デーモン・アンド・ヴレイヴァー!

チモ吉

プロローグ 300年前の死闘

 儂は人間を殺すのが好きだ。

 否、その表現は正しくない。より正確には弱者を蹂躙することが好きだ。

 そこに理由などない。あるとしても、幼子が羽虫の羽根や足を捥ぐことに愉悦を感じる、ただその程度の理由なのだろう。


 人間が憎いか、と問われれば。迷わず儂は否と答える。

 人間は好きだ。簡単に増え、簡単に育ち、異常な速度で発展していく。気が付けばつい数世代前と比べまるで別種ではないかというほどにまで進化する。知能が高い所も好感が持てる。少しばかり脆く寿命が短いことが欠点だが、きっと種の進化という側面ではその方が効率が良いのだろう。なにせ、世代交代が早く変異的な個体が生まれやすいのだから。


 目の前のこの男もきっと、その進化の過程で生まれた突然変異の産物なのだろうよ。


 外面だけは不適な笑みを浮かべながら儂は死に体に鞭打ち、今代の勇者に向けて腕を振るう。

 振るわれた腕は、当然勇者には届かない。だが儂の体は人間と比べ遥かに大きいからな。その風圧だけで彼は転倒しそうになる。


 思わず笑みが深まる。

 嗚呼、なんと人間の脆く儚いことよ。人類最強と名高い勇者であれ、儂とは生命としての格が違う。


 だが、きっと。

 今回も儂は死ぬのだろうな。


 胸中に歓喜と愉悦が広がる。


 弱者を踏みにじるのは好きだ。だが、同時に弱者が強者を討つ姿はそれ以上に好ましい。儂という脅威を、人類の危機を乗り越えんと奮闘する彼のなんと勇ましきことか。


 勇者という存在は、悪魔の天敵と言っても良い。性能面では悪魔の方が人類なんぞより勝っている。それも圧倒的に。しかしそれでも勇者という存在は個にしてその理不尽をさらなる理不尽で上回るのだ。


 それは、悪魔の神とされる儂、インジェリィとて例外ではない。


 外見上は無傷を装っている。外側だけは、衣装だけは神としての威厳を崩さずにいられる。だが、儂の中身は既に壊れかけていた。

 活動限界が近い。正直言って、目の前の勇者が何もせずとも残り数分で儂は死ぬ。


 だが、そのような無様は晒せぬのだ。悪魔神は、人類の天敵は、救世主たる勇者によって討たれなければならない。それが悪魔の本懐なのだから。


"――尤も、討たれようと数百年もすれば再び現世へ戻れるからこその心境であるのかも知れぬのだが"


 悪魔にとって本当の意味での消滅、死という概念はない。たとえ滅ぼうと、時間と共に蘇る。それが悪魔だ。


 人間の言葉を借りるのならば、悪魔とは災害。天災。自然の理不尽の具現化。対策は出来る。被害を抑えることも出来る。予測も出来る。しかし、完全なる回避と被害の抑止は不可能に近い。


 よくもまぁ、上手いこと例えたものだと感心する。

 確かに暴風雨や地震といった災害は対策を講じることも被害に備えることも出来るが、それらから完全に逃れることもそれらを無くすことも出来ない。

 悪魔はそれでも生きているのだから、自然災害ではなく蝗害や疫病に近い類いではあると儂は思うのだがな。


 勇者が儂に向かい駆けてくる。そして放たれる斬撃。儂にはそれを躱す余力など無く、肉体を以て受け止めた。傷口からは赤く黒い粘性の液体が迸る。

 自身の滅びを自覚しながら、剣を振りぬき無防備となった勇者へと左拳を振るった。彼は受け身を取ることも出来ずに我が城の壁へと叩きつけられる。


 ……やはり勇者というのは化け物染みているな。悪魔以上に悪魔らしい。並の人間――そうでなくとも、人間という生物の一般的な個体を基準に考えるならば今の一撃で絶命していなければおかしい。だというのに、勇者は立ち上がった。


 その異常事態に脳が興奮する。


 さぁ。今の一撃で本当の限界だ。儂という人類の脅威を討ち果たせ、勇者。

 殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。


 胸に受けた傷を筋肉の収縮で強引に塞ぎ、儂は勇者に言葉を投げる。滅びの前の問答。定型的な、形式的な、格式ある言葉を投げる。


「勇者よ。悪魔神インジェリィを前に良く戦った。想像以上だ、人間であるとはとても思えぬ」


 嘘だ。建前だ。勇者に滅ぼされることなど儂にとっては定められた事象に過ぎない。だが、目の前の勇者にとってはそうではないだろう。

 より強大な、より驚異的な悪を、敵対者を討つことこそが。きっと彼を勇者たらしめる価値となる。


「最後に名を問おう」


「……レグルス。ボクはただのレグルスだ。お前達悪魔に故郷を滅ぼされた、ただのレグルスだ。勇者なんかじゃ、ない」


「――なるほど、レグルス。覚えておこう」


 嗚呼、覚えておこう。歴代の儂を殺した英雄の1人として、たとえ人類全てが貴様を忘れようと儂だけは貴様を覚えておこう。


「しかし、悪魔に故郷を、か。それは幸運だったな」


「……なんだと?」


「故郷を滅ぼされた。つまり、悪魔の襲撃による淘汰によって貴様は選別されたのだ。選ばれたのだ。生き残った強者として、な。悪魔が貴様の村を滅ぼさねば、貴様はただのレグルスでしかなかった……だが、今や儂の前に立つ英雄となった。これは幸運なことではないか? のぅ、レグルス」


「お前っ!」


 軽く挑発すると、想像通りに勇者レグルスは激昂した。その反応が心地よい。想定通り、思惑通りにコトが運ばれるというのは麻薬的な快楽がある……儂のような悪魔に薬物はほとんど効力がないため麻薬がどのようなモノであるのかは、うむ、正直な所よく分かっていないのだが。


 再び儂目掛け走り出した勇者に右腕を掲げる。そして必要以上に大仰な動作で手のひらに火球を生み出す。どうせもう彼に当てられるだけの力は残っていない。潔く、華々しく散る最後の灯というヤツだ。尤も、勇者がそれを知ることなどないのであろうがな。


「クソッ!」


 そして、放たれた火球は当然のようにレグルスに躱される。

 跳ねる勇者の体。儂の喉に突き立てられる剣。


 "無事、今回も勇者に討たれることが出来た"


 そう儂は満足した。

 安堵した。

 つい、油断してしまった。


 勇者から見た儂が、彼の瞳に儂がどのように映っていたのか、それを想像するのを忘れるほどに。


「ボク1人じゃ死なないっ! お前も道連れだっ!」


 ――えっ。


 一瞬、その言葉で思考が真っ白に染まった。

 意味が理解できなかった。

 死ぬのは儂で、勇者レグルスは悪魔神を討った英雄として凱旋すると、そう思っていた。


 レグルス視点の儂――悪魔神インジェリィが、いくら攻撃しようと全くの無傷で、攻撃の手を緩めず、なおかつ余力を残しているように見えていたなんて、儂は想定していなかった。


 だから、彼が瀕死の儂に自滅上等の自爆を行うなんて、そんな不合理な選択を取るだなんて想定していなかった。


 止めろ、と叫ぼうとした。

 喉は動かなかった。

 勇者の剣が突き刺さっていたから。


 そして、神々しいばかりの美しい閃光――


 不必要な、過剰な攻撃によって。

 愚かな儂の『ごっこ遊び』によって。


 儂の体は勇者レグルスと共に木っ端みじんに吹き飛ばされた。


 ――レグルスの肉体は人間のそれであった。だから、跡形もなく消滅した。だが、儂の肉体は悪魔神のそれだった。

 消し炭になることなく、バラバラに、儂の体は世界各地へと飛散した。


 そして、300年の歳月が流れた。

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