第44話 無明のツァトゥグア

 ツァトゥグアの作り出した領域、『ン・カイ暗黒神殿』はその範囲内の土中に自由に空間を創造することができるらしい。


「すこし来なさい」


 とエボン神父改めエイボンが俺だけを指名した。彼にいざなわれて進んだのは、広くドーム状に膨らんだ空間だった。


 地面が平らに均されていて、周囲が発光している。明るく見通しがいい。エイボンは「ちょっとした修練場だ」といった。


 きょろきょろと周囲を見回していると。


「かまえなさい。教えることがある」


 と、俺とアースに幅広の刃が付いた不可思議な槍を向けたんだ。

 かくして、即席の模擬戦闘が始まる。


「アサヒ、端的にいう。お前は弱い」

「……マジかよ。チーム時代から今までも主力で頑張ってきた自信があったんだけどな」


 ガキンガキン、と剣戟けんげきの音が木霊こだまする。


 アースとエイボンの槍がぶつかるのは幾度目だろうか。驚いたのはエイボンの身のこなしだ。歴戦の探索者でもこうは動けない。


 黒のローブを着込みお世辞にも身軽ではないはずなのに、こちらの攻撃を軽々といなし、回避し、飛び回る。


『アサヒ、攻撃が当たりません』

「わかってる。もっと細かく削るぞアース」


 チーム時代、戦闘が一番得意だったのは間違いなく俺だ。復帰後も腕が落ちたとは思えない。アースと二人三脚で戦ってきた。自信があった。なのに、こいつは、それに引けを取らないほど強い。


「あんた、前からこんなに戦えたのかよ」


 悔し紛れに、土塊操作で相手の足場をうねらせてみるが、軽々と回避され上空からの強襲を食らう。すんでのところで受け止め、振り払う。

 

 距離を取ったエイボンは苦笑しながら槍をまわした。


「心配するなアサヒ。これはすべて前世の記憶を得て魔道士としての力が戻った故だ。あの時代の私はただの無力な男だったよ。おまえに守ってもらわねばすぐに死んでしまうような人間だ」


「それなら、いいんだけど。さッ!」


 必死で戦った俺やミウ姉が浮かばれないからな。


 俺は、一足飛びに距離を詰める。削り取る、掘りぬけるという意思を込めてつきこむ。まともに当たれば人間だろうと消し飛ばす攻撃。だが軽々と受け流された。壁に大穴が開く。威力がどれだけあっても、いなされては意味がない。


「――まず、幻想器は虚神ラヴクラフトの力を使う。ゆえに神の力をよく知らねばならない。お前が威風顕現を使えないのもそれが原因だ。アサヒはツァトゥグア様と幾度か戦ったことがあるだろう。苦戦した憶えはあるかね?」


「……いや、ないな。アイツはいつもやる気なさそうにするし、すぐ逃げる。正直弱い虚神ラヴクラフトだと思ってたよ」


「そうだろう、そうだろう」

 エイボンは面白そうに笑った。


「我が主は、怠惰が信条だ。実力はめったなことでは出さない。ゆえにかのチームでも脅威度が低いと認識されていた。だが、別に弱いというわけではないのだ」


「ああ、そうなのか、よ!」


 月震、綿津見、はては、天槌落としまで使おうをしたがどれも技の出先を抑えられる。今も隆起させた土杭を軽々と破壊された。全く歯が立っていない。


 ――だんだんとイライラしてきた。


 思えばエボン神父時代から、この男は気に食わなかったんだ。いつも、一人で考え込んで。話をしなくて。エイボンになってからはかなり饒舌じょうぜつになったほうだと思うけど、肝心なことをはぐらかす態度は何も変わっちゃいない。


「クソ! なんで当たらねーんだ!」

「だから弱いといったろう?」


「んがああああ!」


 ヤケクソでアースを振り回す。

『アサヒ落ち着いてください』と見かねてアースが口を出した。


 全く情けない話だ。


「――とはいえ、身体はあたたまっただろう。そろそろ本題と行こうではないか」

「あん。まだ何かあるのか」


「アサヒよ。土の大虚神ラヴクラフトたる、ツァトゥグア様の真の実力を知りたくはないかね? アースよ。その身に刻まれた大いなる力の源、感じたくはないかね。特別に我が主が、お前たちの相手をしてくださる。本気でな」


「……そりゃまぁ、ありがたいことだな」


「ふむ。了解を得られたようだ。よろしい、では我が主に顕現けんげんを願おうではないか」







 ――そこで、周囲が暗転した。


 いあ いあ つぁとぅーぐあ 

 いあ いあ さどぐいい ん かい えぼるの ああぬむ


 呪文が聞こえた。いやに耳に残る音だ。

 腹の底から不安感が上がってくる。身体が萎縮する。思わず肩を抱いて縮こまる。


「こ、これは……?」

 エイボンの姿はどこにもない。周囲にはただ果てしない闇だけが広がる。


 いあ いあ つぁとぅーぐあ 

 いあ いあ いんべるぼの らと さいくらのーし だむね ねねむ


『アサヒ、まずいです。私達はどこか別の空間に飛ばされたようです』


 呪文が、呪文が頭の中で反響リフレインする。

 聞きたくもない声なのに、耳をふさぎたいのに、どうしても頭の中に入ってくる。


 そこから湧き出す感情。それは恐怖。


 ――――ああ、あああ。ああああああ!!

 怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!


 どうしようもない恐怖感に全身が包まれる。

 許されることならばすぐさま、ひざまづいて許しを請いたい気分だ。


 たすけて、たすけて、たすけて、


 なんでこんなに怖いんだ。なんでこんなに心細いんだ。

 まるで、無限の闇の中でただ一人取り残されたような……。


「あ」


 闇の中に、一対の赤い目が、光っていた。


『あ、アサヒ……極大の存在が、目の前に……』

「あ、ああ。ツァトゥグアだろ? わかってる、けど……」


 俺を見つめる赤い目。かなり高い位置にある。

 あれがツァトゥグアだとしたら。ツァトゥグアだとしたら……


『アサヒ、来ます!』


 ぬぅと巨大なごつごつとした、毛むくじゃらの、いびつな腕が俺をつかむ。




 ◆◆◆


 ―――――――――――――――

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 ―――――


「あなた、今までどこにいたのでぇすか?」


 アサヒと共に、洞窟の奥に引っ込んだエイボンが一人で帰って来たことで、ドクターアンデルセンは険しい視線を向けた。


 ドクターにしてみれば過去の上司ともいえるこの男だが、いまをもっても全く信用はしていない。チームが崩壊した後、アサヒと自分以外の消息は知れなかった。エボン神父も死んだと思っていた。


「ふむ。チーム崩壊の日からかね? あの時私は一度死んだよ。そのあと、ツァトゥグア様に回収され、蘇生治療を受けていた」


「いやいやいや! そうではないでぇすね! 今の話ですよ! アサヒは!? アサヒをどこにやったのですね???」


 ひょうひょうと返す、エイボンに腹が立った。


「アサヒは今修行中だ。遠く異星サイクラノーシュに飛んだ。数時間もすれば出てくるだろう。もっとも、あちらとは時間の流れが違う。彼にとっては何日、何か月、いや何年にも感じるかもしれないが」


 ドクターアンデルセンは、エイボンの言葉の意味を慎重に吟味した。サイクラノーシュ? それはツァトゥグアの故郷と言われる異星の名だ。時間の流れが違う? どういうことだろうか。それよりも今、アサヒがいないということが問題だ。


「え、それ、お師匠さんだいじょうぶなんですか……?」

「そうですわ。早くしないと世界がまずいのでしょう。こんなところで止まっている暇は」


 マツリカとシノンの心配ももっともだった。

 ドクターは考える。こんな男の手にかかるアサヒではないとは思うが……


「エボン神父、あなたどういうつもりでぇすか?」

「かの這いよる混沌と戦うには、アサヒの成長が鍵となる。そのほかにも懸念がいくつか――」


 ドクターの言葉を無視し、エイボンは洞窟内にしつらえられた古めかしいデスクチェアに座る。卓上には古びた装丁の厚手の本が一冊。


「であるから、君たちにも叡智を授けようと思う。彼だけでは心もとない。あの虚神は虚神でありながら、虚神ではない。外なる存在であるがゆえに」


 来なさい。とエイボンはつぶやき本を開いた。


「これは魔導書『エイボンの書』恥ずかしながら私の名を冠している。君たち――特に、君と君が良い。黒と銀の乙女たち、混沌と閃光の力を借りる君たち。君たちに託そう」


 エイボンは、マツリカとシノンを指し示し言った。


「アサヒの中には、。おそらく何かの罠が仕掛けられている。いざという時、アサヒを助けられるのは、君たちだ」


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