記憶の中の墓地
森本 晃次
第1話 デッサン画
一年の中でも数少ない、過ごしやすく、雨の少ない貴重なこの時期。しばらくするとじっとりとした雨に見舞われる梅雨の到来を意識しないわけにはいかない時期。心地よいはずなのに、夕方になると襲われる気だるさは、一日の労働を意識させるものだった。
しかし、その労働も、感じる人それぞれで意識も違ってくる。仕事が終わって労をねぎらうかのように、仲間内で呑みに出かけることを日課としている人もいれば、さっさと家に帰り、家族の顔を見ることが癒しになると思っている人、逆に家に帰ることを苦痛に思っているサラリーマンも少なくないだろう。
迎える人の立場は人それぞれなのだが、やってくる時間に変わりはない。いかに充実した一日を過ごしていようと、ストレスを溜めながら過ごした人であっても、気だるさを感じるのだ。
ただ、同じ感じる気だるさであっても、それを誰かと一緒に感じるのと、一人で感じるのとでは違いがある。それはその日のその人の過ごし方に関係なく、自分がまわりに対してどういう立場なのかということでの方が大きな違いを抱えているのだ。
子供の頃からいつも一人で、孤独を感じていた男性でも、自分に趣味を持つことで、それまでの生き方がまったく変わってしまうという例もある。
「一人でコツコツする趣味は、他人と関りがない方が、充実した時間を過ごすことができる」
中学生の頃に絵を描くことを好きになった門脇正則は、高校卒業まで、趣味としてずっと絵を描いていた。
最初は学校が休みの日に近くの神社に行って、スケッチをする程度だったが、次第に学校が終わってから、帰宅途中に神社に寄って、絵を描いていた。
「絵を描いていると、時間を感じない」
と思うようになったのが今までずっと続いてきた一番の理由だと思っている。
小学生の頃は、何をするのも嫌だった。しかも人と一緒にいるのが億劫で、先生から言われる、
「集団行動」
という言葉が一番嫌いだった。
小学三年生の頃に母親が病気で死んだと聞いたが、それからいつも一人でいることが多くなったことで、
「あの子は、お母さんが亡くなってから変わってしまった」
とまわりから言われるようになった。
だが、本当は違っている。
正則は、物心ついた頃から一人でいるのが好きだった。父親も必要以上に子供に構うことはなかったが、たまに一緒にいる時は他の家族と変わりなく笑顔を交わしていたからだ。しかし、それはお互いに気持ちが通じ合っていたからに他ならない。父親も正則と同じように、いつも一人でいることが好きだった。母親もそのことは分かっていたが、まさか、それが子供に遺伝しているなどと思ってもいない。
「少し変わった子供だわ」
と思いはしたが、
「子供なんだから、成長するにつれて変わってくるわ」
というまわりの意見にそのまま看過された。
だからというわけではないが、正則は成長するにつれて変わってくることはなかった。むしろ、父親の悪いところに似てきたような気がして、父親としては、母親が亡くなって、やっとそのことに気づいたのだった。
しかし、子供の成長はそんなに簡単に変わるわけもなく、性格として息づいてしまったら、そう簡単に変えることはできない。
「人の性格というのは、持って生まれたものと、環境に作用されるというけど、やっぱり持って生まれた性格だけは、どうにもならないのかも知れないわね」
近所の人が話しているのを聞かされた父親は、それを聞くとしばらく鬱状態に陥った。子供のことよりも自分のことの方が重大となり、しばらく神経内科に通った。医者はその原因を、
「奥さんを亡くされて、そのショックがかなり大きかったのかも知れませんね」
それも一つの原因なので、そこで、
「違います」
とは言えなかった。
自分の性格で、まわりに流されやすいというところが最大の欠点だということを一番よく分かっていたのは、当の本人だったのかも知れない。
まわりからは、
「奥さんを亡くしたことでの鬱状態」
として同情が集まった。
同情を受ける方が楽であった。父親に限らず、人というのは、楽な方に進みたがるもの、同情が集まることで自分が楽になれるのであれば、それを抗う必要はどこにもない。母親は、自分のために子供のことを気にかけていることを封印した。
正則も、父親の考えていることがウスウス分かっていた。一人孤独な人の方が、結構まわりのことが分かるもののようで、それは、
「集団行動しかできない群れを成す連中には理解できないこと」
という意識があるからだ。
集団行動しかできない連中は、きっと孤独な人を、
「可哀そうな人」
という目で見ていることだろう。
いわゆる、
――上から目線――
であり、集団行動から抜けられない理由は、その上から目線という意識を持っていないことだと正則は感じるようになった。
だから、小学生の頃の道徳の授業だったり、集団行動を強いる運動会や音楽会は大嫌いだった。
かといって、一人逆らうことができるほど成長しているわけではないので、
「俺はまわりとは違うんだ」
という意識を強く持っていた。
しかも、その感情には、
――上から目線――
を含めない。含めてしまっては、父親と同じになってしまうと思っていた。
反面教師は父親だった。
「同情を受けることで楽になろうとするなんて」
と、子供心に母親のやり方を憎んだものだ。だが、母親を嫌いになったわけではない。むしろ、
「可哀そうな人だ」
と思うようになった。
それだけに、自分が母親との違いをしっかりと意識して、孤独を愛することができる人間になれるように心がけることにしていた。
そうすれば、大嫌いな学校行事も何とか乗り切ることができる。だが、次第にその時間がもったいなくなってきた。
「無駄な時間を過ごさなければいけないのなら、無駄だとは思うことのできない時間を自分で持たなければいけない」
という感情を抱けるようになったのが、やっと中学生になってからだった。
最初に絵を描くことに興味を持ったのは、学校の帰りに神社があったが、そこは正則の通学路だった。近道にもなる神社を通っていると、時々そこでスケッチをしている人を見かけることがあった。
最初は、何ら意識をしていなかったが、絵を描いている人は別に楽しそうでもないのに、いつも同じ場所で描いている。
――楽しいと思えないことは、やるだけ無駄だ――
と思っていた正則は、その人の目が、真剣な眼差しで、描いている点を見つめているのを感じると、分からなくなってしまった。
決して上から目線ではないところが気になった。今まで自分が何かに集中して時間を過ごしたことがないことに、その時初めて気が付いたくらいだ。
「そういえば、試験は嫌いなのに、勉強している時、そんなに嫌な時間を過ごしているような気はしなかったな」
と感じた。
それが一生懸命に集中して時間を使っているからだという今から考えれば当たり前のことに気づかなかった自分が恥ずかしいくらいだ。
サラサラと画用紙に鉛筆を走らせている。いわゆる油絵ではないデッサンだった。
「もし、この時に描いていたのが油絵だったら、俺は今、絵を描こうなんて思っていなかったかも知れないな」
と思った。
油絵だとあまりにも、絵描きの雰囲気を感じさせ、その場にふさわしすぎて、却って意識しなかったかも知れない。デッサンというのはその場の雰囲気にふさわしくないと正則だったが、それだけ一つの背景に対してのシチュエーションは、たくさんイメージできるものではないと思っているのだろう。
学校からの帰宅途中で描いていることもあってか、絵を描くのは夕方が多くなっている。休みの日の日中は家にいて、本を読んだりしている。実は本を読むようになったのも絵を描くようになってからのことで、休みの日の日中することがないので、本でも読もうというのがきっかけだった。
本のジャンルにこだわりはない。流行っている本を読もうという気もなく、本屋で背表紙を見ながらタイトルが気になった作品を手に取ってみて、中を開くこともなく選ぶ、裏にあらすじも書かれているのだが、それもあまり気にしない。それでも読んだ本で失敗だったというのはあまりない。きっと読んだ後の感動も、内容によって変わることもないからだ。
「熱しやすく冷めやすい」
という言葉もあるが、正則にはそんなことはなかった。
「当たりもなければ外れもない」
というのが、正則の性格を一番適格に捉えた性格ではないだろうか。
本を読むことで、
「集中することで時間を感じない」
という感覚が生まれた。
絵を描いていても同じ感覚に陥るが、最初は本を読むことから始まっていた。
夕方の神社には、いつも西日が差し込んでいた。いずれ訪れる梅雨に憂いを感じながら、今描いている作品を完成させたいという思いは強かった。
最初は狛犬をモデルに描いていた。狛犬というのはハードルが高すぎると思っていたが、西日が差し込んでくる中で、一番普段と違って見えたのが狛犬だった。石でできているので普段はグレーなのだが、西日を浴びることで、白い部分と、黒い部分が湧きたって見えたのだ。最初のグレーはどこに行ってしまったのかと思うほどの白と黒は、そのまま光と影を思わせ、角度や時間によって微妙に違ってくるはずなのに、その狛犬だけはずっと一緒に感じられる。それが、
「白と黒の魔術なのかも知れない」
と感じた。
そういえば、ちょうどその頃に読んだ小説の中に、白と黒をイメージさせる話があった。ミステリー小説なのだが、サスペンス調ではなく、ホラーっぽさを感じさせる雰囲気が特徴だった。
舞台は昭和中旬の、高度成長期の話。その頃を知らない人は。学校で習ったこととして、「好景気に沸く世の中」
だけが、印象に残っている。
今の国家が破たんするのではないかという不安を、皆が抱いている。先の見えない時代に生きている人たちにとって、その時代がいかに輝いていたのかとしか思えない。
「眩しくて、まわりが見えない」
というのが本音だろう。
しかし、どの時代にでも、
「表があれば裏がある」
というもので、当時は公害問題、貧富の格差など、今も抱えている不安が、当時からあったということである。
本当は教科書にもそのことは載っていて、授業でも教えているはずである。しかし、羨ましい限りの印象的な時代を思うと、裏の世界は打ち消されてしまう。
いや、打ち消されるという他力的な話ではない。自分の中で成長期というものに弊害があるということを認めたくないという思いがある。それは、ちょうど自分が成長期の真っただ中だったからだ。もっともこの感覚は、
「限りなく無意識に近い意識」
であり、すぐに忘れてしまう意識であった。
この意識は記憶の奥に封印もされていないだろう。もし、裏の世界を思うことがあるとすれば、高度成長の時代へのイメージを再認識した時にしかないだろう。つまりは、成長期が終わり、大人になってからでなければありえないことではないだろうか。
だが、正則は学校で習った高度成長時代の裏の部分をずっと意識していた。習った時から感じていたことで、だからと言って憂いていたわけではない。
「歴史の一ページ」
としての、
「認識しなければいけない出来事の一つ」
という意識を持っていただけだ。
もし、ここで正則が憂いのようなものを感じていたら、違った形で記憶の奥に封印されたことだろう。正則は表も裏も、平等に考えることができる人間だったのだ。
まわりのクラスメイトからは、
「鉄仮面」
と呼ばれていた。
いつも表情を変えることなく、何を考えているか分からないというところがあったからだが、彼が裏と表を冷静に見つめていて、冷静さが冷めた目を生んでいると誰もが思っていたが、そうではなかった。
「俺は感情的にはならないんだ」
といつも口にしていたが、それは、普段から彼に接している人は誰もが感じていることだった。
しかし、感情的という言葉の意味が違っていた。
まわりの皆は冷静さというよりも、
「他の人と同じでは嫌なんだ。天邪鬼なだけじゃないか?」
と思っていたようだ。
半分は正解だが、半分は違っている。違っているというよりも足りないと言った方がいい。
確かに他の人と同じでは嫌だという思いは持っているのだが、決して天邪鬼ではない。彼は表だけを見ているわけではなく、裏の部分を見ようとすることで、光だけを受け止めることなく、影の存在も意識する。だから、顔に光を受けると、顔が光って見え、窪んだ部分に影ができているの。しかし、彼の場合は、光をまともに受けることはなく、顔が光っているわけではない。つまりは影はできていない。それでも彼は影を意識しているということは、気持ちの中で影を意識しているのだ。まわりの人のように、影を意識していないのに、勝手にできる影とは違う。そこが、彼を冷静に見せる要因なのだ。
正則が神社で絵を描き始めてから、数か月が経った。
季節は、まだまだ暑さを残していたが、秋めいた雰囲気もちらほらと見え始めた。
神社のまわりの木々はまだまだ緑が残っていて、夕方になっても、まだセミの声が聞こえてきていた。さすがに真夏は夕方とはいえ、熱中症になる可能性があるので、毎日絵を描きに来ることはできなかったが、季節が次第に秋めいてくると、最初に感じるのが、風だった。
風に秋を感じてくると、毎日のように絵を描きに来ても大丈夫だった。
「明らかに夏とは違うな」
正則は、
「風には匂いがある」
と思っている。
「空気にも匂いを感じるのだから、風に匂いを感じても不思議はないのではないだろうか」
空気に匂いを序実に感じるのは、夕立の時だった。夏の間、灼熱に照らされたアスファルトには、塵や埃が散乱している。そこに雨が降ってくると、一気に水蒸気に変わった雨が塵や埃を一緒に舞い上げた時、匂いが発せられる。
しかし、雨が降る前も匂いを感じることができる。その匂いは。
「発せられる」
というものではなく、
「立ち込めている」
というようなものだった。
「雨が降ってくる」
というのを身体で感じるという人は結構いるが、匂いで感じるという人はあまり聞いたことがなかった。
だからと言って、まったくいないというわけではない。正則のように、感じてはいるが口に出すことを躊躇っているという人もいるかも知れない。どうしても匂いを感じるというと、気持ち悪そうな目で見られるのではないかという思いがあるからだろう。
ちょうどその日は、匂いを感じていた。
「これから雨が降るかも知れない」
と感じたので、いつでも絵を描くのをやめられるように準備はしていた。
と言っても、油絵のような仰々しいものではなく、スケッチブックを畳んでカバンに入れるくらいなので、それほど苦労はなかった。
雨が降るとは予見できても、いつ頃から振り出すのかまでは予見することはできない。
――ひょっとして、匂いを感じる人が自分から言わないのは、俺と同じように、いつ振り出してくるのか予測ができないからなのかも知れないな――
と感じていた。
いつもは二時間程度のデッサンだが、集中していると、感じる時間は三十分ほどのものだった。集中はしているが、時間の経過に関しては敏感で、表にいることで、夕暮れの変化で、時間の経過は手に取るように分かっていた。
ちょうど一時間半が経過した頃だっただろうか。雨の予感を感じてはいたが、実際には空に雲はほとんどなく、西日が眩しかった。
この神社は、小高い丘の上に位置しているが、神社に上がってくるまで、少し長い石段が存在した。石段を登り切るとそこには鳥居が存在した。赤鳥居ではなく石でできた鳥居である。
赤鳥居は、石段を登る前の最初に位置しているので、登り切ったところにあるのは石でできた鳥居だった。
石でできた鳥居の真ん中に西日が差し掛かっている時間だった。ここまで日が沈んでくると、完全に隠れるまで三十分と少しくらいだろう。自分が絵を描くのをやめる頃から光は影に変わり始め、
「夕凪」
と呼ばれる時間がやってくる。
夕凪の時間帯は風がやんでいる。どれほどの時間なのか意識しているのに、なぜか夕凪が終わった時間を感じることはできない。
「気が付けば、日が沈んでいた」
と思うからだ。
夕凪が終わる時間というのは、間違いなく存在するはずなのに、どうして感じることができないのか。それは、
「日が沈んだのと同時に夕凪の時間が終わるからなのではないだろうか」
と感じるからだった。
正則は、神社で絵を描くようになる前から、夕凪というものを意識していた。しかし、神社で感じる夕凪とそれまでに感じていた夕凪とではどこかが違っていた。
「神社で感じる夕凪は、日が沈む時間に近い」
つまりは、神社以外で感じる夕凪というのは、夕凪の時間が終わったという意識をハッキリ感じた時は、まだ日が暮れていないということを分かっていたということであろう。
ちょうどその頃に読んでいた本に、夕凪のことを書いているものがあった。主題ではなかったのだが、小説の中のアクセントとして描かれているもので、夕凪の時間というのが、正則が神社以外で感じている時間帯とまったく同じ時間であることを示していた。
正則が読んでいる本は、
「いつも後になって、その内容を思い出させるエピソードが書かれている」
というものだった。
本を読んだから、その印象が残っていて、まるで本が自分の意識を引き出しているかのように感じるのだが、逆に自分の意識が本の内容に引きずられているのかも知れないと思う。
「絵を描いているのが趣味であるなら、本を読むのは自分にとって何になるんだろう?」
と、正則は考えていた。
「何の意識もなく、ランダムに選んでいるつもりだが、そこに意志が働いたとすれば、今度選ぶ本はどんな作品なのか楽しみだ」
ポジティブに考えるとそういうことになるのだ。
絵を描いている時は、あまり何も考えていない。絵というものは平衡感覚と、バランスが命だと思っているが、そこに意識が働いてしまうと、感性が失われてしまうような気がする。
しかし、感性というものは確かに持って生まれたものも大きいのだろうが、持って生まれたものだけであれば、そこにどうしても限界が存在する。限界のないものなどありえないのだろうが、最初から限界を感じてしまうと、何をやっても面白いはずはない。
芸術というものが感性のたまものだと考えると、
「何かを作るということに造詣が深いのは、自分の感性を信じるということに他ならない」
と言えるのではないだろうか。
そういう意味で、感性を成長させるために本を読んでいると考えるのは、少し発想が飛躍しすぎであろうか。
「本を読んでいる時というのは、何も考えず、本の世界に入り込むことだ」
と言っている人もいたが、正則はそうは思わない。
確かに本を読んでいると時間が経つのが早く感じられるが、それは集中しているからである。だが、書いたのは自分ではない。何も考えずに読んでいる方が、却っていろいろな発想を生むことができる。先のストーリーを勝手に想像して読み進んでいくと、もし違った場合、たいていの場合、ガッカリさせられる。よほど奇想天外でなければ、ガッカリすることになるが、ガッカリしない場合というのは、
「作者の思惑通り」
ということになる。
結局は作者という他人に操られているのだ。
どちらにして、作者の意志に誘われるのであれば、何も考えないというのは賛成だが、本の世界に入り込むという発想には至らない。それが正則の、
「本を読む姿勢」
なのだ。
だから、正則は本を読んでガッカリすることはない。少し控えめな発想だが、受け身としての読書はそれでいいのだ。
正則が今読んでいる本は、少し寂しさを感じさせる本だった。ただ内容としては厳しいものなので、同じ人であっても、読む時の心境の違いで、それまで読み進んでいた感覚と違った思いを浮かべることになるかも知れないというものだった。正則も最初はあまり意識していなかったが、読み込むうちに読むことに辛さが感じられたが、途中まで読んできたものを止めてしまうほどの心境ではなく、あまり思い入れしないようにしようと思いながら読み進んでいた。
主人公は一人の男性で、彼は高校生の女の子と知り合うことになる。偶然知り合ったのだが、ベタな出会いのため、運命と呼ぶには白々しさが感じられた。それでもお互いに出会いに関係なく惹かれていく展開は、お互いの身の上を話し始めるところから始まった。
不幸を感じていない人がサラッと読むにはちょうどいいかも知れない。両親を事故で亡くした女の子は施設絵育てられ、高校生になった頃には孤独に感覚がマヒしているようで、人との関わりなど、どうでもいいと思うようにいなっていた。
「オトコなんて、お金をくれればそれでいいんだ」
と思っているようで、エンコ―など何でもないと思っていた。
警察にも何度か検挙されていて、少年課の人からも何度も訪問を受け諭されたが、
「人に諭される程度で改心するのなら、それこそ警察なんていらないわ」
と笑って言ってのけていた。
悪い連中と付き合うようになり、自分が利用されているということを悟ることなく、毎日を無為に過ごした。
いや、彼女は自分が利用されているということくらいは分かっていただろう。それでも構わなかった。それだけ感情がマヒしているからだった。
彼女がマヒしていたのは感情であって、感覚ではない。むしろ感覚は鋭いものを持っていた。人が気づかないことも気づくのだが、気づいてからその後をどうすればいいのか分からない。
そんな時に知り合ったのが主人公だった。
彼は毎日を無為に過ごしていた。そんな彼がある日、お金を拾うことになる。それまでお金に対して執着などまったくないと思っていたはずなのに、そのお金を見た時、彼は豹変してしまう。
しかし、それは未来の話だった。
それを彼女は分かっていた。それまで自分に予知能力があるなど想像もしていなかった。もちろん、兆候があったわけではない。唐突に彼の未来が見えたのだ。
――そんな、信じられない――
感情がマヒしているはずなのに、この感覚は何なのだろう? 彼女は自分の気持ちをっ整理できないでいた。
それまでに男性を好きになることはおろか、人のことなどどうでもいいと思い続けてきた彼女は、自分が彼のことを好きになったからだと思うようになっていた。
彼女は目立ちすぎたのか、警察には完全にマークされていた。彼女を利用している連中も、さすがに彼女を利用し続けることが自分たちの墓穴を掘ってしまうことに繋がるのだと思い、次第に彼女を遠ざけるようになる。
彼女にとって、絶好のタイミグだった。彼を好きになったと思った自分を我に返ってみてみると、いじらしさという感覚が自分の中にあった。
もちろん、
「いじらしさ」
などという言葉を知ってはいるが、それがどんなものなのか考えたこともないので、言葉が頭に浮かんでくるということはなかった。
悪い連中と手を切ることができて、彼のことを気にするようになると、自分の能力が想像以上のものであることに気が付いた。しかし、それは同時に自分に対しての運命のいたずらであることにも気づかされることになるのだ。
彼がお金を拾うと性格が一変してしまうのは想像がついたが、どちらが本当の彼なのか、その時点では分からなかった。
――自分が好きになったのだから、今の彼に決まっている――
という思いと、
――今の彼を好きになっただけで、豹変してしまった彼のことを見ようとしない自分もいる――
とも思った。
しかし、今までの自分を考えると、まわりに利用されたり、世間的に悪いと言われることでも平気でやってきた自分に道徳観念もなければ、感情がマヒしていたと言えるのではないだろうか。
いつの間にか、自分から何も考えないようにする感覚が根付いている自分を彼女は悔やんでいた。
「お父さん、お母さん、どうして死んじゃったのよ?」
そう言って、両親の葬儀の時、墓前に手を合わせ、周囲の涙を誘った光景が瞼の裏によみがえってきた。
――私は、可愛そうな子なんだ――
当時まだ小学生だった彼女がそう感じたのは無理もないことだった。
だが、世間はそんなに甘いものではなかったのである。
初七日が住んで、彼女の身の振り方を親戚で話し合っていた。彼女はおばあさんに連れられてその席には同席できなかったが、
「トイレに行ってきます」
と言って、部屋を出て、自分のことを話し合っている親戚がいる部屋の近くで聞き耳を立てていたのは、自分の運命を親戚の人たちも一緒に受け入れてくれるものだと信じて疑わなかったからだ。
それを希望という言葉で感じたわけではなかった。むしろ、
「当然のことなんだわ」
と、今まで生きてきた中で守られてきたという思いを抱くこともなく、平凡に育ってきた小学生なので、そう感じるのは当然だった。
――それなのに……
「うちは、おばあちゃんも引き取っているんですからね。お兄さん夫婦で何とかしてくださいよ」
二番目のおじさんの奥さんの甲高い声が聞こえた。すると、一番上のおじさんがその言葉を聞いて、申し訳なさそうに口を開いた。
「うちも、子供が三人もいるんだよ。いっぱいいっぱいだよ」
というと、さらに二番目のおばさんは、
「義母の時もそう言って私たちに押し付けたでしょう? 今度はそうはいかないわよ。一体どう考えているの?」
と、またしても声を荒げた。
すると、一番上のおばさんが落ち着いて、
「厄介者は、困るということよ」
彼女は、もう聞いていられなくなった。
「押し付けた?」
「厄介者?」
この二つの言葉で十分だった。
この時を境に彼女は心を閉ざし、感情がマヒしてしまったのだ。結局引き取り手がおらず施設に入ったのだが、ある意味、施設が彼女にとって一番よかったのかも知れない。もしどちらかの家に引き取られていたら、感情どころか、感覚までもマヒしてしまい、人間の抜け殻になってしまっていたに違いないからだ。
それからの彼女の転落人生は、語るに足りないものがある。思い出すだけの価値のないものだった。
そんな彼女が男性を好きになった。信じられないことだが、彼の将来に危険を感じたからだというのは、半分当たっているかも知れない。
だが、彼女には人との関わり方が分からない。彼は優しいが、何を考えているのか分からないところがある。だからこそ、お金を掴んだことで豹変するのだ。
――この人がお金を拾わないようにしなければいけない。それができるのは私しかいないんだ――
どうすればいいのか考えた。すると一番いい方法は、彼がお金を拾う寸前に、自分がそのお金をどこかに隠すことだった。
彼女は、記憶が直近になれば、その場所と時間を特定できた。彼女の計算では、何とか彼よりも先にお金を自分でどこかにやることができると感じた。
「これでうまくいく」
実際にその場所に行ってみると、確かにお金がそこにはあった。
何も考えず、まわりを気にすることもなくお金の入ったカバンを取って、必死に逃げた。さすがに警察に届けるわけにはいかず、近くの丘の木の幹のそばに、穴を掘って埋めることにした。
するとそこに彼の好きになった男性が現れ、
「どうしてここに?」
と彼女がいうと、
「そのお金どうしたんだい? それは俺のお金だよ」
「えっ?」
彼女は、男がすでに豹変しているのを感じたが、それと同時にその男性が自分の知っている他の人であることにも気が付いた。
「このお金はヤバいお金でね。普通に取引したのでは、警察の目もある。だから君を利用してここまで運んでもらったのさ。もし君が警察に捕まれば、僕が彼氏のふりをして、君を助けにくる。そして、元々の持ち主にお金を取りに来させて、取引をやり直す手筈さ。一度失敗した取引は、警察に露見させた方が二回目の成功が確実になる。警察には一度調べた場所は捜査の盲点だからね」
「私の予知能力を利用したの?」
「君が予知能力を持っていることは分かっていたのさ。それでこうやって利用させてもらったわけなんだが、どうして組織から簡単に抜けることができたのか、そこまでは考えていなかったようだね」
彼女の好きになった男性というのは、面識があったわけではないが、
「この組織には結構いろいろな能力を持った人がいるようだよ」
と言って、組織の手下の人から遠目に指を差した相手がいたのを思い出した。それが彼だったのだ。
「こいつはね。どんな性格にもなれるんだよ。しかも、その性格に合わせて雰囲気だけではなく、顔も変えることができる。まじまじと見つめても、性格が変わった時のこの男を見て、同一人物だと気付く人はなかなかいないんだ。だから、女性を落とすなどということはこいつにとっては朝飯前のことなのさ。特に薄幸で感情がマヒした女が相手だと、赤子の手をひねるようなものなのさ」
――やられた――
彼女は、結局組織を抜けることができなかった。
その後、彼女がどうなったのか分からなかったが、彼女がいたおかげで、主人公の男性、つまりはどんな性格にもなれるこの男は組織内で出世し、いずれは組長にまで上り詰めるのだが、そこは正則にはまったく興味のないことだった。
正則が感じたことは、
「やっぱり人間なんか信じちゃいけないんだ」
という思いだった。
孤独というのは、煩わしさから完全に解放された自分だけの世界。自分にとって悪いことであるはずはないと思えた。
正則はその小説は印象に残っていた。それは主人公に対してではなく、彼女に対してだった。
「可哀そうだ」
という感情があったのは間違いない。
しかし、それ以上に、
「人間なんか信じるからだ」
と思うと、苛立ちすら感じられる。彼女を見ていると、その存在が自分に対しての「反面教師」であることに気づかされたのだった。
もし、この小説を違った感情の時に見ていると、確かに違った角度から見えてくるかも知れない。ただそれは他の人に言えることで、
「俺の場合は、心境の変化などありえるはずはないので、角度が違って見えることはないはずだ」
と感じていた。
この小説を読んでいて気になったこの女性、思い入れがなかったといえばウソになる。
「俺はこの女性に、母親を見ているのか?」
自分の母親は、物心ついた時にはいなかった。最初は、
「お前のお母さんは死んだんだ」
と聞かされていたが、どうやら違うようだ。
そんなことは小学生の頃から分かっていた。仏壇に母親の遺影もなければ、墓参りに行くこともほとんどなかった。小さな子供なら不思議に思わないが、小学生でも高学年になれば、不思議に思って当然だ。
だが、正則はそのことについて父親を追及したことはない。その頃には、母親に対しての感情などまったくなく、母親がいないということを感じてしまうと、孤独が寂しさを呼ぶと分かっていたので、余計なことは考えないようにしていた。
父親もそのことは分かっていたのだろう。何も聞かない息子に気を遣っている素振りもなく、
――何も聞かれないのは幸いなことだ――
とでも思っているのか、本当であれば腹も立つことなのだろうが、正則は腹も立たなかった。
母親がいなくても父親一人で育ててくれているということを分かっているつもりでいるので、必要以上に父親に詰め寄ることをする気はなかったのだ。
中学二年生になってからしばらくしてから、父親が急に神妙な面持ちで、
「正則、ちょっとこっちに」
と言って、自分の部屋に招き入れた。
二人は親子とは言え、プライバシーに関してはある程度徹底していて、あまり干渉することはなかった。他の人の家庭がどうなのか知らない正則は、
――どこもこんなものなのだろう――
と思っていたので、あまり気にもしていなかった。
正則が孤独に対して免疫を持っているのは、育った環境が大いに影響していると言っても過言ではない。
神妙な面持ちではあったが、普段父親と顔を合わせることもないので、普段がどんな表情なのか知らない。
――なるべく人の顔を覗き込まないようにしよう――
という意識は持っていたが、正則にはそんな意識がなくとも、人の顔を覗き込む気はしなかった。人が何を考えているかなど、正則には関係ないと思っていたからだ。
だが、この時の父親の面持ちに対して、胸騒ぎのようなものがあった。
別に怖いと思っているわけではない。人に恐怖を感じたことはなかった正則だったが、不安を感じたことは何度もある。
――恐怖からの不安以外にどんな不安があるというのだろう?
と、いう思いが強く、それが自分を孤独にしているのかも知れないと思うと、その正体を知りたいと思う反面、知らないでもいいのなら、知らなくてもいいと思うようになっていた。
正則が父親の部屋に入るのは何年振りだっただろう? 少なくとも中学に入学してからはなかったことだ。もちろん、父親が正則の部屋に入ることもなかった。そして、親子二人が住んでいるこの家には、
「開かずの間」
と呼ばれる部屋があった。
もっとも、開かずの間と言っているのは正則が一人で言っているだけで、別にそんな大げさなものではないのかも知れない。
部屋には鍵が掛かっていて、中に入ることはできない。
「ここは、かつてお母さんが住んでいた部屋なんだ」
と言っていたが、鍵を持っているのは父親だけなので、父親の許可がなければ入ることはできない。
「俺が時々掃除はしているから、汚くはない」
と言っていたが、それは本当だろう。父親には潔癖なところがあり、開かずの間として鍵を閉めていても、時々空気を入れ替えるくらいはしていて当然だった。
ただ、正則にはその部屋の様子はまったく想像がつかない。
家具は置いてあるのか? それともまったく何もない部屋なのか、父親の性格から考えれば、母親がいた時そのままのような気がする。父親は孤独が嫌いではないが、思い出を大切にするところがあるようだ。それは、同じ孤独を嫌いではない正則には、思い出というものが邪魔でしかないと思っているからであり、根幹が同じ性格なら、枝葉の違いは余計に敏感に感じるものだった。
物心がついた頃から、母親の存在を忘れている正則だったが、ここまでまったく記憶がないというのも最初は寂しいと思った。しかし、父親の孤独な素振りを見て、どこか頼りなさと情けなさを感じながら、逆に父親に対して、
「もっと、他人とのかかわりを深めればいいのに」
と考えた時、想像できるのは、まわりの人に対して必要以上な腰の低さだった。
まわりの人に媚びながら生活をしている父親を想像するのは忍びない。きっと父親に対して、嫌悪感以外何も感じないだろう。
それに比べて孤独を前面に押し出している姿は、潔さが感じられた。
――これが僕の目指すモノなのかも知れない――
と正則は感じるようになった。
人にへつらえて、媚びながら生きていくなど、考えただけでも嗚咽を催してくる。一日たりとも耐えることができないように感じられた。
そんな父親がプライバシーを大切にするのは当たり前のことだった。正則も父親に対して、かなり気を遣っていた。
しかし、中学に入った頃から、気を遣うこともなくなってきた。それは、父親が自分に気を遣っていないことに気が付いたからだ。
会話も最低限のもので、もしこれが夫婦だったら、離婚の危機に違いない。
お互いの部屋にはそれぞれに生活必需品のようなものが置かれていた。テレビも電気ポットも、電子レンジもそれぞれ置いてある。冷蔵庫まで個人用があるくらいだ。
「じゃあ、一体いつ顔を合わせるというのか?」
と聞かれたら、
「タイミングが合った時だけかな?」
というだけだ。
他人が共同生活をしている方が、よほどお互いを意識している。なまじ親子なだけに、下手に接触してしまうと、今の生活は変わってしまうだろう。
それをお互いに恐れている。しかも、二人は違った意識を持って恐れているのだった。
正則は、相手を父親だという意識は持っているのだが、父親というものに対して深く考えないようにしていた。しかし、父親の方は、相手を息子という意識はあまりないのだが、共同生活者としては意識しているようだった。ただ、気を遣うことはない意識であって、きっと他の人には理解できないものだろう。気を遣うことと、相手の立場を意識することは表裏一体のイメージで、切っても切り離せないものだという思いが強いからだ。
正則が父親として意識しながら、深く考えようとしないのは、本当の父親というものを知らないからだ。父親の方は、自分の父親、つまり正則にとってのおじいちゃんからどんな育てられ方をしたのか分からないが、父親としての威厳を感じていたのは間違いない。時代の違いと言えばそれまでなのだろうが、同じ血の繋がりから、ここまで違った意識を持つ家族が生まれようとは、ご先祖様も想像できるはずもなかったに違いない。
――俺は突然変異なのかも知れないな――
と正則は感じたことがあった。
しかし、突然変異というのはどういうことなのだろう?
他の人と違っているということなのか、それとも、正則の先祖代々受け継いできた遺伝子が、正則の代で突然変異を起こしたということなのか。
正則は自分の中に流れている血について考えたことがあったが、父親を見ていると、陳の繋がりというものがまったく分からなくなってくる。
正則は、
「突然変異を起こしたとすれば、父親の世代からではないか?」
と感じた。
しかし、父親がどんな遺伝子を持ってきたのかを分からないだけに、何とも言えない。自分と父親を比較してみたが、接するところは見当たらない。そもそもお互いに孤独でプライバシーという結界を大切にしているのだから、それも当然ではないだろうか。ただ正則は、突然変異をしたとすれば自分からではないかと思った。そこに関わってくるのが、まだ見たことのない母親の存在だった。
「お母さん、本当に死んだの?」
と、子供の頃に聞いたことがあった。
まだまだ大人の気持ちなど分かるはずもない、いたいけな子供の他愛もない質問だったはずなのに、その時の父親が自分を睨みつける目を見て、
――どうして、そんな目ができるんだ?
と、子供心に、すべて自分が悪いという意識を持ってしまうほどの威嚇を受けたのだった。
しかし、その顔を見て正則は臆したわけではない。却って、自分が父親に対して逆らってもそれは悪いことではないという思いが芽生え始めた時だった。
中学生のその時にはすでに、父親に対して臆することはまったくなかった。
――ふん、父親なんて、どうせ俺の親権者でしかないんだ――
という思いしかなかったのだ。
そんな正則の思いを知ってか知らずか、相変わらず正則に対して、気を遣っているのか分からない素振りをしている。正則にはそれが煩わしかった。
父親が家だけではなく、表でも同じようにそっけない素振りをしていて、まわりから相手にされていないというのを知ったのは、小学生の四年生の頃だっただろうか。それまでは自分に対してだけこんな態度を取っていると思っていたが、表でも同じような態度を取っている父親を見て、安心したのも事実だった。
何に対しての安心なのか分からない。だが、自分にだけであれば、
「悪いのは自分」
という意識を持ってしまうのだろうが、他の人に対しても同じであれば、それは父親の性格が及ぼす問題だからである。
――僕には関係ない――
そう思った頃から、正則は自分の中にある、
「孤独」
というものを意識するようになったのだ。
中学二年生のあの日、父親が自分の部屋に招き入れてくれたその時、
――こんなに狭い部屋だったんだ――
と、最初に感じた。
――そういえば、最後に入ったのはいつだったんだろう?
あの頃とは背の高さが違っているので、明らかに目線の高さが違う。広さに対して違って感じるのも当たり前のことだ。
しかし、正則は、最初からそのことを計算して部屋の中に入ったつもりだった。それでも狭く感じられるのは、それだけ最後に入った時のイメージが頭に残っていたということであり、さらに、その時に見た光景と、今とではほとんど部屋の雰囲気は変わっていなかった。
――まるで昨日のことのようだ――
それだけに、目線の違いが余計に狭さを感じさせたのだろう。
部屋の中は薄暗かった。照明はついていたのにどうしてこんなに薄暗く感じるのか、最後に入った時を思い出していた。
――あの時は、確か西日が入り込んでいたっけ――
いくら西日とはいえ、太陽の光なので、部屋の照明とは比べ物にならないはずだ。しかも、光には影を伴うもので、その影は太陽の光では絶対のものだった。
今日は、日もすっかり暮れてしまっていて、夕飯も済ませた後だったので、明かりは、部屋の照明だけだった。影があるのも意識できたが、その影が、昔入った時の太陽の光の影とは違い、大きめに感じられた。ぼやけて見えたからなのかも知れない。
狭く感じられた部屋に入ると、中央のこたつのテーブルに父親は腰を下ろし、正則にも座るように促した。
「実は、お前に見せたいものがあってな」
と、神妙な姿は相変わらずだった。
「なんだい?」
どう接していいのか迷いながら、何とか腰かけた正則だったが、
「これを見てほしいんだ」
と、手元に一枚の写真を見せてくれた。
そこには一人の女性が写っていて、その手には、赤ん坊が抱かれていた。
正則は嫌な予感がしたが、
「これはまさか?」
「そうだ、お前のお母さんだ。そしてこの手に抱かれている赤ん坊は、今目の前にいるお前なんだよ」
衝撃の告白のはずだった。
部屋は密閉された部屋のはずなのに、どこからか隙間風が吹いてきたのか、寒気がしてきた。季節は暦上はすでに春だったが、まだまだ寒さが残る頃だっただけえに、少しでも風が吹いてくると、寒さが込み上げてくるというものだった。
――どうしていまさら――
正則は父親を睨みつけた。
父親は一瞬ニヤリとしたが、すぐに顔が真面目な表情に変わった。ニヤリとしたことを相手に悟られていないと思ったのかも知れないが、その表情を正則は見逃すことはなかった。
「どうしていまさらと思っているんだろうね」
「ああ、もちろんさ。今まで俺が母親のことを聞いても教えてくれそうな雰囲気はまったくなかったじゃないか」
「もちろん、お前の性格からすると、聞いてくることはないと思ってはいたさ。お前を見ていると、よく分かる部分と、まったく分からない部分が両極端なんだ。でも、お互いに詮索しないというところはよく分かっているつもりさ」
「その通りだよ」
父親なのに、ここまで言うかとも思ったが、それも自分だったら同じことを言うかも知れないと思えば、分からなくもなかった。
「これがお母さん……」
赤ん坊の自分を腕に抱いて、カメラ目線を作っている。それは自分というよりも、子供を引き立てさせようという気持ちの表れに見えて、新鮮な気がした。自分や父親とはまったく違った性格の人で、一番「まとも」な性格の人ではないかという思いに駆られるに十分な写真だった。
「本当に優しそうな顔をしているな」
と正則が言うと、父親は苦笑を浮かべ、それ以上、その写真の母親について語る気はないようだった。
正規は自分と父親を決してまともな人間だとは思っていない。
「他の人と同じでは嫌だ」
と思っているのは、いい意味でも悪い意味でも父親からの遺伝だと思っている。
――いや、そんな父親が選んだのだから、母親も同じような性格なのかも知れない――
と感じていた。
それだけにいまだに見たことのなかった母親に対してイメージは湧いてこなかった。まさかこんなにまともに見えるような女性だったとは想像もしていなかったのだ。
正則は母親の写真を見て安心したわけではなかった。複雑な思いが頭の中を巡った。
――どうしてこんな普通の女性が、父親のような変人と結婚したのだろう?
正則も父親のような性格を受け継いでいることで、他の人から変人と思われているかも知れないということは想像がついた。それだけに、
――俺は普通に結婚なんかできないんだ――
と勝手に思い込んでいたのだ。
それならそれでもいいような気がしていた。もし、誰かを好きになって結婚したとして、すぐに離婚してしまうようなら、どんなショックが待ち構えているのか分からないと思った。
だから余計に、
「他の人と同じでは嫌だ」
と強く思っているのかも知れない。
他の人と同じような平凡な家庭など、自分には無縁でそれでよかった。
むしろ結婚など煩わしいだけではないか、中学生にもなると、そろそろ異性が気になる時期に差し掛かっていて、いくら人と同じでは嫌だと思っている正則であっても、欲望には勝てなかった。
「恋愛をしてみたい」
という思いと、
「エッチなことをしてみたい」
という思い、どちらもあった。正則には恋愛よりもエッチなことをしてみたいと思う方が圧倒的に強かった。
「理屈じゃないんだ」
という思うことで、それが本能から来るものだということをハッキリと認識したわけではなかったが、しばらくして感じたことに対しての結論をすでにその時に感じていたということを理解した。
本能という言葉、正則は嫌いではなかった。むしろ、思春期になって意識するっようになり、
「どうしてこんな不思議な気持ちになるんだ?」
と、異性への感情が高ぶってくることに対しての答えを、その一言が表しているような気がした。
だが、正則は母親の写真を見せられてから、エッチへの欲望が少し萎えてきていることを感じた。最初はそれがどうしてなのか分からなかったが、何かを理解するということが、きっかけ一つでどんでん返しを食らうような大きな起点になるということを分かった気がした。
「この写真、俺もらっていいかな?」
きっと、反対されると思ったが、思い切って言ってみた。
「構わんぞ」
父親は意外にも簡単に写真を正則に手渡した。
「たぶん、お前はそういうだろうと思って、お前に見せたんだ。もし、誰にも渡す気がなければ、この写真を見せたりはしないさ」
またしても、苦笑した父親だった。
これまでに写真を見せてくれなかった理由の一つに、自分に見せることで、写真をほしいと言われた時、あげることのできない自分を分かっていたからではないだろうか。もちろん、他にも理由はあるのだろうが、この写真が父親にとって、手放したくない写真だったということは理解できる気がする。
――ということは、父親はこの写真、いや、母親に対して何か吹っ切れたものがあったんだろうか? 逆に今まで吹っ切ることができなかったというのも、父親の性格からすれば考えにくい――
と正則は考えた。
「ありがとう」
思わず、正則の口から零れた言葉だった。さすがにそれには父親も驚いていたようで、一瞬だが目をカッと見開いていた。
今まで親子の間とは言え、感謝の言葉をお互いに口にしたことはなかった。食事の時でも、
「その醤油取って」
と言って、相手が取ってくれると、普通の人なら、
「ありがとう」
という言葉を発するのはデフォルトのような気がする。
それは反射的に口にすることで、無意識の人も多いだろう。しかし、それは、
「他の人」
のすることであって、自分は他の人とは違うという意識が先にあるのだから、デフォルトで口にするような言葉を口にすることはなかった。
もっとも、そういう会話というのは、親の教育によって培われるものが大きい。母親のいない家庭で、しかも父親が自分と同じように、
「他の人と同じでは嫌だ」
と思うような人で、孤独を自分のもののように感じている人に、教育も何もあったものではない。
学校では、先生から、
「人から何かを言われると、お礼をいうものですよ」
と言われたこともあったが、
「どうしてなんですか?」
と、素直な疑問をぶつけると、さすがに相手も困ってしまって、
「だって、相手はあなたのことを思ってしてくれたんだから、相手に対して敬意を表するというのは、当たり前のことなのよ」
と、それこそ教科書的な答えしか返ってこない。
正則はため息をついて、
「だから、どうしてそうなるんです? こっちが望んでいないことかも知れないじゃないですか。何でもかんでも礼をいうというのは、相手に誤解を与えることになる場合もあるんじゃないですか?」
と反論する。
それに対して、さすがの先生も返答に困ってしまった。
相手は小学生である。この回答自体、子供とは思えないような的確な反論だった。正規の回答しか用意することのできない先生に、それ以上何もいうことなどできるはずもなかった。
正則は、そんな
「ませた小学生」
だったのだが、それも、自分が他の人と同じでは嫌だと思っていることで感じることができる長所だと思っていた。だからこそ、孤独を悪いことだとは思わずに、長所のように思っていた。だが、その時の正則には、
「長所は短所と紙一重」
という意識はなかった。
さらに、到底受け入れることのできない相手が一番身近にいるのに、その人が自分と同じ性格であるということをまともに感じることができない自分が、ジレンマに陥っていることに気づき始めていた。
そんな時、
「何をいまさら」
と思えるような母親のことを告白した父親。一体何を考えているというのだろう?
「お母さんは生きているの?」
それだけはハッキリさせておきたかった。
「今はどうか分からないが、お前のお母さんとは死別したわけではない。きっとどこかにいるんじゃないかと思っている」
「じゃあ、お母さんが出て行ったということ?」
「それは、今のお前なら分かるかも知れない」
と言って、それ以上は話してくれなかった。
正則は、今の自分が考えられることとして、
――お母さんは出て行ったんだ――
ということしか頭に浮かんでこなかった。
しかし、考えれば考えるほど、母親という写真に写っている女性の性格を想像することはできなかった。
「お母さん……」
正則は、急に神妙な気分になり、父親の前ではあったが、写真を見つめながら、今まで感じたことのない感情に包まれていた。
――なんだ、この感情は?
涙腺が緩んできて、瞼に熱いものが込み上げてくるのが分かった。
――このままいけば泣いてしまうかも知れない――
と感じたが、涙が流れることはなかった。
なぜなら目の前に父親がいたからだ。もし、目の前に誰もいなければ涙を流したかも知れないが、
――意地でも泣くものか――
という意識がその時ハッキリと自分の中にあったのだ。
それは父親に対しての自分のプライドだったのか、それともライバル心のような意識だったのか、ずっと今まで母親のことを何も話そうとせず、まったく気にしていなかった父親を目の前にして、たった今聞かされただけの自分が涙腺を熱くしてもいいのだろうかという思いがあったのだ。
だが、逆に父親と違う感情を、惜しげもなく表すというのも一つの考えだった。これまでずっと抑えてきた思いを、目の前で一瞬にして瓦解するような態度を息子に取られることで父親のプライドがガタガタになるかも知れなかった。
それは、今まで母親のことを自分に何も語ろうとしなかった父親に対しての応酬だと言えるかも知れない。しかし、その時の正則には、そこまでしようという意識はなかったのだ。
そこまで考えてくると、今まで分からなかった、いや、分かろうとしなかった父親の気持ちが今なら分かるのではないかと感じられるようになった。
――何を根拠に――
と感じたが、とにかく理屈ではなかった。
何とか涙を抑えてはいたが、その後、自分がどうすればいいのか分からなかった。
――一刻も早く、この場から立ち去りたい――
という思いが一番強かったが、それにはどうすればいいのか、すぐには思いつかなかった。
さっき、
「ありがとう」
という言葉が思わず口から出たと思ったが、本当はそうではなかった。
一刻も早く立ち去りたいという思いを叶えるにはどうすればいいかと思った時、しばし考えていると、急に言葉が浮かんできた。それが、
「ありがとう」
だったのだ。
だから、この言葉には感謝の気持ちは欠片もなかった。ただ、他の人が反射的に口にする言葉も、本当に心から口にしているのかどうか、怪しいものだ。
正則には、他人が発する言葉のほとんどは信じられるものではない。事実を口にしているのかどうかが肝心なことであって、感情から口にしている言葉は、基本的には頭から信じることはできないと思っている。
――これも父親と一緒にいるから、こんな思いを抱くようになったんだろうな――
と感じていた。
正則は、母親の写真を手に、父親に口だけの礼を言い、すぐにその場から立ち去った。
部屋に戻って、ベッドに仰向けに雪崩れこむと、そのまま写真を天井にかざすように見上げた。
「これがお母さん」
腕に抱かれているのが自分なんだと言われても、ピンとくるものではない。赤ん坊の顔はベビー服に包まれて見ることができない。
「この子供、本当に俺なのか?」
父親が簡単にこの写真をくれたことを思うと、普段の父親の行動からは考えられない態度に、疑念がいくつも湧いてくる気がした。
さっきまで一緒にいたのでぴんと来なかったが、一人になっていろいろ考えてみると、いくつか発想が浮かんでくるかも知れない。
しかも、その一つ一つにそれなりの説得力があるのだが、決定的なものがないだけに、いくつか浮かんだ発想の中に事実は含まれているかも知れない。
しかし、それがどれなのかを決定できるだけの力が自分にあるかどうか疑問だった。
まったく違うことを事実として認識してしまうと、
「取り返しのつかない発想をしてしまったのかも知れない」
と感じることになるだろう。
それだけ正則の発想は、時として天才的な発想をすることがあるのだが、まだそのことを正則は自覚していなかった。その能力を知っている人も、まわりには誰もいない。もちろん、父親に分かるはずもないだろう。
そんな父親が死んだのは、あっけなかった。
病気だということを知らなかったし、どうして言ってくれなかったのか、それが悔しかった。しかし、母親の写真をくれたことと、少しでも話をしてくれたのは、自分の死期が分かっていたからだと思うと、むなしくもなってきた。その思いは、
「そこに一体どんな意味があるというんだ」
という思いに駆られるからである。
いまさらという思いが強かったが、実際にはいまさらではなかったのだ。
――何も知らないのは自分だけ――
という思いが一番強く、これからいろいろなことを知っていくはずの自分が今どこまで知っているのかということを考えると、思わず立ち止まっている自分を感じるようになっていた。
母親のことはもちろん、父親のことも何も知らない。一緒に住んでいたのに何も知らないといことがこれほど悲しいことだとは思ってもいなかったのだ。
もっとも一緒にいる時は、顔を合わせるのも嫌だった。別に文句を言われるわけではなかったのだが、同じ空間にいるというだけで、自分のいる場所を制限されているような気がした。
――部屋の中に見えない壁のような結界が存在している――
そう思っていた。
ただ、その壁は厚いものではなく、固定したものでもない。あくまでも概念なので、境界線がハッキリしているわけではない。父親がその結界の存在を意識しているかどうかまでは分からなかったが、存在を分かっていることだけは感じていた。結界を感じているのに意識していないということは、そこに遠慮が発生し、父親が息子に対して遠慮を感じていることは分かっていた。
――やめてくれよ――
遠慮だけがせっかく広がっている結界を通り抜ける力のような気がして、遠慮を感じるたびに父親に対してどんな態度を取っていいのか分からずに、次第に自分の居場所がなくなってくるのを感じていた。
正則は家に女性を感じたことは一度もなかったはずだった。朝起きて、自分は学校、父親は仕事に出掛けてからは、昼間誰もいない部屋。毎日ほぼ同じ時間に家を出る親子だったが、一緒に出掛けるというわけではない。
しかし、最初に家を出るのは父親の方で、最後に戸締りを確認して出かけるのは正則の方だった。
正則は学校が終わってから、部活に参加しているわけではないので、まっすぐに家に帰ってくる。絵を描きに行くにも一度家に帰ってから、支度して出かけた。父親は早くても午後八時よりも前に帰ってきたことはない。だから、施錠してから自分が最初に部屋を開けるまで、間違いなく誰もいない部屋なのだ。
それなのに、時々部屋の配置が変わっているのではないかと感じることがあった。
思わず、
「おや?」
と声に出してしまう自分がいたが、変化を感じるようになったのは、絵を描くようになってからであった。
「やっぱり、絵を描いているとちょっとした変化に気が付くようになるんだろうか?」
本人としては、気持ち悪さが表には出ていたが、細かいことに気づく自分を喜ばしくも感じられた。
もちろん、一瞬感じただけなので、目に余る変化ではない。部屋の配置というよりも、どこかが違うという気配を感じたというべきか、すぐに気のせいだと感じるのはどうしてなのか、最初は分からなかった。
たまに変化を感じていたのが、次第に頻繁に感じるようになったことで、その理由を何となく分かるようになってきた。
――誰かの気配を感じるんだ――
最初に、
――気配の違い――
を感じたのだから、その気配が人によるものだとどうしてすぐに分からなかったのか、後から思えばそちらの方が不思議なくらいだった。
誰もいないはずの部屋に人の気配を感じるということは、正直気持ち悪いものだった。だが、どこか安心できる部分があるのも事実で、そんな時、父親から母親が生きていたという話を聞かされたのだから、部屋に人の気配を感じるようになると、それが母親ではないかと思うようになったとしても不思議なことではなかった。
「お母さんがたまに帰ってきているのかな?」
そう思うと、リビングのソファーに腰かけてみると、何となく柔らかさが感じられ、柔らかさの理由が、温もりであるのを感じると、いよいよ母親の存在が身近なものに感じられた。
「僕が母親を恋しがっているというのか?」
父親から母親の写真を見せられた時は、正直ビックリして、感動も何もなかった。
「いまさら何を言い出すんだ」
という思いが強く、余計なことを言い出した父親に煩わしさを感じたほどだ。
しかし、時間が経つにつれて、次第に母親を意識し始めるようになるだろうと思っていた正則だが、いつまで経っても母親を意識することはなかった。
部屋に人の気配を前から感じていたからなのかも知れない。存在をウスウス感じていたことで、母親への思いを徐々に高めてきた。そんな時、父親から母親の話を聞かされて、動揺はしないまでも、
――やっぱり、誰かの存在を意識したことに間違いはなかったんだ――
と感じた。
それは母親に対してというよりも、自分自身に対しての意識が深まった証拠なのかも知れない。
だから、いまさらという気持ちにもなったのだろう。
最初から存在を意識していたことで感じる「いまさら」、そして、意識の中心が母親に対してではなく、自分自身に対してであることへの「いまさら」。そのどちらの思いも父親から聞かされた母親のイメージを微妙に冷めたものにする要因になっていたのだ。
正則は部屋の変化に気が付いた時、実際に位置が変わっているわけではないことは分かっていた。それなのに違っているように感じたのは、差し込んでくる西日による影が微妙に違っていることに気が付いていた。
しかし、いくら微妙とはいえ、一日たりとも影の長さが同じ日があるはずのないことは分かっている。当然、冬から夏にかけては日一日と影は短くなり、角度も変わってきていることは分かっている。夏から冬にかけては反対に影は長くなるだろう。それを踏まえた上で、それでも違って見えるのを感じていた。
その理由は、父親が死んでから分かった。
――部屋を見た瞬間、広さに違いを感じるんだ――
部屋を出て行く時に感じた広さよりも、帰ってきた時に感じる部屋の方が若干広く感じられた。さらにもう一つ感じるのは、
――この部屋、凍っていたようだ――
部屋には湿気が感じられ、冷たさというよりも暑さすら感じるのに、凍っていたという発想はどこから来るのか、ひょっとすると、この湿気が凍っていたものが溶けた時に出てくる水蒸気ではないかと考えているのではないだろうか。
しかし凍っている空気というのが、時間すら凍らせる力を持っているのではないかと感じた。
子供の頃に見たアニメで、時間が凍り付いた世界を描いたものがあったが、その世界に入り込んでしまった主人公が見た光景は、すべてがモノクロで、カラー部分がまったくなかった。主人公だけがカラーになっていて、モノクロ部分が明らかに凍り付いているという情景を序実に表現していたのだ。
最初はその世界で動いているのは主人公だけだったが、後からもう二人、動いている人間が現れた。
一人は主人公の親友で、もう一人は主人公の彼女だった。
親友は聡明な男で、こんな状況でも冷静に判断することができる。主人公と主人公の彼女は、冷静に振舞っているが頭の中は完全にパニックになっていて、何をどうしていいのか分からずに、頭の中がフル回転していると感じていながら、実際には何も結論が出ていなかった。理由は頭の中で考えが堂々巡りを繰り返しているからであって、次第に堂々巡りの範囲が狭まってくるのを、状況に馴染んでいくにつれて感じるようになっていた。
それでいて、
――誰かが、この状況を理解できるまで待っていよう――
と、完全に他力本願になっていた。
もちろん、親友が聡明であることが分かっているから、彼が気が付くのを期待してのことだったが、その期待は外れることなく、親友の冷静な頭は次第に状況を把握していったのだ。
「この世界、完全に凍り付いて何も動いていないように見えるけど、実際には微妙に動いているんだぜ」
親友はそのことにすぐに気づいたようだ。
「どういうことだい?」
彼は最初から、スピードで動いていたものに着目した。
「ほら、この車、微妙に動いているだろう?」
さっきまで横断歩道の少し前だったのに、今は完全に横断歩道を通り越している。
「それに、あの歩行者用の信号、少しさっきよりも暗くなっていると思わないか?」
「言われてみれば、少し暗くなっているな」
「あれは信号が点滅しているのさ。だから、一旦真っ暗になってから、次第にまた明るくなるのが分かってくるよ」
「なるほど」
言われて見ていると、確かに真っ暗になって、完全に消灯してしまうのを感じたかと思うと、今度は明るくなった。暗くなるまでの時間に比べれば明るくなるまでの時間は結構早い。これも時間がゆっくり動いていなければ分かることではないだろうか。
テレビアニメでは、そのことをハッキリと分からせてくれた。子供なので、どこまでが本当なのか考える気持ちもなく、センセーショナルな展開に、すべてを信じてしまっている自分がいた。そしてその思いがそれから以降の自分の「常識」に、大きな影響を与えることをまだ知る由もなかったのだ。
自分の家のリビングに誰かの気配を感じるようになると、夕方家に帰ってきた時にリビングを見て、
「モノクロの世界だ」
と感じていた。
しかし、それがテレビアニメでかつて見たスローモーションの凍り付いた世界の発想と結びつけることをすぐにはしなかった。
もちろん、忘れていたわけではない。意識はしていたのも事実だが、結びつけることはしなかった。
ということは、意識的に結び付けようとしなかっただけで、結びつけてしまうことが怖かったのだ。
正則は、絵を描くようになってから、油絵よりもデッサンの方を主にするようになっていたのは、かつてアニメで見た、
「凍り付いた世界」
を意識していたからに他ならない。
もちろん、デッサン画というものが、鉛筆で描いているにも関わらず、立体感を浮かび上がらせる力を十分に持っているのを感じたからだったというのも大きな理由だった。
だが、凍り付いた世界に感じた思いとのギャップがどこにあるのか、最初は分からなかったが、気が付いてみると、
――なんだ、そういうことか――
と拍子抜けしたほどだった。
アニメで見た凍り付いた世界には、立体感が感じられなかった。モノの形を表すためだけのために明暗が存在し、立体感を表すことはなかったのだが、その理由として、
「影がないことだ」
ということにはすぐに気づいた。
考えてみれば当たり前のことである。
影というものは、光があってこそ現れるものであり、凍り付いたモノクロの世界というのは、影を作るだけの力を持っていない。何しろ、色というのも、太陽の光の魔術のようなもので、スペクトル線が影響しているからこそ色が発生するのだ。それを思うと、モノクロの世界に影がないのも当たり前のことで、凍り付いた世界に太陽の恩恵は存在しないのだ。
ということは、
――時間の流れにも太陽の光が影響しているのではないだろうか?
という思いも生まれてくる。
影の角度は日の光によって影響してくるが、そこに時間まで操る力を持っているのだという発想を絡めるのは危険な気がしたが、考えを深めれば、解明できていない不可思議な出来事も、太陽の光と時間の関係を考えることで分かってくることもあるのではないだろうか。
正則は、自分の考えがいつも堂々巡りを繰り返していることに気づいていた。
ある時点を限界として、繰り返すことになるのだが、そこに共通点があるものだと思っていた。
しかし、その共通点がなかなか見当たらない。
自分で妥協してしまうことが無意識な時間を作ってしまい、油断から気が付けばまた同じ位置に戻ってしまっているのかも知れないと考えたこともあった。
油断は確かにあったかも知れないが、無意識な時間を作るのは、妥協が原因ではなく、自分としては、
――息継ぎ――
のためだと思うようになっていた。
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