陰鬱万歳
小狸
短編
「それで、話って何ですか」
大学時代の学科でお世話になった
「
まあ、それに応じてしまう僕も僕なのだが。都内の、小洒落た飲食店の中で、僕は良く読めない、なんちゃらという食べ物を、先輩の勧め通りに頼んで、しばらく落ち着いてから、僕から切り出した。
すると先輩は、一杯水を飲んだ後で、こう続けた。
「うん、一つお願いがあるんだけど、その陰鬱な小説を書くの、辞めてもらえないかな、と思って」
「…………」
思わず言葉を失った。
僕は、さる小説投稿サイトに、日夜小説を投稿している。主に書いているのは、先輩の言うような「陰鬱な私小説」に分類される短編小説である。人の醜さとか、穢さとか、そういうものを物語化して発表している――そしてそのサイトと連動させて、ツイッターも稼働させている。要するに、新しく投稿すると、半自動的に「○○の新作小説が投稿されました」とツイートされるような仕組みにしてあるのである。先輩は、僕のツイッターのフォロワーであり、タイムラインでは常に僕のツイートが流れるようになっているのだ。つまり彼女は、僕が短編小説を投稿しているのを知っているのである。
という。
クソ長い前置きをすっ飛ばして、僕はつい、言葉を失ってしまった。
えっと。
何を言えば良い?
「え――っと、陰鬱な私小説っていうのは」
「うん。『ノベルン』に投稿している短編小説」
あーあ。
僕がせっかく名前を伏せたのに、簡単に明かしてしまうでやんの。
僕は言葉を選びつつ、続けた。
「辞めてほしい理由は、何ですか」
「うーん。理由と問われると難しいけれど、何というか、
「…………」
まあ、昔から思ったことをはっきり言う先輩で、周りからも孤立気味であった。
だからこそ、孤立無援同士で仲良くなったのだけれど――流石にその物言いは、
「たまにはさ、明るい小説とか書いてみなよ。私、君のそういう小説、読んでみたいな」
「僕の明るい小説――ですか?」
「うん。そういうのテーマにした方がいいと思うんだよね。その方が売れる――っていうか、読者もそういうの求めているんじゃないの? 爽快感溢れる小説。君のみたいに
「…………」
だから――の接続詞が繋がっていない、僕にとっては。
爛熟した果実、ね。
よくもまあ、僕の思いつかなさそうな、酷い
「……それは、先輩個人の意見ですか?」
僕は一応、聞いておきたかった。
「そうだけれど、皆そう思っている、と思うよ。だって実際、君の陰鬱な私小説、全然リツイートされていないじゃん。作品閲覧数だって、私の方からは見えないけれど、全然伸びていないんじゃないの?」
それは、その通りだった。
僕の書く小説は、自己投影的であると、しばし言われる。だからこそ、読者はその陰湿さに耐えきれず、クリック数が伸びないのだ――と。
まあ、別に専業小説家ではないし、書くのを辞めろと言われれば、素直に辞めることだって
でも。
それでも僕は。
「嫌、です」
僕は、まさか否定されるとは微塵も思ってなどいない――平然とした先輩に向けて、続けた。
先輩は、目を見開いた。
怖かった。
けれど、僕は続けた。
「僕は、好きで小説を書いている――好きで、陰鬱な私小説を書いてきた。これからも、好きで陰鬱な私小説を書き続ける。だから、嫌いだったら、先輩が見なければ良い。僕のことは、ブロックでもミュートでも、何でもしていただいて構わないです。それで何も問題はないはずだ。嫌ならクリックしなければ良いはずだ。それとも、何か僕を気にする理由が、先輩にはあるんですか? 自分より上手い文章を書く後輩が、そんなに怖いんですか?」
「■■■■■■ッ」
先輩は大声で何かを叫び、僕に水やらグラスやらカトラリーやらを投げてきた。
幸いにもどこかに突き刺さることはなかったけれど、店員さんが来て、果てには警察が来るまでの騒ぎになった。
それまで先輩は、ずっと僕に罵声を浴びせ続けていた。
まあ、見下されていたのだろうな、と思う。
都合良く見下せて、下にいてくれる後輩が、実はそんな視線に気付いていて、自分より遥かに小説へ強い意志を持っていた、なんて知ったら、そりゃ爆発もするだろうな。
とか――そんなことを思いながら、僕は、店員に止められながらも怒り狂う先輩の目を見ていた。
先輩の目は、僕ではなく――僕よりもっと向こうの、何か別のものを見ているようだった。
彼女は叫び続けていた。
「■■■■■■ッ! ■■■■■■■!!!」
鉢形先輩が何を見ていたのは、
それから警察が来て、先輩は連行されていった。逮捕とかそういう詳しいことは分からないが、まあ、上手く収まったということである。オープンしてから間もない店だというのに、災難だったけれど――怪我人は出なかったのは
そんな風に思いながら、僕はようやくスマホを使える時間を確保できたので、ツイッターから彼女のアカウントをブロックした後、フォローを外した。
そうすることで、お互いに自分のツイートを、見ることができなくなる。
その後、流れるような動作で、他のLINEなどの連絡先を全て削除した。
確かに僕の書く小説は陰鬱で、人を選ぶかもしれないけれど――僕にとって小説を書くことは、もう呼吸をするようなものなのだ。
だから――止められないのだ。
止めたら――辞めたら。
それこそ僕の生命維持に関わる。
なーんて。
きっと僕の側の事情は、あの先輩は考慮してくれないのだろうな。
何かと口を開けば「私」「私」「私」である。
ある意味では羨ましい自己肯定感であるが、他人からしたら迷惑な話である。
そんなんだから友達も彼氏もできねーんだよ、ばーか。
「…………」
帰りの電車の中。
先輩が投げたグラスとぶつかった
今日のことも小説にしようと。
僕は思った。
(了)
陰鬱万歳 小狸 @segen_gen
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