二人の男

 帝教王の誘拐はただの君主誘拐とは違い、大陸全土の安全に関わる事案だった。すぐに神殿に呼び出されたユリエルは、神託を頼りに聖女様の位置から目的地を探るまでに神殿で指揮を取ることになった。相手の全容が掴めるまでは隠密行動が騎士に言い渡された。



「俺も…行く」


「生きていたのですか」



 聖女奪還作戦本部が設立され、神託を受けるユリエルがその頂に立った。その本部に現れたのは、鎧に矢が刺さったままの騎士団長だった。



「あぁ、傷が塞がってる。聖女様が助けてくれたらしい」


「聖女様に助けられていては立場がありませんね。その状態では行かせられません」



 鎧に突き刺さった矢は全部で三つ。体を動かすごとに騎士団長は苦痛の表情を浮かべていた。



「矢は皮膚を切り裂いてでも抜いて、祭壇で祈ってください。神の加護ならまた傷は治るでしょう」




 甲冑すら脱ぐことが出来なかった騎士団長は血飛沫を飛ばしながら蕪でも抜くような姿勢の騎士の力技だけで矢を引き抜き、血を垂らしながら神殿の階段を登り神に祈りを捧げた。傷が塞がると、騎士団長はそのまま馬に跨る。



「ユリエル、これが誘拐で今現在安全だと言うなら、加護を失った者が怪しい。他の支部との連携は私に任せて、鳥も使ってでもなんでも最速の情報の伝達と聖母様と聖人様の警備の強化を頼む」



 騎乗した騎士団長はそれだけ言うとすぐに馬を走らせた。




 隣国チェーリスは、最初に教王国への加盟を表明した国で、信仰心がとても高く、教会の力の強い国だった。だからチェーリス国のバッセフ侯爵家の情報は驚くほど早く集めることが出来た。バッセフは前政権崩壊の鍵となり加護を失った娘が長いこと療養している。すぐに第一候補となった。



「そのバッセフとか言うやつで間違いない。もし我の娘に傷でも出来たら、相応の天罰が下ると思え」



 神は怒っていた。聖母フレイヤと聖人アンドリューが神殿内に移され時には大喜びもしたが、すぐにユリエルの元に戻った。



「私も行きます」



 ユリエルは聖女様専用の馬車をバッセフ侯爵領へと向かわせると、自らも剣を取り軍馬に乗り神殿を出た。



「栞屋、乗ってください」



 ユリエルが向かった先は森の栞屋だった。聖女誘拐の噂は少しずつ広がっていたが、関所や番所封鎖しているため、外部に漏れる危険は少ない。



「は?」



 未だマントを被って生活している引きこもりの栞屋は、聖女誘拐の話は耳に入っていなかった。聖女をシャーロットと呼ぶただ一人の男を連れて行くのは気に食わないが、今回の誘拐には栞屋が捨て去った過去の罪の結果だった。



「聖女様はバッセフ侯爵令嬢の治療のために誘拐されたと思われる」


「バッセフ…加護から外れていた…のか?」


「森にいたから知らないだろうが、あの時他の女も神の加護から外れた」


「そう…だったのか…」



 二人は次の教会支部まで馬を走らせると、もう一頭馬を借り、バッセフへと向かった。他の女はすでに神に許されているが、全員が当時思い描いていたような未来は手に入れられなかった。神の加護から外れたと噂が広がれば婚姻は難しかった。大半が田舎町の教会の修道院で生涯を過ごしている。



 馬を走らせれば二日あればバッセフには着く。騎士団長は近くの森で動向を探るはずだから、すぐに捕捉出来るだろう。





◇ ◇ ◇



 聖女奪還に成功すれば、すぐに周辺教会に知らされ鐘が鳴らされることになっているが、その音は聞こえてこなかった。



 バッセフ侯爵領に着き三日が経ち、領主城に程近い教会には王都から騎士が集まっていた。しかし、侯爵家が気付く気配はない。既に領地を運営できるほどの資産がなく、情報取得を諦めているのだろう。



「敵は三つに分かれていた。二つの班は既に到着し、驚くことに今は街で働いている。侯爵邸にも滞在しておらず、屋敷は使用人はいない。当主と娘、それから夜に通いの女性が一人、料理を作りに訪れるのみ。聖女様は側には必ず傭兵がいて、傷つけることなく奪還することは難しいと判断した侯爵を先に捕縛して聖女様到着を待つのも手だな…」


「先の二つの班がバラけているのなら、連れてくるまでが仕事だと言うこと。聖女様が屋敷で一人になったタイミングが一番安全なのではありませんか?」



 合流した騎士団長と一緒に作戦を練るが、力技で聖女様を奪還するのは危ないという意見で一致した。彼らは聖女様に危害を加えるつもりはないはずなので、隙が出るまで待つ方が安全だった。



「聖女様が領内に入りました」



 騎士団長は自ら屋敷の庭園の見える時計台に登り、聖女を確認した。元気そうな姿に肩の力が抜けたが、聖女様の不安な時間を考え夜を待った。





◇ ◇ ◇


「…聖女様、起きてください」



 屋敷に侵入するのはどこの屋敷より簡単だった。夜に料理を作りに来る女性の為に使用人用のドアの鍵は掛けられておらず、警備の者はいない。


 一人だけ、聖女様を乗せて来た男が滞在していたが、夜になると屋根裏部屋へと移った。日が落ちて灯りの付いた部屋を確認すれば、聖女がどこに滞在しているかは一目瞭然。騎士団長は大きな身体で屋敷に忍び込んだ。



「騎士団長?」


「はい。今から屋敷の外に出ます。抱えますが声は出さないでください」



 早口で話す騎士団長を前に、聖女は再び瞼を閉じた。



「夢でないのなら、明日また来てください。この事態は神殿側も非難されかねない問題です。侯爵令嬢が目を覚ましたら話を聞く必要があります」


「そんなのは捕らえてからでも出来ます」


「目を覚ましてもいない娘を捕らえて王都へ連れて行くのは難しいでしょう。だから誘拐なんてことをしたのです」



 聖女は頑固者だ。目を開ける気すらなさそうに見える。そんなことは許される訳もないのに…



「分かりました。夜は俺がここで見張るのでゆっくり寝てください」


「騎士団長、生きていてくれてありがとう」


「迎えに来た騎士を足止めするんですから、それを了承したことにも感謝してください」


「はい。いつもありがとう」



 スヤスヤと寝息を立て始めた聖女の布団を掛け直すと、ドアの前に腰掛けて目を瞑った。



「騎士団長!いい朝ですよ」



 暖炉に火も入れていない部屋で、聖女はコートを着て外を眺めていた。



「聖女様、これからは暖炉の火の入れ方も覚えましょう。もしもの為には必要だと判断しました」



 騎士団長は立ち上がると暖炉に薪を入れてため息をついた。



「いいですか?ここの娘が目を覚ますまでです。もし今日中に目を覚まさなければ、今日の夜は教会で寝てもらいます。意識の有無は関係ない。丁重に扱う必要は全くない立場の者です。俺が譲歩できるのはここまでですからね」



 聖女が強く頷いたことを確認して、暖炉に火をつけると聖女が隣にしゃがみ込んだ。



「暖かい」


「もう少し、大陸の王である自覚が欲しいところですね」


「加護があるだけで王になった弊害ですかね?」


「力があるだけで税や法を変えることは出来ませんよ。特に平民の生活の向上は聖女様のおかげです」



 まだ誰も起きていない薄明の頃、騎士団長は静かに屋敷を後にした。聖女を連れて来れず、騎士団長は朝からユリエルに説教を受けた。

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