ふたりの距離②
沙弥子を見送り、瑚春は珂月に言われた通り裏庭へ向かった。
そこには相変わらず不機嫌な顔をした珂月がいた。
「あの、何から始めたらいいですか?」
声をかけると珂月は籠に入った
「葉を束ねる作業からだ。教えるからそこに座れ」
鼻の通りが良くなるようなすぅ〜とした凰霊葉の香りが漂う。
不思議と嫌な匂いではなかった。
「葉を三枚ずつ、こうやって束ねる」
珂月は凰霊葉を三枚重ねると、細い柄の部分を蔓草で括った。
「葉先に気をつけろよ」
よく見ると葉緑の部分はギザギザと尖っている。
葉の手触りも柄の部分も硬い。
(こういう葉は、きっと摘むのが大変だったろうな)
なんだか申し訳ない気持ちになりながら作業をはじめる瑚春だったが、上手く蔓が結べず、余計に落ち込んだ。
「あっ………」
気をつけろと言われていた葉緑の尖った部分で指先を引っ掻いてしまった。
「切ったのか?見せてみろ」
「だ………大丈夫です。掠っただけで血も出てませんから」
ピリッとした痛みが残るが、瑚春は作業を続けた。
「持ち方が悪いんだ。それではまた怪我をする。持ち手はこうだ」
ふわりと暖かな気配に包まれ、瑚春はハッとした。
珂月の左腕が瑚春の肩を抱くように伸びた。
「よくみてろ」
そのまま目の前で珂月は葉を手に取った。
そしてもう片方の右手を瑚春の前に伸ばして蔓を持ち、器用に柄の部分に巻いた。
気付けばいつの間にか後ろから抱きすくめられているような体勢になっていて、瑚春は焦った。
自分でも驚くくらい胸の鼓動が響いている。
(どうしてこんなに頬が熱いんだろう)
「ほら、持ってみろ」
(えぇっ、この距離のまま⁉)
珂月の両腕の中にすっぽりと収まったような体勢に、緊張で身体は思うように動かない。
「どうした、早くしろ」
「はっ、はぃ………」
珂月がこれ以上不機嫌になってしまうのは避けたい。
おずおずと葉を持つと、その手を包むように珂月の手が添えられた。
「もっと強く持ってないと、蔓が巻けない」
触れていた珂月の指に力が込められた。
「蔓草は指先で押さえながら巻くといい」
瑚春がもう片方の手で蔓を持つと、珂月はまた同じように自分の手を重ね、瑚春の指先ごと蔓を持った。
そしてゆっくりと柄に巻きつけて束ねた。
「上手く巻けるようになるまでこうして一緒に束ねてやるから、よく覚えろよ」
優しく触れてくる珂月の手の温かさや至近距離で聴こえる声に、瑚春は不思議な感覚にとらわれた。
逃げ出したいような………。
でも、もっとこうしていたいような……?
(───私ってば!)
そんなふうに思うなんて。どうしちゃったんだろう………。
珂月から伝わる熱に、自分の中の何かが溶かされていくような、そんな気がした。
◇◇◇
瑚春が一人で凰霊葉を上手く束ねられるようになると、珂月は次の作業だと言って瑚春から離れ、束ね終えた葉を物置小屋へ運び始めた。
半分は乾燥させ、煮出して薬湯用に使う分として。もう半分は保存用に漬けておくのだと珂月は言った。
作業を終えた瑚春も珂月の後に習い小屋へ入った。
「漬け込むのにこの深鉢を使う」
見ると口が大きく胴が丸く、底の深い土器が置いてあった。
深鉢の中には束ねた葉が重ねて入っていた。
「ここへ一緒に加えるものがあるんだが。おまえは木苺と山葡萄、どちらが好きだ?」
「ぇ……と、ヤマブドウです」
「そうか。じゃあこれだな」
珂月は棚に並ぶ壺を一つ下ろすと、柄杓で中の液体を椀に汲み、瑚春に差し出した。
受け取ると懐かしい香りが漂う。
「これは山葡萄の果実酒ですね。郷のおばば様もよく作ってました」
「味見してみろ」
「はい、いただきます」
口に含むと葡萄の香りと甘みが程よく広がる。
渋みが少なくてとても飲みやすい。
「これ!おばば様の作ったものより甘くてとても美味しいです!」
「これは蜂蜜を多めに入れて作ったからな。蜜が少なめで渋みがある酒も別に作ってあるが、お子様のおまえにはこのくらい甘いほうがいいだろ」
おこさま、という言葉に瑚春はムスッとふくれっ面になる。
「子供扱いしないでください。渋いのだって飲めますもん」
但し、干した果実や蜂蜜や花蜜などを加え、お湯や水で割ったり、自分好みに飲みやすく改良しなければならないが。
そんなことを言えば尚更、子供扱いされそうなので瑚春は黙っていた。
「ひと口飲んだだけで顔を赤くしてるくせに」
珂月が面白がるような表情で言う。
(むう〜〜)
「こ、これは体質です。まだ酔ってなんかいませんッ」
瑚春はムキになりながら、椀の中の残りをグイッと飲み干した。
「お、───おいッ」
珂月が驚きの声をあげた。
途端にふわぁ……と身体から力が抜けていく。
(あれ………私、なんか気持ちいいぃ……)
身体が軽く感じて頭がくらくらする。
「おまえ、その程度でふらつくなんて。酒に弱かったのか?」
「弱くなんてないですよ!もー。何言っちゃってるんですかぁ、怖い顔してえぇ!」
「おい………」
眉間に縦皺で苦い顔をした珂月の前で、瑚春はグイッと身を乗り出すように近寄った。
「ほんとにぃ〜。いつもいつも珂月さまって怖い顔なんらからぁ!」
ふらふらする身体も、くらくらする頭のことも、瑚春はこの際もうどうでもよかった。
なんだかとても気持ちの良い今、兼ねてから思っていたことを、珂月に言ってしまおうという衝動だけが瑚春の中にあった。
「珂月さまはなぜっ、どうしていつもそんなに不機嫌なんです?そんなに私が気に入らないのれすかッ?」
「なんだいきなり………」
「私とは夫婦にはなれないと言いましたが、それはなぜですか?夫婦になれないのに、なぜ私を花嫁としてここへ…………」
酔った勢いから心の奥で気になっていたことを、どんどん口に出してしまった瑚春だったが。
なぜ自分を花嫁として迎えたのかと、最後の質問を言いかけたとき、珂月の表情がはっきりと変わったことに気付いて。
その先が言えなくなった。
それは一瞬だったが、なんだかとても苦しげで、そしてどこか悲しげにも見える表情だった。
「まったく!酔った挙句にくだらないことをっ」
けれどすぐに、珂月はまたいつものように不機嫌な顔に戻った。
「くだらなくないれすっ!」
おもわず力一杯叫び、自分でも驚くくらい大きな声が出ていた。
だが情けないことにその反動で足元はふらつき、ぐらりと目眩がした。
倒れると思ったその瞬間、腕を強く引き寄せる力を感じた。
珂月に支えられたのだと瑚春はすぐに気付いた。
まるで抱き留められているように、しっかりと支えてくれる両腕は力強く、腕の中は優しい温もりがあった。
滅多に見せないが、ときどき感じた珂月の優しさを、瑚春は思い出していた。
(私、珂月さまのことがもっと知りたい。だから………)
「───嫌われたくないです………。私、珂月さまに」
珂月は瑚春を支えたまま無言だった。
何を言っても答えをもらえないことに、瑚春はせつなくなった。
(ここで泣いたらきっと珂月さまは呆れて、また不機嫌になる)
この程度で酔っ払って、怒ったり泣いたりして。やっぱりお子様だと思われるのも辛い。
抑えられない感情が涙になって溢れ出し、瑚春は珂月の腕の中でうつむいた。
「誰がそんなことを言った………」
ため息と一緒に、苦しげに掠れた珂月の声が瑚春の耳を掠めた。
「ぇ……?」
「俺がいつおまえを嫌いだと言った。べつに嫌ってなどいない」
「ほん、と…………に……?」
「ああ」
(………よかった!私、嫌われてないんだ)
なんだかホッとすると同時に、ぐにゃりと視界が揺らいだ。
「よか………た。わたし………うれし、い………」
怒ったり叫んだり泣いたり。
そして次はなんだか物凄く眠い瑚春だった。
「おいっ。───ま、まさか今度は眠るつもりか⁉」
珂月が驚きと呆れ果てたような声をあげる。
薬草を漬ける作業がまだ途中だとか、呆れた奴だとか。やっぱりおまえは世話のやけるお子様だとか。
不機嫌な声が耳元でしばらく聞こえていたが。
酔いが回り睡魔にも勝てず、意識を手放す寸前の瑚春の耳に、その声はだんだんに遠くなり、やがて何も聞こえなくなった。
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