京都地底湖奪還作戦

第34話 京都上空 高度500M

 ドクターと再会したことで、俺は俺の記憶に欠落があることを知った。


 抗うものたちの家アーカム・アサイラムの最後の探索。ドクターの証言は、俺の失った記憶を補完する。彼が言うには、俺達は黒き泥の中に居たナニカに全滅させられたらしい。


 ひどい戦いだったという。チームが丸ごと闇の中に閉じ込められた。視界がない中での遭遇戦。一人また一人と殺されていく。


 敵はなんだ? どこから攻撃してくる?

 円陣を組み周囲に警戒をしていた。だが攻撃は思いもよらない場所からだった。


 チームメンバーの一人がシーンの胸元を撃ち砕いた。油断をしていた彼女は、【天現眼シャンタク】を使う間もなく致命傷を負った。


 胸を肋骨ごとごっそりと抉られ、びくびくと痙攣をする心臓がうごめいていたという。


 やったのは古株の中核も中核と言えるメンバーだった。それも非戦闘員。

 彼女はけらけらと笑って、黒い泥になってその場に沈んだ。


 味方の中にも敵がいる。そう判断したラウダさんが幻想器を起動。呼び出した【深きものどもデミ・ディープワンズ】で相互監視状態を作り出した。


 それも悪手だった。そこからチームは壮絶な同士討ちを始めてしまう。


  ◆◆◆


「あれは、確かにあの時の泥でぇーすねぇ。いつの間にこんなでぇすねぇ……」


 ブートキャンプの終了から二日後。

 俺とドクターは、京都上空を飛ぶヘリの機上にあった。


 見下ろす古都の夜景は一見普段と変わらない。

 ライトアップされた京都タワーが、赤白く輝いていた。


 アースの身体強化コードの内、視力上昇を限界までかける。

 繁華街を歩く若い女の子、サラリーマン、呼び込みの男が見える。一見普通の人間だ。代わり映えしない風景。


「アース。アサヒ。このコードを使いなさい」


 ドクターが、アースに触れ新たなコードを受け渡す。


 コードとは迷宮宝具に記録されたプログラムの一種だ。基本の身体強化から、耐久力の強化。使用者の戦闘スタイルに合わせてカスタマイズが可能だ。


「これはですねぇ、シーンの遺物ですよ。破壊された天元眼シャンタクを回収し、抽出したんでぇすねぇ」


『ソースコード実行ドライブ』とアースがささやく。

 視界が変化する。自然な色から、ノイジーな灰色の世界へ。


「これはヤバいな」


 道行く人間は泥人形だった。

 あらゆるものをを見通すシャンタク鳥の視界を得た俺の目には、現在の京都の異常性が見える。


 街並みは、タールのような黒の泥に覆われているし、生物はみないびつな泥人形。そしてその人形の足元。影の中に膝を抱えた小さな人間が浮いていた。


「あれは……」

「人質ということなのでしょうねぇ」

「あの状態で生きているのか?」

「おそらくはでぇすがね。街も人も、在りし日の姿を再現し続けていますよね? 京都の街は外から見れば平穏そのもの。何も起こっていないも同然ですよ」


 珍しく、ドクターが憎々しげな渋面を作った。


「生きた人間を使って再現エミュレートしているのでしょうな。あの泥自体に意思はないはずですから」


 都市郊外まで広がった黒の泥は境界を広げつつある。


「このような都市がいくつかありそうです。おそらくはダンジョンを有する大型都市ばかり。東京はアサヒが核を確保したため免れましたが、浸食エブを許すとこうなるのでしょうな。おそらく開始はだいぶん前から。侵攻自体はゆっくりですよ」 


 静かに広がる深淵の領域。

 俺の知らない間にこんな事になっていたなんて。


「まったく、大した戦略ですよ」

「ドクター、迷宮に帰ってくる前、俺はどうなってたんだ」


 俺の記憶では普通に仕事をして、サクラの見舞いに行って、仕事をして仕事をして仕事をしていた。


 会社はつらかったが毎日代わり映えをしない日常を送っていたはずだった。そして、そんな日々に何の疑問を感じていなかった。


 だけどそこがおかしい。チームが壊滅したのに。ミウ姉が死んだのに。まるで最初から探索者なんてやっていなかったみたいに俺は忘れていたんだ。


「私は、何度かアサヒには会いに行っているのですねぇ。ですが、アナタはボーっとするばかりで会話にすらなりませんでしたよ。彼女の精神操作の影響でしょうね。あなたはこの2年間、


「心が……?」


「逆に聞きましょう。あなた引退していた2年間、職場以外に知り合いできましたか? 友達は? 近所づきあいは? お母さまと連絡はしていましたか? していないと思いますよねぇ。あなたこそ、人形のようでしたから」


「俺が人形」 


「失礼ですけぇどねぇ、会社も調べさせてもらいましたよ。あなた職場でひどい扱いを受けていましたよ? 何も考えず何も言わず、ただ言われたことだけを黙々とこなすロボットのような男、そんな風に思われていましたな。挙句、たちの悪い上司に目をつけられていいように利用されていましたねぇ!!」


「あそこはブラックで……」


「はぁ?? 本当にそう思うのでぇすか!? 呆れたボケですねぇ! ほかの社員は普通に働いていましたよ!! あなたに仕事を押し付けてノンビリとね!!」


 黙るしかなかった。

 何も言えない。ドクターが憤るのも無理はない。


「まぁ、アナタは戻ってきたのでよしとしましょう。他の仲間は戻ってこなかったですから」

 


 そう言うドクターの横顔には、深い後悔と悔しさと、孤独の影が見えた。チーム崩壊のあと、ドクターはすぐに曽我咲に身を寄せたと言っていた。深淵からの遺物を餌に迷宮宝具の開発現場に入り込んだんだ。


 その理由はおそらく、復讐。

 崩壊してしまったチーム、生きては帰らなかった仲間たち。生きてはいたけれど、壊れていた俺。


 抗うものの家の生き残りたるドクターは1人で反逆の準備をしていたのだろう。


「すまん、ドクター」


「いまさらでぇすねぇ。あと、もう一つ疑問を解消しておきましょう。日本と米国の首脳陣、ここも敵の手に落ちていますよ。深淵の情報が消されていたのもそのせいでしょう。あの泥の主は、我々を追い払った後、虎視眈々と地上を狙っていたのですねぇ。無事なのはDDDMと曽我咲でしょうか。アルキメデスと橘はどうでしょうねぇ。駄目かもしれません……」


 ――しかぁし!! とドクターは声を張り上げた。


「ついに革命器が完成しましたぁね!! アサヒも帰ってきました! あの黒い【虚神】ラヴクラフト貌の無い女! 愚か者!! やつに復讐するときが来たのでぇすね!!」


 ドクターは歓喜の笑みとともに、血の涙を流していた。


 異形の存在に落ちてもなお生きる狂人。曽我咲でも理解者は少なかっただろう。

 だが、俺は知っている。チームに誰よりも貢献していたのは彼だ。


 いつでも体を張っていた。誰よりもチームのことを考えていた。


「仲間の仇、ともにとってくれますね、アサヒ」


「――もちろん」


「よろしい! では、まずは前哨戦と行きましょう。京都を奪還するのですよおおお!!!!」


 ドクターの咆哮とともに、突風が吹く。身体が持ち上がりヘリから遠く空中に投げ出された。


「さぁ、アサヒ、風に乗り征くのですヨ!!」


 俺とドクターは、遥か眼下、京都の街へ急降下を始める。

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