第4話 第4章
男に対し、引導を渡して、自分が自由になったと思っている恵美だったが、時間が経って落ち着いてくると、
――大人げなかったかも知れないわ――
と感じるようになっていた。
大人げなかったというよりも、引導を渡し、自由になったと思っていた自分の中に、その時、落ち着いた気持ちが存在していたのかというのが、気になっていた。もし、落ち着いた気持ちが存在しなければ、今度また同じような状況に陥った時、迷うことなく同じことをするかも知れない。
――本当にそれでいいの?
という自問自答を繰り返す術をなくしてしまうのではないかという危惧が、恵美の中にはあった。それを思うと、素直になれない自分の性格がどこから来ているのかを気にしていないといけないのではないかと思う。
素直でないということは、自分を偽っているのかも知れないと思ったが、そうではない。自分を偽っていると思うのは、素直な自分になれないことの言い訳にしているだけではないかと感じるのだ。
自由という言葉を思い返すと、その裏には、
――今まで束縛されていた――
という思いがあった。
ただ、束縛という言葉は、付き合っていた相手に感じていたわけではなく、育ってきた環境から、感じるものだった。
整理整頓が苦手だった恵美は、絶えず親から整理整頓のことで小言を言われていた。放っておいてくれればいいものを、余計なことだと思っていたのだ。
「今、やろうと思っていたのに」
と、何度親に口答えしたことだろう。確かにやろうと思ったことだったが、先に言われてしまうと、意地でもしないという思いが強くなった。
反発心は相手によって異なる。
反発することで、快感を得られる人と、反発してしまって、後で後悔してしまう人に分かれるが、恵美の場合の反発は、快感を得られる方が圧倒的に多い。反発がストレス解消に繋がっていることもあり、それが甘えになっていることに気付かなかった。
最近は、あまり人に反発しなくなったが、人間が丸くなったわけではない。成長の跡が見られるというよりも、反発することに疲れたというのが本音だった。
恵美は、子供の頃から自分がメルヘンチックなところがあると思っていたが、それが反発心に遠因していることに気付く素振りもない。
メルヘンチックな自分を、子供の頃から想像していた。
――白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる――
と、真剣に信じていたのだ。
テレビドラマやアニメなどでも、少女漫画をテレビ化したものは、白馬の王子様をいう発想はなかなかない、きっと、映像にしてしまうと、一つのイメージが凝り固まってしまい、
――白馬の王子様は、人それぞれに違うんだ――
ということを分からないでいた。
白馬の王子様が好きだというわけではない。白馬の王子様に憧れる自分がいじらしいというのが本当なのだろう。
――最終的には、自分中心――
という考え方になるのだ。
白馬に王子様が人それぞれに違うという「人それぞれ」は、白馬の王子様を差すのではない。恵美にとって白馬の王子様は一人であって、王子様を思い描く女性の側が「人それぞれ」だと思っているのだ。
自分中心でありながら、まわりのことも意識してしまう。意識しているからと言って、どうするわけでもない。ただ、憧れに対しての思いは自分だけのものであり、それを犯すものは、許せない。ほとんど面識のない人であれば、やり過ごすこともできるが、自分に関わりの強い人に対しては、反発心を強めることになる。誰も寄せ付けない雰囲気が、まわりから余計に何か言いたい雰囲気を醸し出させてしまい、さらに自分を孤立の道に追い込むことになるのだ。
憧れは夢に繋がる。
一人佇んでいるのが、好きだった子供の頃、絶えず何かを思い浮かべていた。想像力が豊かだと言ってしまえばそれまでだが、想像するにもシチュエーションと環境が必要だ。
恵美にとって、それぞれ似ているものであるが、シチュエーションとは自分で作り上げるものであり、環境は自分ではどうにもならないものであるという違いを感じる。シチュエーションと環境のどちらを重視したいかと言われれば、言うまでもないと答えるであろう。
眠っていて見ている夢も、起きていて想像力を膨らませることも、恵美にはそれほどの違いとして感じられない。想像したことをそのまま夢として、眠りながら意識の外で見るものなのか、夢で見たものを忘れることなく現実でも想像として見てしまうものなのか、そのどちらが自分にふさわしいか、考えたことも過去にはあった。最近はそんなことは考えない。大人になったというよりもメルヘンチックな想像が、最近減ってきたことに影響されているのだと思うのだった。
起きていて見る夢は妄想とも言える。妄想には夢とは違い果てしなさを感じる。
寝ていて見る夢は、果てしないものを見ることができるように感じるが、実際には潜在意識の中でしか見ることができない。無意識のうちに、自分の中ではみ出してしまわないようにコントロールしているのだろう。
だが、起きていて見る妄想は、逆に意識があるだけに、抑えておく必要はない。妄想はどこまで行っても妄想だという思いが、果てしがなくても、逆に楽しめることだとして許されるのだ。
だが、妄想は果てしないと思っていても、しょせんは、自分が想像できる範囲の遥か手前で止まってしまうことが多い。妄想しすぎてしまうことが恐ろしいのだ。
現実と夢の違いが、意識している裏に、恐ろしさや不安を持っているかどうかではないかと思う。夢であれば、潜在意識の許す範囲で、怖いもの知らずの意識を持てるが、現実の世界だと、どうしても不安を抑えることができない。
それは理性のようなものなのかも知れない。夢でも理性を超える想像はできないが、現実では明らかにありえないことを夢で見たりすることがある。果てがある中で、大いなる発想は自由なのだ。
現実では、その自由が制限される。果てしないという中に自由が制限されてしまうと、果てがある中での自由よりもさらに狭い範囲でしか行動ができない。
――起きている時は、考えていることと、実行できる範囲が極端に違っているんだわ――
と感じる。考えられることに果てしなさを感じ、妄想として感じることはできるが、実行できる範囲を夢としての狭い範囲に限定される。起きて見る夢であっても、寝て見る夢と同じで、潜在意識の中にあるものだ。妄想だけが果てしなさを感じさせ、言葉としてもあまりいいイメージを与えない。妄想は、戒めに対しての反面教師のようなものではないだろうか?
恵美は、一人でいろいろなことを考えるのが好きだった。考えたことは、道を歩いている時でも、いつでも書き留められるように、メモ帳をいつも持ち歩いていて、そこに書くようにしている。クリスマスのその日も同じで、いろいろな発想を思い浮かべながら歩いていると、気が付けば、自分でもどこか分からないところまで歩いてきていたのだ。
日はすっかり暮れてしまっていて、夜のとばりが下りていた。クリスマスイルミネーションはどこにいても、目立っている。今日から自由だと思っている心の中に、イルミネーションは眩しすぎる。思わず目を細めながら歩いていると、明るさが半減し、まるでこのまま夢の世界に誘われるようで、歩いている感覚すらなくなってくるのだった。
――私は一体どこを歩いているのかしら?
どこを見ても人、人、人……。歩くスピードも皆一緒に見えていたが、目をパチクリさせながらまるでストロボ撮影のようにコマ送りにしてみると、歩き方が人それぞれであることに気付かされた。
そんな状態で、自分だけ歩いているわけにもいかない。
前を見ているつもりでも、横切って歩いている人にぶつかりそうになる。それでも誰ともぶつからないのは、偶然なのだろうか?
――いや、違う。こんなにたくさんの人がいたようには思えない――
見えている人の多さを、そしてそのまま目に映ったものを真実だと思うと、矛盾していることに気付かされる。
歩いている人の数から考えて、歩くスピードが人によってまちまちなのに、誰もぶち当たらないというのはおかしなものだ。よほど人の列が厚いのだろうが、そう思うと、遠くに見える人まで鮮明に見えてくるのが不思議なのだ。一番向こうの人たちが影のように見えるのなら納得もいくが、そうでないとすれば、明らかに錯覚が伴った妄想に違いなかった。
少ししか歩いていないのに、足が棒のようになってしまったことに違和感があった。目の前を通り過ぎる人たちにあまりにも人の気配を感じない。人が多ければ多いほど、一人に対しての気配が薄れていくのは当然なのだろうが、まったく感じられないというのもおかしなものだ。
――本当に眠っていて、夢を見ているのかしら?
そう思うと、歩いているのが億劫になり、どこか空いているベンチがないかとまわりを見渡した。
ちょうど自分と同じくらいの年の女の子が一人、ベンチに座って、行き交う人たちを見上げているようだ。
――あの様子では、誰かを待っているわけではなさそうだわ――
と思い、ベンチに近づいて、座った。隣の女の子は、恵美に気付くこともなく、目の前を行き交う人たちを眺めていた。恵美はその場の雰囲気に普通なら染まってしまうことなどないのだが、彼女の様子を見ていると、自分も彼女の目線になってみたくなり、同じ行動をとるようになった。
隣の彼女は、恵美に気付いた様子はない。恵美の方が勝手にチラチラ見ているだけだ。
最初に目が行ったのは指だった。ワインカラーが綺麗なルビーが光沢を放っている。角度を少し変えれば、微妙に色が変わって見えるが、それも光の屈折による錯覚なのではないだろうか。
指にばかり目が行っていたが、よく見ると、指の大きさからすれば、少し大きめの指輪であった。よく見ないと分からないが、恵美にはハッキリと分かったのだ。
――この人も、細かいことを気にしないタイプなのかしら?
と考えたが、実は自分が整理整頓が苦手だと思っている恵美だが、実際にやってみれば細かいところに気が利く性格であることに、その時はまだ気が付いていなかった。
――それにしても、何かを考えているのだろうか?
と思うほど、まわりを一切気にしていない。無表情ではあるが、暗い雰囲気は感じない。まわりに重たさを感じさせないのだ。
かといって、路傍の石のように、そばにいても存在感を感じないわけではない。よく見ると、笑顔を浮かべているように見え、思わずこちらも笑顔を見せていることに気が付いた。
相手が反応を示さないのであれば、いくらこちらから視線を向けても疲れるだけである。すぐに視線を逸らして、二度とその人を意識しないようにするか、その場から立ち去ってしまうかのどちらかであったが、その時の恵美は、そのどちらもしようとは思わなかったのである。
立ち去ることは簡単だった。別に確かめたいことがあるわけでもなく、後ろ髪を引かれる感覚もない。
隣の女性を意識し始めてどれくらい経っただろうか。その間に無数の人が二人の前を通りすぎていったのを感じながら、恵美は足元が冷えてくるのを感じた。それも当然のことで、季節は真冬のクリスマス。誰かと一緒にいるのであれば、暖かさも感じることができるのであろうが、自由とともに手に入ったものに、孤独があった。孤独を差し引いても自由は満喫できるものであると判断したことで、彼に引導を渡したのだ。その同じ気持ちを隣の女性も今感じていることなど、まったく知らない恵美だったのだ……。
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