3 会合を抜け出して
※
「赤き砂竜は三頭。いずれも人間は連れていない。それと、鞍も乗せていなかった」
集会用大天幕の中は、張りつめた空気で満たされている。
ぴんと張られた横布が、拳大の適度な間隔を取りながら砂地に杭打たれ、裾から差し込む歪な三角形の光が、絨毯に座す者の腰や膝元を照らしている。出入り口にあたる垂れ幕は閉ざされているが、風が吹く度にはらりと揺れて、天から降り注ぐ強烈な白光をもたらした。
明かり取りの四角い窓から差し込む陽光が、台形状に広がり逆側の横幕を焼いている。外部と比べれば仄暗さすら感じる室内。ラフィアはアースィムの隣に腰を下ろし、時折外から忍び込む、人や家畜の影を目で追っている。
「赤の氏族の者が遭難して
「乗り手は、鞍や鞍袋と一緒に砂に落ちたのでは」
「三人ともか?」
「赤の奴らは思慮深さに欠けると聞くが、さすがにそこまで愚かではなかろう」
「盗賊に遭い、全部奪われたのでは」
「砂竜に乗っているのに? まさか盗賊が徒歩という訳はない。敵が駱駝に乗っていたとすればいっそう妙だ。騎獣は砂竜を恐れる。砂竜の匂いに慣れていない駱駝は、近づきたがらないはずだ」
「しかし三年前の西方蛮族との戦の折には、砂竜の匂いを恐れぬ馬や駱駝が……」
横幕と砂地の接合部分から、ゆらり、とアースィムの左手辺りに影が差し込んだ。ラフィアは話し半分に会話を聞きつつ、蒼天を映す泉水のように煌めく瞳でその影を追うのだが、アースィムは難しい表情で皆の言葉に耳を傾けており、他の面々も議論を紛糾させているため、誰の目にも留まらない。
今朝、見慣れぬ赤き砂竜がやって来た。その報せに集落は騒然とした。混乱の最中、アースィムはひとまず三頭の砂竜を白き砂竜の囲いに押し込んで、集落の有力者と妻を伴って、大天幕で緊急会合を開いている。
好奇心の塊であるラフィアにとって、厳かな会議への参加はそれはそれで興味引かれるものであるのだが、彼女の心は今、迷子の三頭の砂竜に向いており上の空だ。
「ただの遭難であれば、赤の集落に送り届けるべきか」
「無論、相応の謝礼を要求すべきですがね」
「罠かもしれぬ!」
「赤にそんな頭脳がありますか」
「では奴らが砂竜を迎えに来るまで、無償で面倒を見てやるとでも?」
「あの脳筋らに、自分の砂竜がどこへ行ったか探し出すことができるものか」
「おい、黙って聞いていれば赤をこき下ろしやがって」
「ん? そういえばおまえの母親は赤出身だったか」
「もしやおまえ、赤と共謀し、何かを企んでいるのでは」
次第に脱線し、熱を帯びていく議論はもはや、ラフィアの耳を素通りする。事態の収拾のためアースィムが腰を上げた時、彼の腰の辺りで揺らめいていた黒く濃密な影が、不意に白銀の鼻面に変貌した。
ラフィアは「あ」と声を漏らす。それに呼応するように、白銀の間から鋭い牙が覗き「グルルゥ」と愛らしい鳴き声が発せられた。バラーだ。
幼竜は天幕内に鼻を突っ込んでは引っ込め、前足で横幕を掻いて物音を立てる。ラフィアの気を引こうとしようとしているようだ。
ちらりとアースィムの様子を見る。早朝から気が張り苛立ちを募らせている氏族の面々が、八つ当たりのように互いを罵倒し始めるので、族長といえど若年者であるアースィムは、難儀しつつ宥めにかかっている。ラフィアも手伝うべきだろうか。
「あの、アースィム。大丈夫?」
空の右袖を引き、気遣いの片鱗を見せたものの、アースィムの反応は薄い。それどころではないのだろう。
しばらく様子を眺めていたのだが、さすがに暴力沙汰に発展する兆しはない。この場はアースィムに任せておけば問題なしと根拠のない結論を導き出したラフィアは、続く罵り合いに背を向けて、垂れ幕の隙間から外へと飛び出した。
途端、激しい日差しが眼球を刺す。目を閉じ手のひらを眉の上に翳して光度を下げる。やがて目が慣れるや否や、先ほど大天幕に忍び込もうとしていた白い鼻面の主に駆け寄った。
「バラー、何をしているの。勝手に出て来てはだめよ」
バラーは小さく鳴いて、砂竜の囲いの方へと歩き始める。途中、何度も肩越しに振り返るその仕草から推察するに、ラフィアを誘っているようだ。
「ついて来てということね」
ラフィアは一つ頷いて、バラーの小さな足跡を辿り、砂地を進む。やがて、集落の外れに位置する砂竜の囲いまでやって来ると、バラーは緩んだ柵の抜け穴に身体を押し付けて、何事もなかったかのように群れに戻った。
『とんだ脱走犯ね』
ハイラリーフの軽口に頷いて、ラフィアは柵を開きバラーを追った。少し酸っぱいような砂竜の匂いの中、白銀の巨躯を掻き分け進む。やがて、単色の中に陽光を弾く赤を見つけ、思わず言った。
「バラーったら。私がこの子達とお話したいと思っていたことに気づいたのかしら」
『誰が見てもそうとわかる顔していたくせに。ま、ちょうど良かったんじゃない』
幼竜が案内したのは、三頭の赤き砂竜の元である。彼らは警戒した様子もなく、のんびりと砂を食んでいる。その寛いだ様子からは、先ほど天幕内で論じられていたような悪意や陰謀の気配は欠片もない。
ラフィアは最も近くにいる個体を撫でた。何か強烈な感情を抱いているのならば、触れた指先を通じて、体内を流れる水の騒めきを感じるはず。だが案の定、彼らの心は穏やかでありラフィアの指に伝わるのは、日差しに温められた鱗の熱のみである。
「やっぱりただ遊びに来ただけよね」
『そんな訳ないでしょ』
すかさず切り返した声と共に、青玉の耳飾りから靄が溢れ、砂竜の赤銀の頭頂に凝縮する。やがてそれは小鳥の姿を形取り、瞬きをする間に極彩色の羽毛を纏う。
人間だということにして堂々と同居すれば良いではないか、と提案したこともあるのだが、ハイラリーフは頑なに首を縦に振ろうとしなかった。彼女曰く、『人付き合いが面倒なのよ』とのことだ。
突然、重たい生き物に頭を踏みつけられて、砂竜は迷惑そうな顔をするのだが、ハイラリーフはお構いなし。二本の角の間に爪を立て、翼を広げて浮いたり着地したりを繰り返す。さすがの砂竜も不快の唸りを上げたところで、ハイラリーフは動きを止めた。
『温厚な子よね、こんなに蹴っても怒らない。仮に白の氏族に喧嘩を吹っ掛けるために三頭選抜するのなら、もっと気性が激しい子を送り込むでしょうね』
「じゃあやっぱり、お散歩の途中で迷ってしまったのかも」
『いつもながら、頭の中がオアシス並みに平和ね、ご主人様』
「だって、他に何か理由があるかしら」
『砂竜に聞くしかないわ』
「でもこの子達、私の力ではお話できないみたい」
『もっと感情の起伏が激しい子なら、何か感じ取れるんじゃない?』
ラフィアは首を傾ける。
「つまり?」
『つまり、他の個体に会いに行くの。赤の集落へ』
ラフィアは目を丸くして、極彩色の小鳥を見る。何度か瞬きをしてから、眉を下げて首を傾けた。
「でも、他の氏族の集落に行くだなんて危険なこと、アースィムが反対するわ」
『何よ何よ! ちょっと前までは楽しいことに目がなかったじゃない。それが今はどうしたの。アースィムが反対するから? あんた、いつからそんな平凡な主婦みたいなつまらない女になったのよ!』
ハイラリーフは
『とにかく、行くのよ赤の集落に! あたしに良い考えがあるわ』
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