第2話 第2章

 クリスマスの声を聞くというのに、今年は誰とも一緒にいる気にはなれない。今まで何人もの男性に言い寄られてきた。

 中学時代から、同級生はもちろん、先輩からの方が多かった。さすがに中学生の頃はウブだったので、男性と付き合うなど考えられず、それでも言い寄ってくる男性を突き放すだけの度胸はなかった。

 名前は恵美という。

 中学時代には、女性の友達も少なかった。男性から言い寄られるばかりの恵美に対して、まわりの女の子がいい気がしないのも仕方がないことだった。

 そのせいもあってか、気が弱い性格が表に出るようになっていた。そこを男性には好きになったようで、

――恥じらいがある。清楚な感じ――

 という風に見えたようだ。男心をくすぐるというのはこういうことをいうのだろうと自分で分かるようになるまでに、まだ少し時間が掛かっていた。

 気が弱いと言っても、それは引っ込み思案なところが表に出ているので、そう見えるだけで、高校生になってくると、さほど気の弱さを感じさせることはなくなっていた。気が弱いと感じるのは本人の勘違いであって、まわりはそうは思っていない。悪い意味で、

――男性に対して、思わせぶりな態度を取る――

 と思われていたようだ。

 そんな恵美も高校生になると、女性の友達ができた。

 彼女は、恵美のことを、慕っているように見えたが、実際には恵美を利用していたのだ。恵美は引っ込み思案というよりも気が弱いと、オブラートに包まれた表だけを見て判断していたので、彼女を表に出すことで、自分が影から操ろうと思っていたのだ。

 恵美は、そんな彼女の気持ちにすぐに気が付いた。気が付いて、逆利用しようと思っていた。引っ込み思案の自分の背中を押してくれる人を探していたこともあって、友達に背中を押してもらえれば、何かあっても自分が悪いわけではないという言い訳を自分にできるからだと思っていた。

 だが、かといって恵美が計算高い女性だというわけではない。確かに利用しようという気持ちはあるが、それは、結果的にそうなっただけで、言い訳にしても、本心からではなかった。それこそ自分を納得させるだけのもので、誰も恵美がそんなことを考えているなど、思いもしなかった。

 高校二年生になる頃には、恵美に寄ってくる男性を吟味できるようになり、嫌いな人に対して、さりげない態度で相手に分からせることができるくらいになっていたのだ。

 恵美が友達になった女の子は、自分のことを隠すことなく話す人だった。自己主張が激しく、人によっては嫌いだと思っている人もいるようだが、恵美は彼女のことを嫌いではなかった。

 最初は、それほど意識していなかったが、相手の方が、恵美を意識しているようで、意識されると、自分も放ってはおけなくなるタイプの恵美は、彼女を無視することができなくなっていた。

 恵美は人の性格を判断する時、まず相手の顔を直視するようにしている。中には睨みを利かされたみたいだとして、すぐに恵美を嫌いになる人もいるが、恵美の視線で見つめられると、金縛りに遭う人が多いようで、却って気持ち悪く思い、気にはなっても、距離を縮めようとする人は限られてくる。

 そんな中でも恵美のことを意識してくれる人は数少ないながら、素直な気持ちになれるようで、

「恵美とお友達になれる人は、本当にいい人なのかも知れないわね」

 皮肉とも取れそうな言葉を吐くその友達は、自分もその一人だということを暗に匂わせながら、気持ちが通じ合っていることを会話の中で終始アピールしているようだった。

 恵美にとって友達が増えることは、それほど重要なことではない。いたずらに友達を増やしても、それは後で収拾がつかなくなることを意味していて、整理整頓の苦手な恵美にとって、それはあまりありがたくないことだった。

 女の子なのに、部屋はあまり綺麗にしていない。特に家族と住んでいた頃は、散らかりっぱなしだったが、大学に入って一人暮らしを始めると、家にいた頃ほど、汚くはなかったが、整理整頓ができているとは、お世辞にも言えなかった。

 一つは、モノを捨てられない性格だからだ。

 捨ててしまったものの中に、本当に必要なものが混じっているかも知れないと思うと捨てることができない。子供の頃から、親に反発心を持っていたこともあって、

「部屋を片付けなさい」

 と言われると、意地でも部屋の掃除をしなかったものだ。それが災いして、整理整頓ができなくなった。要するに、言われれば急いで済ませてしまうくせがついてしまったことで、捨てるものを吟味せずに、同じ種類のものを一か所に固めることで、掃除したかのように見せていただけなのだ。

 それは大人になっても変わりない。一人暮らしを初めて、それほど散らかっていないのは、あまりモノを置かないようにしただけのことだった。モノを置かないと散らかることもない。ただそれだけのことだったのだ。

 だから、一人暮らしを初めても、誰も自分の部屋に呼んだことはない。一度友達を呼んだことがあったが、その友達が二度目からは遠慮するようになった。その人から見れば恵美の部屋は、訪れるに足りる部屋ではないということなのだ。

 整理整頓ができない恵美だったが、それは友達においても同じだった。特に相手は生身の人間、それぞれに性格も違うので、対応の仕方も違ってくる。軽く付き合う程度の人ならいいかも知れないと思ったが、それでも、一つの言動が相手に与える気持ちのデリケートな部分に触れないとも限らない。そうなると軽い気持ちで話もできなくなる。友達を増やすことは、恵美にとって、実家の自分の部屋を思い起こさせることになるということを感じていた。

 整理整頓ができない恵美だったが、そんな中でできた友達は、本当にいい友達なのかM知れないと、以前言われた言葉を自分に言い聞かせて噛み締めていたのだった。

 中学時代から、高校時代、どちらかというと、暗い人生だったと思う。友達もいなくて、いつも一人、しかし、友達ができてから一人になった時、中学時代を思い出すと、暗かったが、自由だったような気もしていた。中学時代に戻りたいという気持ちにはまったくならなかったが、自由がいいのか悪いのか、ハッキリと分かりかねていた。

「自由という言葉を穿き違えるな」

 と、高校時代の先生から言われたことがあったが、妙に先生の言葉に信憑性を感じることができた。信憑性というよりも、経験に基づいた言葉に聞こえて、実感はないが言葉に重みは感じられた。

――その時は忘れるかも知れないが、将来、何かの時に思い出すことがあるのかも知れない――

 と感じた。

 将来思い出すことというのは、実感がないだけで、自分の納得したことを言うのではないかと思った。意外と今までに生きてきた中で、結構そういう意識で忘れてしまったものというのは多かったことだろう。

 高校時代にできた友達から、高校二年生の時、一人の男性を紹介された。

「私はいいわよ」

 と言って断ってみたが、まんざらでもなかった。ドキドキした気持ちを初めて感じた時だったかも知れない。

 彼は、友達が紹介してくれた男性の割には、話し方も緊張が漲っていて、逆に恵美の方が落ち着いているのではないかと思うほどウブに見えたのだ。きっと、恵美にはこれくらいの男性でいいという思いがあったのかも知れない。

 彼は、ウブではあったが、性格的にはしっかりしていた。

 細かいところに気は付くし、人の面倒見がいいことで、人望も厚かった。恵美の場合はいい加減なところがあるが、生来の可愛らしい素振りと、雰囲気で、

――あばたもエクボ――

 と言われるように見られていたが、彼は正反対だ。第一印象はどこか頼りなさげなのに、実際には、これ以上頼りになる人はいない。これほど安心できる人はいないだろう。

 そう思うと、自然に彼に対して委ねる気持ちが強くなる。

 恵美は、自分にないものを相手に求める性格であることに最近気付き始めた。紹介された彼は確実に自分にないものを持っていて、しかも、しっかりしているのはありがたいことだった。

 恵美のもう一つの性格として、茶目っ気のあることも一つであった。

――私だけが、本当の彼の性格を知っている――

 ということで、彼が外見から頼りない男性であって、自分が彼を支えているというイメージをまわりに抱かせるのは、実に気持ちのいいことで、快感でもあった。それを茶目っ気と言っていいものなのかどうか分からないが、心の中でまわりを見ながらほくそ笑んでいるのは事実だった。

 彼がまわりに与えるイメージの大きさは分かっていたが、恵美は自分がまわりに与えているイメージを分かっていない。人のことは良く分かっても、なかなか自分のことは分からないものだ。それに気付かなかったことが、恵美にとっては、一つの欠点として近い将来気付くことになるのだった。

 付き合いは長い方だったかも知れない。もし彼の本当の姿を知らなければ、そのまま付き合っていくと、次第に結婚という文字も見えてきて、大学を卒業する頃には、結婚の二文字が見えていたに違いない。

――長すぎた春――

 という言葉があるが、それとは少し違う。

 長すぎた春というのは、付き合っている相手に対してマンネリを感じてしまうことをいうのだろう、または、あまりにも幸せに感じてしまい、下手に行動を起こすことを戸惑っているうちに、何もできなくなってしまうことで起こってしまう不安感が、気持ちの中で膨らんでくることから来る相手との不協和音が、次第に別れに繋がってくるものだと思うのだった。

 どちらかというと、やはり後者の方だろう。

 彼に対してマンネリ化を感じることはない。同じ性格であれば、相手のこともすべて分かったような気になるので、マンネリ化と言えなくもないだろうが、そうではないのだ。性格が違うから、相手をよく観察しようと思う。そこにマンネリ化は感じられない。なぜなら別れる寸前まで彼のほとんどが分からなかった。分からなかったことが不安感に繋がったというよりも、やはり、幸せボケが不安感を呼び起こしたのだ。

 だが、不安感だけで別れを決めたわけではない。

 彼の中にある冷静沈着な部分が、別れる少し前に見えてきた。

――こんなに長い間付き合っていたのに――

 もう、三年以上も付き合っているのに、彼の冷静沈着さを見抜けなかった。確かに彼が意図して冷静沈着さを隠そうとしていたことが見えていたはずだということは、後から考えれば見えていたことだった。

――一体私は彼のどこを見ていたというのだろう?

 という考えが、恵美の中にあり、彼に対してどう話をすればいいのか、不安感の前に、接し方からして分からなくなっていた。

 軽い人間不信なのだろうが、恵美は軽い人間不信に陥ることはそう珍しいことではなかった。

 人間不信というのは、相手が信じられないというよりも、相手を信じていたはずの自分が、分からなくなることで起こることの方が圧倒的に多いような気がする。

 恵美にとって、人間不信は今に起こったことではない。子供の頃には何度かあった。それが躁鬱症の始まりであることを、その時は分からなかったが、それに気付いた時というのが、彼に対して不信感を抱いた時だ。

――一緒にいて、不快だわ――

 と感じるようになると、ほんの少し距離を置いて座ったりする。彼が近づいてくると、思わず腰を引いてしまうのだが、そんな気持ちを彼も察知するのか、その時から、恵美の身体を求めなくなってきたのだ。

 そのことに、彼も気づいていたのだろう。勘が鋭いというのか、それとも自分に対して不利なことがまわりで起これば、感じ取れる力があるからなのか、恵美の態度の変化には聡かった。

 すると、次第に露骨さが見えてくる。それを冷静遅着だと思っている恵美の見込み違いではあろうが、お互いの気持ちは次第に遠ざかっていく。

 どちらにとって有利なのか分からない。

 冷静遅着な露骨さは、恵美に不愉快な思いしかさせない。彼の中で、恵美に対して、不愉快な思いをさせてやろうという気持ちがあったことは、本人にしか分からないだろうが、露骨さから、恵美にも分かっていたようだ。

――どうして私がこんな目に――

 と、恵美は次第に被害妄想に陥ってきて、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げることで満足しようと思うようになっていた。

 特にひどいと思ったのが、二人でバスに乗った時のことだった。

 バスは、適度に混んでいて、それでも、何とか人が座れるくらいの混み具合だったが、次の停留場で、少し多めに人が載ってきた。

 その中で老人が横に立っていたのだが、今までの彼だったら、

「どうぞ、こちらに」

 と言って、席を譲ることが多かったのに、その時は無視していた。しかも無視の仕方が露骨だったのだ。

 なるべく見ないようにしようとする態度が現れていて、まるで苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情になっていた。舌うちが聞こえそうなほどの露骨な態度と表情に、恵美はウンザリとした。

――何もそんな顔しなくてもいいのに――

 と思ったが、やはり、嫌になり始めている人は、どんなことをしても、嫌なのだ。完全に

――あばたもエクボ――

 の逆である。

――そんな彼の顔を見ている自分もきっと嫌な表情になっているに違いない――

 と恵美は感じたが、そんな表情にさせたのも、元々彼が悪いと思うと、自分のことまでも相手のせいにしてしまいそうになる。これが恵美の悪いところである、整理整頓ができないというところに繋がっているのかも知れない。要するに分類ができないのだ。

 露骨な態度を冷静沈着な雰囲気が、さらに冷たさを増している。冷静沈着というよりも、冷酷さが滲み出ているような態度に、恵美は怯えさえ感じられた。

――さっさとこんな男から逃れないと――

 今まで何年も付き合ってきたことにゾッとしたものを感じる。今まで彼の本性に気付かなかった自分がどれほど鈍感なのか、そして気付かせなかった彼が、どれほど巧みだったのかと思っただけで、人間不信と自己嫌悪が一緒に襲ってきたようで、どうすることもできない自分に苛立ちを覚えていた。

 彼のことに違和感を感じるようになったのは、バスの一件だけに限ったことではない。子供のことが好きだと思っていて、実際に結婚して子供が生まれた時の将来のことなど一緒に話をしたことがあったが、その時の楽しそうな笑顔がウソだったかのように、子供がそばに来るだけで、嫌な顔をしたのだ。

――まるで別人だわ――

 同じ感覚を味わうことがお互いの楽しみだと思っていたのに、潔癖症のように、恵美が触ったものが、まるで汚いものであるかのように振る舞っているのは心外だった。

――この人は、わざと嫌われようとしているのかも知れない――

 普通に嫌われる方法を知らないのか、露骨以外に嫌われる術を知らないのではないだろうか。自分から相手を振るよりも、相手からフラれる方がまだマシだとでも思っているのだろうか。いろいろな憶測が宙を舞っているようだが、嫌われたいと相手に思わせることもないのは、却って潔いとは言わないだろう。

 彼はある意味、すべてに中途半端だった。確かにしっかりはしているが、しっかりしているのは、自分に関わるところだけで、他人に関わるところは、関知しないというところが彼にはあった。確かに人のことに深入りするのはいいことではない。そういう意味では正解なのだろうが、冷静さとは違う意味での冷酷さを垣間見てしまっては、中途半端に見えてしまうのも仕方がないことだった。

 恵美は、彼とは精算しておく必要があると思っているが、その思いは彼にもあるだろう。冷めてしまって修復不可能だと思えば後は別れるだけしかないのだが、いかに別れるかも問題であった。

――嫌いだから別れる――

 ただこれだけの理由では、自分を納得させられるわけはないと思うようになっていた。

――クリスマスは、あの男に引導を渡すチャンス――

 約束した場所に現れて、彼に対して、最後通牒を言い渡す。

「あなたは、私じゃなくってもいいんでしょう?」

 最初は穏やかに話していたが、なかなか自分の気持ちを表に出そうとしない彼に対し、次第に業を煮やしてくる。

――何を言われても、決して取り乱すことがないようにしよう――

 と思っていたくせに、相手が反応を示さないという態度に出られると、恵美はどうしようもなくなってくる。

「……」

 何も言わず、下を向いて考え込んでいるわけでもなく、自分は悪くないとでも言わんばかりに前を向いているが、決して恵美の顔を見ようとはしない。そんな男に対して、恵美はどのような態度を取っていいのか、考えあぐねていた。

 今日は自分から、

――引導を渡してやるんだ――

 と、意気込んでいただけに、出鼻をくじかれたようで、実に悔しい。どうせ別れるのだから、気にすることはないのだろうが、自分が納得できないことが悔しかった。

「もう、あなたとはここまでね」

 精一杯の虚勢を張った恵美だったが、声は枯れていた。口惜しさからなのか、身体の震えが止まらない。

――これで私は自由なんだ――

 と自分に言い聞かせ、まだまだこれから新しい出会いが待っていると、いい方にばかり考える。それが恵美の本当の性格であれば、いい性格だと言えるのだろうが、かなり無理をしているところも見受けられる。そう思うと、なぜか自分を可愛そうに思ってしまう恵美だった。

 とにもかくにも嫌になった男に別れを告げて、

――これで私は自由だ――

 と思った恵美、今日のクリスマスをいかに過ごせばいいのか、新鮮な気持ちで思案しているのであった……。

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