第20話 時4

 テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機など通常ある電気製品などまるでない。


 もちろん冷暖房などもなく、広い空間に存在する文明の利器は、古い蛍蛍光灯と老夫婦との連絡をとる室内ホーンのみである。


 朝食、昼食、夜食と食事は、老夫婦が決まった時間になると御膳で運んでくる。


 70代位と思われる老夫婦の年齢を聞いてみたことがあったが、笑って答えなかった。


 何もなく退屈でいたたまれなかった屋敷での生活に、いつの間にか慣れていった。


 週1度の食料の搬入と往診が1週間を感じさせ、日々の食事が1日の時間の目安であった。1日が無意味に長い、いや長さの感覚さえ失せていく。


 都心では病のため年齢よりは老けて見えていた母親も、実家に戻ってからは何故か若返ったような気がしていた。


 その母親も8年前に齢80年で人生を終えたが、眠るように横たわる姿は、若く美しく見えた・・・・・


 気がつくとたぶん1時間ほど、他の同窓生とは話さず、小林と話し込んでいたが、小林の異様な若さの秘密は解明できなかった。


 「今はどこで暮らしてるんだ?」


 「相変わらず母親の実家だよ」


 「結婚はしたんだろう?」


 「いや、してないよ」


 「じゃあ、独りでその広い屋敷で・・・・・」


 「いや3人だよ、老夫婦とね」


 おい、おかしいじゃないか?小林が母親の実家に戻った頃に、たしか老夫婦は70代、それから約50年も経つ。120歳かよ、おかしいだろう!


 「じゃあもう随分お年寄りだな」


 「いや、初めてあった頃と全然変わってないんだよ」


 当たり前のようにボソボソ話す小林。小林の実家では、歳をとらないのか?時間の流れが、我々の棲む世界とは異なるのか?


 忙しいとき、暇なとき、楽しい時間、嫌いな授業、同じ時間であるはずなのに、やたら短く感じたり、気が遠くなるほど長く感じることは確かにある。


 ならば時は不規則的なものであり、その長さも質量も不定量かもしれない。


 時を変容させるものは何なのか?各個体が感じる時に対する意識が、時を造り時を刻むのだろうか。


 では、時を意識しなければ時は佇み、時は止まるのだろうか?死が意識を消滅させる絶対的な条件であるなら、確かに死者の時は止まっているのかもしれない。


 1秒1秒と狂いなく確実に刻んでいくはずの時は、その長さも、その流れも、本当に不変であり共通なのだろうか?


 個体により、意識により時は変化し変容するのではないだろうか?


 「おい小林。時間大丈夫なのか?実家まで随分時間がかかるんだろう。もうそろそろ21時になるぞ」


 どう考えても小林の実家までは4時間位はかかるだろう。つい心配になって声をかけた。


 俺の腕時計をのぞき込んだ小林の顔が、突然一気に老け込んできたように見えた・・・・・


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