春の訪れ
朝からドレスを着せられる日々に、春が来たのだと実感が湧いた。花々は楽しそうに踊り、空は優しく微笑み、そして神は宴を求めた。
その年の初めての舞踏会は教会ホールで行われるデビュタントボール。貴族の令嬢たちの謁見のため、毎年出席しなければならない。それから王領の貴族達との交流のための社交パーティは昨年同様毎月行われる予定で、神殿では春の洗礼式があり、その日までに生まれた子供に祝福を与え、豊作祈願の花祭りと目まぐるしい予定。
そんな中、神の希望により神殿で舞踏会が開かれた。
「聖女様、ダンスを踊られて来てはいかがですか?」
王領内の貴族達が集まったパーティは急遽開催されたため、王都に滞在する貴族に招待状を贈らず告知のみで案内がされたが、多くの貴族が参加していた。
補佐官は聖女に壇上から降りる意思を確認したが、聖女は決して立ち上がらなかった。しかし会場で踊る者達を眺めて暫く経つと、聖女は立ち上がった。
「聖女様、一曲ご一緒いただけませんか?」
会場前方の聖女様の目の前で手を差し出した燕尾服の男は、信仰心の高さで知られるオルレリアン侯爵家の次男、ユリエル・オルレリアンだった。
「喜んでお受けいたします」
ユリエルは一度壇上に上がり、聖女の手を取るとエスコートして階段を降りた。
「遅かったですね」
「こちらに着いて舞踏会の知らせを聞いてすぐに駆けつけたのですが」
「それが本当なら許さなければなりません」
「嘘はついておりません。まだ荷物も空けていない中用意をしたので、兄のスーツで来たのですから」
二人は音に身を任せるように踊り始めた。燕尾服を着て、髪を上げたユリエルは別人のように見えた。
「聖女様、是非私とも一緒に踊っていただけませんか?」
声をかけて来たのは毎年王都に滞在する近隣国の王族だった。
「私のダンスの相手はユリエル・オルレリアンだけなのです」
そう言って聖女は決して他の者が差し出した手を取ることはなかった。その日、ダンスタイムが終わるまで二人は踊り続けた。
「聖女様、今日もとても素敵です」
「ユリエルも、とても素敵ですよ」
周りが照れるくらいの視線を混じらせ、二人は柔らかく笑った。
舞踏会の終わり、聖女をエスコートしたままユリエルは聖女の部屋まで送って行った。
「聖女様…」
聖女の部屋の前まで来てユリエルが立ち止まると、聖女はユリエルの方に向き直った。
「ユリエル、私は貴方と結婚したいと思っています。いつまで私を聖女様と呼ぶのですか?」
それにはユリエルよりもその後ろについて来ていた騎士団長が慌てた様子で駆け寄った。
「聖女様、とりあえず部屋に入りましょう」
騎士団長は慌てて扉を開けると二人を押し込んで、すぐに扉を閉めた。連れ添った神官達と護衛は目を丸くして固まっている。
「心臓が止まるかと思ったぜ」
「騎士団長に求婚したわけではありませんよ」
「そんなこたぁ分かってますよ」
聖女は不貞腐れたようにソファに座った。慌てて入って来た三人に困っていた侍女は、騎士団長によって丁寧に退室させられる。
「ユリエルのお茶が飲みたいです」
「は…い。お待ちください」
ユリエルは変わらぬ位置に置いてある茶葉を取り出し、侍女が用意していた湯差しからお湯を注ぐ。
騎士団長は聖女の座った向かいにドカッと腰掛けた。
「聖女様正気か?コイツは家を継ぐために還俗したんだろう?結婚は難しいんじゃないか?」
涙を堪えながらユリエルを見送ったのはそれほど前のことではない。まだ昨日のことのようにあの時の感情を思い出せた。
「聖職者は婚姻を禁止されていますから、還俗しなければユリエルとは結婚出来ません。それに、貴族との結婚ならばある程度権力が行使出来ます」
「おいおい、立派な職権濫用じゃねえか」
「権力とはこういう時に使うものなのですよ?」
ユリエルは静かに聖女と騎士団長の前にカップを置いて、自分の分もしっかり持って騎士団長の隣に座った。
「ユリエル、お前はどうするんだ?」
「大変光栄なことですが、すぐにお返事することは出来ません。両親や領地のことを考えて還俗しましたので…」
『ユリエル、我の娘の求婚を断れると思っているのか?』
神は聖女の味方でした。聖女は父の言葉を聞いてうんうんと頷き、カップを手に取り、香りに満足したようにお茶を口に含む。
「ユリエルは頷くまでこの部屋から出られないと思ってください」
「俺の手には負えん。神殿長を呼んでくる」
「私の補佐官も呼んできてください」
「俺が行ったらお前ら二人きりじゃないか!?チッ!おい、緊急連絡だ。最大レベルの通達として神殿長と帝教王補佐を呼んでこい」
聖女は今更二人きりになることを気にしても遅いのではないかと思ったが、そこでいい手を思い付く。結婚までの道筋は予め建てておいてあったが、これは素直に頷かなかったユリエルへの罰です。
神殿長と補佐官が到着すると、聖女は立ち上がりました。
「これまで何度も夜を共にしたユリエルには、きちんと責任を取って貰わないと困ります」
それを聞いてユリエルはお茶を噴き出し、ゴホゴホと咽せた。
「ユリエル、どういうことですか!?」
「ゴホッ……責任を取らせていただけるのなら、結婚したいと思います」
「神はお許しになっているか!?」
神殿長はユリエルに詰め寄り、テーブルの紅茶は僅かにこぼれた。
「補佐官。オルレリアン家に至急求婚状を送ってください。神託まで授かっておいて、神が反対しているわけがありません」
補佐官はそれを聞いて慌てて部屋を出た。そして、聖女は年老いた神殿長に胸ぐらを掴まれたままソファに座るユリエルの横の肘置きに手を添えながら、ソファの横にチョコンと座った。
「侯爵はまだまだ若いです。アン様もまだ分かりませんし、私たちの子供が複数出来れば、一人をオルレリアンの後継者に養子に出すのもいいでしょう。それに、もしもの時は国は弟に任せて、ユリエルがオルレリアン家を継いだ後、血筋から養子をとる。ここまで言えば侯爵は頷くしかありませんよ。因みに、父は子供は出来ると言っているので、養子を取る必要はなさそうですよ?ユリエル」
「私で…いいのですか?」
ユリエルは燕尾服の裾を気にすることなく小さくなった聖女様と視線を合わせるように膝をついた。
「私はユリエルがいいのです」
「私も、離れてみて聖女様以外は考えられないと思っていました」
聖女様は嬉しそうにユリエルに抱きついて、ユリエルは再び腕の中に聖女がいることを噛み締めるように抱きしめた。
「神殿長、俺たちは邪魔みたいです…収まるところに収まったのですから、めでたいじゃないですか」
「あぁ…めでたい…めでたいか!そうだ…待ちに待った聖女様の結婚だ!こんなめでたいことはない!」
神殿長の肩を抱きながら、騎士団長はゆっくりとドアを閉めた。
「アン様のおすすめはシャーリーみたいですけど、そう呼んでくれますか?」
にっこりと笑う聖女様はとても幸せそうに見えたそうだ。
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