の片手に持つスマホは、透明なケースをつけていた。スマホに、去年のチーターの赤ちゃんのステッカーが貼ってある。

「チーターって、可愛いらしいよね」

おばあちゃんが話に割りこんできた。清潔な雰囲気で、好印象だ。ゆったりした服を着ている。

「そうなんです! 先日赤ちゃんが生まれて、公開されているので、見に行こうかと!」

「赤ちゃんは、人間も動物も可愛いらしいものね」

おばあちゃんは春の日差しのように優しくほほ笑むと、ちらりと赤ちゃんをのせたベビーカーを見た。


「申し訳ございません。数量限定のカレンダーは、なくなってしまいました」

 動物園の飼育員が丁寧に頭を下げた。もしかしたらなんて思っていたが、やはりカレンダーはなくなっていたようだ。

「どんまい」

私は心をこめてそう言うと、美奈の肩をぽんと手でふれた。

「まあ、いいや。さっきの子連れさんをバスで助けられたから」

「そうね。頑固に席を譲らない若者は嫌だわ。おばあちゃんだって座れてないみたいだったし。可哀そう」

飼育員に頭を下げたあと、眉をひそめながら先ほどの若者を思い出した。


「結構動物園混んでるね。平日なのに」

 私は物珍しくなって動物園を見まわした。あまり人気のない動物たちにも、客は群がっている。

「春休みだからじゃない? 平日だからみんな空いていると思ったんだよ」

「その考えの人たちが集まった感じね」

美奈の発言に私は感心した口調で言った。

「みんな考えていることは同じだね。結局平日も休日も混むんだよ、こういうところは」

美奈が苦笑した。

「ほら、チーターなんて激コミだよ?」

私は美奈に言われた通り視線を移した。

「大行列じゃん」

「はやく並ばなきゃ」

 私たちは目的地まで走った。途中、こどもの泣き声に足をとめた。

近くで風船をにぎりしめながら、こどもはすすり泣きをしている。

見て見ぬふりはできない。時間が経つにつれ、チーターの行列はもっと混むかもしれない。でも、それよりもこの子のことを優先しないと。チーターのこどもより、人間のこどもが先だ。

 そのことも美奈は承知してくれていたので、私は助かった。

こども目線になり、なるべく笑顔で声をかけた。

この子は幼稚園児くらいだろうか? 懐かしい。私たちもこのくらいの小ささだった。

「大丈夫よ。泣かないで。お母さんと一緒なのかな?」

いざ声をかけるとなると、少しおどおどした。

優しい声で尋ねると、こどもが少し泣き止んだ。

「お母さんと一緒だったけれど、わからなくなっちゃった……!」

そういうと、こどもはもう一度泣きだした。かわいそうに。せっかくの楽しい動物園がだいなしだ。

「一緒にお姉さんが探すから、泣かないで」

「ひとみちゃん。迷子センターに連れていったほうがいいよ」

「それもそうだね。おいで。風船、私が離さないようにもってあげる。美奈は手をにぎってあげて」

私たちは迷子センターまで連れて行くと、すぐにアナウンスが動物園に流れた。

「懐かしいな。私もこのくらいの年のころ、ここで迷子になっていたよね」

「あ、それ覚えてる! お母さんと必死になって探したよ! でも、黄色いカバンと帽子が目印で、すぐ見つかったよね」

「お姉さんも?」

こどもの母親が見つかるまで、私たちはテントの下で椅子に腰かけていた。

ありがたいことに、サーキュレーターが回っていたので、汗がすっとひいた。

「そうなの。あなたのお母さんもすぐ見つけてくれるわ」

「あたしも、大人になったら、まいごの子、助けてあげるの! お姉さんみたいに!」

思いがけない言葉に、私たちは顔を見合わせたあと、笑い合った。

「嬉しい。そう言ってくれて、すごく嬉しいわ」

チーターの行列はもっと混んでいるのかもしれない。でも、その心配を忘れられるくらいの、大きなこどもの笑顔が見られた。

「ほら。リンゴジュースとオレンジジュース、どっちがいい?」

係の人が手慣れた様子でこどもに声をかけていた。私とは大違いだ。

「リンゴジュース!」

こどもが喜んで冷たいペットボトルを手にした。

「ああ、良かったわ……!」

気をもんでいた迷子のこどもの母親が、息をきらしながら駆けつけた。

「アナウンスが聞こえたとき、本当にほっとしました……っ」

迷子のこどもの母親が、係の人と話していた。

「お母さん。このお姉さんたちが、助けてくれたの!」

 迷子のこどもの母親が、こちらをふりかえった。安堵した表情に、こちらまで笑みがこぼれた。

「なんとお礼を言ったらいいか。こどもが親とはぐれると、とても不安になることは私もわかっているの。でも、うっかり目を離してしまって。これからは、もっとこの子に注意をはらいます。本当に、ありがとうございます」

 

 ひと段落つくと、お腹の虫が暴れた。

美奈はそれでもチーターの行列に並ぼうとしたので、私は仕方なくついて行った。

二度も行列に並ばないとなると、美奈もがっかりするかもしれない。

チーターのこどもではなくて、迷子のこどもを優先してくれたのだから。

私のお腹の事情は、後回しでいい。

 行列の最後尾に並ぶと、先ほどの親子が数列先で並んでいた。

ちらりと見えるこどもの笑顔に、私は満足だった。

チーターのこどもの顔を見なくてもいいくらいには。

先ほどのこどもは、うって変わって駄々をこねて泣いていた。美奈も、チーターの赤ちゃんを見て、感極まって泣いている。

「今年こそ元気に育ってね。私との約束だよ……」

 美奈はそう言いながら、シャッターをきり続けた。

私も写真を撮った。美奈の前かがみになっている背中と、ちらりと映るチーターの赤ちゃんの顔を背景に。

 そうだ。これもコルクボードにあとで貼っておこう。新しい思い出の一枚だ。

もうしばらく、チーターの赤ちゃんを満喫した。隣の男性は、スプリングカメラを使用している。

 私は少し羨ましくなって、視線をそらした。なんで今日に限って、カメラを忘れてしまったのだろう? 美奈も性能の良いカメラをもっている。私だって、本当は高画質なカメラで写真を撮りたかった。

「はあ……。動物園のカレンダーがもらえなかったことだけだよ。心残りなのは……」

 美奈は何度も自分に落胆したかのようにつぶやいている。

そのしんみりとした言葉を聞いていた先ほどの親子が、カバンからカレンダーをとりだした。

「お姉さん。これ、もしよかったらもらって?」

迷子だったこどもが、気を遣ってくれたのか、美奈に動物園のカレンダーを手渡した。

「えっ……。大丈夫よ、私は。あなたが大切に持っていて。チーターの赤ちゃんの写真が載っている、とてもレアな記念品のカレンダーなんだから」

 美奈は目を丸くしていた。動揺している様子がうかがえる。本当は喉から手が出てしまうほど欲しいと思っているのに。

こども相手だからか、もらうことに気が引けているのがわかった。

迷子だったこどもの母親が、美奈の目を見て言った。

「この子のことを気にかけてくださった、ほんの少しのお礼です。是非、受け取ってください」

美奈は悩むように眉をひそめたが、それも一瞬のうちだった。すぐに目元がやわらいだ。

「ありがとうございます。本当に嬉しいです……!」

美奈はそう言ったあと、こどもに向かってはにかむようにほほ笑んだ。

「ありがとう。大切にするね。ずっと!」


 帰りのバスを待っていた。美奈は目標が達成できてご満悦な様子だ。

「良かったじゃない。チーターのこども写真もたくさん撮れて、カレンダーももらえて」

「やっぱり気が引けたよ。こどもからもらうって、大人げない気がして」

美奈のこども時代を知っていた私は、そんな何気ない言葉をきいて、気持ちがあたたまった。

もう、私たちはこどもじゃないんだ。きっと、あの子も、チーターのこどもも、大人になるまで時間はそうかからないんだろうな。


 夕焼けの光が空に広がっている。坂道をひたすら下った。いつものようにダラダラと喋りながら歩いた。

家につくころにはもう日は暮れて、外は暗くなった。

私は隣の家に住んでいた美奈とお別れの挨拶をした。

手をにぎったとき、不思議な感覚になった。

 さっきまで動物園にいたはずだったのに。

さっきまで、こどもと一緒になって母親の帰りを待っていたはずなのに。

楽しい時間が過ぎるのは、とてもはやい。まるで、ジェットコースターを乗っているみたいに。

「スプリングカメラ。スプリングカメラ」

寝室の窓が空いているのか、インコの声が聞こえてくる。

「カメラを忘れちゃったことだけが、心残りだね」

私たちはインコの声に反応した。

「本当だね。少し私の写真、今度手紙でも送っておすそ分けするよ。今日は楽しかった! また明日から、東京の生活、頑張れそう!」

「うん。私も就活頑張ろうっと!」

私たちはハイタッチをしたあと、それぞれの自宅へと帰っていった。


 私は働き盛りになっていた。

「スプリングカメラ。スプリングカメラ」

いつものように、インコが声をあげている。

そろそろ新しい言葉を覚えてほしいものだ。

 在宅勤務をしていた。休憩時間になったので、アイスティーを淹れた。

母親がポストの様子を確認し、私に手紙を渡した。この手紙の持ち主は、美奈だ。

動物柄の封筒に手紙をいれているので、すぐにわかった。

『お元気ですか? あれから私たちは社会人になったね。お互い忙しくて、前ほどは遊べないかもしれないけれど。また遊ぼうね。約束だよ。東京と和歌山で、お互いお仕事頑張ろう!』

そんなメッセージとともに、昔のチーターの赤ちゃんがプリントアウトされた写真が封筒に入っていた。

まだインコがお喋りをしている。

「スプリングカメラ。スプリングカメラ」

「カメラ、カメラって……わかっているわよ。他の言葉覚えて、はやくこの言葉忘れたらいいのに。耳にタコがついちゃうじゃない」

「じゃあ、今度は、『チーター』って言葉、覚えて」

私はインコが入っているゲージに顔を近づけた。

「チーター」

 そんな私をよそに、インコは同じ言葉を発している。

私は苦笑しながらも、ゲージから距離を離し、勉強机の横のスペースに飾ってある

コルクボードをながめた。

はやくも、チーターの赤ちゃんと美奈の写真が日の光をあびて、

色褪せはじめていた。













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