陰鬱万歳

小狸

短編


「それで、話って何ですか」


 久闊きゅうかつじょしてしばらくした後、僕はたずねた。


 大学時代の学科でお世話になった鉢形はちがた先輩は、いつだって唐突に僕を呼びだす。


玉淀たまよど君、今週土曜の夜、暇? 暇だったら以下URL場所集合」


 まあ、それに応じてしまう僕も僕なのだが。都内の、小洒落た飲食店の中で、僕は良く読めない、なんちゃらという食べ物を、先輩の勧め通りに頼んで、しばらく落ち着いてから、僕から切り出した。


 すると先輩は、一杯水を飲んだ後で、こう続けた。


「うん、一つお願いがあるんだけど、、と思って」


「…………」


 思わず言葉を失った。


 僕は、さる小説投稿サイトに、日夜小説を投稿している。主に書いているのは、先輩の言うような「陰鬱な私小説」に分類される短編小説である。人の醜さとか、穢さとか、そういうものを物語化して発表している――そしてそのサイトと連動させて、ツイッターも稼働させている。要するに、新しく投稿すると、半自動的に「○○の新作小説が投稿されました」とツイートされるような仕組みにしてあるのである。先輩は、僕のツイッターのフォロワーであり、タイムラインでは常に僕のツイートが流れるようになっているのだ。つまり彼女は、僕が短編小説を投稿しているのを知っているのである。


 という。


 クソ長い前置きをすっ飛ばして、僕はつい、言葉を失ってしまった。


 えっと。


 何を言えば良い?


「え――っと、陰鬱な私小説っていうのは」


「うん。『ノベルン』に投稿している短編小説」


 あーあ。


 僕がせっかく名前を伏せたのに、簡単に明かしてしまうでやんの。


 僕は言葉を選びつつ、続けた。


「辞めてほしい理由は、何ですか」


「うーん。理由と問われると難しいけれど、何というか、イラつくんだよね。そうやって『自分は不幸です』みたいなアピール? をされるの。私達はさ。普通に幸せに生きてきたんだよね。君みたいに悲劇的な人生を歩んできているわけじゃあないけれど、同情してあげるほど、私達も余裕あるわけじゃないしさ。そうやって君が、誰かに理解してもらおうとする行為が、正直、見てられない。みにくくって」


「…………」


 ひどい言われようである。


 まあ、昔から思ったことをはっきり言う先輩で、周りからも孤立気味であった。


 だからこそ、孤立無援同士で仲良くなったのだけれど――流石にその物言いは、こたえた。


「たまにはさ、明るい小説とか書いてみなよ。私、君のそういう小説、読んでみたいな」


「僕の明るい小説――ですか?」


「うん。そういうのテーマにした方がいいと思うんだよね。その方が売れる――っていうか、読者もそういうの求めているんじゃないの? 爽快感溢れる小説。君のみたいに爛熟らんじゅくした果実みたいなのはさ、正直、誰も読みたくないんだよ。だから辞めて。不快だから」


「…………」


 だから――の接続詞が繋がっていない、僕にとっては。


 爛熟した果実、ね。


 よくもまあ、僕の思いつかなさそうな、酷い比喩ひゆ表現を思いつくものだ。


「……それは、先輩個人の意見ですか?」


 僕は一応、聞いておきたかった。


「そうだけれど、皆そう思っている、と思うよ。だって実際、君の陰鬱な私小説、全然リツイートされていないじゃん。作品閲覧数だって、私の方からは見えないけれど、全然伸びていないんじゃないの?」


 それは、その通りだった。


 僕の書く小説は、自己投影的であると、しばし言われる。だからこそ、読者はその陰湿さに耐えきれず、クリック数が伸びないのだ――と。


 まあ、別に専業小説家ではないし、書くのを辞めろと言われれば、素直に辞めることだってやぶさかではない。


 でも。


 それでも僕は。


「嫌、です」


 僕は、まさか否定されるとは微塵も思ってなどいない――平然とした先輩に向けて、続けた。


 先輩は、目を見開いた。


 怖かった。


 けれど、僕は続けた。


「僕は、好きで小説を書いている――好きで、陰鬱な私小説を書いてきた。これからも、好きで陰鬱な私小説を書き続ける。だから、嫌いだったら、先輩が見なければ良い。僕のことは、ブロックでもミュートでも、何でもしていただいて構わないです。それで何も問題はないはずだ。嫌ならクリックしなければ良いはずだ。それとも、何か僕を気にする理由が、先輩にはあるんですか? ?」


「■■■■■■ッ」


 先輩は大声で何かを叫び、僕に水やらグラスやらカトラリーやらを投げてきた。


 幸いにもどこかに突き刺さることはなかったけれど、店員さんが来て、果てには警察が来るまでの騒ぎになった。


 それまで先輩は、ずっと僕に罵声を浴びせ続けていた。


 まあ、見下されていたのだろうな、と思う。


 都合良く見下せて、下にいてくれる後輩が、実はそんな視線に気付いていて、自分より遥かに小説へ強い意志を持っていた、なんて知ったら、そりゃ爆発もするだろうな。


 とか――そんなことを思いながら、僕は、店員に止められながらも怒り狂う先輩の目を見ていた。


 先輩の目は、僕ではなく――僕よりもっと向こうの、何か別のものを見ているようだった。


 彼女は叫び続けていた。


「■■■■■■ッ! ■■■■■■■!!!」


 鉢形先輩が何を見ていたのは、ようとして知れない。


 それから警察が来て、先輩は連行されていった。逮捕とかそういう詳しいことは分からないが、まあ、上手く収まったということである。オープンしてから間もない店だというのに、災難だったけれど――怪我人は出なかったのは僥倖ぎょうこうと言えるだろう。


 そんな風に思いながら、僕はようやくスマホを使える時間を確保できたので、ツイッターから彼女のアカウントをブロックした後、フォローを外した。


 そうすることで、お互いに自分のツイートを、見ることができなくなる。


 その後、流れるような動作で、他のLINEなどの連絡先を全て削除した。


 確かに僕の書く小説は陰鬱で、人を選ぶかもしれないけれど――僕にとって小説を書くことは、もう呼吸をするようなものなのだ。


 だから――止められないのだ。


 止めたら――辞めたら。


 それこそ僕の生命維持に関わる。


 なーんて。


 きっと僕の側の事情は、あの先輩は考慮してくれないのだろうな。


 何かと口を開けば「私」「私」「私」である。


 ある意味では羨ましい自己肯定感であるが、他人からしたら迷惑な話である。


 そんなんだから友達も彼氏もできねーんだよ、ばーか。


「…………」


 帰りの電車の中。


 先輩が投げたグラスとぶつかったひじをさすりながら。


 今日のことも小説にしようと。


 僕は思った。




(了)

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