ミキシス/Mission File

シファニクス

File Number1 学校生活

Folder1 アイデンティティ・1

 #某学生寮・廊下


「オリーちゃんっ、ちょっと待ってよ!」

「タカ、鍵」

「え!? あ、忘れてた!」

「まったく……」


 言われて、鍵を閉める。後ろから聞こえるため息に申し訳なさを感じながら、鍵を鞄に仕舞ってオリーちゃんに言う。


「お待たせ。行こっか!」


 春の暖かい陽気の中、ってこれ二重表現か。えっと、正しくは春の朗らかな陽気の中、とか? うーん、その手の勉強はあんまりしてないから分からない。後で教諭に確認してみようかな。


「考え事してると、置いてくよ」

「ご、ごめんって!」

「まったく……新年早々遅刻したくない」


 ため息を吐きながらも立ち止まってくれる彼女に追いつきつつ、遅刻しないように学校へと向かう。オリーちゃんの言う通り、新年早々遅刻しては教諭に怒られてしまうと言うものだ。あの人怒ると怖いし。

 そんなことを考えながら、私の斜め下を先に行く彼女に目を向ける。


 新年早々、なんて堅苦しい言葉を使う彼女ではあるがその外見はその言葉に見合うような雰囲気ではなく、むしろ、新しい友達出来るかな! と今にもはしゃぎだしそうな姿をしていた。

 背丈は恐らく小学校低学年のそれと同等。容姿端麗で整った体つきをしているが、その背丈のせいで可愛らしい、以外の形容が限りなく難しい。髪は煌びやか、と言うよりは落ち着いた翡翠色。首の上あたりで毛先を揃えていて特に髪形にこだわりは見られない。


 こだわっているんだろうな、と思えるのはむしろその服装のほう。

 ベースは私も着用している学校指定の制服。数年間着続けられるくらいには丈夫で、色落ちや汚れもあまり気にならない。よくあるセーラー服なのだが、その運動性や通気性、実用性においては他の学校のものとは比較にならないだろう。

 色合いは比較的シックなもので、スカートの色やリボンの色は選べるのだが、彼女の場合は落ち着いた深緑色。髪の色と相まって暗めの印象を頂かせていた。


 瞳もどちらかと言えば淀んだ緑。黒っぽさすら混じったそれは、彼女の子どもっぽさを全力で否定しているように見えて、それが、彼女が一見だけでも平凡な少女でないことを知らしめているように思えた。


 また、彼女は制服をかなり加工している。

 首には浴衣の帯のようなものをスカーフみたいに巻いている。左手には指無し手袋をはめていて、右足のスカートの下からは網タイツが数センチだけ覗いている。乱雑に着崩された制服の布面積をカバーするように羽織っているのは、これまた浴衣の生地のような素材の布。

 なんか、洋風の制服を限界まで和装に近づけた、みたいな感じの格好をしている。侍か忍者でも意識したのだろうか。時代劇ものに感化されたとしか思えない、所謂イタイほうのオシャレを追及していた。


 ただ、そのどれよりも目を引くのは彼女のスカートの折れ目の間から飛び出す尻尾だろう。猫や犬のものとは形の違う、最も似通ったものを上げるなら狸のように先端の少し丸いもの。彼女が歩く度に左右に揺れており、時たま不自然な動きもするため本物のようにしか見えず。

 と言うより、一緒にいた間の経験で分かり切ってはいるのだが、あれはどういうわけか本物だ。誤ってお風呂場を覗いた時や、着替え現場に居合わせた時に確認した。間違いなく、彼女の腰骨付近から生えていた。ただ、耳はない。狸っ子かと思ったが、耳はないのである。


「……タカ、下らないことを考えていると本当に置いてくよ」

「あ、ちょ、ごめんってば~」


 そんな彼女のことを、私は普段オリーちゃんと呼んでいる。ただそれは、他のクラスメイトや先生にとっては、あまり親しみのない呼び名だろう。それどころか、私も他人の前ではその名を呼ばない。

 学校も近くなり、そろそろ同じ学び舎の同士……これも二重表現かな? うぅ、考えすぎるとドツボにハマるんだよね、こういうの。まあともかく知り合いも増えそうな場所まで来たので、追い付いた私は彼女の名を呼んだ。


「お待たせ、タヌキ。待っててくれてありがとね」

「……別に、待ってないんてない」


 そっぽを向いて頬を膨らませたオリーちゃん、改めタヌキの機嫌がそこまで損なわれていないと確認できたので、もう少しだけ下らないことを考えようと思う。新学年になるにあたって、アイデンティティを振り返ることにする。


 私の名前は、タカ。みんなにはそう呼ばれているし、私もそうだと自認している。短くて、呼びやすい。端的で覚えやすい。そんな理由から案外気に入っている呼び名である。

 学年は一般的には高校二年生。年は十六、今年で十七。誕生日は八月十六日。夏真っ盛りなので学校で祝ってもらった経験はない。ちなみにタヌキの誕生日は一月一日らしい。彼女もまた、学校で祝われた経験はなさそうだ。

 背丈は去年の身体測定の時には百六十七センチ、体重は秘密だけど平均より少し下と言っておく。成績は……中の上あたりだろうか。以前の筆記試験での学級順位は学級八位――ちなみに、私のクラスメイトはタヌキを合わせて七人である――だった。ちなみに、タヌキは一位だった。

 身体能力はそこそこ。持久走はタヌキに続いて二位。徒競走や幅跳びなどの基本的な運動も、大抵は熟せる。得意種目は走り高跳びで、最高記録は六メートル。これでもうちの学級ではタヌキの次なのだが、彼女は驚異の九メートルだった。あの体のどこにそんな運動能力が隠されているのか。


 今の自己紹介に二重表現はあったかな? ……頭の中で考えただけだと、なんて自己紹介したか忘れちゃうな、失敗失敗。まあ、今ので大体のことは分かってもらえるだろう。


 まあ、クラス替えはないからたぶん自己紹介はしないけど。


「ん? あの人は――」


 そんなことを考えていると、文句意外に自発的に口を開くことの少ないタヌキがそう漏らした。気になって横を見て、その視線の行く先が直線の道の終着点にある和が校の校門であることを悟り、そこを見てみると見覚えのない後姿があった。

 ただ、ここから校門までは三百メートル近くある。もしかすると春休みを挟んでキャラチェンをしてしまったクラスメイトの可能性もあるので、知らない人と断言することは出来ないだろう。ただ、タヌキはこの時点ですでに誰かを識別できたらしい。


「イズナ様だ」

「えっ」


 名前を叫んで走り出したタヌキに、私は驚きを隠せなかった。その名が原因ではない。申し訳ないが、イズナ何て名前はどの引き出しを漁っても断片も見つからなかった。その足の速さでもない。三百メートルある学校への道のりを初加速だけで走り終えることなど、日常茶飯事だ。

 驚いたのは、その声音。普段は絶対口に出さないような、どこか喜びと期待に溢れた歓喜の声。あれ、喜びの歓喜の声って二重表現? いや、そんなことはいい。とにかく、タヌキが校門付近にいるその人物を知っていて、その人物の存在がタヌキを上機嫌にさせたことは確実だった。


「ちょ、待ってよ!」


 そんなことの確認のために出遅れた私は、タヌキより十秒ほど遅れて学校に辿り着く。


「タ、タヌキ……ッ! 早すぎるって!」

「え? あ、タカ……存在を忘れてた」

「酷くない!?」


 タヌキの可愛らしい声を聴けたのでこの場はこれ以上追求しないが、一年以上同じ屋根の下で過ごした友人を忘れるのはあまり褒められることではないと思う。むしろ、許されざることだと思う。みんなそう思うだろうし、私もそう思う。


「ん、なに? オリーの友達? ダメよ、オリー。友達は大切にしないと」

「は、はい……すみません、イズナ様。……ですがその、出来ればここではコードネームの方で――」

「ああ、そうだったわね。気が利かなくてごめんなさいね」

「め、滅相もありません!」


 タヌキが敬語だった。それ以上に、タヌキの視線が大分下がっていた。いや、物理的なものではなく――と言うか物理的な話をするのならこれ以上ないくらいにタヌキは下なのだが――いつもは高圧的で他人に対して上から目線なタヌキが、妙に目の前の彼女を見上げているような気がしたのだ。いや、物理的な意味じゃなくて。


「その、イズナ様。此度は、どうして我が校へ? もしや、私、何か粗相を犯していたでしょうか?」

「ううん、そう言うんじゃないの。私も用事があって来ただけ。で、タカちゃん? って言った?」

「あ、はい。何でしょうか」


 名前を呼ばれた。タヌキが小声で漏らした程度だった私の名前を、よく覚えていられたものだ。

 もしかすると、と言うかここにいる時点で関係者かもしれない。


 そんな彼女の姿を確認してみるのだが、タヌキと雰囲気が似ていた。

 タヌキを狸として、この、イズナと言う人は狐だろうか。丸っこいタヌキを、すっと伸ばした感じ。さらに油断なく、鋭くさせたような雰囲気を感じた。


 それに、服装にも気になるところがある。まんま、タヌキのそれと同じコーディネイトなのだ。違うところを上げるとするのなら、イズナさんの方が配色が明るく、活発そうなところ。タヌキはオタクのコスプレにしか見えないけど、彼女はまるでそうあるのが当たり前であるかのような、自然な風貌で和風加工を施した洋風制服を着こなしていた。一応エンブレムがうちの学校のものなので、OBと言うことだろうか。

 軽快な茶髪と茶目、白く透き通った肌とモデル顔負けの美貌とスタイル。それでもまだあか抜けない雰囲気は年の近い姉、もしくは先輩と言った感想だった。外見年齢は、十八やそこらだろうか。もしかすると私と同学年でもおかしくないくらいには若かった。


「ちょ、タカ! イズナ様にもっと礼儀を――!」

「そう慌てないで、タヌキ。私は今日身分なんて気にしないで来てるんだから。むしろ、今後しばらくはそうあるつもりかな」

「そう、なんですか?」


 タヌキは、どうやら態度があまりよろしくなかったらしい私に対して冷たい視線を向けてきたが、すぐに嬉しそうにいずなさんを見上げた。なるほど、この一年間知る由もなかったが、タヌキは人によって大きく態度を変えるらしい。

 だとすると、私はこの一年であまりタヌキと親密な関係を築けていなかったことになる。残念で仕方ない。


「で、タカちゃん。タヌキと友達ってことはクラスメイトだよね? 今年から私が担任やるから、よろしくね」

「ええー!?」


 驚きで声を上げたのは私じゃない。タヌキだ。これもまた、意外なことに。


「だからこれからは、皆の前では私のことをキツネって読んでね」

「あ、やっぱり狐なんですね」

「タカ! イズ、キツネ様に失礼!」

「まあまあ、私は気にしてないからね、タヌキ」


 私に食って掛かるタヌキを、イズナさん、基キツネさんが宥める。


「気にされないほうがおかしいんですよ」


 そんなタヌキの拗ねるような呟きを、私は一応拾っていた。けれど、どういう意味なのだろうか。ひょっとすると凄い大物だったりするのだろうか。もしそうだったとしたら今すぐにでも土下座して謝り倒すところだが、こんな辺境の高校に来ている時点で大層な身分の持ち主とは思えなかった。

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