10 昔語りをしよう


「昔語りをしよう」


 青年は、青玉のような瞳に天真爛漫な光を宿し、陽気な声音で語り始める。


 ――遥か昔、水神マージの使徒としてこの地を守護していたのは、精霊王せいれいおうだった。精霊ジンは水蒸気から生まれる。ゆえに、他の生物よりも水神に近しい存在だ。


 彼らは水脈を移動し、世界中で起こっている事柄を同族同士で共有し合い、過酷な砂漠を抱くこの地方を守護してきた。


 渇きが過ぎれば水脈を操り井戸を湧かせ、降雨が過ぎれば暗雲を退け河川の氾濫を防いだ。無論、全ての精霊にそのような神聖な力があった訳ではない。精霊王と呼ばれる精霊だけが、水神マージから水を操る権能を授かっていた。


 多数の精霊が情報を交換し合い、全ての事象を精霊王へと報告する。その情報を元に精霊王は水を適切に導いたのだ。


 しかしそれが何百、何千年と続いたある時。精霊王は単調な日々に退屈を感じ、いっそのこと世界を壊してしまえば面白いのではないかと考えた。


 洪水を起こし全てを流し去ろうかと思ったが、それでは一瞬で終わってしまう。良質な戯曲は、長く楽しみたい。


 精霊王は水をこの地から退けた。やがて人は渇き飢え、僅かに残された飲料と食料を求め、血みどろの争いを繰り広げた。


 水の無い砂地に鮮血が舞う。それすらも灼熱の陽光に熱されてすぐに蒸発して消える。たいそう面白かった。精霊王はかつてない刺激に、狂喜乱舞した。


 戦いは永遠に続くかと思われた。そんなある日、砂漠の小国であるマルシブ王国に、精霊の王が立った。マルシブ王には子がなく、養子を迎えたのだ。


 新マルシブ王となった精霊は、精霊王に牙を剥いた。そして人間達と共に水神マージへ祈り、この地を守護する新たな使徒を切望した。それが天竜てんりゅうである。


 それ以降、この地を守護する役目は精霊王から天竜へと引き継がれた。己の立場を失った精霊王は、当然激怒する……かと思いきや、想定外の展開を迎えた物語にたいそう喜び、以降隠居生活を楽しんだ。そして百五十年後。


 再び暇を持て余した精霊王は、気まぐれから絶世の美女に化け、マルシブ帝国の後宮ハレムへと紛れ込む。精霊とは雌雄を持たぬ存在だが、女の肉体を纏い、皇帝の寵愛を受ける遊びに興味を持ったのだ。


 しかし精霊王が惹かれたのは皇帝ではなく、踊り子上がりの側女そばめであった。程なくして、彼女は精霊王の子を身ごもった。


 本来、後宮には性を奪われた宦官以外の男はいない。したがって、誰に疑われることもなく、精霊王の子は皇帝の子として生を受けた。


 乳茶色の髪と青い瞳を持つ愛らしい皇女。ラフィアだ。


 その頃には、絶世の美女に化けていた精霊王は、皇帝の寝所に招かれるようになっていた。ラフィアの母はむしろ皇帝に嫉妬して、精霊王に願った。後宮から姿を消して欲しい。けれど会えなくなるのは耐えがたい、と。


 精霊王は彼女の願いを叶えるため、宮殿の塔から海に身投げをして死を装った。精霊の身体は水で構成されている。海の荒波に揉まれたとて、当然消え去ることはない。


 かくして絶世の美女であった側女は姿を消して、代わりに老人の姿をとった精霊王が、宮殿の泉に住まうようになる。全ては、愛した女とその娘を近くで見守るために。


 娘は、精霊王の子らしく水との親和性が高かった。才能がある。上手くすれば将来は、偉大な精霊王になることができるだろう。そう思った。


 しかし、温室のような後宮で蝶よ花よと育ったラフィアは、水を動かす原動力となる激情を知らぬ天真爛漫な娘になってしまった。


 精霊王は、ラフィアを外の世界へ向かわせるように仕向けた。手下の精霊を一人、見張りにつけて。


「そして、ここからは君が知っている物語」


 ラフィアは降嫁こうかし、ハイラリーフと名付けられた精霊の助けを借りつつ、精霊としての力を順調に成長させた。


 精霊王も、ただ傍観していただけではない。娘の能力を見極めるため、地下水を沸かして砂竜の異常を誘った。ラフィアが、人の肉体を持ちつつも精神だけの存在となり水に乗った時には、思わず手を叩いて称賛した。


 精霊として成長する中で、ラフィアは砂竜族としての、過酷だが自由な暮らしを謳歌した。何にも代えがたい愛も知った。


 得たものを手放すことは苦痛であろう。精霊王はラフィアに激情を知らしめるため、アースィムの弟シハーブの体内を巡る水に働きかけ熱病から快復させて、アースィムを崖から突き落とした。


 今や目論見通り、ラフィアはその身に怒りと悲しみを飼う、立派な精霊へと近づいている。


「だからね、アースィム」


 青年姿の精霊王は、満面の笑みを浮かべている。


「最後に、君が餌になってくれたら完璧なんだよ」


 アースィムは水の柱の中、呼吸すら奪われ、ただ目を見開いて、耳に流し込まれる精霊王の言葉に耐え続けていた。

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