第41話 深淵行

「ここは【迷宮出現事変】ダンジョンインパクトの直後に俺がさまよっていた場所なんだ」


 断崖の切れ目から日の光が差し込む。

 街の南北に走る巨大な渓谷。


 ダンジョンは、都市のインフラを容赦なく寸断した。崖の底から見上げる側面にはいくつもの横穴が開いていて、都市構造の残骸が痛々しい。


 世界各地で出現したダンジョンだけど、地表に影響がある形で出現したここは被害が特に大きかった。被災した人も数多く、都市と人に刻まれた傷跡は今も癒えてはいない。


「東京大洞穴は180階層だった。だけど中京断崖はもっと多い。壁に沿ってアリの巣みたいに道があるんだ。迷宮魔物クリーチャーの数も多い。断崖を飛ぶ飛行生物も生息するから上空にも注意を払ってくれ」


「迷宮ごとにかなり様相が違いますのね」

「東京のダンジョンとはまた違う怖さがある、かな……。空が開けてるのが、逆に怖いというか……、高所恐怖症が刺激されて、ううう」


「あらマツリカさんは高いところが苦手ですの」

「うん。ちょっと、苦手」

「そうですの……。実は私も」

「だよね」


 クスクスと笑い合う女子二人。


 地獄の迷宮ブートキャンプを経て、すっかり仲が良くなったらしい。仲がいいのはよいことだ。いざという時連携に大きな差が出るからな。


「あなたたち、あまり気を抜くんではありませぇんよ。何が出てきてもおかしくないのでぇすから」


 引率の先生よろしく注意をしながら先頭を行くのは、生首の側頭部から節足をだし蜘蛛のようにカサカサと進むドクターだ。


「私たちの深淵行に地球の運命がかかっていることを忘れてはなりませんよぉ!!」


 偽配信で欺いている間の行動。

 黒の泥の中心に最も近い、中京断崖の入り口から深淵にもぐり、泥の主を直接叩く作戦だ。


 人間に擬態する泥で埋め尽くそうとしている【虚神】が何を考えているのかはわからない。


 地上がすべて泥で埋まっても、もしかしたら人類は何も変わらず生きていくのかもしれない。ドクターのいう「地球の運命」とやらも俺達が勝手に言っていることだ。すべての意図は謎に包まれている。


 だが俺たちは知っている。抗うものたちの家アーカムアサイラムを全滅させた。ヤツが邪悪な存在であることを。明確に人間に悪意を持っている。その末端であるあの泥が人間にとって良いものであるわけがない。


 徐々に浸食されていく地上を止められるのは、俺達しかいないのだ。


「それにしても、大きいダンジョン……。東京大洞穴の時みたいに、お師匠さんが一番下までトンネル掘るのは駄目なんですか?」


「確かにそれは早いんだけど、やはり目立つよ。いつかは俺達の事がバレるとは思うけど、できるだけ妨害がないまま進みたい。だから普通に下層まで歩く」


 わざわざ欺瞞作戦を採用したのだ。注目を浴びるわけにはいかない。


「でも、このメンバーで、こういう普通のダンジョン攻略は、あまりなかったのでわくわくしますわね。なんだかいつもみたいな重い気持ちがないんですわ」


「んー、確かに。気楽だよね。不思議」


「それはですねぇ、配信が入っていないからでぇすね。そもそもお嬢は配信苦手でぇすから。いつも映像を気にして、戦闘に身が入らないくらい。マツリカさんも知らず知らずにカメラを気にしていたのではないでぇすか」


「ええっ そうなのシノンちゃん? 確かにカメラはいつも気にしてたけど」


「じ、実は私、あんまり目立つのは好きじゃないんですの……、その、配信の時はわざと声を張り上げて、明るくふるまっていまして……。本当は隅っこでじっと本を読んだりしていたいんです」


 恥ずかしそうに笑うシノンちゃん。

 身内だけのPTだとそれぞれの素が出る。決死の深淵行だというのに、穏やかな空気が流れている。


 俺はドクターを手招きし、横に並んだ。


「身体はもう大丈夫かドクター。京都の戦い、かなり負担だったんだろ?」


「あぁ……、まだ本調子とはいきませんが、ふつうに戦う分には大丈夫でぇすよ」


 今でこそ平気そうな顔をしているドクターだが、シノンちゃんによると。数日血を吐いて、のたうちまっていたと聞いた。


 あの力はすさまじいものだった。

 自身を虚神ラヴクラフトに換える力。威風顕現いふうけんげん


 その分反動も大きい。ドクターの話ではあの力を使ったからミウ姉は死んだという。だが今後、あれを使わないと倒せない敵もいるだろう。

 俺も、あの技を習得する必要があるのだが――。


「――アサヒ坊は分かったのですか。【土塊返しアーススター】の虚神としての名は?」


 ドクターが声をひそめ言った。

 マツリカちゃんたちにはきかれてもいい内容だが、どこか後ろめたさがある。

 それは倒すべき存在であるはずの、虚神ラヴクラフトの力を使っていたためだろうか。


「いや、結局わからないままだ。俺はアースを地面から掘り出しただけで、虚神にもらったわけじゃないしな」


『私のメモリーにも登録されていません。私は土を操る能力を持つ事は間違いありませんが、威風顕現、そのようなことができるとは知りません』


「はぁ……、アース。あなたはほかの幻想器より飛びぬけて饒舌じょうぜつな割に、肝心な事は知りませんよねぇ。【風乗征破ウンディゴ】を見なさぁい? 私が声をかけないと返事もしない、無口っぷりですよ」


『ノー、ドクトル。アイスピーク、ウェンニーディッド必要な時だけ話す


「それに謎の英語かぶれですからね!! まったく貴方たち幻想器もサッパリわからりませんねぇえ!」


『すいません。ドクター』


「まぁまぁ、一応候補としてはあるんだぜ。一番可能性が高いのは、土中に潜む怠惰の王【ツァトゥグア】だ。それから時点で迷宮の主、地下神殿の白き幼虫【アイホート】あるいは深淵の蜘蛛【アトラク=ナグア】。まぁそのあたりかなって』


「ツァトゥグアにはこの間、遭遇したところでぇすね。アイホートとアトラク=ナグアは深淵の地中のかなり奥に生息していますからねぇ。中々会いに行けませんねぇ」


「また出てきてくれると聞けるんだがな。『お前、俺に幻想器くれたか?』ってな」


「素直に答えるヤツラとは思えませんがねぇ!」


 がはははは、とドクターと一緒に笑った。

 

「――あれ、あそこにいるの、なんですの?」


 先を歩いていたシノンちゃんが何かを見つけたのは、そんな時だった。

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